その時はその時で、ま、いっか
令和七年二月二十四日(月)
中学生時代の、父との思い出。
激動の昭和の終わり頃。僕は中学では水泳部に入部していた。八月。言わずもがなであるが、水泳部は夏が活動の盛りで、こと夏休みの練習は過酷を極めた。朝から夕方までプールに浸かりっ放しで、一日の練習で五キロメートルを泳ぐことなどざらだった。僕はバタフライ二百メートルの選手だった。中学生の担当種目の決定基準は至ってシンプルで、競技の花形である自由形が早い者は無条件で自由形の選手。自由形の選手枠から漏れた者は平泳ぎに回される。平泳ぎから漏れた者は背泳ぎ。背泳ぎの成績も悪い者がバタフライ。その中でもバタフライ百メートルのタイムが遅い者が二百メートルの選手。
「お前最近部活ば頑張っとーなあ。俺、今日あたりお前ば応援に行こうか」
ちゃぶ台で連続テレビ小説を観ながら、朝っぱらからビールを飲んでいた父が、部活に出掛けようとする僕に、母と一緒に名古屋に駆け落ちをしてからもう何十年になるのに一向に治らないゴリゴリの博多弁でそう言った。
父の職業は設計士。独立して会社を経営する才能などないので、設計事務所に雇われて勤め先で図面を引いていた。ただし、父の性格上どの設計事務所も長続きせず、年がら年じゅう会社を転々としていた。先日も勤め先の社長夫人に「ちょっとあなた、いい加減に会社に来る時はネクタイぐらい締めなさい」と白いTシャツ姿で墨壺を弾いているところを他の社員が見ている前で注意をされ、以前から夫人の高飛車な態度を腹に据えかねていたとはいえ、あろうことかカッとなって傍らにあったハサミを夫人に投げつけ軽傷を負わせ「明日から来なくてよい。二度とこの会社に近づくな。消えて失せろ」と社長から解雇を言い渡されたばかりだった。
「ややや、やめてちょ~すか。部活の練習の応援になんて誰も来とらん。恥ずかしいで来んとって~」
僕は、ゴリゴリの名古屋弁で返事をする。
「そう照れんなや。俺、プールサイドんフェンスに噛り付いて応援ばするじぇ。頑張れ、頑張れ、キューちゃん、頑張れ、頑張れ、キューちゃん」
「冗談じゃにゃー。家でじっとしとれ」
「ばってんしゃあ、言うとくばってん、俺、暇ぞ」
「知ったことか。ぜってゃーに来てかん。ぜってゃーに来たらいかんでな」
「そりゃ必ず来いちゅう前ふりかい?」
「ぶち殺すに」
「何やと、こんガキ」
父の投げたガラス製の重い灰皿を、僕は間一髪でかわした。
その日、僕が中学校の五十メートルプールの水面をバタフライで跳ねていると、第一コースから第三コースまでを使用して練習している競泳水着姿の女子部員たちが何やら騒ぎ始めた。悲鳴を上げている者もいる。
「ほら、見て、あそこ!」
「覗きだ!」
「変態だ!」
父だった。
部室の脇から鬱蒼と生えた雑木に隠れて僕をじっと見ている。な、何故だ。あれだけ来るなと忠告したのに、何故結局来てしまうのだ。僕の練習を見て何が楽しい。僕が嫌がることをして何が面白い。あなたはいつもそうだ。あなたはわざと僕を困らせるようなことばかりする。あなたとしてはこっそり覗き見ることで、最低限の配慮をしているつもりなのでしょう。しかし一般成人男性が無断で校内に入り、中学生の泳ぐプールを物陰から覗いているのだ。父よ、あなたは今、余すところなく変質者だ。
僕は慌てて水中に潜った。もう二度と、二度と水面に顔を上げてなるものか。地上の出来事と僕は無関係。だって僕は魚。プールの底を泳ぎ続ける名もなき小さな魚。ああ、酸欠で頭がガンガンする。心臓がバクバクする。でも地上には父がいる。今日この水底で何となく最期を迎えても、その時はその時で、ま、いっか。




