■コミカライズ記念SS ~王太子殿下は反抗期4~
コミカライズ連載スタートしました!
「コミックライドアイビー vol.08」 漫画:出迦オレ先生
(タイトルは 「不機嫌な公爵様はウソ発見器付き令嬢の取説をご所望です」 に改題されてます。)
オフィーリアの小声が思ったよりも近くで聞こえて、リナルドはドキリとした。
四つん這いで小さな穴をくぐり抜けると、……書庫だった。
だが、そこは先ほどの書庫とよく似ていたが、若干違う。下の階の書庫だ。くぐり抜けてきた引き戸を閉めるとぴったりと壁にはまり、くすんだ漆喰の壁があるだけだった。わずかな隙間さえも、肉眼では見ることができない。ここに引き戸があるだなんて、気付くものはいないだろう。
「ああ、ここもドアに鍵がかかっています」
書庫の扉のノブを回したオフィーリアが言った。大切な書類や本を保管している書庫は外から鍵をかけるものだ。そりゃあそうだろう。
リナルドはここからどうやって脱出しようかと頭をひねった。先ほどと状況は変わらない。だが、かなり好転はしているはずだ。
自分たちを閉じ込めたのは、きっとリナルドを王太子の座から引きずり下ろしたい者、もしくはクラウディオに横恋慕している者だろう。リナルドとオフィーリアが密室で二人きりだったという醜聞を広めたかったのではないか。今頃、閉じ込めたはずの二人の姿がなくなって慌てている頃だろうか。
ドアノブを捻るのをやめたオフィーリアは扉から離れると、開けたスペースにストンと体育座りをして壁にもたれかかった。
「……ずいぶんとすぐに諦めるのだな」
「こういう時は、無駄に騒がずに体力を温存した方がいいです。きっと、長官か長官室の人たちが助けにきてくれるはずですから」
オフィーリアはそう言うと、膝の上に置いた手に額をあててつっぷした。
諦めの早さに呆れつつも、彼女の言い分に納得したリナルドは、少し距離を置いて並んで座った。
しばらくの沈黙が続いていたが、オフィーリアが身じろぎしたのをきっかけにリナルドが口を開いた。
「その、今さらではあるが……あなたは叔父上の婚約者で間違いないな?」
膝の上からパッと顔を上げたオフィーリアの頬が、みるみる赤くなってゆく。返事はないが、これが答えだと思っていいだろう。二人の婚約は、まだ内々の限られた者しか知らない極秘情報だ。その秘密を知ったことにテンションの上がったリナルドは一人で勝手にしゃべりはじめた。
話は、いかにクラウディオが優れていて尊敬しうる叔父であるか、という内容ばかりであった。始めは恥ずかしそうに戸惑っていたオフィーリアも、意気揚々と語り続ける彼の姿に少しずつ肩の力が抜けて行った。クラウディオ本人の前では見せない、次期国王の年相応の純真さに頬が緩みっぱなしだった。
「あっ、すまない。私ばかり話していたな。なかなかこうして叔父上の話をできる相手がいなかったもので」
リナルドはハッとして大げさに咳払いをする。そして、オフィーリアを上から下まで改めてじっくりと見た。
自分の知っている貴族令嬢たちとは違い、オフィーリアはクラウディオと同じ黒い制服を着て、しかもズボンを履いている。まだ十四歳の王太子にはその姿は新鮮で、とても大人びて見えた。しかもクラウディオが自ら選んだ女性であると思うと、彼女がとても特別な存在に思えた。きちんと王太子としての教育を受けているので、女性に対する礼儀は弁えているつもりだ。子供扱いされたくなくて、クラウディオにはどうしても反抗的な態度を取ってしまうが、彼女に対しては紳士的に接することができているはず。
リナルドは敬愛の念を込めた瞳でオフィーリアを見つめて言った。
「叔母上。あなたは私に何か聞きたいことはないか。私の知っていることであれば、できるだけこたえよう」
近い将来に親戚となることを心から歓迎している。
そんな気持ちで王太子はオフィーリアをはっきりと『叔母上』と呼んだ。しかし、彼女はその言葉にひどいショックを受けて目を見開いて固まってしまった。なぜだか、ちらりちらりと自分の手を見ては、さらに涙目になっている。
しまった、間違えた。
王太子が真っ赤な顔であわてて「いや、ナーヴェ嬢」とぼそぼそとつぶやくと、オフィーリアの頬がふにゃりと緩んだ。
「じゃあ、殿……」
口を開いたオフィーリアがぶるぶると震え始めた。何事かと身を起こしたリナルドが、オフィーリアの視線の方向を見て固まる。
「殿下、さっきの隠し扉に隠れてください」
オフィーリアは、部屋の扉を凝視したまま動かない。リナルドはすぐにオフィーリアの腕を引っ張って、先ほどの抜け出てきた隠し扉へ向かった。壁に手をあてたところで、ドンドン、と扉を叩く音が聞こえる。
「殿下! 王太子殿下! ここにいますか?」
聞いたことのある声だった。振り返り返事をしようとしたリナルドの口を、オフィーリアが手でふさぎ、首を横に振る。もう片方の手で壁の隠し扉を開くと、リナルドの背を押した。なだれ込むように先ほど下りてきた狭い階段に入り、引き戸をしめた。それとほぼ同時に、部屋の扉が乱暴に開く音がする。
「殿下! 王太子殿下?」
乱暴にバタバタと室内を走る音。バサバサと本が床に落ちる音が聞こえた。
「……チッ……、どこ行った。あのガキども」
二人が息をひそめる隠し扉のすぐ近くから、つぶやくような男の声が聞こえた。思わず息を呑んだリナルドが、両手で口を押える。
確かに聞き覚えのある声。誰だ。誰だ。
