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利家と成政 ~正史ルートVS未来知識~  作者: 橋本洋一
【第三幕】畿内制圧と甲州攻略編

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捨てておけねえよ

 ごおんごおんと寺の鐘が鳴る。

 同時に大勢の一向宗が経を唱えていた。

 あまりに多すぎる人の群れ、そして行軍によって地面が揺れる。


 織田家が三好家を攻めていたとき、背後から一向宗が襲い掛かった――多すぎる軍勢は、遠目から見たら津波のように迫りくる。


 本陣の中で次々と被害の報告を受ける信長。

 その表情は怒りと困惑に彩られていた。

 何故、本願寺が今になって動いた? 誰が描いた絵図なのだ?


 様々な考えが交錯する中、信長は決断を迫られていた。

 このまま戦うか、それとも退くか――


 姉川の戦いで大勝したが、未だに浅井家と朝倉家は健在である。

 さらに言えば、本願寺が織田家の敵に回ると、二家と同盟を組む可能性がある。

 そうなれば――京が危ない。


 朝倉家が治める越前国は一向一揆が盛んだ。しかし、本願寺がそれを抑える代わりに、京へ攻め立てろと盟約を結んだら――朝倉家は思う存分、領国から離れて進軍ができる。つまり京並びに畿内を攻めることができるのだ。


 それ故に、戦うべきか退くべきか、信長は迷っていた。

 無論、浅井家と朝倉家の進軍を止め、京を守ることは必須だ。

 けれども、今退却すれば――本願寺の追撃を受けてしまう!


「くそっ! 四面楚歌とはこのことか!」


 信長は怒声を発するが、抑える者はいない。

 全員、全ての状況が分かっていたからだ。


「恐れながら殿、ここは京へ退くことを提案いたします」


 提案したのは柴田勝家だった。

 音に聞こえた鬼柴田だが、この状況を危ういと考えていた。

 信長は「本願寺を叩かねば退却できん」と柴田を見る。


「だがあやつらには雑賀衆が味方している。そのせいで我が軍は大打撃を受けた」


 敵に回せば確実に負けると評された、傭兵集団の雑賀衆。

 それも退却できない理由の一つだった。


「このまま留まっていれば、さらなる被害を受け続けます」

「それも分かっている……」


 二人が話しているのを諸将は黙って聞いている。

 そこへ赤母衣衆筆頭の利家が本陣に入ってきた。


「利家。敵の様子はどうなっている?」

「一時的に小休止、といった感じですね。本願寺の野郎、余裕綽々だ」


 身体中、傷だらけで鎧に矢も刺さっている利家。

 疲れてはいるが、まだまだ戦えそうな気力はある。

 信長は利家が特別そうなだけで、他の兵は疲れ切っていると分かっていた。


「このままでは退けぬな……」

「殿。京に浅井家と朝倉家が進軍したら、狙われるのは宇佐山城ですぞ」


 柴田が必死になって説得しているのは、宇佐山城が心配だったからだ。

 もっと言えばそこの城主である森可成が気がかりだったのだ。

 あの男は大軍に攻められても、決して退かない――


「宇佐山城って、可成の兄いがいるところですよね? 狙われるってどういうことですか?」


 利家は状況がよく分かっていないようだ。

 信長は「今、本願寺だけ攻められているわけではない」と語る。


「この機を逃さず、浅井家と朝倉家も攻めてくるだろう。その目標は京だ」

「だ、だったら、一刻も早く退却して、宇佐山城の守りを固めないと――」


 その意見に柴田も頷いた――のだが。


「宇佐山城は、捨てる」


 信長の冷えた声音。

 これには利家と柴田も、そして諸将も沈黙してしまう。


「捨てるって、どういうことですか? 可成の兄いの城ですよ?」

「……二度言わすな」


 利家はゆっくりと信長に近づく――柴田が羽交い絞めして止めた。


「利家! 何を考えている!?」

「それは、こっちの台詞ですよ! 可成の兄いを見捨てるなんて、殿はできるんですか!」


 暴れる利家に柴田は力を込めて押さえている。

 諸将も利家を止めようと手足を握る。


「可成の兄いは殿に忠誠を尽くしてきたじゃないですか! それを見捨てるなんて、俺ぁ許さねえぞ!」

「利家! 俺だって同じ気持ちだ!」


 信長は立ち上がって、利家を睨みつけた。

 険しい顔をしている――しかし、利家には泣いているように見えた。


「援軍を送ることはできん! かといって退却もできん! 俺にはもはや手はない!」

「殿! それでもなんとか――」

「本願寺に和睦の使者を送ったが、門前払いを食らった! その上でできることはないのだ!」


 利家は唇を噛み締めた。

 可成を見捨てる決断をした信長が一番つらいことは分かる。

 しかし、他に手立てはないのか?

