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60. ガン・ポイント(その1)

初稿:2019/01/16


宜しくお願い致します<(_ _)>

 すでに会社を休み始めて三日。伊澄は自宅近くの喫茶店で、どこかそわそわしながらコーヒーを一人で飲んでいた。

 望んでいた休暇だというのに特にこれといって何かをする気にもなれない。日がな一日物思いにふけったりノイエ・ヴェルトに関する書籍を読み返したりし、だがそれに身が入るわけでもない。

 もやもやとした何かを胸に抱きながら過ごしていたのだが、そんな伊澄が三日ぶりに外出したのは、自身の携帯端末に掛かってきた一本の電話がきっかけだった。

 ぜひ会って話がしたい。その言葉と共に取り決めた待ち合わせ時間は午後一時。ネクタイこそしていないものの珍しくスーツ姿の伊澄は、緊張した面持ちで腕時計を見た。

 時間はすでに一時を回っていた。少し前にはランチ客でそこそこ賑わっていた店内も、今はだいぶ落ち着いている。


「……まだかなぁ」


 相手の職業柄を鑑みるに時間には厳密な気がするのだが、何かトラブルでもあったのだろうか。自身の携帯を改めて見てみるも特に着信はない。

 ひょっとして、職業を騙ったイタズラだったのだろうか。そんな不安に陥りながらも、伊澄は二杯目のコーヒーを注文しようと手を挙げた。

 その時、チリィンとドアベルが開いた。遅れてスーツ姿の若い女性が勢いよく駆け込んでくる。

 女性はぜぃぜぃと肩で息をし、その頬には大粒の汗が浮かんでいた。何とか息を整えて体を起こすとキョロキョロと店内を見回す。

 セミロングの黒髪をアップにして、目元には丸フレームのメガネ。同じく丸っこい小顔を落ち着きなくアチコチに向けていたが、やがて伊澄と目が合うとホッとしたように満面の笑みを浮かべてブンブンと手を振ってきた。


「お待たせしました、伊澄さ――」


 が。


「あわわわわわ……!」


 走ってきて脚が限界を迎えたのか、それとも慣れないヒールのせいか。小走りで駆け寄ってきた女性が伊澄の目の前で見事に足首をひねった。

 そして――伊澄のテーブルに勢いよく頭を叩きつけた。


「ごふぅぅぅぅぅぅぅっっっっ!?」


 額を抑え、奇声を上げながら女性は床を転がりまわる。周囲から向けられる眼が伊澄には痛かった。


「……大丈夫ですか?」

「だ、だいじょうぶですぅ……」


 気を取り直して声を掛けると、女性はうずくまって悶絶しながらもなんとか応じてみせる。

 しばらく悶つつヨロヨロしながらも立ち上がると、無言のままパンパンとスーツの汚れを手で払う。まるで何事もなかったかのように――何事もなかったことにするつもりなのだろう――女性は直立してキリッとした顔を伊澄に向けた。


「失礼。羽月・伊澄さんで間違いないでしょうか?」

「え、ええ。そうですが」


 問いかけに伊澄が返答すると女性は胸をなでおろし、しかしすぐに踵を鳴らし敬礼した。


「小官は防衛省人事教育局人事計画課、鈴宮・エミ人事計画担当官であります! 本日はわざわざご足労頂きありがとうございました! 以後、お見知り置きください!」


 ピンとしゃちほこばって女性――鈴宮は挨拶し、そして伊澄に向かって握手の手を差し出した。

 伊澄は勢いに押されながらも鈴宮を見上げ、立ち上がって彼女の正面に立つと彼女の手に――そっとポケットティッシュを握らせた。


「ティッシュ?」

「こちらこそよろしくお願いします、鈴宮さん。ですが――」


 伊澄は眼を閉じた。

 伊澄はできる限り空気を読もうとするタイプである。故に、彼女が望む通りスルーしようかとも思った。が、無かったことにはできそうもなかった。

 なぜなら。


「ですが――まずは血を止めましょう」


 彼女の額から顎先まで真っ赤に染まっていたのだから。






「――というわけで、こちらからの話は以上になります」


 鈴宮はひとしきり話し終えるとすっかり冷めてしまったコーヒーで喉を潤していく。一見、一仕事終えたキャリアウーマンといった風体だが、正面の伊澄には額に貼られた大きな絆創膏と真っ赤に染まってしまったワイシャツが否が応でも眼に入る。

