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オフィーリアはため息をついた。迫りくる異動に備えて日々片付けている自席の上に、日々物が増えてゆく。
毎日届くジャンからの花束とお菓子。花束を抱えて立ち上がると、クラウディオがじっとこちらを見ていた。何か用だろうか、としばらく見つめ合っていたが、特に何も言われない。いたたまれなくなって目を逸らすと、何だかさみしげに眉を下げられる。
何なのだ。大聖堂に行って以来、ずっとこうなのだ。
教皇に鏡に何が映っているかと問われた時、そこには美しいクラウディオが映っていた。ピンクブロンドの前髪の下で、瑠璃色の瞳がオフィーリアを見つめていた。そして、オフィーリアはあの瞬間、思ったのだ。
このままずっと、クラウディオを見つめていたい、と。
クラウディオにはステッラという婚約者がいるが、想うだけならいいのではないか。この世にはけして嘘をつかない人が確かにいる。体の震えを止めてくれる、そういう存在がいたのだ、という思い出だけがあれば、それで十分だ。
そう思っているのに、そんな表情で見つめられたら、それ以上を望んでしまいそうになる。やめてほしい。期待させないでほしい。
これ以上、好きになってはいけない人なのだ。
オフィーリアは給湯室に入ると、そっと扉を閉めた。
「ねえっ、オッフィー。こうして私たちは人目につくところで日々デートしているというのに、どうして噂にならないんだろう」
王都の中心街で一番目立つ、人気カフェの二階にある貸し切りテラス席。広場にある大きな噴水がよく見えるので、予約をしないと座れない。ジャンは公爵家の権限を存分に使って予約をねじこんだらしい。
「噂、ですか……」
ジャンはあれ以来、日々オフィーリアにプレゼントを贈り、デートに誘ってくる。しかし、一向に二人は恋人だという目では見られない。それはなぜかと問うならば……。
ぷんすかと怒りながらも、ジャンがシュークリームに手を伸ばす。オフィーリアも遠慮せずにサヴァランに手を伸ばす。先ほどまでデザートの載った皿でいっぱいだったはずのテーブルが、あっという間に残り少なくなっている。
このテラス席はこちらから通りがよく見える代わりに、通りからもよく見える。通りすがる人々からは、オフィーリアたちの姿は恋人同士というよりも、むしろ大の甘党仲間のように思われていることだろう。街歩きデートをしていてもキャッキャッと買い物を楽しんでしまい、仲の良い友達同士にしか見られない。そりゃあそうだ。現に仲の良い女同士なのだから。甘い雰囲気など漂うはずがないのだ。
ジャン様がお菓子を食べる手を止めないからではないですか、とは言いにくいオフィーリアは、紅茶のおかわりを飲もうとポットに手を伸ばした。
「しかもさあ、どちらかと言うと、密かにオッフィーとクラウディオの方が噂になってるんだよ」
「えっ、どういうことですか」
「二人が仕事中にこっそり手をつないでお出かけしてるって」
「手なんかつないでません!」
あれは人込みで震えないようにクラウディオの上着を掴ませてもらっているだけなのだ、と説明するオフィーリアのあわてた様子に、ジャンがじとりと訝しむ視線を送る。
「……秘密の恋人を持ってもいいとは言ったけど、あいつはなあ。うーん、でも、頭が良くて見目が良いのは確かだしな……それはそれでアリだが……」
「どういう意味ですか!?」
「オッフィーとクラウディオの子を私たちの子として育てるとしたら、の話さ」
「ななな、何を! 言ってるんですかっ! そんなことあるわけないでしょう」
「ピンク髪のオッフィーが生まれたら可愛いと思うんだが」
平凡な焦げ茶髪の長官が生まれることもありますよ、と言おうとして止めた。それは言ってはいけない冗談だ。
「はあ、私だってオッフィーには嘘をつかないのに、どうして私じゃだめなんだ」
ため息をついたジャンは、ひときわ大きな苺を手掴みで口に放り込んだ。そしてまた、もう一つを放り込む。
あれっ、ヘタは? 苺のヘタは食べちゃうの? と思った時、テーブルに丸い影が落ちた。何だろう? と空を見上げていたら、ジャンが身じろぐ気配がした。
「困りますわ、こんなことをされては」
低めの上品な声が聞こえた。聞き覚えのあるその声に、オフィーリアはゆっくりと振り向いた。
「ステッラ様……」
「あなた、人の婚約者に手を出しておきながら、別の男性とも懇意にしているだなんて、本当に厚かましい人ね」
そこには、つばの広い帽子をかぶったステッラが腕を組んでオフィーリアを見下ろしていた。
