67. おかえりなさい(その3)
初稿:2019/02/06
宜しくお願い致します<(_ _)>
カツン、カツン、カツン、とはしごを踏みしめる音が連なって反響する。一定のリズムを刻むそれはすぐに終わりを迎え、一番最後に降り終えた伊澄は降り立った場所の広さに感嘆の声を上げた。
伊澄とドワーフ三人組がいるのは地下にある巨大な空間だ。高さは十メートル程。採光を兼ねた吹き抜けがあるために真っ暗ではないが、照明は生きておらず薄暗いため正確な広さはよく分からない。
足元には一メートル幅程度の溝が掘られていて、何処かから流れてきた汚れた水が小さく波打っていた。
「ここは……?」
「儂らにも良く分からんがの、なんでも水害対策用として作られた巨大な水槽なんじゃと。もっとも、作られたのは何十年も前でボロボロじゃし、結局今は管理されとらんらしいがな」
そう言えば、と伊澄は昔耳にした話を思い出した。二十一世紀の初頭には度々豪雨災害が発生し、都心での大洪水を防ぐために地下に広大な空間が建設されたとか。結局第三次大戦によって管理どころではなくなって放置されているのが現状ではあるのだが。
けれど、だからこそ秘密の出入り口を作るのにふさわしい。
「こっちじゃ、伊澄」
ドランに促されて排水が臭う中を四人は歩いていく。広大な空間から半円の断面となる通路へ入るといっそう暗くなり、足元もおぼつかない。ドワーフの三人は夜目が利くのかそれとも歩き慣れているからか足取りに淀みがなく、彼らの後ろを、伊澄は滑りそうになりながらついていった。
「しかしさらわれた子女を助けるために戻ってくるとは、伊澄もやるのぅ」
「まったくよ。だが好いた女子を助け出してこそ男子というものよ」
「うむうむ。ノイエ・ヴェルトしか興味ないと思ったが、まったく伊澄も隅におけんな」
「そんなんじゃないですよ。ただ――」
ただ、なんだと言うのだろうか。伊澄は三人のからかいに苦笑いしながら答えようとして、はたと口ごもった。
ユカリとはホンの数時間を共にして、そして力を合わせてアルヴヘイムから逃げ出してきた。言葉にするとそれだけだ。彼女と古い付き合いがあるわけでもなく、脱出した後の時間を共有してきたわけでもない。
けれども彼女の存在は、伊澄の中にしっかりと根づいていた。恋愛感情か、と聞かれればたぶん違う、と伊澄は答えるだろう。友人か、と問われればYESであるが、それだと言葉が足りない気がした。
「着いたぞい」
ルドルフィスの声に伊澄は顔を上げた。
暗いためによく見えないが、目の前の扉には金属ボードに「関係者以外立ち入り禁止」と赤文字で書かれていて、白い下地がサビで赤黒く汚れてしまっている。
ルドルフィスは自身の白ひげを一撫ですると、体の割に大きな手のひらを壁に突いた。するとその部分が光り始め、彼の虹彩を赤外線が走査していった。
「ルドルフィス・ガンバーだ」
「静脈・虹彩・声紋認証完了。おかえりなさい、ガンバー」
合成音声が響き、古びた扉が開いていく。その奥には倉庫のような汚く狭い空間があって、更に奥にボロボロの扉がある。そこに今度はドランが手をかざすとスライド式のドアが開いて、外とは全く性格の異なった、明るく綺麗な通路が伸びていた。
「ありがとうございます」伊澄は三人に頭を下げた。「せっかくのお休みにすみませんでした。ここからは僕だけで大丈夫です」
「いいのかの?」
「ええ、ここまででも十分ありがたいです。後は……シャルノワール大佐とでも、彼女を助けてもらえないか交渉してみます」
