戦勝祝い
成政が徳川信康を伴って岐阜城に訪れたのは、織田家が越前国を取り返したすぐ後だった。
謁見の間にて、やや緊張している信康に「心配ございませんよ」と成政は耳打ちする。
「信長様は世間で言われているほど怖い方ではありません」
「怖いわけではない。ただおごとくからしっかりしないとお叱りを受けると忠告を受けたのだ」
成政が知っている信長はそこまで厳しい性格ではないが、気を使い過ぎて損はないだろうと思い「良き助言ですね」と肯定した。
「くだけた言葉遣いさえしなければ大丈夫でしょう……いらっしゃいましたよ」
その言葉通り、小姓がふすまを開けると信長が奥の間から出てきた。
「久しぶりだな、成政。婿殿は初めてだ」
「え、あ、お初にお目にかかります……」
信長は見事に仕立てられた南蛮風の服に身を包んでいた。
あっけに取られた信康に代わり「お久しゅうございます」と恭しく成政は平伏した。
「こたびは越前国の平定、お喜び申し上げます」
「うむ。勝家が良き働きをしてくれてな。早めに終われた。褒美に越前国を任せることにした」
「そうですか……若君もどうか慶賀のお言葉を」
「しゅ、舅殿におかれましては――」
「堅苦しい言葉はいい。おごとくとは仲良くやっているようだな」
せっかちな信長に戸惑いつつ「は、はい。いつも支えてもらっております」と信康は頷いた。
そして成政に視線を送る。
「織田様、こちらは三河木綿で作りました陣羽織でございます……しかし、その装いを見るかぎり不要でしたかね?」
「京に寄ったときに南蛮人が献上してきた。大方、俺のご機嫌伺いだろうな」
「よくお似合いですね」
「世辞を言いに来たわけではあるまい。本題を話せ」
信長は二人が単なる戦勝祝いで来たとは考えていない。
回りくどい言い方を好まないと知っている成政は「一つは若様を引き会わせるためです」と言う。
「一度顔を合わせておいたほうが、徳川家と織田家の関係が深まると思いまして」
「そうだな……婿殿はどう思う?」
信長が曖昧な問いをしたのは信康の器を測るためだった。
答える前に一呼吸を置いて「私は舅殿をよく知りません」と信康は神妙な顔をした。
「父上や成政、おごとくから聞かされた印象しかありません。しかし、実際会ってみると話どおりのお方かと思いました」
「ほう。言ってみよ」
「敵には容赦ありませんが、身内にはお優しいお方ですね」
信長の本質を突いた――わけではない。
むしろ芯を食っていない表面的な評だった。
信長がそう判断していると「だからこそ、私は舅殿と語り合いたい」と信康は付け加えた。
「父上と同じく、私も身内になればさらに清洲同盟は強化するでしょう。そしてそれは両家にとって最良の戦果をもたらすと確信しております」
「語り合う……たとえば何をだ?」
「そうですね。隣におります成政の昔話をお聞きしたいですね」
唐突に自分の話題が出たので「私のですか?」と成政はつい反応してしまう。
「私にとって成政は師匠以上の存在だ。だが昔のことは知らん。特に前田利家という男との関係はな」
「な、なんでその者のことを若様が……?」
「いつだったか、父上が楽しそうに話していた。ふふふ。相撲対決の逸話は大変面白かった」
なんであんな奴のことを殿は喋ったのかと成政は不思議に思ったが、直後に信長が「利家と成政の関係は深い」と愉快そうに言う。
「相撲の話以外にも面白過ぎる話が山ほどある。よし、話してやろう。成政、席を外せ」
「私が離席している間に何を話そうとするんですか!?」
「いろいろだな。乱丸、別室に案内せよ」
成政が戸惑っている間に森乱丸が「こちらにてございます」と手で示した。
おお、森可成殿の息子かと思いつつ「あまり羽目を外さないでくださいね」と念を押す。
「あの者との関わりは私の株を下げることになりますゆえ」
「ふん。むしろ上げることになりそうだがな」
乱丸の先導で別室に通された成政はゆっくりと腰を下ろす。
余計なことを言わなければいいがと考えていると「佐々様。客人が参りました」と外に控えていた乱丸が知らせた。
「客人? 誰だ?」
「そりゃあ俺のことだ」
がらりとふすまが開いて入ってきたのは利家だった。
「お前か。久しぶりだな。浅井と朝倉の戦以来か」
