65. おかえりなさい(その1)
初稿:2019/01/30
宜しくお願い致します<(_ _)>
伊澄を乗せ、鈴宮は再び車を走らせた。
神奈川から東京方面へ高速道路を順調に進む。夕方前のためかまだ道路は空いていたが速度はあくまで法定内。北神学園へ向かった時よりもずっと落ち着いたドライブであった。
「もうすぐ高速降りますよ。秋葉原のどの辺りに向かえばいいですかぁ?」
「そうですね……駅の近くに停めてもらえると助かります」
窓の外を見つめながら伊澄は鈴宮に応える。
ここまでの道中、伊澄はずっと視線を外に向けたままであった。外の景色を眺めるというよりは考え事をしているようで、鈴宮が話しかけても一言、二言で会話が途切れるばかりだった。
「ところで羽月さん、秋葉原で協力してくれる人って誰なんですかぁ?」
「……なんと言いますか、最近できた知り合いです。と言っても、本当の近々はすっかり疎遠になってましたんで協力してくれるかは自信ないですけど」
「その、疑うわけではないんですけどぉ……本当にユカリちゃんの救出に繋がるんですか? やっぱり、警察に連絡した方が……」
「……これで上手くいかないようだったら警察に駆け込みますよ。これが本当に最後の手ですから」
険しい顔をして伊澄は答えた。無論、警察に行ったところで意味があるとは思えない。だからユカリを助けるにはこれから向かう所――バルダーに何としても協力してもらわなければならなかった。
だが問題は、果たしてバルダーが日本人の少女一人を助けてくれるだろうか、ということだ。前にユカリがさらわれた時は救出を試みようとしていたらしいが、それだって彼女の親だか誰かがバルダーに依頼したからだ。伊澄がマヌケ面を晒して懇願したところで協力してくれるだろうか、という不安はあるが――
(……悩んでも仕方ない。まずはルシュカさんか、あの少年大佐に会って――)
「着きましたよ、羽月さん」
鈴宮の声と停車による軽い衝撃で伊澄の意識が思考から戻ってくる。相変わらず秋葉原の街は人が多いが、やはり平日の昼間であるためか伊澄の知る街とは違って見えた。
伊澄は車から降りドアを閉める。そして、おもむろに運転席の鈴宮に頭を下げた。
「羽月さん?」
「鈴宮さんもお仕事があるでしょうに、ここまで送って頂いてありがとうございました」
「……私は前線に立つ人間じゃないですし、特に権限があるわけじゃないですけど、防衛省の人間ですから。国民が危険にさらされているのであれば守る手助けをするくらい当然です」
頭を下げた伊澄に鈴宮はやや面食らった様子を見せたが、すぐに微笑んでそう伝えた。伊澄はつまらないことを言っちゃったな、と頬を掻いたが、やがて大きく息を吸うともう一度深々と頭を下げた。
「鈴宮さん、ここまで付き合ってもらってお伝えしづらいんですけど」
「はい?」
「今日してくださった話……すみませんけどやっぱりお受けできそうにないです」
「え……」
まさかこのタイミングで断られるとは思っていなかった鈴宮は言葉を失い、唖然と伊澄の顔を見上げた。
「すみません」
「……あ、えーと、あはは。お給料がやっぱり安すぎましたぁ? 新生重工さんは超大手ですもんね。貧乏省庁じゃ敵わないですよね。分っかりましたぁ、もうちょっとだけですけど賃上げを上司と交渉してみます」
「いえ、そうじゃありません」
「それか勤務地が遠すぎるとか? あ、伝え忘れてましたけど住宅手当が出ますんでウチの近くにマンションを借りていただいても――」
「鈴宮さん」
更に条件面での譲歩をしようとする鈴宮に、伊澄は首を横に振った。
「すみません……」
「そう、ですか……」鈴宮は肩を落とした。「ならせめて……理由をお聞きしてもいいですか?」
「……鈴宮さんが提示してくださった条件はすごく破格だと思います。話し合いの時も言いましたけど、僕なんかにはもったいないくらいです。正直、だいぶ心は傾いてました」
「でしたら――」
「でも――僕には関わらない方が良いと思います」
「羽月さん、何を――」
「本当にすみません。何言ってるんだって思ってるでしょうけど……とにかく、たぶん鈴宮さんたちのお世話になることはできなくなります」
「え、ええっと、それはどういうことで……?」
「でもこんな僕でも必要としてくれたこと……とても嬉しかったです。
それじゃ時間がありませんので」
