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21. 真実(その3)

初稿:2018/10/10


宜しくお願い致します<(_ _)>

 カラン、とグラスの中の氷が音を立てて崩れる。エレクシアはグラスを傾けながらその様子を一瞥し、中身を一気に飲み干した。

 彼女の形の良い唇から吐息が溢れる。口端から僅かに垂れたアルコールを手の甲で乱雑に拭うと、手にした書類に眼を通しながらソファに腰を下ろした。


「……まったく、頭の痛い話じゃ」


 彼女が見ているのは嘆願書。シルヴェリア王国の外れにある小さな町からのもので、モンスターを討伐するために派兵して欲しいという内容だ。

 もちろんエレクシアとて国民を守るためならば兵士を派遣するのは吝かではない。しかし兵士を向かわせるにしても金は掛かるのだ。書類に記載されているモンスターの種類や数ならばさほどの兵数はいらないだろうが、近くにいる辺境軍の一部を割くにしてもタダではない。

 国の予算規模に比べればこうした派兵に必要な額は僅かではあるのだが、前の事件から十三年が経ち徐々に魔素の濃度が回復してきているためかモンスターが街近くに現れる件数は増加傾向。各々は小さな額でも年間を通せばそれなりの規模になっている。

 だからといってノイエ・ヴェルトの開発や兵士たちの訓練に金を出し惜しみする訳にもいくまい。一部の知識人(バカ)どもが軍予算の減額を主張しているが、そんな話には耳を傾ける価値さえない。


「……そろそろ増税も考えねばならんかのぉ」


 エレクシアは酒を手酌し、グラスをグイと煽って陰鬱になりそうな気分を臓腑へ押し流した。

 できるだけ税を増すのは避けたいが、増税以外で歳入を増やすとなればノイエ・ヴェルト技術の一部を他国に切り売りすることも考えねばならない。が、そうなると他国につけ入る隙を与えかねない。であるならば、慎重に事を運ばなければいけなくなる。


「……やめじゃ。明日大臣に相談してみるかの」


 面倒になり、エレクシアは書類をテーブルの上に放り投げた。そのうちの一枚がテーブルから滑り落ちるが、それを拾い直すのも面倒なので彼女は何も見なかったことにした。

 一気にグラスの中身を流し込み、またもう一杯注ごうとする。だがボトルの中身は空っぽで、振ってみても出てくるのはポトリと一滴のみ。その様子をもの悲しそうに見つめて眉尻を下げたが、そこに扉をノックする音が響いた。


