11.国王陛下による断罪⑥
ジョンは震えていた。
自分が元婚約者を断罪したのは、たったの3日前。
だが今やすっかり立場が入れ替わってしまった。愛し合っていたはずの女性は自分を騙していたスパイだった。
もう、何を信じたら良いのか分からなかった。
「さて。ジョン・レイナルドよ。貴様、自分の罪が解っておるか?」
「俺の、罪?」
「やはり解らぬか……ここまで愚かとは……」
アーサー王の溜息に、ジョンは心の底から震え上がった。
「ジョン・レイナルド。
貴様は、マリア・カーペンターに唆されフォーサイス公爵令嬢を断罪し彼女を投獄した。
それだけでも万死に値するが、そもそも貴様は、貴様とフォーサイス公爵令嬢との婚約を自分を縛るただ煩わしいもの、としか捉えていなかったようだな。
が、この婚約には、我が王家とフォーサイス公爵家との大事な契約があったのだぞ。余が直々に纏めた物ぞ。
それを勝手に反故しようとは、余の意志を蔑ろにするという事。
余は、貴様に、随分と軽く見られていた、という事だな。
これは間違いなく不敬罪だ。国王侮辱罪とでもいうか? 貴様は3日前、軽々しくフォーサイス嬢にその罪を着せたが、余の意志に反旗を翻すこと以上の不敬罪は、この世にあるのか?」
ジョンはやっと理解した。
1番怒らせてはならない人間が誰か、を。
その人間を怒らせたら自分の命など、あっという間に無くなってしまうだろう事も。
そして。
その人間──アーサー王───が、先程から深く静かにこれ以上ないほど、怒りまくっていた事に。
「一応、言っておくが、下賜された品をどう扱おうと、それは本人の自由ぞ? 不敬になど当たらぬ。当然だろう? 余が大臣に煙草を下賜したら、それを吸った大臣を“下賜品を燃やした罪”と言って処罰せねばならぬか? ならぬだろう?」
この場を支配したのはアーサー王の醸し出す覇気。
かつて戦場を席巻し英雄と称えられた男は、その視線だけで人を殺せるとまで言わしめた。それは老いた今でも変わらない。特に学園を卒業したばかりのヒヨっ子達など一溜りもない。
誰も彼も息を飲んで老王の言葉に耳を傾けるのみだった。
「貴様がフォーサイス嬢に言った傷害罪も王家侮辱罪も、まるっきり筋違いの有りもしない冤罪だ。
言い掛かりをつけて集る街のゴロツキとお前、どれ程の差がある?
はっ! 王宮にゴロツキが住んでいたとは、恐れ入る!」
アーサー王の吐き捨てる様な冷たい言葉にジョンは生唾を飲み込む。冷たい汗が背中を伝うのが解った。
「痴れ者め! 貴様は裁判にかけるまでもないわっ!
余の意志を以てして貴様の王族籍を剥奪する。今すぐ! 北の塔へ連れて行け! 終生出る事は叶わぬ!」
アーサー王の怒号はビリビリと空気を震わせ、ホール内の窓ガラスをも震わせた。
「……お祖父様……」
ジョンの震えながらの呟きに、老王は侮蔑の瞳を向け吐き捨てるように言った。
「貴様など、生まれた時に始末しておくべきだった……レオンが情けをかけたばかりに、こんな事態を引き起こしおって……えぇい! 忌々しいっ」
なんという言い方!
この祖父王には、かねてより居ない者のように扱われてはいたが、目の前で“始末しておくべきだった”とまで言われるとは!
