35. 明星・ユカリという少女(その1)
初稿:2018/11/11
「やあ大佐。どうしたんだい、こんなところに?」
ルシュカが気安く声を掛けた相手の呼び方に、伊澄は一瞬戸惑いを隠せなかった。
「大、佐……?」
「我々の代わりに彼女を保護してくださった羽月さんに一言お礼を申し上げたくて来たんです。
ああ、名乗るのが遅れてすみません。ボクはアンリ・シャルノワール。バルダーのニヴィール東方部隊の部隊長を任じられています。こちらはストークス少佐。経験豊富な方でして、このような大ベテランには恐れ多いのですが、ボクの補佐役をしてもらっています」
「ストークスです。よろしく、羽月・伊澄くん」
紹介され、伊澄はアンリとストークスを眼を丸くして交互に見比べた。
ストークスは見た目からして威厳たっぷりといった長身の男性だ。やや面長の顔にはいくつか深い皺が刻まれ、銀縁の細長いデザインのメガネの奥からで光る鋭い眼光は伊澄を睨みつけているようだった。髪や鼻髭には白いものが多分に混じり、おそらくは五〇台後半から六〇台、といったところかと伊澄は当たりをつけた。
纏う雰囲気から察するにたぶん長い間軍で生きてきた人間で、加えるならばいわゆる「叩き上げ」の人間なのだろうとも思った。
対してアンリは間近で見てもまだ子供のようであった。背も伊澄より頭半分は低く、髪質もサラサラとしているて若々しい。いかにもまだ成長途中といった様相で、とても彼が部隊長などという役職を担っているようには見えない。
しかしどこか神秘的な雰囲気を伊澄は感じていた。或いはカリスマと称してもいいのかもしれない。それは、見た目にそぐわないしっかりとした言葉遣いのせいかもしれないし、もしくは恐ろしいくらいに整った美しい容姿がもたらすものかもしれない。彼の肌は「白」と称するのが適切に思え、しかし病的な様子は全くなかった。昔、伊澄は歴史的な西洋画を眼にする機会があったが、そこに出てくる天使に例えても遜色ないように思えた。
(でも……なんか似た雰囲気の人に会ったことある気がするんだよな)
色白さからエレクシアが頭を過るが、それも何か違うような気がした。では誰だろうか、と思考が深みにはまりかけたが、アンリから「何か?」という声で自分が彼をマジマジと見つめていたことに気づいた。
「すみません、ちょっと驚いてしまって」
「いえ、驚かれるのも当然です。こんな若造が隊長なんてやってるのですから。自分にはこの肩書は重すぎて、ストークス少佐のおかげで何とかこなせている状態です。
それよりも改めて羽月さんに御礼を。明星さんを保護してくださってありがとうございました」
「え? い、いえ、そんな……僕はそんなつもりじゃありませんでしたし」
「あ、アタシからも礼を言わせてくれよ! そ、その、ありがとな、伊澄さんっ」
アンリに続き、ユカリも慌てて礼を述べた。感謝を口にし慣れていないのか、やや口ごもり、恥ずかしそうに眼を逸らして頬を赤くするも、最後はキチンと伊澄を見て感謝を伝えきる。
感謝など想像していなかった伊澄はやや困惑し、それを見てユカリはなおも自分の気持ちを口にする。
「……アンタがいなかったらあんまま城の地下で手錠に繋がれたまま死んでたかもしんねーしな。半分は諦めてたけどやっぱまだ死にたくはなかったし、何だかんだ言いつつも伊澄さんには散々助けられたしさ」
「これでも僕はユカリよりは年長だしね。助けるのは当たり前だから」
「それでも礼は言わせてくれよ。それに、まあ、えっと……」ユカリは頬を掻いた。「蹴飛ばしたりしちまったし、迷惑は掛けたから、さ」
「うん……」気恥ずかしさから伊澄も頬を掻き、肩を竦めておどけてみせた。「アレは効いたね。ノイエ・ヴェルトに殴られたかと思ったよ」
「うっせぇ! アタシの脚はあそこまで太かねぇ!
