96. 願いよ、届け(その5)
初稿:2019/04/29
宜しくお願い致します<(_ _)>
「風が……止まった?」
伊澄が違和感を覚え空を見上げた。陽が完全に落ちて、宵闇が広がる空からは変わらず小粒の雨が降り続いている。だがつぶやいたとおり全くの無風となっていた。
体にのしかかる空気が重みと粘りを増した。そんな感覚に囚われ、心なしか打ち付ける雨粒さえも威力を増したような感じさえある。
「ど、どうしたっ!?」
ユカリの慌てた声に振り返ると、地面でめいめいに戯れていた小型翼竜たちが突如落ち着きを無くして騒ぎ出していた。ソルディニオスが甲高い声を上げると、それを合図としたように小型翼竜たちがユカリの制御を振り切って逃げ出すように飛び去っていった。
「……妙な感じだな」
「ええ……何が、とは分かりませんけどなんでしょう……違和感というか圧力というか」
クーゲルもまた雰囲気が変わった事を感じ取り、腰の拳銃を抜き取る。ユカリも言いしれぬ不安を覚え、無意識に伊澄の傍に身を寄せた。
「――っ!」
その時、視界の端に少女の姿が入り込む。アリシアらしき姿にユカリはハッとしてそちらを振り向くが、そこには誰もいない。
けれども彼女は見た。アリシアは――笑っていた。一瞬だけしか見えなかったが、ユカリはそう感じた。
そこに唸るような地鳴りが始まった。地面の奥底から足裏を伝って体の芯から震えるような揺れだ。心臓が硬直し、息が苦しくなる。空気もビリビリと肌を刺激する。
「なん、ですと――!
いかん! みんな、退避しろっ!!」
エレクシアから事情を聞いたクライヴが伊澄たちに向かって叫ぶ。しかし、その声が直後に響いた轟音にかき消された。
「うっ……」
稲光よりなお強い閃光が全員の瞳を焼いた。反射的にまぶたを閉じ、本能的に顔を守ろうと腕でガードする。
光がきらめいたのは一瞬だけ。すぐに収まったそれに、伊澄は恐る恐る腕を下げてゆっくりまぶたを開けていく。
そしてそこにいたのは――。
「あ……」
かすれた、意味のない音だけが漏れた。
遠く離れた彼らの視線の先。そこにいたのは、一匹の真っ白な生き物だった。
全身はつややかな毛並みに覆われて淡く発光している。体躯はまさに巨大。伊澄たちの傍らに鎮座しているノイエ・ヴェルトよりも更に大きく、広大な荒れ地の対角上に位置するそれは、彼らとは十分な距離があるにもかかわらずその巨体さがよく理解できた。
加えて感じる圧倒的存在感。見ているだけで押し潰されてしまいそうな圧迫感があった。
待て、をする犬のようにそれは四肢を地面につけて鎮座し、尻尾がゆらゆらと揺れる。一見してイタチのような姿形をしているが頭部は狼のように口元が前に迫り出している。寝起きのように伸びをしてグルリと首を回す様子は愛らしくもあるのだろうが、あくびをした際に覗いた牙は鋭かった。
その姿が、記憶を刺激する。
「あ……あ……」
ユカリの脚が震えた。
アレはダメだ。彼女は直感で悟った。人間が対峙して良い存在ではない。アレは人間とは全く違う、別の次元の生き物だ。
ユカリだけでなく、伊澄もクーゲルもアルシュリーヌも、ただその生物がいるという事実だけで存在に飲み込まれた。体を動かすことも呼吸をすることさえも忘れてしまっていた。
ただ一人――クライヴだけを除いて。
「伊澄っ! 今すぐユカリ殿を連れて逃げるんだっ!!」
鋭い叱責。クライヴのその命令に伊澄はすぐに我に返り、反射的にユカリの腕を掴んだ。
どこでもいい。どこか、遠くへ。少しでもあのモンスターから離れた場所へ。未だ存在感に押し潰されたままになっている彼女の手を引いて伊澄は走り出した。ユカリは何も考えられないまま、歯をカチカチと打ち鳴らしながら伊澄に導かれておぼつかない足取りで走った。
だが。
「■■■■■■■■っっ――!!」
