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■コミカライズ第一巻 発売記念SS

「不機嫌な公爵様はウソ発見器付き令嬢の取説をご所望です」に改題され、コミカライズされております。

(ノベルも同じタイトルで電子書籍化しています!)

「長官、コーヒー飲みますか?」

「いらん」


 オフィーリアはコクリと小さく頷くと、長官室内の給湯室へ向かった。コーヒーの入った容器に手を伸ばし、背伸びした時だった。

 

「はわっ!」

 

 突然後ろから伸びてきた大きな手に驚いてバランスを崩した。もたもたと手を宙にさまよわせ、何とか持ち直そうとするもだめだった。

 転ぶのには慣れている。とっさにぎゅっと目をつむったけれど、背中が壁にぶつかっただけだった。

 ああ、お湯をひっくり返さなくて良かった、と、思ったものの。

 ………壁?

 恐る恐るふりむけば、やはり背後に立っていたのはクラウディオだった。

 

「はっ! ごめんなさい! 大丈夫ですか?!」


 クラウディオは黙ったまま、涙目のオフィーリアを見下ろしている。怒られるかと身構えたが、腕と肩を掴まれて起こされる。


「お前の方こそ大丈夫か。突然すまなかった。臆病なお前の背後から近付くのは良くなかった」

「い、いえ! ちょっとびっくりしただけで」


 クラウディオが握ったオフィーリアの手がぶるぶると震える。


「はわわわわ」

「……ちょっとではなく、かなり、ということか」

「あ、あのう、その」


 クラウディオがそう尋ねた……が、オフィーリアの手の震えは止まらない。オフィーリアの瞳には涙が溜まっていくが、ついでに頬がじわじわと赤くなってきた。


「どういうことだ? 驚かせたことは謝っただろう」

「ううう、はい。だから、その、手を」


 オフィーリアは顔をそむけ、クラウディオに握られたままの震える手をぎゅっと握った。

 その小さな拳をじっと見つめていたクラウディオがちらりと横目でオフィーリアを見下ろす。

 顔をそむけているせいで、平凡なこげ茶色の髪が緩やかに背中に流れ、右の耳がむき出しになっている。うら若いご令嬢だというのに、ピアスの穴どころかイヤリングすらつけていない。震える手を押さえつけるようにぎゅっと握り確認すれば、指輪の一つもしていない。爪は健康的に短く整えられ、ネイルの気配もない。

 特にそんなつもりもなかったのに、なぜだかクラウディオの口からは大きなため息が出てしまった。





 オフィーリアが階段から落ちたのは数日前のことだ。

 こっぴどく振られた元カノへの未練を経ちきれないアンジェロに付き添い、オフィーリアは階段を上っていた。

 アンジェロは元カノを呼び出し復縁を申し込むつもりだった。だが、さすがのアンジェロも元カノの気持ちを優先するという良識は持ち合わせていたらしい。もし、アンジェロに同情してその気も無いのに復縁に了承する可能性を考慮したのだろう。