まあ……蹴り飛ばしたのは事実だしな。それもちゃんと謝りたかったし、別れる前にキチンと礼だけは言っときたかったんだ」
「別れる……」その言葉を聞いて伊澄は一瞬理解が及ばなかったが、すぐに当然だと気づいた。「そっか、ニヴィールに戻ってきたんだし、早く家に帰らなきゃいけないよね。親御さんも心配してるだろうし」
なんだか凄く長い時間、共に過ごしていたような気がする。伊澄はそう思ったが、実際には数時間程度を共有しただけだ。それでもこうしていざ彼女と離れると思うと、何となく寂しさに似たものを禁じ得なかった。
顔を少し伏せ、伊澄は照れくさそうにする。だから、彼女の表情が少し曇ったことに気づかなかった。
言葉が途切れ、一瞬間が生じる。それを、ルシュカが二人の肩を叩いたことで打ち破った。
「まあまあそう暗い顔しなくたっていいじゃぁなぁい? 今生の別れってわけでもないんだし。何なら二人共連絡先くらい交換しとけば?」
「いいんですか?」
「君はバルダーを何だと思ってるのかなぁ? 彼女はもうバルダーもアルヴヘイムも知っちゃってるからね。無関係な人間に言いふらさなきゃ別に交友関係まで制限する気はないよ」
「なら……せっかくだし、構わない?」
「アタシは別に構いやしないぜ?」
「彼女は我々が責任を持って送り届けます。出発までもうしばらくありますし、後はお二人でどうぞ。時間になれば声を掛けますから」
アンリがそう伝えると、ストークスを連れて伊澄とユカリから離れる。
伊澄はユカリと二人になった事に戸惑いつつ、携帯端末に登録している自分の連絡先をユカリと交換する。
「こっちゃ送ったぜ?」
「ええと、ちょっと待って……ああ、うん。ちゃんと届いてる。あ、北神学園なんだ」
「ん? ああ、そっか、しくったな。高校の名前まで一緒に送っちまったか」
「嫌だったら消しとくけど?」
「いや別にいいよ。つか、アンタ北神知ってんの?」
「そりゃね。会社の近くだし」
「……ウチのガッコの生徒に手ぇ出すんじゃねぇぞ?」
「だーしーまーせーん。君に見つかって蹴り飛ばされるのはゴメンだからね」
「ははーん、んじゃアタシがいなかったら手を出すってわけだ」
「揚げ足を取らないの。そんなに僕の信用ないかなぁ」
「はん! 自分の胸に手を当てて考えてみろってんだ。アタシのお、おっぱい見たやつのどこに信用おけっつんだよ」
「アレは事故っ!! 誤解招くことを大声で言わないでっ!!」
初めはどこかぎこちなかった会話も、昨晩のように次第に弾んでいく。憎まれ口を叩いたり、伊澄の尻をユカリがまた蹴り上げたり。それで伊澄が床を高速で転がったり。まるで長年の悪友のような関係を見せる二人の姿にマリアは肩を竦め、ルシュカは「若いねぇ」とニヤニヤしながら取り出したタバコに火を点けた。
「ここは喫煙所じゃありませんよ」
それを見咎めたアンリがルシュカに注意する。臭いが苦手のようで、鼻を押さえ眉間に皺を寄せながら彼女の隣に並んだ。
「おっと失礼。仲睦まじい二人を見てると胸焼けしてつい火を点けちゃった。まあ一本くらい大目に見てちょうだい」
「はあ……貴女にそう言われれば、ボクもこれ以上注意はできませんからお好きになさってください。ただ、後始末だけはちゃんとしてくださいね」
「アンリのそういう心の広いところ好きだよ」