咆哮が響く。これまでに遭遇したどのモンスターよりも強く、激しく空気が振動する。明らかに空気の質感が変わり、重く、そして熱を持っていく。
獣が首をもたげ、体から発せられる淡かった光が輝きを増していく。
そして、空気が爆ぜた。
放たれた雷光が空気中で弾け、爆発となって辺りの全てを吹き飛ばしていく。灼熱が濡れた地面を一瞬で乾かし、離れた木々の水気を蒸発させる。圧縮された空気が四方へ飛び交い、それは伊澄たちにも襲いかかった。
猛烈な爆風が衝撃となり、体を浮かす。重力を失い、その最中で伊澄はとっさにユカリを抱き寄せる。
意識が塗りつぶされる。何が起こったか分からぬまま翻弄され、やがて再び引力が本来の役割を取り戻す。体が地面に叩きつけられ、そこで伊澄とユカリはようやく現実へと戻ってきた。
「う……てぇ……」
「だい、じょうぶ……?」
「ああ……なんとかな」
「いったい何、が……っ!?」
うめきながら二人は体を起こした。クラクラする頭を押さえつつユカリを気遣い、伊澄は何気なく周囲を見回して言葉を失った。
世界は、一変していた。
イタチの近くにあった木々が黒く炭化し、煙が立ち上っている。雨に濡れていたはずの木々が赤く燃え上がり、炎のカーテンを広げていた。
炎が、空を焦がす。イタチが放った何かが破裂したその爆心地には深々としたクレーターが出来上がり、高熱を持った地面に降り注いだ雨が即座に蒸発して湯気を発する。それは、オルヴィウスと戦った時にできたクレーターを全て飲みこむほどの巨大さだ。
「伊澄っ! 無事かっ!!」
呼び声に我に返るとクライヴの姿があった。傍らにはクーゲルとアルシュリーヌもおり、遠目で見る限り彼らも無事のようだ。
「はいっ! こっちは大丈夫です!」
「ならば伊澄はユカリ殿を連れて城へと退避しろっ! アルシュリーヌはフェルミ殿を格納庫へ!
フェルミ殿、すまないが予備の機体があれば加勢を願いたい! 今は少しでも戦力が欲しい!」
「わ、分かった!」
クライヴは指示を飛ばし、急いでエアリエルへと搭乗する。
「では我々も……フェルミ殿、失礼致します!」
「え――おわぁっ!?」
「申し訳ありませんがしばらく我慢を!」
「そういうことじゃ――どわああああぁぁぁっっっ!!」
直々に命令を受けた女性騎士・アルシュリーヌは、城で伊澄がされたようにクーゲルを抱えあげる。そして、彼の抗議の声に耳を貸すこともなく城へと疾走していった。
「っ……ユカリ! こっちへ!」
またたく間に見えなくなったクーゲルたちに一瞬呆気に取られるも伊澄は現れた巨大モンスターをにらみ、次いで舞い上がっていくエアリエルを見つめて苦虫を噛み潰した。だが何かを堪えるように眼を強くつむるとユカリの腕を引いてエーテリアへと向かっていく。
「お、おい! どうすんだよ!?」
「クライヴさんの言うとおり、まずは城に君を連れてく!」
「クライヴをほっぽらかしてくつもりかよ!?」
「……っ」
歯噛みするもユカリの詰問には答えない。無言のままエーテリアに乗り込んで彼女をシート後ろに固定させると即座に機体を立ち上がらせる。
「エル、燃料と推進剤は?」
『推進剤は心もとないですが燃料には少々余裕があります』
アレだけの時間オルヴィウスと戦闘をしておいて燃料は余っているのか。高出力ながら経済性も抜群の機体に伊澄は舌を巻きつつ、城へ向かって飛び立つ。
しかし。
「伊澄さんっ!」
「っ!?」
ユカリが叫び、それとほぼ同時に伊澄も戦慄を覚えて機体を制動させた。
直後、目前を稲光にも似た閃光が走り抜けた。空気が破裂し、振動が機体を激しく揺さぶる。
通過したそれは遠く離れた無人の場所へ着弾。直後に爆風と撒き散らすと共に雨雲に向かって巨大な爆炎を上げたのだった。
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