遠距離恋愛の秘訣 その五
「「お疲れ様ー!」」
2日目のグループワークは各チームの熱い議論であっという間の6時間だった。
中でも若い症例のFチームの内容に意見が集中したものの、私が昨日考えていた内容はメンバーとほぼ同意見だったのでスムーズな議論が出来た。
「今の時代さあ、食事が欧米化してるから若い、若いって言ってらんないよね」
「そそ。30歳の脳梗塞だってあるし、メタボも増えてんじゃん」
運ばれたビールで乾杯した後、私は別の病院に勤めている同じ中堅看護師の隣に座った。
最初はグループ毎に振り分けられたのだが、流石に朝の一件があり拓真くんとは隣に座りたくなかったのもある。
(それに、こんな機会ないと他の話とか聞けないし)
「高桑さんのつけてるその指輪さあ、彼氏にもらったの?」
目ざとく右手薬指に輝く指輪を指摘される。去年の誕生日に大阪旅行に行った時に、俊ちゃんにいつの間にか嵌められていたサプライズの指輪。
仕事柄普段は一切金属類を身につけることは無いのだが、研修の間だけこっそりつけていた。
「はい。去年の誕生日に……」
「はぁ羨ましい〜。うちの旦那なんてさぁ、もうなぁーんもくれないよ」
「えっと……迫下さんはご結婚されてるんですか?」
「あはは、もう8年目。ぶっちゃけ夜勤やってるから生活のサイクルも全然違うし、あっちは普通のサラリーマンだからすれ違い夫婦よ」
迫下さんの話は他人事ではない。俊ちゃんの仕事は暦勤務の営業と開発。
私は今のまま病棟で働くつもりなので、そりゃあ子供がいない間は夜勤だってバリバリやるつもりだ。
──そもそも、俊ちゃんと子供の話もしたことは無いし、それに結婚の話だってない。こんなの、私のただの妄想話になっちゃうけど。
「付き合ってた時が一番幸せ。一緒になった途端、冷めちゃった」
「えっ!? そ、そんなもんですか!?」
職場の先輩夫婦の話は、子育てに追われながらも楽しそうな話しか無かった。迫下さんの以外な話に、私の夢が音を立てて崩れる。
「やっぱりさあ、お互い好きな共通点が無いと夫婦生活って厳しいのよ。それに、お姑さんもいるわけだし、他人なんだからさぁ」
お姑さんと聞いて私の胸が重くなる。俊ちゃんの家族構成はあまり聞いていないが、和希くんの件もあるし、お姑さんは手強そうだ。
(──って、俊ちゃんと結婚するわけじゃないのにそんな心配今からしてもしょうがない……)
「高桑さんの顔みてると幸せそうだし、いいなあ」
「私……遠距離なんです。これって、もしかして枠に嵌らないから続いてるってことですかね?」
「うーん。その質問、彼氏に直接してみたら? 男は捕まらないものを追いかけるのが好きなのよ」
捕まらないもの……。私が大阪行きを渋っている間、俊ちゃんと3ヶ月置きの逢瀬はまだ続くだろう。
お姉ちゃんは拓真くんと別れた後に屈強な消防士の人とお見合いをして結婚した。
今は田舎の方で2児の専業主婦をしているって年賀状をもらった。
両親ともにもう孫の顔を見ているから、私が結婚してもしなくても、子供がいてもいなくても、どちらでもいいのだ。
今のままでも十分幸せ。先を焦らない私がこの関係をストップさせている──。
温くなったビールは全く味がしなかった。
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「……高桑さん、ビールがダメならちゃんと言わなきゃ」
「うぅ……気持ち悪っ……」
迫下さんに肩を借りて店を出た私は、店のトイレで何回も吐き、さらに何を食べても胃が受け付けなくなっていた。
今日で講習も終わりなので、羽を伸ばしたい参加者の殆どが2次会に向かう。
迫下さんも2次会に呼ばれていたので、私は彼女の連絡先だけ聞く。
「迫下さん、ありがとうございました。またいつか機会があれば講習で」
「大丈夫なの? 彼氏に電話したら?」
「もうちょっと落ち着いたらします。行ってらっしゃい」
私はへらへら笑いながら迫下さんに手を振り、近場のガードレールに腰を下ろした。
慣れないビールなんて飲むものじゃない……。アレルギーでは無いのだが、どうも体質的にビールだけ合わないのだ。
夜風に当たりながら、私はぼんやりと俊ちゃんとの未来について考える。
「俊ちゃんは、捕まらない女が好きなのかな……」
あのルックスに、裏表ないサッパリした性格。それに加えて仕事もかなり出来るし後輩受けも抜群。当然、プライベートもモテていただろうし、彼女だって何人もいたと思う。
でも、結婚まで踏み切らなかったのは安定を求めて居なかったから?
「ははっ……実は私が東京にいるから好きだったりして」
遠距離のハラハラとドキドキ。いつも側に居ないからこそ、盛り上がる再会。
思い切って聞いてみよう……俊ちゃんが、私とどうしたいのか。
「晶ちゃん、大丈夫?」
はっと我に返ると目の前に不安そうな拓真くんの顔があった。
何で彼がここに残っているのだろうか。みんな2次会の会場に移動しているはず。
「たっくんは2次会に行かないと。私はゆっくり酔いを覚まして帰るから」
「……晶ちゃんが心配だよ。こんな赤い顔してフラフラしてたら、悪い狼に捕まっちゃうよ?」
「狼? そんなん、ナイナイ──っ」
そう言い笑った瞬間、そっと唇に柔らかいものが触れる。
右手を振り上げた瞬間、その手首まで掴まれた。こんな時に限って酔いが回っているせいか、力が出ない。
「──っは……な、なんで……」
「なあ、晶ちゃん。俺と付き合ってよ。絶対に幸せにする」
「わ、私には俊ちゃんが……」
「晶ちゃんが仕事したいなら、俺も家のこと頑張るから。ずっと……好きだったんだよ、忘れられなくて、この10年……」
だったら、どうして連絡もしてくれなかったのだろう。
在学中ならともかく、卒業した後の話。もっと早く言ってくれたら、私は東京に出ないで、あのまま田舎の病院に居たかも知れないのに。
運命とはどこでどう回っているのか分からない。
「分かってる、分かってるんだ……彼氏からもらった指輪を見てニコニコしてる晶ちゃんは、手の届かない遠いところに行っちまったんだなって」
「俊ちゃんは私の辛い時に側にいてくれていつも私のことを助けてくれて……」
「──でも、遠距離なんだろ? 俺にも機会をくれよ。せめて晶ちゃんがきちんと将来を選ぶ材料になりたい」
切ない告白に、私は唇を突然奪った彼を平手打ちする気力を失っていた。視線を落として項垂れていると、そっと頰に暖かい手が触れる。
「晶ちゃん、好きなんだよ……」
「──お前ら、何しとるんだ?」
聞き慣れた声に私の背中がびくりと動く。声の方に視線を向けると、片手に鞄を抱えた俊ちゃんが鋭い視線をこちらに向けていた。