「エレクシア様、クライヴです」


 そういえば彼に後で来るように伝えていたのだったと思い出し、彼女は壁にかかる時計を見た。時刻は十時を回ろうとしているところだ。

 彼女が入室を許可すると普段より幾分軽装になったクライヴが入ってくる。だがマントだけはきちんと着用しており、顔にも昼間の疲労などの様子は浮かんでいない。

 いつももっと楽な格好で良いと言っているのに、頑なに身なりは崩さない。こちらは夜着を晒しているのに堅い奴だ。つまらなさそうにエレクシアは鼻を鳴らした。


「王女様」

「王女様はよせ。ここはワタクシの私室じゃ。私室でまで肩書で呼ばれとうないわ」

「では……エレクシアは気を抜きすぎです。人を呼ぶなら最低限の身なりは整えて、そうでないなら人を呼びつけないでください」

「私室と言ったじゃろう? どうしようがワタクシの勝手じゃろうが」

「せめて上着だけでも羽織ってください。それから言葉も崩れてますよ」

「ふん。昼間はお前らが望むかたっ苦しい言葉遣いをしとるんじゃ。せめて部屋に居る時くらいは許せ」

「どうせならば一人称も戻してください。その口調で『ワタクシ』と仰られると違和感しかありません」

「お主らがよってたかって矯正した結果じゃろうが。まったく、口うるさいやつじゃ」


 叱られた子供みたいに「べぇ」と舌をクライヴに向かって突き出し、酒をあおる。だがグラスが空だったことを思い出し、露骨に舌打ちをした。

 主のだらしない様にクライヴは頭痛をこらえるような仕草をするも、気を取り直して本来の目的を進める。


「それで、こうして私が呼ばれたのはどういったご用件でしょうか?」

「うむ。それなんじゃが……ぜひ昼間のことについて本人の口から聞きたいと思っての。」

「昼間……羽月・伊澄との模擬戦の事でしょうか?」

「そうじゃ。ああして召喚したが、本当の――」

「失礼。お待ち下さい」


 話し始めたエレクシアを制止すると、クライヴは扉に向かって魔法を唱えた。ふわりとした風がそよぎ、薄いベールが扉全体を覆っていった。


「これで声が外に漏れることはありません」

「……今日は飲みすぎたようじゃの。そのような注意さえ忘れるとはな」


 エレクシアはやや紅潮した顔を軽く押さえ、「これ以上は控えるか」とため息を漏らした。


「その方が宜しいかと。お気持ちは分かりますが……」

「他の者なら『お前に何が分かる!』と怒鳴り散らしたくなるところじゃが……まあよい。それでじゃな――」


 改めてエレクシアが話し始めようとするが、そこで扉がまたノックされ彼女は渋面を浮かべた。


「まったく、話が進まんの……」仕方なく掛けた魔法を解除して声を掛けた。「誰じゃ?」

「アナスターシアでございます。スナックと新しいお酒をお持ち致しました」


 彼女もよく知る名前を聞き、エレクシアはクライヴに目配せをするとアナスターシアを招き入れる。


「ふむ、追加の酒をすでに頼んでおったかの……? まあよい。クライヴ、たまにはお主も私に付き合え」

「先程『飲みすぎた』と仰っていたのは聞き間違えでしょうか?」

「バカモノ。出された酒は飲むのが酒に対する礼儀というやつじゃ。酒で湿らせればお前のそのかたっ苦しい口調もちっとは柔らかくなるじゃろ。

 すまぬな、アナスターシア。今日はもう呼びつけることはないから休んで良いぞ」


 グラスの酒を注いでいくアナスターシアに礼を述べ、彼女を部屋から退出させる。また部屋に二人きりになると、今度はエレクシアが音漏れ防止の魔法を唱えた。


「連日遅くまで仕事をなさって疲れているのではないですか? 深酒が明日に響いても知りませんよ?」

「構わぬよ。明日は朝議もないしの。久々にゆっくり眠らせてもらうつもりじゃからな」


 そう言いながらエレクシアはヒヒっと嬉しそうに笑いながらつまみを口の中に放り込み、グラスの酒で流し込む。胃に酒が流れていくと幸せそうな吐息を漏らし、それを見てクライヴも呆れたようにため息をつくと口を酒で湿らせた。


「民たちがこの姿を見れば百年の恋も覚めるでしょうね」

「それはどうかの? 案外ワタクシのような者がだらしない姿を晒せば逆に親近感を持って喜んでくれるかもしれぬぞ? 特にドワーフどもは、の」

「ああ……酒好きの彼らならそうかもしれませんね」

「ま、それもキチンと国を良き方向に向かわせて、という条件が付くがの。さて、ではいい加減真面目に仕事をするかのう」

「仕事中に飲酒もいかがとは思いますが」

「やかましいわ。

 それで、クライヴよ。率直に聞きたい。

 お前から見て――羽月・伊澄はどうであった? すぐに使えそうか?」


 今朝方に召喚したニヴィールからの客人の名に、クライヴは少しだけ考え込んでから答えた。


「エンジニアとしては分かりませんが……少なくともノイエ・ヴェルトの操縦士としてならば見込みは大いにあるかと存じます」

「だろうの。昼間の操縦を外から見ていてもそれは感じたわい」

「はい。聞けば、一応シミュレーターのようなもので自己鍛錬は積んでいたようですが、本物のノイエ・ヴェルトを操縦するのは数年ぶりという話ですので、それを差し引けば初めての機体をあれだけの短時間で、かつ高いレベルで操縦できるのは天才と言って良いでしょう」

「珍しいの。お前がそのようにべた褒めするとは。いつもならば小姑のようにアレがダメだこれがダメだと指摘するというのに」

「私は事実を述べるまでです。

 ……加えるならば、いざという時の思い切りもいい。普段は気が弱いですが、こうと決めたら迷わずそれを実行する胆力も戦う者向きと言ってよいかと思います。それに、彼が度々行った三次元的な戦闘機動は我々にはできない動きでもありますし、それを取り入れる必要性については十分に議論する余地はあるものと思料します」

「ほう? お主らのノイエ・ヴェルトでも跳躍して移動など良くしておると思うが」

「高低を利用した戦闘機動の思想はあります。ですが……口惜しいことですが、機体制御にまでそれを拡張させた動きは我々にはこれまで思想自体がありませんでした。近いものに聞こえるかもしれませんが、まるきり違うものとご理解ください。それに、たとえ導入したとしても使いこなすには相当の時間が必要でしょう」

「何故じゃ? 三次元機動の思想はあるのじゃろう?」

「簡単な話です――我々の体はそのようにできていない」


 クライヴはグラスを傾けて飲み干すと、コトリと音を立ててテーブルに置いた。


「当然、ノイエ・ヴェルトもです。普段我々は単純に跳躍したりはしますが、空中で体の向きを変えることはしません。魔法を使って翔んでも意図して背面から落下したり頭部を下に向けることはないでしょう? 自ら頭を下にして突っ込んでいったり、地面スレスレで体の向きを入れかえるなど、相当な訓練が必要となりますしけが人が続出するでしょう。下手をすれば死人が出るかもしれません。