 オフィーリアがその場にいれば、元カノが嘘をついているのが分かる。

 もしオフィーリアが震えたら、潔くアンジェロは身を引くつもりだったらしい。

 ちなみにお相手はマーリンちゃんではない。マーリンちゃんはとっくに寿退社している。

 気弱なオフィーリアは、同僚に頭を下げてお願いされたら断ることなどできるはずもなかった。

 普通に考えれば、そんな場に同行する謂れなんかないのだ。

 あからさまに未練をにじませたアンジェロに呼び出され、わざわざその場に赴いたというのに、当のアンジェロが若い女性を連れてあらわれたことに、元カノは激怒した。

 アンジェロは平民とは言え、著名な学者一家の息子であり、長官室勤務のエリートである。元カノも何らかの打算もあったのかもしれない。

 元来気の強い性質だった元カノは、アンジェロの姿を見るなりきつく非難した。

 が、そのやり方が良くなかった。

 元カノは、これぞまさに慇懃無礼といった言葉を並べてアンジェロを罵った。

 そして、最後に叫んだのだ。


「わたくしは、アンジェロ様の幸福を末永くお祈りいたします! どうぞお幸せに!」


 その呪いの言葉を聞いたオフィーリアは、がくんと膝が崩れて立っていられなかった。

 階段の手すりに伸ばした手が宙を切る。

 片足が浮いたが着地する地面が無い。

 アンジェロの伸ばした手は届かない。

 驚いて大きく開かれた、元カノの唇に塗られた真っ赤な口紅。


「きゃ…………!」


 恐怖に息が詰まったオフィーリアの口から短い悲鳴が漏れ出た。

 その場にいた誰もが呼吸を止め目を見開いて固まっていた。

 結果的には、オフィーリアの体はどこにもぶつかることもなかった。

 とっさにあらわれたクラウディオが落ちてくるオフィーリアをぎりぎりで受け止めたのだ。

 衝撃を受け流すように優雅な動作で床に膝を着いたクラウディオが、しっかりとオフィーリアを抱き留めていた。


「ナーヴェ嬢! 怪我はありませんか」


 目玉がこぼれ落ちそうなほどに目を見開いて固まっているオフィーリアに、駆け付けたブルーノが声をかける。

 ハッとしたオフィーリアがぱちぱちと何度か瞬いて、眉をひそめて見下ろしてくるクラウディオに気付いた。


「わーー! はわっ、はわわわわ!」

「……怪我はなさそうだな……」


 クラウディオの低い声にオフィーリアが気まずそうにぎゅっと目をつむる。彼女が震えていないのを確認して、クラウディオはそのまま立ち上がった。

 ブルーノを同行させ、用事を済ませてきたクラウディオが階段を上っていたら、上階から女性の怒鳴り声が聞こえてきた。何事かと駆けあがったら、見覚えのある焦げ茶の髪の女性が宙に舞っていた。あわてて女性を抱き留めれば、やはり自分の婚約者ではないか。

 驚きと怒りとあせりと、やっぱり怒りに身を震わせていたら、腕の中のオフィーリアが涙をこらえてこちらを見上げている。

 はわわわ、あわわ、と意味のない言葉を繰り返しているが、固く目をつむると逃げ出す様子もなくおとなしくしている。怒られる覚悟はできているらしい。

 

「アンジェロ……お前、どういうつもりだ……」


 地を這うようなクラウディオの低い声が階段に響いた。


「やべ、俺、今日が命日かも」


 アンジェロが空気も読まずに、ぺろっと舌を出した。





 たんまり怒られたアンジェロは、サムエーレの荷物持ちとしてしばらくの間、外回り担当となった。やたらと無駄な荷物の多いサムエーレの隣で両手にバッグを抱えて走り回っているらしい。