室内がしんと静まりかえり、人の気配が消えた。そっと引き戸を開けて外を窺ったオフィーリアが振り返り、眉を下げつつもニコリと笑う。
「もう大丈夫。出ましょうか」
「ああ……すまない」
壁からにじり出て、床に足を下ろした。
先ほどの床に腰を下ろし、はああ、と大きく息を吐く。その隣にオフィーリアがちょこんと座り、背を優しく撫でてくれた。
「おば……ナーヴェ嬢は、本当に勘がいいのだな」
「あの、えっと、は、はい。実は、特技みたいなものでして」
急におどおどとしだしたオフィーリアは、膝をぎゅっと抱えて座り直した。細かく震えている体を縮こませ、目を閉じている。
震えが止まらないほど怖い思いをしているというのに、自分の背を撫でて励ましてくれた。やはり、彼女は叔父上が見初めただけのある稀有な女性なのだ。
強くならねば。
リナルドは自戒と共に強く決心した。まだ自分は、彼女よりも背も低い、何の役にも立たない子供だが、もっと勉強して鍛えて強くなってみせる。今度は私が彼女を守るのだ。いや、国民全員を守ってみせる。
一方、オフィーリアは、体育座りをした膝に顔をうずめて震えに耐えていた。だって、あれはないわ。本棚の棚板が、本の重みに耐えられなくてたわんでいる。上に乗った本を少しでも動かそうものなら、きっと音を立てて崩れることだろう。そんな箇所がいくつもあるのだ。最初の書庫よりもひどい有様だ。
早くこの部屋から出たい。
オフィーリアは目を閉じて、小さな呼吸を何度も繰り返した。
コンコンコンコン。
素早く扉を叩く音が聞こえた。リナルドとオフィーリアがハッとして顔を上げる。しかし、返事はしなかった。
「……ここにいるのか?」
ボソボソと早口で尋ねる声が聞こえた。リナルドは返事をしようかどうか迷った。先ほどのように、味方を装った敵かもしれない。腕を伸ばし、オフィーリアをかばうようにして床に膝をついて立ち上がった。
「長官?」
しかし、リナルドの心まで知らないオフィーリアはすぐに返事をしてしまった。しかも、先ほどまで細かく震えていたというのに、返事をした途端に震えは止まっているではないか。
扉の外のささやくような声は、くぐもっていてよく聞こえない。クラウディオだと言われればそうとも思えるし、違うと言われれば違うような気もする。リナルドは混乱した。
オフィーリアの返事を合図に扉の鍵が開く音がした。
音を立てて扉が開くと、そこにはピンク色の髪をした美丈夫、息を切らしたクラウディオがいた。
「オフィーリア、無事か」
「長官! 良かった。助けに来てくれたんですね」
立ち上がったオフィーリアの手を、クラウディオが自然な動作で握る。そのまま床に膝立ちになったままのリナルドを上から下までじっくりと見やった。どちらも怪我もなく無事な様子にホッとしたような表情を見せた。
「叔父上……よくここにいるとわかりましたね」
膝のほこりを払いながら立ち上がったリナルドがつぶやいた。
「執務室に戻ったら、お前たちは書庫に行ったと聞いた。書庫に行けば、その扉の前に不審な兵士が一人と文官が二人立っていた。中には誰もいない。……王家の隠し通路に気付いたんだな」
クラウディオの言葉に、リナルドが小さく頷く。
「兵士と文官はサムエーレと俺の護衛騎士が捕らえて連れて行った。あの文官のうちの一人は、確かヴィエリ侯爵家の次男だ」
リナルドは息を呑んだ。そうだ、あの声はヴィエリ侯爵家のイザッコ卿のものだ。確かヴィエリ侯爵は長女をクラウディオに嫁がせようとしつこく迫っていた。クラウディオに全く相手にされないので、最近は次女をリナルドの婚約者候補に挙げてきていたはずだ。リナルドにも相手にされなかったので、クラウディオとリナルド、両方を同時に貶めようという魂胆か。と、なると、クラウディオとリナルドが国王の座から遠くなって得をする人物と繋がっているということだ。
リナルドは悔しそうに唇を噛んだ。
完全にオフィーリアはとばっちりではないか。それなのに、自分はオフィーリアに助けられてばかりだった。
赤くなったり青くなったりしているリナルドの表情を見て、クラウディオがかすかに鼻で笑う。
「どうだ、リナルド。うちのオフィーリアは役に立っただろう」
「え、あ……」
「そばを離れるな、と言いつけを守ったんだな。オフィーリア」
よくやった、と褒められ、オフィーリアは殊の外嬉しそうな笑顔を見せた。いつの間にか震えも止まったらしい。
これが愛というものか。
リナルドは感動に打ち震えた。いつか自分にもこのような相手があらわれるのだろうか。
目を閉じて、胸に手をあてたまま動かないリナルドに、クラウディオが呆れた顔をする。
「さっさと戻るぞ、リナルド。何をしている。震えるのはオフィーリアだけで手いっぱいだ」
クラウディオはそう言うと、さっさと一人で部屋を出て行ってしまった。その背を、オフィーリアが追う。あわててリナルドもその後に続いた。
廊下に出ると、すでにクラウディオはずいぶんと先に歩いて行ってしまっている。バタバタと足音を立てて、オフィーリアがクラウディオの上着の裾を掴んでいた。
そんなことをしては怒られてしまうのでは、とリナルドはぎょっとした。が、クラウディオは振り返ることなく慣れた様子で歩いている。二人の後ろ姿が遠くなっていく。
まだ恋を知らない十四歳の王太子は、ドキドキと高鳴る心臓の音が落ち着くまで、しばらくの間廊下で静かにたたずんでいたのだった。
これにて一旦完結です。
お付き合いいただきありがとうございました!




