表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
被験者探偵S002  作者: 柏木弓依
~格安アパートの秘密(全7話)~
19/21

第五話

 バルトハイムは、セレスティーヌが不動産屋で見たチラシの宣伝文句と違わず、駅から徒歩六分の距離にある、築二年のきれいなアパートだった。建物全体がさわやかなライトグリーンのペンキで塗られている。アパートの入り口のそばには小さな花壇もあり、植物に疎いエルウィンには名前の分からない観葉植物が植えられていた。いかにも女性受けしそうなアパートの周囲には、それほど高い建物もなく、地下部分は駐車場になっているようで、アパートの横には、駐車場への出入り口と、『空きスペース有。24時間出庫可能。毎月第三土曜日は清掃日』と書かれた白いプレート看板がコンクリートの壁に固定されていた。遮蔽物がないため、日当たりがよいことは外から見ても想像がついた。

 アパートの入口から中に入ると、奥行きのそれほど広くない廊下と手前に階段があった。部屋は全部で四部屋のようである。どの部屋も単身者を想定しているため、一部屋あたりの広さもそれほど広くはないのだろう。こぢんまりとした、しかし清潔感のあるアパートであった。

「どうぞ」

セレスティーヌはそう言って、廊下の階段の横をまっすぐ進んだところの部屋――102号室のドアを開けた。

「失礼します」

イレーネの後に続いてエルウィンとお嬢さんもなかへ入ると、整理整頓されたワンルームが広がっていた。決して広々とはしていないが、部屋の隅にはベッドが置かれ、すぐ隣には人が一人収まりそうなクローゼットもある。手前にはちょっとした料理ができそうなキッチンがあり、そのわきの小さな縦長のギロチン窓からは日が差し込んでいた。

「あら、意外に良い部屋じゃない」

すこしほっとしたように、イレーネが言う。

「幽霊なんて、気のせいじゃないの」

「気のせいではないと思うわ。気配を感じて夜中に起きたこともあるし、クローゼットにかけている服の位置が動いていることもあったわ」

「それはあなたが動かしたのでしょう」

イレーネの言葉に、セレスティーヌは困った表情でうつむいた。それから、じっとしているのが落ち着かないのか、キッチンにいくと、カップを四つ用意して、ケトルでお湯を沸かしはじめる。

「お嬢さん、お嬢さん」

 女性の部屋に慣れておらず、そわそわとしていたエルウィンは、壁際のベッドのところで何かを見つめていたお嬢さんのそばにより、話しかけた。

「少尉、君、さてはレディの部屋が初めてで落ち着かないのだろう」

お嬢さんがすこし意地悪にからかった。

「お嬢さんだってさっき、イレーネさんに人見知りしていたじゃないか」

部屋に入ったときからエルウィンのことなど見向きもせずに部屋を観察していたお嬢さんに、すっかり心の内を見透かされていたことに、エルウィンは顔を赤くして思わず言い返す。

「それで、さっきから一体どこを見ているの」

 お嬢さんがすっと指をさしたのは、ベッドが寄せられた壁の上部に設置された、よくある換気口だった。

「変だと思わないか」

 イレーネやセレスティーヌに聞こえないように、お嬢さんは声を落としてそっとささやいた。

「変って、あれはどこにでもある換気口だろう?」

 エルウィンの反応に、すこしいらだったようにお嬢さんは首を振った。事前にエルウィンがイレーネからもらったアパートの見取り図を示す。

「換気口の向こうはこのアパートの機械室だ。空気の入れ替えをするには不向きだとは思わないかね。なぜこちらの、外に面した壁に設置しなかったのだろうな。それに」

 お嬢さんが、ちらっとイレーネたちのほうを気にした。二人はちょうど、セレスティーヌが入れた紅茶を飲みながら、楽しげに話を始めたところだった。

「このベッドだが、足が固定されている」

 黒いスカートの裾をふうわりとさせてしゃがむと、お嬢さんは花模様の布団をそっとすこしだけめくる。すると、金属のプレートとボルトで床にしっかりと固定されたベッドの足があらわになった。

