1話
ひさびさのVRMMOジャンルで新作です。
どうぞお楽しみください。
白衣のお医者さんは、眼鏡をくいっとやってから言った。
「とくに問題はありません。天海さんは潜性女性だったと。まあ、そういうことです」
人間の平均寿命が百歳を超えて、人類は新しい進化をしたそうだ。昔でいう未熟児のような概念……「性潜性児」という、出生時に性別が分からない子供が生まれ始めた。いわゆる思春期あたりになってようやく性別の特徴があらわになる人々は、昔は不気味がられたり不思議に思われたりしたそうだが……五十年も経ってデータが蓄積され尽くした今となっては、常識の一部分になっている。
中学校を卒業して一日経った日、俺は急に熱を出して寝込んだ。解熱剤も効かず、体のあちこちが痛いという症状は、まるでインフルエンザのようだった。しかし、垢がぼろぼろ出たり、胸が膨らんだり髪の毛が伸びたりといった劇的な変化は、答えをたったひとつだけ示していた。
声変わりも遅くて女顔だった俺は、性潜性児から顕性女性へと変わったのだ。
「戸籍の変更はかんたんにできますので、証明書を添付しておきます。何かありましたらいつでもご連絡ください」
「ありがとうございました」
ていねいに頭を下げた母さんに連れられて、俺は病院を出た。
「カルヤ、女の子だったのねえ……」
「ぜんぜん自覚なかったけどね。男子トイレでも問題なかったし」
それっぽいものはついていて、用を足すのにも問題なかった。顕性になるときに垢として剥がれ落ちてしまったので、今後は女子トイレを使うことになるだろう。
「制服の採寸、まだでよかったわ。服はエナに貸してもらうのもありだけど、買い足さなきゃいけないわよね」
「姉ちゃんにかぁ……しょうがないね」
身体計測だと「スタイルはかなりいい」と言われた。姉もだいたい同じようなもので、潜性の方が容姿に恵まれやすい風潮に反するかのように、顔もスタイルも抜群だ。身長は姉の方がずっと高いので、サイズが合うかどうかははっきりしない。
あんなに全身が痛かったのに、丸ごと入れ替わったかのように肌の質感も変わって、細いだけだった体もふっくらと肉付きがよくなっている。今の俺を見て少年だと思う人は、おそらく一人もいないだろう。
「女の子ってさ、何するんだろう」
「どういうこと?」
「いや、なんか……することとか、しないといけないこととか、ない?」
「男の子にもなかったでしょ、そんなの。何言ってるのよ」
あぐらをかいて座らないだとか、言葉遣いの矯正だとか、いろんなことを考えていた。母さんは、そういうことは考えていないようだった。
「なるようになるし、したいようにすればいいの。その結果がおかしかったら、もちろん止めるけど……お手本があったら同じようにするものでしょう?」
「そうかなあ」
「誰にも似てないなんて子供、見たことないわ。心配しなくても大丈夫」
「……うん」
何かを決めることがなくても、そのうちに決まるのだろうか。変化をおおげさに捉えすぎていたのかもしれない。道のわきにある桜のつぼみは、今にも咲きそうなくらいに膨らんでいる。春にはこんなふうに、たくさんの人々が変化を待っている――そんな気がした。
家に着いて、てきとうに着ていったシャツと長ズボンを脱ぐ。姉に借りたものとはいえ、肌着だけになると自分の性別を自覚させられる。肌着を家族に借りるというのもおかしな話に聞こえるけど、性潜性児だとそうならざるを得ない。五十年経っても、そこの価値観が刷新されていないのは、やっぱり根本的におかしいからなのだろうか。
「んー、まあ楽なカッコでいいよね」
「うん。それ短くない?」
外ではかっこいいらしい姉「天海エナ」は、家ではほどよくだらっとしている。オンオフの切り替えがきちんとしているようで、いろいろと能力は高い方だから、頼れる姉だ。俺が顕性女性になってからは、妙に甘やかすようになったけど……根っこは変わっていない、はずだ。
「ある程度出してた方が、磨こうって気になるもんだし。あたしも見たいし」
「欲望ダダ漏れだよ!?」
ショートとかホットとかではなく、ふつうにルームウェアというくくりで分類できるらしい、丈の短いパンツに足を通す。ちょっとむっちりしすぎな気がする脚が、ほとんど付け根まで露出していた。
「大丈夫なのかな……」
「そうやって意識するところから始めよう? まず自分が見なきゃ」
「そっか」
やわらかいシャツを着て、髪を後ろでひとまとめにして、姉の姿見をのぞき込んだ。これまではどっちつかずに見えていた顔が、不思議なほど女の子らしく見えた。変われば変わるものだなと思ったけれど、昔からずっと、人類はこんなことを繰り返してきたのだ――いちばん最初に性潜性児として生まれた人は、いったい何を思ったのだろうか。
「思ったより、おかしく見えないなぁ」
「そんなもんでしょ、たぶん。骨格もごつごつとかしてなかったし」
骨格ができあがるのは第二次性徴にあたるので、性別が顕性になってからの話だ。これからもっと容姿が変わるのか、安定を保ちつつ年を取るのかは人による。ちょっとは背が伸びるといいな、と思いながら……姉とそっくりな顔を、しばらく見ていた。もともとこうなる予定だったからか、容姿の違和感はかなり少ない。熱が引いた体からは痛みも取れていて、大きさも肌の色もほとんど変わっていなかった。
ほんのりと飴色を帯びた髪、ぱっちりと開いたまんまるな目に長いまつげ。ふっくらとした頬にすっと通った鼻すじ、さくらんぼのようなくちびる。死力を尽くして書き上げた絵だとか、命を懸けて作り上げた人形だとか、そう言われても信じられたかもしれない。作り物めいて美しいかんばせが、鏡の中にあった。
「変わったんだなぁ……」
ちっともそう思っていないはずなのに。
鏡の中にいる少女が、愛らしいくちびるを動かしていた。
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