 印象深いというかなんというか、少なくとも忘れられない出会いではある。当分は赤いものを見ると笑いの発作に襲われそうであるが、無理矢理にそれを押し込めると頭の中で鈴宮の話を反芻していく。

 鈴宮は、先日設計課長の片岡から聞かされた話の詳細を伝えるために派遣された職員だった。年齢はおそらく伊澄よりは多少上だろうが、アルヴヘイムやバルダーの、欧米風の顔立ちをした人たちを見る機会が最近多かったせいか年下に見えてしまう。きっと会って早々に転倒+ヘッドバッドというなんとも締まらない出会いであったせいもあるだろう。というより、それしか考えられない。


「あのぅ……どうでしょうかぁ?」


 説明時のハキハキしたものとは違って、伊澄の反応を伺う鈴宮の口調はどこか舌っ足らずだ。こちらがきっと素の口調なのだろう。だからますます幼く見えてしまうのだが、そんな鈴宮の属性は置いておいて、彼女の話は端的で分かりやすかった。

 伊澄に提案されたのは想像通り防衛省への入省と防衛装備庁長官付陸上装備研究所への配属。そして陸上自衛隊特殊兵装二科――つまりはノイエ・ヴェルト部隊への二重配属だった。

 肩書は陸装研の防衛技術士官で特任技術三尉待遇。これも暫定的なものであり、順調に仕事をこなせば数年以内に「特任」が外れて正式な二尉待遇になるとのことだ。週の半分を相模原市の陸装研で過ごし、もう半分は座間の駐屯地で整備を含めた各種訓練に励むということらしい。給料は法律で決められているため新生重工でもらっている分には及ばないが、各種手当を加味すれば遜色のないものになると彼女は説明してくれた。

 そして何より伊澄の気を引いた話だったのは、かつて伊澄が断念したノイエ・ヴェルトの免許についても再試験を実施してくれるということだった。それも、陸自内の免許センターにて。


「免許の融通を利かせてくれるのは非常にありがたい話ですね」

「はいっ! とは言ってもそこはやはり、自衛隊といえども国内で活動する以上法律は遵守する必要がありますからぁ、試験を受けてもらう事が必要ではありますけどぉ」

「ですが、その、ノイエ・ヴェルトに乗った時に発症する僕の症状については――」

「はい、そちらについてもぉ承知の上です。ノイエ・ヴェルト隊が長時間の機動を実施することは殆どないですし、訓練についてもぉ考慮可能です。羽月さんが望まれるのであれば陸自病院で治療を行うこともぉできます。もっともぉ、そちらは言葉は悪いですけど『研究材料』ということになってしまいますがぁ……」

「それでも十分ですよ」


 そう、十分過ぎる(・・・)厚遇っぷりだ。伊澄は防衛省の基準についてはよく知らないが、伊澄はたかだか修士の学位を持っていて数年民間企業に勤めていただけだ。特段実績もない二十三歳の若造に対して破格過ぎる待遇のように思える。


