190話 第■真相・1
どうぞ。
男の前に現れたのは、幾度も見た女性だった。
「殺戮のセデム」。もっとも「命を奪う」行為から遠いことを証明し続けてきた彼女は、だからこそ正反対の恵みを得た。セデムとはそういうものだ。疫毒、増殖、嵌合。どれも「人間」という生物が持つことのできない能力である。それゆえに、マーレスは持ち得ぬ恵みを与える。
「またか。またか――またなのか、また、またあなたなのか……ッ!!」
生まれたころからずっと知っている。写真の中で微笑む彼女も見た。ずっと、ずっとずっと、生きてきた時間のほとんどに彼女の記憶がある。そして、彼が生きたとは言えない、彼の“人生”ではない時間にも彼女はいた……いつも「殺戮のセデム」に成り果て、地球人類のすべてを滅ぼしたのちに。
麻袋で隠れているせいか、彼女は男の素性に気付くことなく、男に助けを求めるように手を伸ばした。声に気付かぬほど“声”で耳が鈍麻したか、と……男の萎えた股間の牙が、地面を叩く音が響く。
超巨大水流「マーレス」は宇宙を流れ、惑星に流れ着くとたった一人のセデムを選び、その星を揺籃へと変える。マーレスに飲まれて死滅したものどもは、形を持った水様生命体「マーレス」へと変じる。そして、永遠に水流の中を泳ぎ続ける。その滅亡は「早すぎるリセットボタン」あるいは「原始的カオスの浸透圧的流入」とされ、数々の並行宇宙でひどく恐れられていた。
(――まただ)
幾度も殺したセデムをまた手にかけて、男は天を仰いだ。
マーレスに飲まれた惑星は、いずれ宇宙の構造的崩壊を引き起こす。一度でも流入を許してしまえば、そこは運命づけられた終焉を裏切り、絶望に沈むこととなる。覆すべく幾多の宇宙を巡り、幾度も自身の故郷を救おうとした青年もまた……千を超え万を超えた、幾度目かの絶望に叩き伏せられていた。
(何度も繰り返しすぎた。近似したものがたどる運命までもが共鳴して、並行宇宙が同一化しようとしている。決して合わせ鏡ではない、どれほど似ていても別のものだと……サナリ博士は言っていたはずだけど、ね)
――だからこそ、君の抵抗は自己満足にすぎない。顔の似た別人を救って何になる? 同じ名前ですらないというのに。君の平行同位体がいる世界で君が活動しても、因果の乱れを生むだけだろう。
――“それ”が理由だと? 正気を疑……われているのは、私もだったか。助手どもが倫理の何のと止めてきたことを受け入れるのは、それが理由か。私を探し出したのはいい判断だったな、きゃつらの遺産はいつでも使えるようにしてある。
「たす、けて……」
肉体も精神も、限界を迎えている。精神力から高エネルギーを取り出す彼の武器は、文字通り魂を懸けた戦い方しか許してはくれない。しかし、その精神力……股間から生じるリビドーは、「永遠に尽きない心を捧げろ」と告げられたときのまま、天を衝く力を彼に与え続けていた。
(戦士の誇り、博愛、敵意。どれもあちらに堕ちて、形を失った。性欲など……とても口に出して言えるようなものではないのに、私だけが正気を保ち続けているなんて。いったいなぜ、私だけが生き残るんだろうね)
そして彼は、“次”の出力ポイントに移動した。志願者の量子マーカーに設定された目的地は「地球」、時間座標はマーレス到来以前と推定される年月だった。少しずつ早めに設定してはいるものの、未来は変わらない。
「ここは……アクロス・プログラム以後か。マーレスの体積がいくら減ろうが、滅亡は必定のはずだけど」
ある地球の代表は、並行宇宙架橋計画を一方的に利用した――マーレスに浸食された惑星同士をぶつけるインパクトで、それを消滅させようとしたのだ。しかしながら、ほぼすべての体積を失ったはずの怪物は、量子マーカーがとある街にたどり着いたことで復元を始め、再生地球を滅ぼした。
(遡逆ミームと混濁ミームが必要だね。量子マーカーの構成情報を増やして、データ上の演算領域をできるだけ分ける必要がある。そんな使い方ができるものが、この場所にあればいいんだけど……)
そういったものが見つからなければ、移動可能になった時点でまた次へ移動しなければならない。この世界では、人はどのようにして化け物どもと戦うつもりなのか。自分に与えられた力を確かめるべく、男は自身に付与された情報を確認した。
「〈LIVE GEAR〉、――か。確率はそれなりに高かったけど、ここで来てくれてもね」
脳波制御の物体接合兵装である。彼の力を引き出すにはもっともよい形だが、詰みの一歩手前から長考に入ったような現況、さしたる意味はあるまい。
「街にあなたがいれば、第一関門は突破かな。いなければ……」
きっと終わりは必定だ。しかし、それを覆す一手があるのなら、探さねばならぬ。男は、「ヘスタ」への道を急いだ。
機械はウソをつかない。では、最初に発言した機械は誰だったか?
あ、カクヨム版の読者はあとがきないからこれ知らないのか……まあいいか。