「そこまで……そこまで俺は、疎まれていたのですか……生まれて直ぐに、死を望まれるほど……」
目の前が暗くなる。
足に力が入らず、意図せずへたりこんでしまった。ホールの床はしっかりとした大理石で造られているはずなのに、どこかふわふわして心許無い感触がする。
「当然だろう? 我が王家の瞳を受け継がず、王族を名乗る慮外者よ」
「え?」
ジョンは自身の青い瞳を極限まで見開いた。
「1つ、我がロックハート王家の歴然とした、知る人ぞ知る事実を貴様らに教えよう」
アーサー王は一度、大きく深呼吸した。
それは、獅子が自分の屠る獲物を前にどう料理しようか算段を立てている姿を連想させた。
「我が王家の血を継ぐ男子は1人の例外もなく、この黄金の瞳を持って生まれる。つまり、この瞳が王家の人間の証でもある。
余や、王太子のようにな。
女子には違う瞳を持つ者もおったが……その者は王位継承権を与えられず臣下に降嫁した……グレース・フェリシアの祖母が、丁度それに当たる」
グレース・フェリシアの祖母はロックハート王家の姫として生を受けた。アーサー王と同腹の姉に当たる。だが、王家特有の黄金の瞳は持っていなかった為、スペンサー侯爵家に降嫁した。彼女が生んだ娘がフォーサイス公爵家に嫁ぎグレース・フェリシアが生まれた。彼女は女子としては珍しく、黄金の瞳を持って生まれてきた。
「もう1つ。そもそも貴様には、王位継承権は無いぞ。当然だろう? その瞳なのだから。王位継承権を持つ必要絶対条件は“黄金の瞳を持つ者”なのだよ。
“王家”で生まれた“王子妃の子”よ。たとえグレース・フェリシアと結婚したところで、貴様は女王の王配として扱われるはずだった。王になる未来は絶対訪れなかったよ」
静まり返っていたはずの会場が、徐々にザワつき始める。
「俺は……父上の子では、ない?」
余りにもあんまりな老王の発言の数々。
そのトドメの衝撃的な事実は確実にジョンの心臓を穿った。
信じていた世界が色を失い音を立てて崩れ落ちた。
「貴様はレオンが情けをかけたお陰で生き延びたに過ぎん。与えられた物で満足し、日々生きている事に感謝し、己が身分を弁えひっそり過ごしておれば良かったのだ」
ジョンは、へたりこんだ床にとうとう両手を付けた。さもなくば、身体を支えて居られなかったから。
有り得ない、という反発と。
あぁそうだったのか、という納得と。
両極端な思いがジョンを苛む。
寒くもないのに小刻みに身体が震える。
泣きたくもないのに涙が滲む。
誰かの嗚咽が聞こえる。誰だか分からないが、泣きたいなら泣けばいいのにと、ぼんやり考えた。
けれどそれは。
自分の喉元から込み上げて来る呼吸だった。
泣きたかった訳では無い。
でも我慢しなければ、泣き声が漏れ出す。
もう本当にどうしたらいいのか、ジョンには解らなくなって。
頭を抱えて床に這いつくばりながら嗚咽を押さえ込んだ。
ジョンの嗚咽が静かに木霊する会場で、アーサー王は次に自分の息子へ瞳を向けた。
「レオン・アンドリュー。全ての元凶は貴様だ。余計な情けをかけただけで、この痴れ者を放置した貴様が悪い!
貴様はこの痴れ者に全て詳らかに伝え、己が分を弁えさせるべきだったのだ!
それが貴様の責任だったはずだ! 違うか?! 全て貴様の惰弱さが招いた事態だ! この愚か者よっ!!」
王太子レオン・アンドリューは黙って老王に頭を下げ続ける。彼の父親の怒りも主張も正当なもので、反論の余地は微塵もなかったからだ。
一体、この胃の腑の落ち着かない状態はいつまで続くのだろうか、と会場中の誰もがチラリと考えた時、その報はもたらされた。
マリア・カーペンターを北の地下牢へと収監した衛兵が慌てた様子で宰相の耳元に何事か囁き、宰相は老王に何事かを進言した。
老王は顔色を変えて立ち上がると、王太子を伴い部屋を後にした。
宰相は会場にいる若い貴族たちに解散を命じ、城の使用人にジョンを北の塔へ連れて行かせた。
ジョンは、日頃の尊大な態度はなりを潜め、まるで幼子のように抵抗もなく侍従達に連行された。
こうして。
国王陛下による断罪は一応の収束を見せた。
……はずだった。
ロックハート国の本当の災厄はここから始まったのである。
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アーサー・ラウル・ロックハート国王陛下。この時66歳。若かりし頃は戦場を駆け巡り国土を拡げ英雄の名を欲しいままにした。
即位50周年のこの年に懸案であった隣国との和平同盟が成功し、彼の威光は遍く鳴り響くと思われた。