 ましてそれをノイエ・ヴェルトで実行するとなれば、その難しさは段違いに跳ね上がります」

「じゃが訓練すれば会得できると考えてよいか?」

「F-LINKを活用すれば。実際に伊澄もその存在を知るまでは無難な動きしかしておりませんでしたから。ですが、それでも相応の時間を必要とするでしょう」

「優秀なお主の部下たちならばそう時間を掛けず身につけられそうな気もするが……」

「訓練を工夫し、時間をかければ動き自体は習得できるでしょう。ただそれを実戦で使えるレベルまで習熟させるのが非常に難しい」

「理由は?」


 エレクシアに問われ、クライヴは指を二本立てた。


「理由は二つあります。一つは、実戦で用いるには恐ろしい程の情報を一瞬で処理しなければならないからです」

「……すまぬ。この酔っぱらい頭でも理解できるようもうちっと噛み砕いてくれぬか?」

「そうですね……エレクシア、魔法を使ってでよいので、浮かびながら体を上下左右に回転させてみてくれませんか?」


 唐突な指示にエレクシアは怪訝そうに眉をひそめるも、言われたとおり上へと浮き上がっていきながら体を回していく。

 慣れないためかバランスを崩しながらも何とか頭を下にして、体を捻り回転させる。その拍子に胃の中のものが発射されそうになるが、クライヴに背を向けた際に喉を無理やり締めて逆噴射を堪えきる。ついでにめくれそうになったワンピースの裾を両手で押さえた。


「さすがに下着を隠す羞恥心は残ってましたか」

「その程度で国を守れるならよろこんで見せてやるがの。見たいか?」

「いえ、結構」

「……少しくらい返事をためらいでもすれば可愛げがあるものじゃが……

 まあよい。しかしこれは酒飲みにはしんどいの――」


 クライヴに話しかけようとするとエレクシアの脚が天井にぶつかった。もう天井か、と視線を上げて――この場合は下げるか――足元を見つめ、ついで床の方へ顔を上げると、クライヴがいない。


「……こっちか」


 どうやらクライヴに背を向ける形で天井に着地してしまったようだった。エレクシアは彼に向き直り、そのまま半回転してソファの上に着座した。


「お主の言う通りにしたが、これがどう関係あるのじゃ?」

「では尋ねます。移動中にエレクシアは天井との距離、それと私が居る方向を把握してましたか?」

「……なるほどの、そういうことか。言わんとすることが理解できたぞ。

 ただでさえ体勢を保ったりするのが難しい上、自分が今どの位置にいるか、相手がどこにいるかを理解するのに頭が追いつかぬ。そう言いたいんじゃな?」


 クライヴは頷いた。


「まして戦場では敵も味方も多く、何処から攻撃が飛んでくるかも分かりません。位置だけではなく自機の体勢や向きも考慮しなければなりません。それらを高速で移動しながら理解していくのは、ある程度は慣れもあるのでしょうが並大抵の事ではありませんから」

「あい、分かった。ならばそれを平気でこなす伊澄はよっぽどの天才か。

 それで、もう一つの理由はなんじゃ?」

「単純な話です――怖いからですよ」

「……とても幾度となくモンスターとの戦いを生き抜いた男の発言とは思えぬが」

「戦場で生き残るためにも恐怖心は必要なことです。それこそが危険をいち早く察知する秘訣ですよ。そもそも戦場では――」

「分かった分かった」話が脱線する前にエレクシアは両手を上げた。「茶化してすまんかった。話を続けるのじゃ」

「コホン……想像してください。先程エレクシアはゆっくりと上へ翔んでいきましたが、頭を地面の方へ向けて高速で落下するのです。それもギリギリまで。

 F-LINKを起動させていればノイエ・ヴェルトの感覚は生身の感覚に近くなります。失敗すれば頭がグチャグチャのミートパイになるかもしれない。嫌でもそんな想像が過るでしょう。たとえどのタイミングで何をどうすればぶつからないと完璧に理解していても、ひょっとすると機器が故障するかもしれない。自分が操作ミスするかもしれない。

 さて、エレクシア。それらを理解した上で、生身でスカイダイビングをしたいですか?」

「……無理じゃの。頭のネジが外れとるとしかワタクシには思えん。

 つまるところ――羽月・伊澄はおとなしそうな顔をしてそうした類の人間じゃということじゃな?」

「ええ。なので――単純な一兵士として考えるならば非常に優秀でしょう。恐怖に臆することなく死地でさえ踏破する、戦いに優れた兵士です。

 一方で今エレクシアが考えているように長きに渡って彼を使う(・・)つもりであれば、注意が必要となるでしょう」

「なるほど、の……良く分かった。ここまでのもてなしが無駄にならぬ傑物というのが分かっただけでも色々策を巡らせた甲斐があったというものじゃ」


 エレクシアはグラスを片手に持ち口元を撫でた。そして中身を飲み干し、もう一度注ぎ直すと酒をクルクルと回す。その向こうではクライヴの何処か不満そうな顔が覗いていた。

お読み頂き、誠にありがとうございました。


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