130話
3章開始……だけど学校編は次からです。
どうぞ。
巨大劇場へつながる階段を、人形が降りていく。広場で待つ人形は、さっと振り向いた。セピア色の街に移った舞台へ、観客の人型看板たちが集っていく。やってきたスポットライトが、決戦へと光を当てた。
宝石を散りばめた金時計、燕尾服にシルクハット、銀河の色を光芒の形に閉じ込めたような仮面――球体関節人形の装いは、美しく整っていた。
相対する人形もまた、顔面の欠けを除けば、非常に美しい人形である。右手には指揮棒を持ち、イヴニングを着こなしたその立ち姿は、あからさまに機械らしい右脚を露出していることと顔面の欠けでもなお、完全に損なうことができない。
「結論は同じみたいですね」
「下調べしてきたんでしょう。当然よね」
指揮者型人形「クォー・タクトゥム」が、道化型人形の「ノ・ゼステマ」へ指揮棒を向ける。すっと持ち上がった黄金がヒュウンと鳴ると同時に、空中に楽譜がバラバラと広がり、生物を模した楽器のような怪物がいくつも出現する。数は四体、プランクトンあたりをデザインモチーフに取り入れたのか、一般的な語彙で表すことは難しい。
ローグライク系対戦サバイバルゲーム『アクタノマイ:コウコウ』は、近くサービス終了予定のゲームである。独特の世界観は集客力を持たず、人が集まらない以上、対戦サバイバルという形式も成立しづらい。あまりに強いプレイヤーが環境を荒らしまわったことと、ローグライクという形式上課金してもさして強くなれないことが重なり、そもそも集まらなかった人口がどんどん離れていった。
何より悪いのは――
(ゲームバランス、悪いなぁ……こだわりとか完全に無駄だったし)
ノ・ゼステマを操る天海カリナは、ある理由で数日間『アクタノマイ』をプレイし続けていた。ソロモードを一日でこなし、対戦を数度行い、彼女は「ゲームバランスが悪い」という率直すぎる感想を持つこととなった。
半身・衣服・装具と三つを集め、それらを補助できる砕けたビーズ「アクタ」を集めていくゲーム性は、ローグライクと対戦サバイバルをそれなりに上手く組み合わせているといえる。しかし、選んだキャラクターに着せる衣装を選べないこと、あるいは武器=装具ごとに強弱がはっきりしすぎていることは、大いに物議を醸した。何より悪いのは、本人の戦闘能力がどうだろうと大した意味はない……召喚あるいは操作で使える手下こそが最強だったことである。
(そりゃ、最近の風潮ならそうなんだろうけど……)
黎明期からすでに半世紀以上、学習を続けたAI操作技術は、単なるアルゴリズムとランダマイズの組み合わせ以上のものらしき反応も生み出している。しかし結局のところ、数値で判断される合理性以上に優先されるものはない。つまるところ、昔はAI行動がちっとも役に立たなかった召喚獣も、現行の技術なら人間の仲間以上に役立つことがある、ということだ。
このゲームでは、召喚獣は条件さえ満たせばすさまじい数まで増やすことができ、マスターのいないところでも行動できる。かんたんに言えば、強い召喚獣を呼び出しさえすれば勝ったも同然――どころか、何もしなくても勝てるうえに本体を追跡することも困難、相手にだけ負担を押し付けられるということである。
「ロマン砲を試そうとしてるのはいいけど……あっちと同じかしら? 余裕なのはちょっとむかつくわね」
「道理のわかってる方と、分かってない方。二種類のバカがいるんですよ」
自分がどちらなのかは、まだ分からない。けれど、自分が楽しい勝ち方をする、それが自分の遊び方だと思っている。
「“できそう”をやる方が、楽しいじゃないですか」
「……そういうところが、いいのね」
そう、これは――“女の戦い”だった。