「あ、ちょっと、羽月さんっ!!」
走り去る伊澄。その後ろ姿に鈴宮は手を伸ばすも届くことはない。
代わりに、窓から身を乗り出して叫んだ。
「諦めませんからねっ!! 絶対、ウチに引き込んでみせますからっ!!」
そう叫ぶ彼女に、伊澄は走りながら困ったように、けれど笑って手を上げた。
やがて彼の姿は雑踏に紛れて鈴宮からは見えなくなり、見送ってしまうと彼女はシートにもたれため息をついた。
「あーあ、残念。フラレちゃったかぁ。
……ホンット、ついてないなぁ。全く、どこのどいつか分かんないけど――」
「余計なことしやがって。貴女の心中を代弁するとそんなところでしょうか?」
鈴宮の独り言に被せられた声。ハッとして勢いよく見上げれば、車のすぐ横にスーツ姿の女性が立っていた。
客人を前にした受付嬢のように姿勢を正し、ニコニコと笑う。その姿に見覚えはない。突如現れた女性の姿に、鈴宮は訝しげに首を傾げた。
「え、えーっとぉ、その、どちら様ですか?」
「あら、お忘れになられました? 悲しいですね」
「ご、ごめんなさい」
「ふふ、良いんですよ。こうして面と向かって話すのは初めてですから。でも、本当に見覚えありませんか?」
そう言いながら女性は窓から運転席へ上半身を滑り込ませると、息がかかる程に鈴宮に顔を近づけていく。
美人は同性に対しても威力を発揮する。鈴宮は頬を赤らめる素振りを見せ、のけぞった。
「ほら、よく見て」
「ちょ、ちょちょちょチョット待って! 顔が近いですよぉ!」
「ねぇ、顔逸らさないでちゃんと見てください。でないと私が誰か――分からないでしょう?」
鈴宮の眼の前に伸びた女性の右手。よく手入れのされた爪が突如として鋭く伸びた。
息を飲む鈴宮。彼女の左頬を反対側の手が撫で、その手の甲は深い体毛に覆われている。冷や汗を流しつつ振り向けば、女性が鋭い牙を剥き出しにし、眼を見開いて鈴宮を覗き込んでいた。
「貴女、獣人っ……!」
「そう。いつもお世話になっておりますわ、情報管理局のエージェント・鈴宮。貴女の仕事熱心さには感服致します。でもいけませんわぁ。我が社の重要人物を引き込もうなんて」
「……もうバルダーからは除隊したと聞いてますよ、羽月・伊澄は。そちらとは関係ないのではないでしょうか?」
冷や汗を流しながらも鈴宮は冷静に応じてみせる。だが彼女の首に、女性の爪が食い込んだ。
「う……」
「だからと言って、多少とは言え我が社の内部を知ってる人間をそちらに引き入れるなんて真似、到底許容できるはずがないのは同じ秘密組織の所属である貴女にもご理解いただけますでしょう? 政府と無関係な一民間企業であるならともかく。
それに、そちらも後ろめたいからこそ羽月・伊澄の動向を偽装してまで会おうとしたのではなくて?」
「……っ」
「でも残念でしたわね。人間と違って私たち、鼻が利きますの。跡をつけるのは難しくなかったですよ」
そう告げながら女性は口端を上げて獣らしい獰猛な笑みを浮かべた。
しかし彼女の行動はそこまでだった。女性は鈴宮から手を離し、再びドアの向こう側でニコリと笑った。鋭かった爪や牙はすでに消え、極普通の人間としての姿に戻っていた。
「今回は警告までです。ですが、再び余計な事をしようとした場合は」
「……その場合は?」
「そうですね……合衆国に恩でも売ってみましょうか? あの国もシルヴェリア王国との交渉に手を焼いているみたいですし」
鈴宮の眉間に深いシワが寄り、口元が歪む。それでも息を吐いて気持ちを整えると、獣人の女性に応えた。
「……分かったわ。その忠告、上司に伝えておきます」
「懸命なご判断、感謝致します。我が社も日本国とは末永いお付き合いを続けていきたいと考えておりますので。
それでは、本日はこれにて失礼致しますわ」
最後にゆっくりと一礼し、女性は鈴宮の車から離れていく。彼女はフロントガラス越しにジッと獣人の姿を睨んでいたが、完全に見えなくなるとハンドルに拳を叩きつけ、握っていた拳銃を助手席に放り捨てた。
ため息混じりに腕で目元を覆い、シートに倒れ込む。
噛み締めた奥歯がギリ、ときしみ、噛み締められた形の良い下唇にぷっくりと赤い珠が浮かんだのだった。
お読み頂き、誠にありがとうございました。
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