「お話はありがたいのですが……すいません、僕に都合が良すぎるような気がして……」

「それだけ私たちが羽月さんを必要としている。その証左と受け取って頂けませんかぁ?」

「……一つお聞きしても?」

「はい、何なりとぉ」

「どうして僕なんかにこんなオファーを? そちらがどう評価してくださってるかは分かりませんが、僕より優秀な人間はたくさんいます」

「それは羽月さんの過小評価ですよぉ。私たちは羽月さんを得難い人材だと評価していますから。なにせ、単機で海賊を撃退した英雄ですしぃ」

「止めてくださいよ。僕はそんなんじゃありません」


 彼女としては褒めてくれているのだろうが、先日の事業部長の話が頭を過り、思わず顔が歪んだ。


 「それに、探せば他にも適当な人材は見つかるかと思いますし、新卒者を採用する方が安くて何かと都合が良いんじゃないですか?」


 バルダーに入隊する時と同じ質問を鈴宮にぶつけてみる。すると彼女は「あー……」と言葉につまって眼を泳がせると、童顔を伊澄に近づけてきた。


「あんまり大きな声では言えないんですけどぉ……実はウチもほんっとに人手不足なんですよぉ。おまけに新卒者にも不人気でして……」

「防衛省が、ですか?」

「そうなんですぅ。国際情勢が落ち着いてきて防衛費は減らされてますしぃ、間接的にとは言え第三次大戦にも参加して死傷者もそれなりに出てますからいわゆる『3K職場』扱いされて若い人は入って来ないですしぃ……

 私だってもう入省して五年経つんですよぉ? だっていうのにウチの部署だとまだ私が一番下っ端なんですよぉ」

「はぁ、それで」

「羽月さんはご自身のことを卑下されてますけどぉ、学歴があって技術者であってかつノイエ・ヴェルトの操縦もできる人材なんて早々いないんです。

 伊澄さんが入って頂ければパンフレットに『こういう人材だっています!』って堂々と採用活動で示せますしぃ! だからぜひ! ぜひにウチに来て頂けませんかぁ! どうぞ私たちを助けると思って!」


 終いにはいよいよ鈴宮は懇願してきた。ガンっと絆創膏が貼られた額をテーブルにぶつけ、その音に周囲の客が何事かと伊澄たちの方に視線を向けてくる。

 男女ということもあって、これではまるで伊澄が鈴宮に何かしら迫っているようである。現実は逆なのだが、周囲の視線がますます痛く感じる。


「わ、分かりました! 分かりましたから! だから頭を上げてください!」

「ホントですかっ!?」

「う……いや、その、この場で結論は出せませんけど……」

「そんなぁ……」

「な、泣かないでください! 前向きには検討しますから!」


 慌てて伊澄がそう伝えると、泣き顔が途端に笑顔に変わった。


「分かりました! 良かったぁ……これで上司にどやされなくて済みますぅ……」


 伊澄から言質を取ると鈴宮はヘナヘナとソファにへたりこんだ。どうやら相当にプレッシャーを掛けられていたようだが、伊澄は彼女を眺めながら「しまったなぁ」と頭を掻いた。

 肩を落としつつ冷めたコーヒーを飲み干し、そして改めて考えてみる。

 鈴宮に絆されてつい前向きに検討すると言ってしまったが、しかし落ち着いて考えてみても悪くない話のように思える。バルダーの時もそう考えて痛い目にあったが、少なくともあそことは違って公の組織であるし、大戦も終わった今、早晩に戦地に送り込まれることもないはずだ。

 何より、不人気だと言っても災害救助などが主な活動となっている自衛隊はそれなりに国民にも支持されているし、バルダーよりかはよっぽど周囲からの理解も得られやすい――


(伊澄はマイペースな様で周りに振り回されやすいからね)

(伊澄さんがどうしたかったかってことを大切にしたら良いんじゃねぇかな)


 ソフィアとユカリの言葉が頭に過る。伊澄はうつむき、額に手を当てた。


(また同じことを考えてる……)


