第四話
例の通報を受けたロビンソン巡査は、30代半ばの、小麦色の肌をした巡査だった。小さな会議室にマズル警部たち三人を通すと、座るように促し、自分も向かいのパイプ椅子に腰かけた。
「それで、通報を受けたときのことを、詳しく聞きたいのですが」
椅子についてすぐ、警部が切り出した。
「かまいません。通報があったのは、去年の9月18日土曜日の午前8時ごろです」
ロビンソン巡査は通報記録を見ながら答えた。
「通報したのは、アパートの住人だったそうで」
「そうです。ええと、」
巡査は記録の字面を指で追いながら
「通報してきたのは、ステラ・コルニロフ。18歳のロシア人の少女でした。深夜に隣の部屋から悲鳴がしたという内容です」
「なぜステラは悲鳴を聞いてすぐに通報をしなかったのでしょうか」
「彼女がいうには、通報しようとしたものの強烈な眠気に襲われてそのまままた眠ってしまったそうです」
「ロビンソン巡査、その通報記録を少し見せていただけませんか?」
エルウィンが頼むと、どうぞ、といって巡査は通報記録を渡した。ステラの通報内容が簡単に手書きで記されている。
「このステラが話していた『甘い匂い』というのは」
エルウィンと一緒に記録を読んでいたお嬢さんが尋ねた。
「わかりません。ステラは悲鳴を聞いたとき、部屋でそれまで嗅いだことのない甘い匂いがしたと言っていました。ただ、とくに関係はないと思います」
「アパートの現場を見に行ったのも、あなたですか」
今度は警部が尋ねた。
「ええそうです。管理人の方に話をして、実際に部屋も見せてもらいました。しかし結局、人が住んでいた形跡はなくて、管理人の方に聞いたら、住人の方は先週引っ越したのだと。それで、その件はそれきりです」
「あのアパートの住人が、定期的に失踪していることについてはご存じでしたか」
「いえ。警部からお話を聞いたときは驚きました」
ロビンソン巡査はそう言った後、
「ただ、私たちも失踪届が出された方についてはその都度調べているのですが、全員、あのアパートを引き払った後に失踪しているのです。管理人に頼んで、彼女たちの署名の入った退去申請書も確認しています」
「管理人はどのような方ですか」
「ノーマン・クッシュとアネット・クッシュという、ドイツ人のご夫婦です。バルトハイムのほかにも、あと三棟ほど、西ソテラノ地区内でアパートを貸しているようです」
きっと需要もあるのでしょうな、と警部が言った。
「このようなことは認めたくはないのですが」
ロビンソン巡査の表情が曇った。
「西ソテラノ地区はここ数年で急激に人の流入が激しくなりまして、街の外からも、そして海外からもいろいろな人がやってくるようになりました。もともと少しにぎやかな町だったのが、開発が進んで華やかな都市になり、都会にあこがれた若者や、大恐慌のあおりを受けて母国にいられなくなった外国人、新しい商売の拠点を探している商売人などが毎日のようにやってくるのです。そうした人たちが、犯罪に巻き込まれることも、残念ながら日常茶飯事になっているのが今の西ソテラノ地区です」
「それは、署の方々も大変でしょう」
警部の思いやりのある言葉に、ロビンソン巡査はうなずいた。
「地方からやってきた若者から聞いたのですが、バルトハイムはお金のない若者にとっては破格の家賃で有名になっているそうです。ですからもし、あのアパートが何か後ろ暗いことと関係しているのなら、早急に対処しなければ」
巡査の口調は、責任感にあふれていた。
西ソテラノ署を出たエルウィンとお嬢さんは、警部と一緒にレストランでランチをとったあと、イレーネと待ち合わせをしているヴェストタール駅の前の広場へ向かった。
昼過ぎのヴェストタール駅の改札は、若者や観光に来た外国人などがひっきりなしに出たり入ったりを繰り返している。
人酔いしそうな混雑のなか、エルウィンはイレーネとセレスティーヌを探した。うろうろしなくても見渡せるほどの小さな広場だったが、駅で待ち合わせをしようと考える人はほかにもいたようで、カフェのエプロン姿しか見たことのないエルウィンにとって、普段着のイレーネを探すのは難しかった。
「こんにちは、少尉さん」
聞きなれた声に話しかけられて振り向くと、そこにはあの見慣れた感じの良い笑みを浮かべたイレーネがいた。丸襟のリボンのついたベージュのブラウスに、映える赤色のスカートを合わせている。その後ろに彼女と同じブロンドの髪を一つにまとめ、花柄のワンピースを着た女の子がいた。
「妹のセレスティーヌです」
イレーネが紹介すると、少し緊張した表情で、セレスティーヌは会釈する。
「遅くなりまして、すみませんでした。お待たせしてしまいましたか?」
「いいえ。私たちも、着いたばかりですから。それであの、こちらの方は? 妹さん?」
イレーネが、その大きくぱっちりとした瞳で、エルウィンの陰に隠れるようにして立っていたお嬢さんを見つめた。
「あ、ええと、彼女はですね……」
「少尉の友人の探偵だ」
地面からすこし上のあたりの虚空を凝視したまま、しかし少尉が言い淀んだところをすかさず、お嬢さんが短く答えた。お嬢さんの醸す空気が緊張している。普段は研究所の外へ一歩も出ない彼女が、イレーネとセレスティーヌを前に人見知りしているのをエルウィンは察した。
「探偵さん? こんなにかわいらしいのに?」
イレーネは、驚いたようにセレスティーヌと顔を見合わせる。
エルウィンの胸のあたりまでしか身長のない、小柄で見るからに十代の少女が「探偵」だと言ったら、イレーネでなくても同じ反応をするだろう。
お嬢さんの言葉に納得したような、していないような表情を一瞬浮かべたイレーネは、しかしすぐにいつもの人当たりの良い笑顔になると、
「よろしくお願いしますね」
と、すらっとした手を差し出した。
エルウィンの後ろに隠れるようにしていたお嬢さんも、その青白くか細い手でそっと握手に応じる。そして、まだやや警戒した目でそっとイレーネと目を合わせ、硬いほほえみを返したのだった。




