96話
どうぞ。
ログアウトすると、ちょうど姉が俺を起こしにかかろうと立ち上がったタイミングだった。VRデバイスは、本体が寝ているという絶対に消せないセキュリティ上の大問題を解決するため、周囲の音や振動を拾って、プレイヤーに呼びかける機能がついている。そういうわけなので、仮想空間にダイブしている人を起こすのは、寝ている人を起こすよりずっと簡単だ。
「あ、起きた。ちょっと遅めだなって思ったけど、だいじょーぶだったね」
「なんだかんだ、食い意地張ってる方だもん。ちゃんと落ちるよ?」
父さんが根っからのゲーマーなので、ログアウトが遅れたからと飯抜きにはならないけど……ご飯を食べる時間がずれ込むと、そのぶんゲームをやる時間が減る。ゲームにはかなり寛容な家族だけど、自己責任で片付くところには強く干渉しない。たぶん一人でご飯を食べても怒られないが、お風呂の順番がずれ込んだり料理がほぼ残っていなかったりするのも、「なんとかするでしょ」で放っておかれる。
要するに、家族のルールは守るべし、ということだ。
「そういえばイベントって言ってたけど、どう? 突っ走ってる?」
「ん、そんなに……かな」
あらゆる討伐や報酬にイベントトークンが追加される、という触れ込みだったのだが、クエストは受けていないし討伐もままならない。スタートダッシュで盛大につまずいてすっ転んだあげく入院した、くらいにはさんざんな状態だ。ひっくり返す秘策もとくにないので、行き会う敵をばったばったとなぎ倒すのがいいだろう。
ゴーグルを取ってから起き上がってチョーカーを外し、ちょっとへこんだ枕を整える。デバイスの付属品として発売されているものだけど、実際のところ、姿勢を安定させてノイズを減らすのが主な役割、つまり普通の枕と同じなのだそうだ。形状記憶みたいな機能がついているわけでもなく、ほんとうにただの枕である。
「お昼どうしよっか」
「カップ麺、確かまだあったよね?」
「じゃあ、それでいいっか」
「お昼だし、ちゃっと食べようよ」
残り物を温めるとか冷蔵庫の余りものを使うのも、朝だとちょっとやる気が出るけど、昼は適当でいいかと思えてしまう。なんとなくご飯をチンしてカレーを作ったり、カップ麵で済ませることも多かった。昔は「即席料理は体に悪い、寿命が縮む」なんて言われていたそうだけど、そんなことが書かれた本も古書や稀覯本になっている。いまの人間は、ある程度そういう化学物質にも適応したのだそうだ。
リビングに降りていつもの収納スペースを見ると、高級感のある黒のパッケージをしたカレーうどんがあった。百年以上も歴史のある老舗のやつに焼きそば、鶏だしのそばもいいけど、見た瞬間、カレーうどんの気分になった。
「お姉ちゃん、先にお湯沸かしとくね」
「わかったー。さて、どーしたもんか」
ちょっと迷っている姉を放って、俺はお湯を沸かし始めた。




