手のなるほうへ
以前に制作していた個人サイトの月替わり拍手お礼のSSです。
色々あってサイトが閲覧できなくなりましたので、こちらに再録していくことにしました。
「耳なし芳一の故事を知っているかい?」
突然問いかけられて、西園寺が眉を寄せた。
「故事か? あれ」
しかしその返事は全く意に介さず、漆田は片手を振って話を進めた。
「学ぶべきところがあるという点で、全ての物語は故事だと言っていい。ともあれ、芳一は怨霊と相対するにあたって、身体の表面にびっしりと経文を書きこんでいる。それにより、彼の存在は怨霊に認識されなかった。唯一、書き漏らした両耳を除いて。さて、ここから学べるものは、『力ある言葉』を形にすれば、それは精神生命体への脅威となりうるということ」
「んなもん、札の一つも見れば判ることやないか」
遮られて、漆田は僅かに不快げな表情を浮かべたが、次の瞬間には何事もなかったかのように言葉を継いでいた。
「そしてもう一つは、決して、敵の前で微塵も隙を見せてはならないということだ。それこそ、君はよく判っていることだろうけどね」
そうして、意味ありげに笑う。
その特殊技能を存分に活かして仕事に取り組んでいる男は、小さく鼻を鳴らした。
漆田がふいに顔を明るくして、隣の椅子の上にあらかじめ置いてあったと思われる物体を、ばさりと机の上に広げた。
「さて、そこで今回の新製品! 『書くれん坊~鬼さんこちら~』! 雨合羽の全面に余すところなく経文を書くことにより、頭から爪先まで全身の隠形を可能とした! 塗料には、御神木の枝から作った墨、霊山に沸く清水を使い、勿論防水加工もばっちりだから雨が降ってもご安心! 今なら西洋文化圏に対応済みの、聖句バージョンもついてくる!」
「心底阿呆かぁあああああ!」
渾身の力で怒鳴り返しつつ、ばん、と机を強く叩く。
「西園寺くん、いくら仕事では力押しが物を言うからって、いつでも粗暴なのはちょっと君のよくないところだと思うんだ」
「そこでさらりとワシの勤務態度を扱き下ろすなや。ていうか、何を考えてこんなもん作っとんねん。こんなん着て往来行き来しとったら、目立ってしゃあないやろうが! 全然隠れとらへんっちゅうか、鬼さん以外のもんが遠巻きに注目してくるわ!」
怒濤の勢いで駄目出しをするが、漆田は意味ありげに含み笑いを漏らした。
「ふっふっふ。君ともあろうものが、このポイントを見逃すとは迂闊だったね」
「……なんや?」
慎重に問い返す。この青年が、若くして数々のシステムを構築し、その大部分が驚異的な威力を発揮しているのは確かだ。
青年は自信満々に、奇妙な文字の描かれた雨合羽を持ち上げた。
「下地素材をシースルーにしたから、視界も充分良好だ! 経文に視界を遮られてターゲットを見逃すことなど、ほぼないと言っていいだろう!」
「自分ワシの言うとることわざと曲解しとるやろ!」
思わず椅子から腰を浮かし、身を乗り出して怒鳴る。ふと漆田は真顔で見つめ返してきた。
「そうでもないよ、西園寺くん。『書くれん坊~鬼さんこちら~』のほぼ唯一にして大きな欠点は私も自覚している」
「製品名をフルで呼ぶなや。……で?」
黒衣の男の、胡乱な視線を気にもしないで、漆田は続けた。
「下地がシースルーだから、うっかり裏返しで着ちゃったりするんだけど、それだと全然効果が出ないんだよねぇ」
「せやからそういう問題やないやろうが!」
不満げに腕組みして、漆田は友人の罵声を聞き流していた。