「貴女に褒められても信用できません。しかし、よくそんな臭いの強いもの吸えますね。貴女にだって獣人の血が流れてますでしょうに」
「残念ながら親から鼻の良さは受け継がなかったみたいでね。それに、慣れればそう悪くない匂いだよ」
ククッと喉を鳴らして笑うルシュカに、アンリは「処置なし」とばかりため息で応えた。
「まあその話はいいです。それで、どういうつもりですか――ワイズマン少将?」
「……伊澄くんのことかな?」
アンリが頷く。彼の真剣な眼差しを横目でチラリと見るとルシュカはタバコの煙を吐き出した。
「彼の採用には反対かな?」
「そうは言いません。バルダー創設者の一人であり、この部隊の最高幹部の一人である貴女には人事権くらいはありますから。ですがこれまで経営にも人事にも一切携わろうとしなかった貴女が急に採用したいと言い出すだなんて、気になるのも当然でしょう?」
「ノイエ・ヴェルト部隊の人間を増やしたいって言ってたのは君だったと思うけど?」
「ええ、ですから羽月・伊澄を採用するのは問題ありません。本格的な調査は必要でしょうが、彼自体は他組織とも政府とも無関係でしょう。
ボクが知りたいのは、貴女が何を思って彼を引き入れたのか、ということです」
ルシュカの真意を見極めようとアンリは年齢にそぐわない瞳で見上げる。透き通った瞳と、ルシュカの濁った瞳が交差し、だが彼の眼差しは彼女の奥にまで届かない。
「……別に、そんな深く考えちゃいないって」ルシュカはアンリの白い髪をクシャリと撫でた。「人手が必要だってところにちょうどいい人材が来たから採用したら良いんじゃないかって思っただけよ。どうせ引き入れるか、記憶を消して放り出すかの二択なんだし、だったらせいぜい役に立ってもらおうってね。話だけ聞いてると面白そうな子だし、ま、ちょぉっと開発時のおもちゃになってもらいたいってのもあるけど」
いつの間にかくわえたタバコは根本まで燃えていた。ルシュカは最後に一吸いすると携帯灰皿にそれを押し付け、アンリの隣から離れていく。
「心配なさんなって。別に悪だくみも何も考えちゃいないわよ。バルダーの、そしてアンリたちの悲願達成のためにせいぜい貢献させてもらうってば」
白衣を翻し格納庫出口に向かっていくルシュカ。アンリに向かって後ろ手をひらひらと振るばかりで振り向かない。
「……そろそろ時間です。行きましょうか」
そんな彼女の後ろ姿をアンリは睨みつけるも、苛立ちを抑えるようにアンリは一度息を吐き出した。頭痛を堪えるようにこめかみを押さえて顔をあげる。そしてマリアとストークスに声を掛け、彼らもまた伊澄たちの方へと歩いていったのだった。
(違う、違うの! 私はやってないっ!!)
大人たちに囲まれながら、少女が必死で叫ぶ。自分は悪いことなんてしてない。両目に涙を浮かべ、だがどれだけ彼女が主張しようとも誰も信じようとはしてくれなかった。お店の人も、学校の先生も、そして両親でさえも。
自分の味方はいない。大人たちが彼女を見る目は蔑んでいて、両親はひたすらに一生懸命頭を下げるばかり。
(この、バカ娘がっ!)
(どうして、どうして万引きなんてっ……! お母さん、もう恥ずかしくて……)
(お前の育て方が悪いからだっ!)
(何よっ、何一つ手伝いなんてしなかったくせにっ!!)