 数日前にユカリに指摘されて反省したばかりだというのに、すぐ忘れてしまう。今だって鈴宮に押し切られてうなずいてしまった。決定権があるのは自分なのに。


「全く……嫌になるなぁ」

「えっ?」

「ああ、いや、こっちの話です。とりあえず今日のところは頂いたお話を帰って検討してみたいと思います。さすがに人生に関わることなので即決は……」

「もちろんですぅ。でも良いお答えを期待してもいいですよね?」

「どうでしょう? ただまぁ、悪いお話ではないとは感じてます」


 伊澄は社交辞令的に返しただけだが、鈴宮は嬉しそうに鼻をふくらませた。防衛省ということだが、どうやら彼女は感情を隠すのは苦手らしい。大丈夫だろうか、と自分を棚に上げて鈴宮のことが心配になってくる。


「それじゃ今日のところは以上ですぅ。あ、ここのコーヒー代は支払っておきますからぁ」

「いいんですか?」

「はいっ、これくらいの経費は許可をもらってますから大丈夫です。ついでにケーキでも頼んじゃおっかなあ~。伊澄さんが食べたってことで」

「……まあ別にそれで構いませんけど」

「んふふ~。それじゃ遠慮なく頂きます。えっとぉ、どれにしようかなぁっと……」


 腰を浮かした伊澄を他所に、鈴宮はウキウキしながら一人メニューを開いてデザートのページを物色し始める。その様子を呆れながら眺め、だがどこか憎めないキャラクターの彼女にクスと笑って席を後にしようとした。

 と、そこに鳴り響く着信音。昔のロボットアニメのサビ部分が流れ始め、そこでようやくマナーモードにし忘れていたことに気づいて慌てて取り出す。落としそうになりながら画面を覗けば、そこにはよく知っている名前が表示されていた。


「ユカリ?」


 時計を見れば、午後二時過ぎ。今日は平日のためユカリは学校のはずだ。自身の高校時代の経験に突き合わせれば休憩時間というわけでもあるまい。


「サボりか?」


 だとしたら年長者として小言の一つくらいは言ってやらねばなるまい。通話ボタンを押して伊澄は電話に出た。


「はい、もしもし?」


 しかし伊澄が声を掛けても反応はない。もう一度「もしもーし、ユカリ―?」と話しかけても返事はこなかった。だが何やら物音がするため繋がっていないということはなさそうだ。

 ひょっとしたら間違ってポケットの中でボタンを押してしまったのだろうか。とりあえず後でもう一度掛け直してみようと切断ボタンを押そうとした。

 その時だ。


『あー、もしもし?』


 反応があった。だがその声は野太い男性のもの。どう聞き間違えてもユカリのそれではない。

 そしてもう一つ間違えようもないことがあった。

 発せられたのはもう使う機会もなくなった場所の言葉。

 アルヴヘイムの言語だった。


『……もしもし?』

『おー、旦那。アンタ、羽月・伊澄でいいか?』

『そうですけど、どちらさまでしょうか? ユカリ――明星さんの携帯だと思うんですが』

『おう、そりゃ間違っちゃいねぇぜ』

『ぐっ、伊澄、さん……』


 顔を強張らせた伊澄とは対象的に、愉快さをどこか含ませたかのような口調の声の奥で、苦しげな声が伊澄の耳に届いた。

 それは間違いなく、ユカリの声だった。店の外にゆっくり向かっていた伊澄の脚がピタリと止まった。


『おっと、彼氏とはおいさんがお話中なんでな。ちぃっと黙っといてくれや』

『がっ……あ……』


 彼女のうめき声に、伊澄は心臓が冷えるような感覚を覚えた。


『……貴方は、誰ですか?』

『誰かって? まぁそうだわなぁ。こっちだけがそっちの名前を一方的に知ってちゃケツの座りが悪ぃってもんだ』


 そう言って電話口の相手は笑い、そして彼はその名を告げた。


『俺はオルヴィウス。

 よう、色男。――アルヴヘイムから迎えに来てやったぜ?』

お読み頂き、誠にありがとうございました。


ご指摘等あれば遠慮なくどうぞ<(_ _)>

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