「まあな。それと紹介したい奴もいる」
挨拶もそこそこに利家が招いたのは森長可だった。
初対面だが「どこかで見たことがあるような……」と成政は首を傾げた。
「可成の兄いの息子だよ。こっちの乱丸もそうだけどな」
「初めましてだな。森長可だ」
「可成殿の……そうか、私たちもそれだけ歳を取ったのだな」
感慨深い気持ちになった成政に対して「そんな爺臭いこと言うな」と利家は嫌な顔をした。
「てめえは何の用事でやってきたんだ?」
「越前国平定のお祝いを申し上げるためだ。そういえば出世したと聞いたぞ」
「越前国は府中の領主になった。ま、三人のうちの一人だけどな」
「三人……他の二人は誰だ?」
利家は不思議そうに「俺のことしか聞いてねえのか?」と成政に訊ねる。
実を言えば未来知識で分かっていたが、それをおくびに出さずに「お前は派手だからなあ」と誤魔化した。
「嫌でも噂は入ってくる」
「ふうん……一人は不破光治で、もう一人は佐脇良之だ」
「不破殿と佐脇殿か。なるほどな」
本来の歴史ならば自分が府中三人衆に名を連ねていた。
その後釜が佐脇なのは成政の中で少しだけ納得できた。
佐脇は三方ヶ原の戦いで死ぬはずだった。その運命を成政は曲げたのだ。
これもまた、歴史の修正力である。
死ぬべき者が生きる代わりに空いた役割を埋める。
しかし成政は未だに気づいていない。
「そうか。織田様は私とお前を引き合わせるために別室に通したのか」
「あん? なんだそりゃ?」
「相変わらず面白いことを仕組むのがお好きな方だと思い直しただけだよ」
そんな会話をしていると「あんた、強いって話だよな」と長可が話に割り込んできた。
「昔はこいつよりは強かったが、今はどうかな」
「おい待て。誰がてめえより弱いって?」
「私に決まっているだろう。言葉も分からないほど馬鹿になったのか?」
こいつ、むかつくところ変わらねえなと利家が怒っていると「親父とどっちが強かった?」と長可がまた訊ねた。
「それはあなたの父君だろう。織田家を離れる前まで勝てなかった」
「俺は親父を超えたい。どうすれば超えられる?」
淀みなく言ったことから何度も同じ問いをしていると成政は分かった。
「あなたの父君より弱い私に訊ねても答えはない。それどころか納得もできないだろう」
「なんだてめえ。逃げるような答え方しやがって。俺より強いんじゃねえのか?」
利家の挑発に「ならばお前はどう答えたんだ?」と訊ね返す。
「さぞかし立派な答えを出したんだよな? いや、出せなかったから長可殿は私に訊いたのか」
「嫌に鋭いじゃねえか。ああそうだよ。俺はこいつを納得させる答えは出せなかった」
素直に認められたので今度は逆に成政が追いつめられる形になる。
利家と長可、そして外にいる乱丸が聞いている上で成政は深く考えた。
「超えると言ったが、どういう意味で超えるんだ?」
「もちろん、強さでだ!」
「どうやって証明するんだ? 可成殿はすでに死んでいる。直接戦わないかぎり強さなど比べられない」
「それはどうだけどよ……」
「そこで私は提案する。可成殿を超えるには――森家を盛り立てることだ」
長可は一瞬黙ってから「盛り立てるってどうするんだよ」と問う。
「一国一城の主となることだ。そして強い国にすることだ。これは難しいぞ? 自分が強くなる以上に国を強くするのは何十倍も何百倍も難しい」
「よく分からねえけどよ。国を強くするってどうやるんだ?」
「私も今、模索しているところだ。まずは一国一城の主になれるように精進するんだな」
成政の答えに長可はしばらく黙り込んでしまった。
利家は「てめえもなかなか良いこと言うじゃねえか」と笑った。
「これでも甲斐国を治める身だ。やっと出世できたお前とは違う」
「けっ。皮肉ばかり言いやがって」
「……出世祝いだ。これをくれてやる」
成政は信長に献上するものと別の陣羽織を利家に渡した。
赤を基調とした鮮やかなそれは利家の大きな身体に合うようだった。
「……明日、雪でも降るのか?」
「いらないのなら返せ」
「悪かったよ。ありがたくもらっていくぜ」
「せいぜい、大切にするんだな」
そんな二人を見て長可と乱丸は思う。
いがみ合っているのに、仲が良いのか?