 しかも、元カノとは復縁はできなかった。当然である。

 クラウディオは片手にオフィーリアを抱きかかえたまま、もう片方の手を伸ばして、彼女が取ろうとしていたコーヒー豆の入った缶を棚に押し戻した。

 そして、無造作にキッチンに置かれたままになっていた箱を持ち上げる。


「うちの家令が旅行に行った際の土産に紅茶を買って来た。勝手に飲むといい」


 ぎゅんと勢いよく振り返ったオフィーリアはすっかり泣き止んでいた。


「そんなに紅茶が好きなのか」

「そういうわけではないんですけど、この紅茶、ステッラ様のお家でいただいたことがあります。すっごく香りが良くて、美味しかったんで嬉しいです」


 オフィーリアはそう言うと、にっこりと微笑んだ。

 さっきまで怯えて涙目になっていたくせに。

 クラウディオは呆れ顔で彼女を見下ろした。


「長官も紅茶飲みますか?」

「……」

「これ、すっごく美味しいですよ」


 オフィーリアが封の開いていない紅茶の箱を指さす。

 クラウディオはその手を掴むと、目の前までゆっくりと持ち上げた。

 指輪やブレスレットくらいいくらでも買ってやっても構わない。彼女を飾り立てることくらい、王弟であるクラウディオにはたやすいことだ。

 しかし、彼女の美点はこの飾り気のない純朴なところである。宝石や化粧のような嘘偽りのまやかしで、その美しさを隠してしまうのは惜しい気がした。

 短い爪をじっくりと見られ、オフィーリアは再び恥ずかしそうにうつむいた。

 そんな彼女を見ていたら、クラウディオはなぜだかまたこの娘を涙目にしてやりたくなってくる。


「そういえば」

「ん?」

「震えが止まっているな」


 オフィーリアがきょとんとして見上げてくる。ほんとうにころころと表情の変わるやつだ。


「ちょっとでもなく、かなりでもないなら、さっきはどう驚いたというんだ」

「ひえっ」


 終わったと思っていた話を蒸し返され、オフィーリアが息を呑む。再び頬が赤くなってゆき、大きな瞳がきょろきょろとせわしなく動いた。


「も、申し訳ありません」

「別に責めているわけではない」


 片手で肩をぐっと押さえ、もう片方の手で彼女の顔をこちらに向けた。茶色の瞳にぶわっと涙が溜まる。


「は、はうぅ」

「驚きにどう違いがあるというんだ。気になったから聞いているだけだ。ただ……」


 クラウディオはそこまで言うと言葉を区切り、顔を近付けて彼女の潤んだ瞳を凝視した。


「ただ、俺は気になったことは解決しなければ気が済まない。そのことは、お前だってようく分かっているだろう?」


 オフィーリアは自分の体が震えないことを確認した。そして、観念した。

 長官は本気だ。オフィーリアが白状するまで決して逃がさないつもりだ。


「あの……」

「うむ」

「長官に背中がぶつかって」

「ああ」

「振り返ったら長官がすぐ近くにいて」

「それで」

「驚いたんじゃなくて」

「なるほど」

「きゅ、きゅっ……」

「きゅ?」


 オフィーリアがぎゅっと固く目をつむる。


「キュンとしてしまいました!」


 ぼぼぼぼぼ、と音を立てるかのように、オフィーリアの顔が真っ赤に染まった。よく見れば耳まで赤い。

 クラウディオは片方の口の端をニヤリと上げた。

 してやったり。

 オフィーリアが自分の顔を好んでいることは知っていた。家に引きこもって暮らしていたというのに、着飾ったクラウディオの姿を見たいがために、わざわざ夜会に出席したというくらいだ。

 先日、階段から落ちた時だって、恐怖よりも、タイミングよくあらわれて窮地を救ったクラウディオの姿にすっかり見とれていたのだ。

 だから、顔をそむけて手を震わせる彼女を見れば、そうじゃないかと予想はしていた。

 腕の中で、はわはわ言ってうろたえるオフィーリアを見下ろしたら、何だか肩を掴んでいる手を離すのが惜しくなってきてしまって、クラウディオはそのまま腕をまわして彼女を後ろから抱きしめた。


「ぴぎゃっ」


 オフィーリアの口からとても人間が発したとは思えない悲鳴が出て、クラウディオは笑わずにはいられなかった。こんな顔を見せたらきっとオフィーリアの心臓は止まってしまうかもしれない。

 優しくて意地悪なクラウディオが腕を放すわけもなく、狭い給湯室の室温は急上昇していったのだった。





 

どちらかと言うと拘束。


不機嫌な公爵様はウソ発見器付き令嬢の取説をご所望です

漫画:出迦オレ先生


明日、8月29日(木)に記念すべき第一巻発売です!

巻末には出迦先生の書き下ろし漫画もあります^^

書店特典もたくさんありますので、Xやコミックライドアイビー公式でご確認ください!


どうぞよろしくお願いいたします<(_ _)>


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― 新着の感想 ―
[一言] 更新ありがとうございます。 相変わらず、から一歩進んでもますます可愛くもおかしな彼女にニマニマしちゃいます。
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