「ほんとだ。どうして……」

お嬢さんはまた布団をそっと戻して、立ち上がった。それから、セレスティーヌに呼びかける。

「気配がしたのはどのあたりだ?」

椅子に掛けていたセレスティーヌは、手に持っていたマグカップを置くと、エルウィンたちのほうへやってきてから

「このベッドのあたりよ。夜に、ふと目が覚めたら私のことを見下ろしている人がいたような気がするの」

「気がする、というのは、どういうことだね」

「それは……」

セレスティーヌは弱弱しい表情でうつむいた。

「目は覚めたのだけれど、真夜中だったし、部屋は暗くて、怖い夢でも見ているのかなって。部屋の明かりをつけようと起き上がろうとしたのだけれど、とても体がだるくて、そのまますぐに眠ってしまったのよ」

「起き上がれないほどに体がだるかったのかね」

「ええ」

 お嬢さんはふむ、と考えこんだ。彼女の灰色の瞳は、換気口に注がれている。

「身体がだるい以外に、なにかなかったかね。例えば、匂いとか」

「甘い匂いがかすかにしたわ」

「甘い匂い?」

「ええ」

「たしか、ステラの通報でも、匂いの話が出てきたよね」

「そうだな」

 お嬢さんは低く答えた。それから、セレスティーヌのほうを振り返るとクローゼットを指さして

「中を見ても?」

と尋ねた。

「どうぞ」

 クローゼットのなかには、セレスティーヌがこの街で買ったと思われる流行のブラウスや、繊細な刺繍の施されたスカート、クリーニングのタグのついた厚手のコートが等間隔でかけられていた。お嬢さんははじめ、それらを端に寄せると、壁を軽くたたいたり、しゃがんで隅を注意深く観察したりしていたが、ふとコートの袖についている何かの毛に気づくと、そっとつまんで、レースのあしらわれたガーゼのハンカチに挟み、ポケットにしまった。

「セレスティーヌ、君はやはり一刻も早くこの部屋を引き払い、故郷に帰るべきだ」

 有無を言わせない強い口調で言い放ったお嬢さんに、その場の全員が注目する。

「それはできないわ」

セレスティーヌがすぐに反論した。

「なぜだね。聞くところによると、君はとくに明確な目的があるわけでもなく、家出同然にこの街にやってきたそうだが」

 セレスティーヌは頬を赤くしてお嬢さんをキッと睨んだ。

「わたしは、ずっとこの西ソテラノに来たかったのよ。この街に来れば、なにかやりたいことが見つかると思って」

「そうして1か月、君はここで暮らしたわけだが、やりたいこととやらは見つかったのかね。映画館の売り子をしてその日暮らしの小金を稼ぎ、流行り服を買い漁ることが、君のやりたかったことなのかね」

「お嬢さん、その言い方は失礼だよ」

 冷めた瞳でセレスティーヌを見据えるお嬢さんをエルウィンは非難したが、お嬢さんはエルウィンのことなど気にも留めない。

「どうなのかね」

セレスティーヌに問う。

「これからきっと見つかるわ。今はまだ、きっかけがないだけよ」

セレスティーヌがこぶしを握り締めて言い返したのを、お嬢さんはフンと鼻であしらった。

「ならば特別に私が予言してやろう。この先も、君にきっかけが来ることはない」

「なんですって! あなたに何が」

「なぜなら君は行動していないからだ」

お嬢さんがぴしゃりとセレスティーヌの言葉を遮った。

「やりたいことを見つけるために、君はなにをした? 映画館で売り子をし、そこで稼いだお金を何に使っているのだ? 売り子の仕事が終わった後の時間を、君はデパートでショッピングをする以外に、どう使っているのだね」

「それは」

「いいかね」

 お嬢さんの口調は、まるで親が子供に言い聞かせるようだった。

「本当にやりたいことを見つける人間というのは、自発的に行動する人間なのだよ。興味があろうとなかろうと、飛び込んでいくのだ。何が自分の将来につながるかなど、その時点ではわからないからな。君にそこまでの行動力があるのか」

言い返せないセレスティーヌは、唇をかみしめて黙り込んだ。エルウィンもイレーネも、二人のやり取りをただ緊張して見守ることしかできない。

「とにかくこの部屋は今すぐにでも出たほうがいい。今夜はホテルに泊まるか、イレーネの家に泊まるんだな。ここには、警察を張り込ませる。少尉、行くぞ」

 一方的にまくしたてると、お嬢さんはすたすたと玄関へ向かい、部屋を出て行ってしまった。

「あ、あの、彼女がひどいことを言って本当にすみません! 失礼します」

 エルウィンはお嬢さんの代わりに姉妹二人に謝ると、慌てて後を追いかけたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