084.その頃ヘルゲ君は
ヘルゲ・リエッキネンが配属されたのは、東から王家直轄領へと迂回するルートを潰すために派遣された部隊だ。
総勢五千、その内の五百をヘルゲは指揮する。
敵はこちらと同数の五千の軍を出してきた。
この辺りには五千の軍の拠点として用いられるだけの城や砦で適切なものが無く、国軍側は野戦可能な平野に陣地を作成し敵軍を待ち構える。
ヘルゲは土木作業をやる気満々であったのだが、命令を受けて周辺地域の索敵を行なうことになった。
五百人の隊を十個に分け、いざ戦になった時、小部隊での移動ができそうな道を片っ端から確認しながら進むと、敵が来た時どこに布陣するつもりかおぼろげながら予想できるようになる。
小隊長の一人がヘルゲに問う。
「どうします? ここらで引いときますか?」
「いや、敵の展開が遅い。なら、行ける所まで行く。ここからは全隊一緒になって動くぞ」
「りょーかいっす」
この時点で既に、ヘルゲの頭には一つの腹案があった。
その考えを補強すべく実際に幾つかの道を自ら通り、敵の斥候が確認されるなりさっさと引き上げてしまう。
「ほう、奇襲とな」
そう言って顎鬚を撫でたのは東部別働隊五千の軍を率いる初老の将軍だ。
彼にヘルゲは自分が調べてきたことと、見つけた迂回路を使えば敵の輜重隊を襲うことができると進言したのだ。
既に反乱軍は丘一つ隔てた向こう側に布陣を終えてある。
これはヘルゲが予想した場所であり、輜重隊の通るルートも食料の保管場所もヘルゲの予想通りであろう。
「食料の保管場所を狙う方が良いのではないか?」
「さすがに重要拠点を攻めるには、この迂回路を使える人員では数が足りません。襲撃を成功させれば、以後そちらに兵を余計に回させることもできるかと」
「ふむ、良かろう。やってみろ。だが敵陣に踏み込んでの作戦だ、引き際は決して見誤るでないぞ」
「はいっ! ありがとうございます!」
ヘルゲ率いる百の騎馬部隊は、日が沈むと早速動き出した。
迂回路を通ったのは昼間のことで、夜これを通るとなると昼間とは全然印象が変わってくる。
だが、一度は通った道でもあり地形は当然変わっていないのだから、充分な注意を払いさえすれば他の兵たちにはできぬ素早い移動が可能である。
最初に通った時、騎馬の通行の邪魔になりそうなものをとっぱらっておいたのも効いているだろう。
皆の先頭を馬で走りながら、ヘルゲの心臓は常に無いほど強く打ち鳴らされていた。
『やっべーーーーーーー!! めっちゃくちゃ緊張してきたーーーーーーー!!』
将軍の前では冷静を装っていたが、こんな風に自分で作戦を立案し上長に申し出て許可をもらって実行に移すなんて、初めてのことなのだ。
ましてやこれが恐らく、東部別働隊の最初の戦になるのだ、下手を打ったりすれば将軍に迷惑をかけるだけでなく軍全体の恥になりかねない。
準備は考えられる限りのものをしてきたはず。
もう何度も何度も繰り返し確認したから間違いない。
輜重隊も一般的には移動させるのは今でいいはず。
反乱軍もカレリア軍であるし、その辺の常識はほとんど一緒なのだから。
そのまま密かに敵軍補給路の側まで向かい、来るであろう輜重隊を待ち構える。
『ここまでして、やっぱり来ませーんとか無しにしてくれよ、頼むぞ頼むぞ頼むぞ頼むぞー』
部下の手前でもあり、顔や態度に出ないようにしながら必死に祈る。
十分が一時間にも感じられる長い長い待ち時間を経て、遂に、輜重隊をその目に捉える。
この時ヘルゲは、嬉しいというより、心底安堵した、といった心持ちであった。
連中、夜道に困らぬよう松明を付けていてくれるのも実に有難い。
しかも思っていたより運んでいる物資の量が多い。
ただでさえ金の無い南部貴族連合だ、これを燃やしてやればその損害は計り知れないだろう。
よし、と既にいきりたっている部下たちを解き放ってやろう、と思って動きかけた瞬間、何かがヘルゲの声を止めた。
外的な何かではない。ヘルゲの内なる何かが、突撃の声を止めたのだ。
これと全く同じ話を、ヘルゲは聞いたことがあった。
幼い頃よりヘルゲは数多の軍人と接する機会があったため、その武勇伝や失敗談を山ほど耳にしてきた。
その中にあった。
予想より多い補給物資という言葉が含まれる話、それも失敗談が。
『待て、待て待て待て待て。考えろ俺。罠? 俺が攻めるのがバレてた? いや、ありえない。なら、なんだ? もとより待ち構えてた? ああっ! ありえる! そうだよ! 何せ布陣が遅かったんだから、こっちが間道を調べてるって可能性に思い至れる!』
目を凝らし、輜重隊の様子をじっと見つめる。
松明のおかげで、兵士たちの表情もなんとか見える。
じっとこれを観察していると、居た。見つけた。馬鹿が、居た。
荷馬車の中身に向かって声をかけている馬鹿が居た。
しかもその後ふつーに怒られている。