自分を叩く父と、すがりついて涙を流す母の姿。やがて両親は彼女を放ってケンカを始め互いをなじり合う。
そんな両親の姿を少女は見上げる。彼女のその瞳にはもう――
「着きましたよ」
声に起こされ、ユカリはハッと眼を開けた。反射的にガバっと勢いよく体を起こす。
彼女が居たのは車の中だ。セダン車の助手席に座っていて、窓の外には既に見慣れた景色が広がっていた。横を見れば、直ぐ側には何度もくぐったマンションのエントランスがある。
「あ、あれ? もう着いたのかよ?」
「ええ。ぐっすり眠っていたので起こしませんでしたが」
運転席に座っている女性が優しく微笑むと、左目の目元にある泣きボクロが少しだけ上がった。黒いスーツに身を包み、キャリアウーマンといったその姿は同性のユカリが見てもカッコいいと思う。
だが。
「……ひょっとして何か仕込んだか?」
「お渡ししたドリンクに眠り薬を少々。さすがにバルダーの場所を覚えられると困りますから」
ユカリが尋ねると彼女は悪びれることなく告げ、ここまでの道中の記憶がない理由を理解した。断りもなく薬を飲まされたことに、ユカリは睨みつけることで不愉快さを示すが女性は小さく微笑んだままだ。
「どこか具合でも?」
「騙されて機嫌が良い聖人がいるならぜひお目にかかりたいもんだ」
「ならばもし次があれば事前に伝えましょう。そうならないことを祈ってますけどね」
薬を黙って飲まされたこともそうだが、それ以上に夢見の悪さが彼女を不機嫌にさせていた。
どんな夢を見ていたかはもう覚えていないが、とにかく気分の悪い夢だったのはわかる。そして覚えていなくても、胸に残る感覚から夢の内容は想像がついた。
自宅に到着したにもかかわらずユカリは中々車から降りようとしなかった。窓越しにじっとマンションを見上げ億劫そうにため息を漏らす。
そんな彼女を促すように、ドライバーの女性は車から出て助手席に回るとドアを開けた。女性だがまるで熟練の執事のような仕草で一礼し、ユカリは渋々車から降りてエントランスへ向かった。
「別に付いてこなくていいって」
「エントランスまでです。キチンと送り届けたと上司に報告せねばなりませんから」
後ろを付いてくる女性に居心地の悪さをユカリは感じていたが、言葉通り彼女が付いてきたのはエントランスまで。ユカリがガラス扉をくぐり振り向くと、女性は立ち止まって微笑みながら小さくユカリに向かって手を振っていた。
ユカリはむずがゆさを覚えて舌打ちをするも軽く手を上げて応じ、それきり振り向かずエレベータへと消えた。
彼女の姿が完全に見えなくなる。すると送り届けた女性の顔からは笑みが消え、まるで能面を貼り付けたように無表情となる。コツコツとヒールを鳴らして車へと戻っていく。
その途中、くたびれたヨレヨレのジャンパーを着たうだつの上がらなさそうな男性が歩いているのに出くわした。いかにも無職、といった容貌で、彼は茶色のハンチング帽を目深に被り直し女性とすれ違った。
「依頼は完了した。後はそちらに任せる」
「……あいよ」
その際に女性から平坦な口調で声が掛けられる。男性は短く返事をして二人はまた遠ざかろうとする。
だが男性の背に向かって冷淡な声が届く。
「そちらの尻拭いはこれきりにしてもらいたいものだな」
「……金ならたんまりプレゼントしただろうが」
「ならばその金でもうちょっとマシな監視役を雇うんだな。大事な『お姫様』がどうなってもいいのならばこちらとしては一向に構わんが」
「調子こいてんじゃねぇぞ。テメェらがこの国で好き勝手できてんのは誰のおかげだと思ってやがる」
「少なくともお前のおかげではないな」
「テメッ……!」
女性の言い草に怒りを覚え、男性は立ち止まって振り向いた。しかしすでに女性は車に乗り込んでいて、男性に向かって急発進させた。
タイヤがアスファルトで擦れて金切り声を上げる。男性は即座に飛び退き、かろうじて難を逃れた。
遠ざかる黒塗りのセダン。男性は立ち上がりながら袖についた砂埃を払い、舌打ちをして唾を吐き捨てた。
「他所者がデケェ顔しやがって……!」
だが今回のような事態に陥った場合、彼らの力を借りねばならない。その歯がゆさに苛立ちながら、男性は携帯端末を取り出すと上司へと報告の電話を掛けるのだった。
お読み頂き、誠にありがとうございました。
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