 このがんじがらめな状況を打破する方法なんて、考えつくのだろうか?


 答えは――否だった。

 信長は主君である。そして可成は家臣だ。

 主君のために家臣が死ぬのはよくある話だと割り切るしかない。


「利家、分かってくれ……」


 最後は弱々しく、まるで童のようにうな垂れた信長。

 そんな姿を見て利家は――


「……殿。赤母衣衆を使わせてください」


 覚悟を決めた利家。

 信長と柴田、そして諸将はハッとする。


「俺たちだけでも援軍に行く。それが駄目なら一人でも行く」

「馬鹿なことを言うな! そんな少数の兵を連れても意味がない! お前が討ち死にするだけだぞ――利家!」


 柴田が叱ったけれど、それでも利家は止まらない。

 逆に「殿は見捨てる判断をしたけどよ」と呟く。


「可成の兄いは俺の兄貴分なんだ。実の兄弟と同じさ。そんな人を――人として捨てておけねえ」

「利家……」


 柴田と諸将は彼から手を放した。

 じっとこちらを睨む信長に利家は「それに可成の兄いだけ死なせるわけにはいかないですよ」と乾いた笑みを見せた。


「死ぬなら一緒に死んでやりてえ。ま、俺は簡単には死なねえけど」


 そう言い残して本陣から出ようとする利家。

 その後姿に、信長は「いいだろう」と許可を出した。


「赤母衣衆を使ってもいい。だがな、利家」

「……なんでしょうか?」


 信長は振り返らない利家に言う。


「決して、命を無駄にするな。生きて帰ってこい」

「……その言葉、可成の兄いにも伝えます」


 さっと本陣から出た利家。

 信長はその場に座り込み「うつけが……」と呟いた。


「お前も可成も、得難い男だ。失いたくない。しかし、そうせねばならぬのだ」

「殿……」


 かつて己の息子を殺した男を、柴田は憐みの顔で見つめていた。



◆◇◆◇



「宇佐山城に行くのか。利家さん」


 赤母衣衆の半数を率いて、利家は陣から離れようとしているとき、話しかけたのは佐脇利之だった。彼は利家から残るように言われたのだった。


「ああ。可成の兄いを助けに行く」

「たった五百の兵で? 犬死にする気かよ」

「俺ぁ死ぬつもりねえよ」


 利之は冷静に「だったらどうして俺に託すとか言うんだよ」と問い詰める。


「自分が死んだら俺に引き継ぐようにって、毛利殿が言っていたぜ」

「……新介の野郎、内緒だって言ったのによ」

「死ぬつもりなら行くなよ。ていうか生きて帰ってこい」


 自分を嫌っている弟の意外な言葉に、利家は「お前、俺に生きてほしいのか?」と不思議そうに言う。


「当たり前だろう。まだあんたに勝ってねえからな」

「…………」

「勝ち逃げは許さねえよ」


 利家はにやにや笑って「じゃあ一生勝ち続けたら生きてほしいって思うのか?」と意地悪そうに言う。

 利之は「やっぱり死ね」と冷たく言い放った。


「人がせっかく心配しているのに、冗談を言うな」

「悪かったよ。それじゃ、行ってくる」


 馬にまたがり、利家は赤母衣衆の先頭に立つ。

 まるで昔を思い出すやり取りだなと利之は懐かしく思った。


「早く帰ってこい! こっちも厳しい戦いになるんだからよ!」

「ああ! さくっと浅井家と朝倉家を倒してくらあ!」


 利家は意気揚々と宇佐山城へ進軍した。

 対して、本願寺は追撃しなかった。

 向かい合う織田家本軍がそれを許さなかったのだ。

 そう指示をしたのは、信長だった――

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