15.愚か者の最後の日々①
北の塔での毎日は、思っていたより長閑だった。
強固な石で組まれた円柱型の塔の最上階の部屋には寝台、物書き用の机と椅子、作り付けのクローゼット、衝立を隔ててトイレ。
背の届かない高い所に鉄格子付きで天窓があり、そこから明かりがとれる。
夜は暗くなったら寝る。蝋燭はあるが、火をつける道具はない。
日に二度、牢番によって食事が運ばれる。
ドアの下部に専用の小さな扉があり、トレーに乗せられたパンと汁物が供される。
牢番は無口な初老の男で、特に彼と会話を交わしたことは無い。
キースから手紙と差し入れが来た。ロバートからも来た。
絶縁状かと思ったが違った。
王子でもない、ただの囚人に“元気か?”と訊くのは如何なものだろう?
だが、友情は感じられた。
こちらから手紙を出す事は出来ない。
そもそも便箋や封筒も無い。
今ならもっと違う気持ちで、彼らと接する事が出来そうなのに。
残念だが仕方がない。
自分は王族を詐称していた分際で、公爵令嬢を貶めた罪人だ。
数日に一度、元乳母が世話をしに来る。
彼女が話す外の世界は、なかなか大変らしい。政情が不安定で、帝国が攻めてくるかも、と国民は皆不安に思っているらしい。
その彼女から“宰相閣下から預かりました”と渡された書類の束には驚いた。
全部、グレース・フェリシア・フォーサイスの足跡、彼女の成し得た功績を記した資料だった。
ジョンは彼女の功績を一切知らなかった。
大臣や大使達に持て囃されて、国王や王太子に大事にされていたのは知っていた。
何故、大事にされていたのか、理解していなかった。
このロックハート国は海がない。
東西南北、ぐるりと他国に囲まれている。
その昔アーサー王は武力で他国を黙らせてきたが、北に位置するグリフォン帝国の巨大軍事力に負けた。帝国との国境線を維持する代わりに莫大な賠償金を要求された。周辺諸国と無理矢理和睦を結び、国内平定し国力を上げて帝国と再戦しようと目論んでいたアーサー王だったが、戦場の英雄は、平時のボンクラだった。
度重なる飢饉、災害。
国力増強の為の課題が山積みになって国はどんどん疲弊して行った。帝国へ支払う分割した賠償金もそれに拍車をかける。
それら困難を知恵と工夫で対処し始めたのは、なんと当時10歳のグレースだった。彼女の提案はフォーサイス宰相を通して議会に承認され、施行されて結果を出していった。
血気盛んだったアーサー王も歳をとり、次世代に王位を譲ろうと思った時、何よりも懸念したのが北の大国、グリフォン帝国の存在だった。
若かりし頃は戦いを挑んだが、グレースの世代で戦三昧になるより、帝国と共存できないか。
老成したアーサー王の願いを受けて、グレースは周辺諸国と渡りをつけた。
彼女がしていた事は、『全方位外交』だった。
地政学的に『隣国Aは敵、Aの隣国Bは自国の味方』は大原則だ。だから、昨日の敵国が明日の同盟国になり、常に疑心暗鬼になるのは自明の理である。
だがグレースは、その柵を軽く飛び越えた。
例えば。
隣国ナーガラージャでは度々水害が発生し、その度に飢饉に見舞われ、困窮に喘いでいた。
商会の一員として訪れたグレースがナーガラージャ国王に提案したのは、『川をわざと堰き止め、川の流れを支配する設備を作る』という一大土木計画だった。
その為の技術に優れているのはナーガラージャ国の隣国、シリウス国の一部族だったが、彼らをも口説き落としこの計画に参加させた。
国と国との契約ではなく、一商会と一部族の契約だとして、国境を超えた計画は施行され、のちにその設備は『知恵の女神の恩恵ダム』と呼ばれるようになった。
河川は安定した流れになり、ナーガラージャ国は豊富な穀物の宝庫と呼ばれる迄に成長する。シリウス国では一部族の技術に留まらず、国を挙げて技術者の育成に励み、国内外を問わず、優れた技術を提供し披露する事で栄えた。
それらの提案は全てグレースだと。
ロックハートに利はあるのか? とナーガラージャ国王に訊かれたフォーサイス令嬢は『美味しいお米が輸入出来たら満足です』と笑顔で答え、国王は『流石、ロックハートの知恵者よの』と彼女を褒め称えたという。
そんな事を、事の大小はあれ、東の諸国でも西の国でもやっていた。周辺諸国を力で押さえつけるのではなく、皆が手を携えそれぞれ利を得て友好を築き上げる。
グレースが中心に居れば叶う。
グレースの提案なら受け入れよう。
彼女を起点とした友好の輪が出来上がりつつあった。
そしてとうとう因縁のグリフォン帝国とも友好条約を結ぶまでになった。
これは、国王だけでなく上層部も褒め称え大切にする。他国でも才女と評判になるだろう。国としても手放せない。
そしてそんな令嬢と婚約していた男は、愚かにも婚約破棄をした。
他国の者に『宝玉を捨てた愚か者』と呼ばれても致し方ない。
グレースは紛れもない天才だった。
彼女の発想力も行動力も常人とは違う。神に選ばれたそれだ。
彼女を勝手にライバル視して憎んでいたジョンは愚かだった。
所詮ジョンは凡人に過ぎない。
凡人に天才と同じ働きは出来ない。凡人は凡人らしく、せめて天才の足を引っ張らないよう大人しくしているべきだったのだ。
それと似たようなセリフを、かつてあの断罪された時にアーサー王が言っていたな、とジョンはぼんやりと思い出していた。
ある日、弔いの鐘が鳴り響いた。
偉大なるアーサー王が亡くなったのだろう。
その日は見張りの牢番も乳母も来なかった。
ジョンは、ただ静かに冥福を祈った。