すっと目を細めたジャンが姿勢よく立ち上がる。オフィーリアの手が微かに震えた。彼が男性モードに入ったしるしだ。
「メウチ侯爵令嬢。私の婚約者に失礼な態度は止めてもらおう」
「まあ、婚約者ですって? めったに人前に出てくることない公爵をみごと篭絡するだなんて、さすが噂の泥棒猫ですわね」
ぶるん、と一度、オフィーリアの全身が震えたのを、目ざとくジャンが気付いた。
「泥棒猫……って呼ばれてるんですか……私……」
「婚約者のいる男性に馴れ馴れしくしている女性のことをそう呼ぶそうですわ。あなたにぴったりね」
ふん、と鼻で笑い顎を上げたステッラに、オフィーリアが椅子から軽く飛び跳ねるほど震えた。顎に手をあて首を傾げたジャンが、じっとステッラを見つめる。
「……閣下、こんな娘を見初めるだなんて、あなたの目はどうかしていますわ。こんな平凡な子、閣下に見合うはずがございません」
「言うね、ステッラ嬢。どうしてそう思うのかな」
つんと顎を上げ、横を向いてしまったステッラはジャンの問いを無視した。侯爵令嬢とは言え、公爵を無視するとはとんだ失礼だ。ジャンがちらりとオフィーリアの様子を確認した。
「あっ、す、すみません! ステッラ様! どうぞ、おかけください!」
「えっ、……わたくしがあなたの様な方の隣に座るなど」
「メウチ嬢、どうぞ」
ジャンが自分の隣の席をひいた。その顔は、絶対に断らせない、と言っている。ぎりり、と歯噛みしたステッラがその席に浅く腰をかけた。
「ス、ステッラ様、あの、ぬるい紅茶ですけど……あっ、すみません! すぐに新しいのを頼みますので! お待ちをっ」
気を取りなすように一度咳ばらいをしたステッラが、オフィーリアを手で制した。
「わたくし、長居するつもりはございませんの。お気になさらないで」
オフィーリアの手はこれっぽっちも震えない。本当にすぐに帰るつもりなのだろう。いつの間にかテーブルに頬杖をついていたジャンが、面白くなさそうに頬を膨らませた。
「君とは近々、一度きちんと話をしたかったんだ」
「……わたくしと、ですか?」
ステッラが訝し気に眉を寄せた。残り物のぺしゃんこになったシュークリームを、ジャンが皿に載せ、彼女の前に置いた。
「君には何としてでもクラウディオと結婚してほしいんだ」
「ちょっと、あなた、わたくしの話を聞いてましたの!?」
ぬるくなった紅茶を新しいカップに注ぎ、シュークリームの横に添えたオフィーリアの手をステッラが掴む。
「はわわっ、甘いものには飲み物が必要かとっ」
「いらないと言っているでしょう! あなたたちと慣れ合うつもりはありませんのよ!」
「私とメウチ嬢は手を組むべきだと思うんだ」
「あなたたち、わたくしの話を聞いていますの!?」
「ステッラ様、あの、あの、この苺、そのままでもとっても美味しいんですけど、ここここのっ、クリームを載せるとっ、あの」
「オッフィーは良い子だなあ」
「やめなさい! いらないと言ってるでしょう!」
「申し訳ありません! メニューご覧になりますか? ステッラ様」
「というわけで、メウチ嬢。共闘しようではないか」
「あなたは何と闘っていますの!?」
ステッラの叫び声に、通りの人たちが足を止める。あわてて手で口を押さえたステッラが、帽子を深くかぶり直した。
「と、とにかく、オフィーリア様。あなた、こういった節操のないふるまいはおやめなさい」
「はいっ」
オフィーリアはそう返事したものの、実際は意味がよく分かっていない。とにかく、平凡な伯爵令嬢は侯爵令嬢の言うことには、常に諾とこたえるしかないのだ。
「メウチ嬢。それっておかしいよね。私とオッフィーが結婚した方が君のためでもあると思うんだけど」
「わ、わたくしは、それ以前に、この国の貴族として、彼女の様な軽々しい態度が目に余ったものですから、注意をしたまでです」
ジャンはちらりとオフィーリアを見た。彼女はテーブルの下で手を隠していたが、すでに肩までがくがくと震えていた。ふむ、とジャンがあごに手を置いて少し考える仕草を見せた。
「オフィーリア様、こうして婚約者でもない男性と二人きりでお会いになるのはお止めなさい。常識ですわよ。さあ、さっさと立ち上がりなさい。帰りますわよ」
「えっ、ま、まだ、最後に取っておいたケーキが」
「オッフィーは好きなものは最後に食べるタイプなんだ」
「知りませんわよっ、そんなこと!」
テーブルをガチャン、と両手で叩いたステッラが、肩で息をする。あごに置いていた手で口元を隠してジャンが笑っていた。
「そもそも、メウチ嬢はどうしてここへ?」
少しだけ落ち着きを取り戻したステッラが、ちらりとオフィーリアを睨んだ。
楽しい女子会。