『あ、あ、あ、あっぶねええええええええ!! 洒落になんねえぞ畜生! なんなんだよ闘技場といいこれといい! 俺の初めてって奴はどうしていっつもこう素直に行ってくれねえかな!』
だが、ここで天啓のように一つの考えが閃く。
そのためには今ここで危ない橋を渡る必要がある。
ヘルゲは隊の小隊長を集め事情を説明し、そして、準備を整えると合図と共に輜重隊へと襲い掛かった。
騎馬である程度の距離まで迫ると馬を止め、ヘルゲたちは弓を構えて輜重隊に向かって射掛け始める。
こっちは闇の中でもあちらには松明という目印がある。
牽制程度に考えていたのだが、敵にそれなりの犠牲者を出すことに成功する。
が、当然敵も動く。
槍と盾を手にした歩兵達が荷馬車の中から飛び降りてきたのだ。
ヘルゲはわざとらしくないよう気をつけながら叫ぶ。
「はあ!? なんだそりゃ!」
部下たちも乗ってきてくれた。
「おいおいどうなってんだ! 最近の麦は武器持って襲ってくるってか!?」
「馬鹿! 敵だ待ち伏せだっての!」
「おいおいおいおい、すっげぇ数いんじゃねえか!」
泡食った顔でヘルゲは馬首を翻す。
「退却! 引け! 逃げるぞばっきゃろー!」
その背に敵兵より笑い声が投げかけられるが、被害はそれぐらいのもので、ヘルゲたちは一目散に陣へと逃げ帰ったのであった。
「もう一度、出ていいですか?」
至極真顔のままで、ヘルゲは将軍にそう問うた。
今度は将軍と二人で、ではなく他の隊長も居る場所でヘルゲは言ったのだ。
ヘルゲ・リエッキネンという名前を悪し様に言う馬鹿はここには居ないが、奇襲を申し出て失敗して帰ってきた、という話は皆に広まっていたので、ヘルゲのこの発言に他隊長たちは皆眉をひそめる。
一人将軍のみが表情を変えず。
「ふむ、勝算はあるのか?」
「はい、実は……」
敵の罠を見抜いた時、ああした荷馬車の中に兵を詰め込むなんて運び方を、いつまでもしてられるものではない、とヘルゲには思えたのだ。
ではいつまで、となればこちらが奇襲し、失敗した時であろうと。
本来ならば手を出しすらせず引き上げるところをわざわざちょっかいを出したのは、こちらが奇襲に失敗し、輜重隊を襲うことに懲りたと思わせるためであった。
そして次の奇襲は決戦が迫る正に今。
無駄に兵力を割いている余裕が無い今こそが、敵輜重隊を襲う絶好の機会であるとヘルゲは告げる。
他隊長の反応は、話はわかるが一度失敗したのを取り繕おうとしているのでは、といった不審顔である。
将軍はやはり表情を変えぬまま言った。
「わかった。だがこれが最後だ、いいな」
「はいっ!」
将軍は顔のほころぶがままに、手紙を書き記す。
将軍もまた国軍の生ける伝説、ドーグラス・リエッキネン元帥を尊敬する者の一人だ。
そして彼が、孫のヘルゲを溺愛していることもよく知っている。
だがもちろん、軍務においてヘルゲを贔屓するようなことは無い。
それは元帥にも固く言い含められていることだし、将軍自身もそんな腑抜けた真似をするつもりはハナからない。
意識して公平であろうとしていたのだが、他の隊長たちに先んじて作戦を考えてきたのはヘルゲであった。
それも充分成功を見込める作戦だ。
ドーグラス元帥のことを考え、一言余計なことを言ってしまってはいたが、それ以外は他の隊長たちと変わらぬ扱いで出兵を許した。
そして帰ってきた時が一番の驚きであった。
まるで抜け駆けのように、一番槍とばかりに出兵しておきながら、ロクに戦いもせぬまま逃げてきたというのだ。
罠を見破るその観察力は本当に素晴らしい。
だが、将軍が最も驚いたのは、自ら立案した作戦でありながら、危険とわかるや躊躇いも無く捨て去って、名誉などというものに拘らぬ最も被害の少ない方法で帰ってきたことだ。
若い指揮官はとかく、そういった名誉や武勲に踊らされがちであるが、このヘルゲ・リエッキネンという男はそんなものにはまるで動じず、作戦開始直前まで敵の観察を忘れず、その僅かな違和感を汲み取って敵の待ち伏せを見抜いてみせたのだ。
恐るべき冷静さ、或いは強き精神力の為せる技か。
確か部隊長として本格的に動いたのはこれが初めてだったはずだ。
血筋とは恐ろしいものよ、と将軍はしみじみ思ったものだ。
しかもこの罠を逆用して敵を陥れようというのだから恐れ入る。
他隊長たちの白眼視にも気付いていように、平然と二度目の出撃を申し出てくる胆力も素晴らしい。
軍人が戦うに際し心に留めるべきは、武勲や名誉ではなく、敵と勝利であろう。
武勲も名誉も、為すべきを為して初めてついてくるものだ。そうでなくてはいけない。
ドーグラス元帥への報告の手紙、その最後を残して書き終えた将軍は、報告を楽しみに待つ。
そろそろ、戻ってきてもいい頃合だろう。
天幕の外から、兵士の声が聞こえた。
「将軍! ヘルゲ隊長が戻られました! 輜重隊の襲撃に成功! 運搬中の物資全ての焼却に成功したそうです!」
うんうん、と頷いた将軍は、最後の一文を付け加えると、これを持って天幕の外へと向かった。