伊澄は笑ってもう一度三人に謝意を述べた。バルダーにはもはや伊澄の居場所はない。だからここから先、伊澄は不法侵入することになる。入り口まで導いてくれたことには感謝している。そしてだからこそ、これ以上彼らに迷惑は掛けられない。
「迷惑だとか考えとるなら気にすることはないぞ?」
「いえ、入ってしまえれば進むだけですから。本当にありがとうございました」
「そうか……なら頑張るんじゃぞ」
「好いた女子を連れて、またここに帰ってこいよ」
「だから違いますって」
ルドルフィスのからかいにまた苦笑いをして手を振る。三人も激励を口にしながら手を大きく振り返し、その中でドランだけはニヤッと笑っていた。その笑みの意味がつかめずに疑問に思ったが、それを確認する間もなく扉が音を立てて閉まり彼の姿が見えなくなる。
「……よし!」
伊澄は大きく息を吸い込んで気持ちを入れ替えると通路を歩きだした。ここはまだバルダーの上層も上層だ。地下深くまで潜らなければ大佐のいる場所へはたどり着けない。まずは下層へ下りる道を見つけないと。最初の目的をそう定めると、それらしき場所を探して角を曲がった。
その直後、伊澄の前に大きな体が立ちはだかった。
「……っ!」
マリアにならった格闘戦の構えを反射的にとって一歩後ろに飛び退く。だが顔を上げて相手の姿を認め、伊澄は思わず声を上げた。
「遅かったじゃねぇか。待ちくたびれたぜ」
目の前にいたのは、除隊する時に激励会を開いてくれた整備班の班長だった。
「は、班長!?」
「ったくよぉ、戻ってきたい時はいつでも戻ってこいっつったけど、幾ら何でも早すぎるだろうが」
発達した胸の前で腕を組み、呆れたようにため息をつきながら伊澄を見下ろしている。ぼやきを口にしているが、濃いヒゲで隠れたそこが何処か嬉しそうに緩んでいる。
「ど、どうしてここに?」
「ドランの野郎から連絡があったんだよ。テメェがバルダーに来るから協力してやってくれって」
そう言えばここに案内してくれる前に、ドランが電話をすると言って少し場を離れていた。先程の扉が閉じる前にも意味ありげに笑っていたが、なるほどこういうことだったのか。彼の心遣いに深く感謝した。
だがこれではせっかく伊澄一人で中に入った意味が無い。迷惑を掛けるのがドランたちから班長へ変わっただけだ。どうやって班長の協力を断ろうかと頭を悩ませ始めた伊澄だったが、班長はその大きな手で伊澄の細い腕を掴むと引きずるようにして歩き始めた。
「ちょ、班長!?」
「何悩んでんのか知らんがとっとと行くぞ。テメェと一緒にいたあの嬢ちゃんがさらわれたんだろ? んならぼやぼやしてる暇はねぇ。さっさ助けに行ってこい」
「ユカリを知ってるんですか?」
「ユカリってぇのか、あの嬢ちゃんは。ああ、知ってる。アンリの坊っちゃんが案内してた時にな。ちっとしか話さなかったが、しっかりして芯の強そうないい娘じゃねぇか」
ユカリを褒める班長の言葉を聞きながら、短くも濃密な時間を伊澄は思い出す。
いきなり蹴飛ばされて、言い合いをして、手を取り合って逃げて。相手が誰であろうと物怖じせず強気で、けれど弱音を吐く時もあって。
伊澄を頼り、そして励ましてくれた。
「ええ、本当に……とてもいい子ですよ」
噛みしめるようにつぶやいた伊澄を班長は見下ろした。だが再び前を向くと口元をニッと緩め、子供にするように伊澄の頭をワシャワシャと撫でたのだった。
「俺の見立てじゃああの娘は囚われのお姫様なんてガラじゃあねぇ。早いとこ助け出して、一緒に帰ってこい。
いいな?」
「……はい!」
班長の叱咤に、伊澄は拳を握り力強くうなずいた。
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