3.王太子の後悔
「アビゲイル……本当に、なんと言って詫びればいいのか分からない……元はと言えば、僕の我が儘のせい、なんだ……」
王太子とフォーサイス公爵は同じ歳の学友である。2人きりになれば昔のように名前で呼び合う気の置けない仲であった。
「殿下……我が儘とは?」
憔悴してもその黒い瞳から理性の輝きを失わない公爵は、最近では昔のように気安く名前呼びなどしない。
「本当だったら今回の帝国との調印式は、グレースが出席するはずだった。あの子が1番働いていたし、向こうの責任者とも懇意なのはあの子だ。学園の卒業式など、あの子には不要なものだしね。……だけどあの子は、僕の夢を叶える為に、僕と卒業式に出席してくれたんだ。“学園の卒業式に娘と踊る父親役をやりたい”という僕の夢を……」
「……そうして夢を叶え満足した貴方は、グレースを置いて途中退場したのですね、贔屓のオペラ歌手の千秋楽をお祝いする為に」
「……知って、いたのか……」
「えぇ。深夜過ぎても帰宅しない娘を心配したうちの使用人達が総出で娘と貴方を探しましたし」
「……アビゲイル……」
「貴方の専属護衛を探し当てたのが深夜2時を過ぎた頃……彼は優秀ですね。貴方の居場所を頑として吐かなかった。お陰で我々はグレースが投獄されたのは知っても貴方が居ないせいで釈放許可を取れずに唯時間を浪費し一夜を明かしましたよ……」
「アビィ……」
「貴方がホテルで贔屓の歌姫との逢瀬を楽しんでいた頃、あの子は、私の娘は、冷たい地下牢に居た。
公爵令嬢の身で!
何故北の地下牢なんかに投獄されなきゃならないんだ?! あの子の身分を何だと思ってるんだ?! お前の唯一の息子はっ!!
そしてお前はどうしてそう、いつもいつも間が悪いんだ?! 肝心な時にいつも居ない! お前が王宮に、せめて俺の知る場所に居てくれたら即刻釈放許可を取れただろうにっ!」
フォーサイス公爵が激昂する姿は珍しい。昔、まだ学生だった頃は怒りの沸点が低く、名前の事を揶揄されては喧嘩腰になり問題視されたものだが、今となっては稀有な姿である。
「あ……アビィ……アビィ……」
公爵は一つ大きく深呼吸すると、冷静ないつもの“宰相閣下”に戻った。
「……そして娘は行方不明となり……貴方は、……そうやって泣き崩れるのですね……いい歳して、みっともないですよ」
「……済まない、アビィ……済まない……僕が、全部、悪い……」
「まったく……貴方といい、陛下といい……王族なんて厄介なモノ、無くなればいいと何度思った事か……」
「……」
「意外ですか? グレースが彼の婚約者に決まってから、何度もそう思ってましたよ。陛下にも貴方にも私は娘を強奪されたのだ、とね。あの顔だけで頭の軽い王子を隠れ蓑に、本当の王家を次代に繋ぐ為の駒、なのでしょう? 我が娘は」
「駒……だなんて……」
「私の娘なのに……王家の後継者となる為に厳しい教育を課され、同じ年の子どもたちとの交流も許されず、幼い頃から外交に駆り出され、散々働かされた挙句、投獄の上、行方不明だなんて……」
我が子ながら哀れにも程がある、と公爵は呟いた。
「そして……“娘と卒業パーティで踊る夢”、ですか……フフッ……私がその“父親役”なら、愛人の元になど行かずに大切な娘と共に帰宅しましたがね……
あぁ、そうそう。
貴方の専属護衛騎士から書類一式受け取りました。娘が貴方と踊るとき邪魔だからと彼に預けた……ジョン殿下による冤罪をバッサリ覆す証拠書類です。これがあの子の手元にあったら、状況はまた変わってただろうに……
本当に、運の無い……失礼します」
“宰相”の冷徹な表情を纏ったフォーサイス公爵は、優雅に一礼すると部屋を後にした。
そうだ、彼なら。最愛の夫人を亡くして何年も経っているが後妻も娶らない、愛人も作らないフォーサイス公爵ならば、自分のような失態は犯さなかっただろう。
自分は……“父親役”だけやりたがって、本当の父親には成れなかった。娘に対する責任を果たせなかったのだから。
王太子の滂沱の涙はいつ渇くのか、彼本人にも分からない。
「……それでも、アビィ……せめて父上の真意は、汲んで欲しい……駒なんかじゃない、あの子に“フェリシア”と名付けたのは、他ならぬ父上なのだから……」
王太子の呟きは、誰の耳にも拾われず冷たい空気の中に消えていった。




