年貢を取り立てよう
越前国の府中、前田家屋敷。
その政務を執り行なう一室にて、利家は算盤を弾きながら年貢の計算を行なっていた。指さばきに淀みはなく、次々と計算結果を帳簿に書いていた。
「槍だけじゃなくて算術もできるのか。すげえなあ」
利家の後ろであぐらをかいているのは、与力として送られた森長可だった。正確に言えば柴田勝家の与力だが、利家のところに入り浸っている。勝家の許可を得てのことだった。
無論、その許可は利家がお伺いを立てて貰っている。長可にそのような配慮はない。
「領主になったからな。それにこれは尾張国にいた頃から使っている。できて当然だ」
「へえ。そうなのか」
信長から下賜される前から使えるのだが、それはただの自慢になるので言わなかった利家。自分でも曖昧だと感じている前世の記憶でとは説明できない。
「そういえば、慶次郎の兄さんは?」
「まつと追いかけっこしている」
「またからかったのか?」
「かなりひどくな。まつの奴、侍女に薙刀持ってくるように言ってた」
どうしてあんなにおっかない女をからかうんだろう。
そしてどうしてあんなにおっかない女と婚姻したんだろう。
二つの疑問が長可の頭に浮かんだが、前田家はおかしいからだなと判断して何も言わなかった。
「助右衛門を呼んできてくれ。帳簿を渡したい」
傍に控える小姓に伝えるが、ちょうど奥村助右衛門がやってきた。
何故か困った顔をしている。
「いい頃合いだな。帳簿できたぞ」
「……殿。少しまずい状況のようです」
奥村が神妙な顔なので「何かあったのか?」と姿勢を正して利家が訊ねる。
「年貢が納められないと百姓が申し出てきたのです」
「そういや、凶作だったところもあったな」
「私が確認したところ、年貢を差し出したら食うものがないほどです」
利家にとって領地の経営は初めてではない。尾張国ではそれなりにやっていた。
しかし三万三千石の大きな領地は経験していない。
「とりあえず、その村に行ってくるか……助右衛門、少し待っていてくれ。確認してくる」
「確認? 何をです?」
「柴田様にお伺いを立てる。その間に頼みたいことがある」
奥村は「何でしょうか?」と気負いなく応じる。
「まつと慶次郎が揉めているんだ。仲裁してくれ」
「い、嫌です……」
「主命だ。なるだけ急げよ」
さあっと青ざめる奥村を半ば無視して、利家は北ノ庄城へと向かう。
「どうして、こんなことに……」
絶望する奥村を見て、手伝おうかと言わなくて良かったと長可は胸を撫で下ろした。
◆◇◆◇
北ノ庄城から帰ってきた利家は兵を五百ほど率いた。そして憔悴している奥村と同情している長可、そして何故か元気な慶次郎と共に件の農村へとやってきた。
村人たちは一様に顔が暗い。年貢を納められないことでどんな罰があるのか分からないからだ。
改めて利家は田畑を見てみる。やせ細った土地。だからだろう、今年はどこも豊作とは言えず、全体に年貢の量は少なかった。
「村長はいるか? 話がしたい」
利家が穏やかに、それでいて威厳を込めた声で呼ぶと村人の中から一人の老人が出てきた。身なりが特別良いとは言えない。他の者と似たりよったりの格好だ。
「村長の田吾作と言います。ご領主様、こたびの凶作で納める年貢がありません。どうか、お慈悲を……」
「まずは取れた米を見せろ」
問答無用で迫る利家に「兄さん、結構強引なんだな」と朱槍を肩に担ぐ慶次郎が笑った。
「新米は必ず納めなければいけないからな。こっちだって必死なんだ」
「ないものを納めることはできねえと思うぜ」
利家はしばらく黙って「助右衛門。この村に米があるかどうか分かるか?」と水を向けた。
「そうですね……あると思います。無ければ逃散や強訴をするでしょう。それに村人の顔色が良く、怪我を負った者もいないということは争いも起きておりません」
疲れ切っているが明晰な頭脳で言い当てる奥村に村人たちは動揺する。
その様子を見て「村長、あるんだな」と利家は凄む。
「い、いや、その……」
「凶作だったのは土地を見て分かる。だが皆に食わせるほど米がある……まさか、隠田があるのか?」
隠田とは隠れて作った水田のことだ。
村長は「そんな余裕はございません!」と激しく否定した。
「ただ年貢を渡すと……村で食べる米がないのです。米がなければ物を買うこともできません。この村は飢えて死ぬことになります」
村長が地べたに平伏すると他の村人も同じくした。
その姿は憐れみを誘うものだった――利家は「しょうがねえなあ」とため息をついた。
「俺は柴田様から年貢を取れと命じられている。しかし村が滅びると知っちまったら素直にできねえなあ」
「そ、それでは!」
「年貢は取る。しかしお前たちは助けてやる」
利家の発言に慶次郎や奥村、長可は何を言っているんだと思ってしまう。
村人も目の前の武士の意図を測りかねていた。
「もうすぐ届く頃合いだ。しばらく待て」
はたして村のほうへやってくる兵が見えた。
よく見ると米俵を運んでいた。
「村長。一年ぐらい食べていける米を持ってきた」
「えっ? どういう……」
「お前たちにやろう。その代わり年貢を寄越せ」
いまいちよく分かっていない村長に「俺は新米を取り立てろと言われた」と利家は説明する。
「あれは古米、去年の米だ。ちと味は劣るが食べられないことはない」
「し、しかし。あれだけの量は釣り合わないのでは?」
「そうだな。お前たちが得する量だ」
利家はにかっと笑って「村が滅びるよりマシだろ」と村長の肩を叩く。
「来年は豊作になるように努めろよ。よろしく頼む」
「は、ははっ! 仰せのままに!」
再び平伏する村長と村人に満足そうに利家は頷く。
一連のやりとりを見た慶次郎は「助右衛門、お前の入れ知恵か?」と耳打ちした。
「いえ。違います。殿のお考えでしょうね」
「すげえな兄さん。とんちが利いているぜ」
快活に笑っている慶次郎に対し、長可は「本当にいいのか、利家さん」と不思議そうな顔をする。
「柴田の旦那に怒られるんじゃないか?」
「さっき会いに行って許可もらったよ。久しぶりに大笑いしてた」
「根回しまでしてたのか。でも自分が損するのはいいのか?」
「別に損はしてねえよ。よく考えろ。村は滅びずにすめば、来年も再来年も年貢が取れるじゃねえか」
大喜びする村人を見つつ「無駄に人が死ぬのも嫌だしな」と利家は静かに呟く。
それが目的だったのかと長可は改めて利家を尊敬した。
そしていつか、利家を超えたいと思うようになる。
「まだ、勝てっこねえか」
「あん? 何か言ったか?」
「なんでもねえよ、利家さん」
◆◇◆◇
長い冬を経て軍が動かせるようになった頃。
利家は勝家と共に加賀国へ侵攻した。
一向宗の勢力圏ではあるが、織田家の軍勢の前に一網打尽となってしまう。
その中で利家の活躍は目覚ましいものだった。
進んで降伏する村も多かった。古米を渡した話が美談として伝わっていたのだ。
「まさか、これも狙っていたのか?」
従軍している長可は驚くが、利家は「別に狙っていねえよ」と笑った。
真偽ははっきりとしない。
加賀国は織田家の手中に落ちた。
そして柴田勝家率いる北陸方面軍は上杉家と戦うこととなる――




