第三話
翌日木曜日のお昼過ぎ。
エルウィンたちが昼食を済ませたころ、お嬢さんの連絡を受けたマズル警部がやってきた。エルウィンから報告を受けたクリストフ中尉も、今日は一緒に話を聞いている。
「お嬢の予想通りです」
マズル警部は、中折れ帽を脱ぐなり、険しい表情で言った。
「お嬢から連絡を受けた後、昨日一日調べてみました。失踪届の数を数えただけでも、この一、二年における西ソテラノ地区で失踪した少女の数は急激に増えています。失踪届が出されていない人数も含めると、かなりの数になるでしょう」
「例のアパート『バルトハイム』とのつながりは、なにかみつからなかったのか」
お嬢さんの問いに、警部はうなずいた。
「失踪届が出されている少女のなかに、バルトハイムに入居していたという少女が何人もいた。それに西ソテラノ警察署に問い合わせたところ、昨年の九月にバルトハイムの一階に住むロシア人の住人から通報も入っている」
「通報? 内容はなんです?」
中尉が尋ねた。
「深夜に隣人の部屋から悲鳴がしたという通報です」
警部が手帳を見ながら答えた。
「ただ通報があったのが翌朝の午前8時頃で、担当の巡査がその後部屋を確認しに行ったところ、部屋は空き部屋となっていたとのことです。管理人の話では、部屋の住人は一週間ほど前に引っ越したそうで、通報したロシア人の少女の話も不明確な部分があったことから結局、通報は住人の気のせいということでその後はとくに捜査も行われていません」
「『幽霊の悲鳴』か……」
お嬢さんが小さくつぶやいた。
「当時通報を受けた巡査とは、明日の10時に西ソテラノ署で直接話を聞くことになっています。シュティフター少尉もいらっしゃいますか」
「はい」
「では、明日10時に、西ソテラノ署で会いましょう」
警部はそう提案すると、荷物をまとめて、署に戻っていった。
「シュティフター少尉」
ラウンドテーブルに広げていた西ソテラノ地区の地図をたたんでいたエルウィンは、クリストフ中尉に呼ばれた。中尉の執務室に来るように、ということらしい。
「お嬢さん、ちょっとここを離れるね」
眉間にしわを寄せたまま、なにかに考えを巡らせているお嬢さんに、エルウィンは一言断ると、中尉の後を追った。
「明日の君の休暇のことですが」
エルウィンが部屋に行くと、中尉は切りだした。
「許可を取り消します。その代わりに、任務を与えます」
「はい」
士官学校を卒業して初めての正式な任務に、エルウィンの気持ちは引き締まる。
「西ソテラノ地区に出張し、バルトハイムについての情報収集を行ってください。警察は、今の時点では事件が起きていませんから、大きく動くことはできないでしょう。その点、我々は『国家の治安を維持する』のが任務ですから、警察よりも行動に多少の自由が利きます。しっかりと情報を集め、冷静に判断し、事件性がある場合には警察と協力して解決にあたってください。私への報告も怠らないこと」
「はい」
それから、とクリストフ中尉は一枚の文書をエルウィンに見せた。それは、エルウィンが初めて目にする、お嬢さんの『外出許可書』だった。
「バルトハイムの調査について、ソルテラン警視庁から正式にSの協力の依頼があり、リーヴェン所長はこの依頼に関わるSの外出を許可しました。よって君は、今回の任務にSを同行させてください」
「彼女をですか?」
エルウィンは思わず聞き返した。確かに、お嬢さんの事件に対する観察眼や推理力は優れているが、なんといっても彼女は軍人が専属で護衛につくほどの『特別被験者』だ。むやみに外に、それも西ソテラノ地区のような繁華街に連れ出すのは危ないのではないか。
エルウィンの心の声を読んだのか、クリストフ中尉は小さくため息をついた。
「リーヴェン所長のご判断について、正直なところ私も全面的に賛成はできません。ただ、Sの能力を可能な限り世の中に役立たせたいというのが、所長のお考えです。Sの行動の決定権は所長にあります。そしてSを守るのが、我々の任務です。もし、Sに危険が迫ったときは、まずSの保護を優先してください。いいですね」
「わかりました」
自分が彼女を守らなければ――と、エルウィンは一層、気を引き締めるのであった。
ここ数年で、ソテラノで一二を争う人の多い街へと成長した西ソテラノ地区の玄関口、『ヴェストタール駅』は、繁華街がある駅にしてはとても古く、そして小さな駅だった。
列車が駅に到着すると、老若男女問わず大勢の人が、まるで列車から吐き出されるようにして、ホームに降りたつ。すかさず紅色の制服を着た駅員が、「押し合わずに、ゆっくり前にお進みください」と声を張り上げ、乗客たちは前の人に続いて、一歩一歩、ゆっくりと進んでいく。
エルウィンは、一緒に降りたお嬢さんとはぐれないように気を付けながら少しずつ進んでいき、列車から降りて五分ほどしたころ、やっとの思いで、三つしかない改札の一つから出ることができたのだった。
「すごい人混みだったね」
エルウィンの言葉に、お嬢さんはぐったりとして、小さくうなずいた。
改札をでた二人は、会社に向かう人たちの群れに混ざりながら、西ソテラノ署に向かって大通りを歩き始めた。舗装されたばかりのきれいな石畳が続く歩道を、二人並んで歩く。ときおり風が吹くと、お嬢さんは被っているつばの広い帽子が飛ばないよう、そっと手で押さえるのだった。
そうして歩いて10分ほどしたころに、西ソテラノ署が見え始めた。入り口で煙草を吸いながら二人を待っていたマズル警部が二人に気づき、こちらに向かって手を挙げた。
「おはようございます。遅くなりまして、すみませんでした」
「ちょうど時間通りですから。ではいきましょう」




