天下への道と本能寺への伏線
石山本願寺の挙兵があり、三好の残党の蜂起があり、浅井朝倉と競り合いを続ける。毎日が戦の連続だ。
そんな中、朝倉に組みする比叡山延暦寺を焼き討ちした。
第六天魔王の完成である。
「フハハハハ!信長様、とうとう第六天魔王の称号を手に入れましたな!」
右目を押さえつつ、信長様にそう話しかけてみた。
すっごい嫌そうな目でみられた。わーいわーい。
その後、上洛を助けて将軍職につけてあげたにもかかわらず反信長に暗躍する足利義昭を追放し室町幕府を滅ぼす。そして、返す刀で浅井朝倉を滅ぼす。
とりあえず、第一次第二次信長包囲網を打ち破る事に成功だ。
ある時、聞いてみた。
「信長様、十数年後に足利幕府が滅びるのかって驚いてた気がしましたけど、滅ぼしたのがご自分だった感想は如何ですか?」
「む?儂が滅ぼしたのではないぞ。あまりにも愚か故に自ら滅んだだけだ。
…儂の助力をもってしても出来たのはせいぜい数年の寿命を延ばせてやれたくらいだったな。」
とうそぶいた。
その後も本願寺やそれを援護する毛利と事を構えつつ、丹波(京都府の中部から北部)の波多野氏や紀伊(和歌山県)の雑賀党を下し、畿内に定期的に沸く三好の残党を潰し、歩を進めた播磨(兵庫県南部)でもまた戦う。
それと同時に足利義昭の要請からか西上しようとする武田や上杉を迎え撃つ。武田信玄、上杉謙信といった戦国時代屈指の両英雄の前には流石の信長様も苦戦を免れる事は出来なかったが、両英雄とも上洛の途上で病の前に力尽きた。
武田信玄も上杉謙信も信長様が直接兵を率いて戦ってはいないので、両者と見える事は無かったが。
「上杉謙信は女性説とかあって、ちょっと見てみたかったんですよね。」
「其方、阿呆か?
戦場で謙信の姿が見えるような場所にそちのような戦えぬ者がいたら、命がいくつあっても足りぬぞ?」
「た、確かに(ブルブル)」
その後、上杉家は上杉謙信が後継者を定めぬまま亡くなったため後継者争いが起こり、上洛の軍を挙げるどころではなく却って大幅に力を弱め信長様の敵ではなくなった。
一方武田信玄の後を継いだ武田勝頼は、信玄時代と武田家の強さに何ら変わりがない事を内外に示すためにも信玄同様に攻め込んできた。
が、長篠の地で信長様の三段撃ちの前に武田四天王を始めとした多くの重臣たちが無残にも屍を晒し、勝頼は命からがら逃げ帰るという当初の期待とは真逆の結果になった。
信長様は目加田(今の滋賀県ー琵琶湖の南の地)の地に壮大な安土城を築く。
ルイス=フロイスいわく
「ヨーロッパで最も権威のあるお城と遜色無いレベルのお城デース。」
陸の上では石山本願寺城を十重二十重に包囲するも、毛利水軍が延々と海上輸送で支援するために全く落ちる気配が無い。
それに業を煮やした織田軍は水軍をもって木津川口にて本願寺を支援する毛利水軍に戦を仕掛けるも逆にけちょんけちょんにやられてしまう。
しかし織田水軍は鉄甲船を作り上げると今度は毛利水軍を散々に撃ち破り、支援の途絶えた石山本願寺をとうとう降伏させる事に成功する。
「この鉄甲船では、黒船とやらとは勝負にならんのか?」
「これはただの木の船体に鉄板張っただけですからね。この時代ではそれなりの強度かもしれませんが、黒船は総鉄鋼に蒸気機関に大砲を何門も積んでいる軍艦です。
フル装備の権六殿と乳飲み子くらいに差はあるかと。」
「…であるか。」
石山本願寺との十年にも渡る長き戦いの後、石山本願寺戦の責任者であった佐久間信盛を始め、安藤守就等の重臣が追放された。
十年もかけやがって…今の織田家には能力足りないんじゃないの?といった理由のようだ。
流石にあんまりな仕打ちな気がしたので、退職金を支払うように信長様にお願いしたら聞き入れてもらえた。
当人たちも納得したようだ。…するんかい。
東では長篠の戦いで弱体化した武田家に攻め込む。
弱体化したとはいえ強大で知られていた武田家を呆気なく滅ぼすと、あまりの織田軍の勢いに北条氏が従属を申し出てきた。
そう、豊臣秀吉の場合は天下統一前の最後の大戦として北条氏を攻め小田原城を囲んだのとは対照的に、信長様に対しては北条氏が自ら従属を願い出たのだ。
東北の伊達(この時は政宗の父輝宗の時代)や蘆名も恭順の意思を示していた。
本当に天下統一間近だったのだ。
あの事件が…あの謀反が無ければ!
武田を滅ぼした祝いにと信長様の元へ来る徳川家康をもてなす事になった。…信長様の命令で明智光秀が。
ここで私が明智殿以外に申し付けるように信長様に進言出来たかもしれないが、流石に出過ぎた行為なのと、私が「明智殿では役目が重いのではないですか?」と激しく明智殿を侮蔑する事になってしまうので黙ってしまった。
しかしというか予定通りというか歴史通りというか、明智殿はやはり失態を犯してしまった。
家康殿に出した膳の一部に腐った食材があったのだ。
料理人が悪いのだが、饗応全体の責任者である明智殿が罪に問われるのもまた当然の事。
明智殿の不始末で面目を大いに潰された信長様は怒り心頭で、その宴の最中の大勢の前で明智殿を足蹴にした。ひれ伏す明智殿の頭を何度も。
この時ばかりは、信長様への私の寛恕の願いも聞き入れてもられなかった。
その後、現在攻略目標の無かった明智殿には山陰道を攻め下す事を信長様は命じられた。
切り取り放題という攻め落とした土地は自分の領地にして良いという破格の条件でだ。
…ただし、現在の領地は即時召し上げとなった。
「おい、次のプロジェクト成功したらその成果は全部お前にやるよ。
…ただし、それまで無給な?」
って感じだろうか。
明智殿には養うべき妻子がいる…どころか数千もの部下がいるのにね。
この付属条件が罰なのか予定調和なのかは信長様に聞けなかった。
…怖くて。
そして、毛利軍の下っ端と戦っていたら毛利の本体が出て来てしまって困った羽柴秀吉から信長様の元へ救援要請が届く。
信長様「おや、誰か来たようだ。」




