079.仮病が許される学生時代に戻りたい
「……前言撤回」
「どうされました殿下?」
馬に乗ったままイェルケルが溢した言葉に、隣のアイリが反応する。
何でもない、と返してイェルケルは周囲を見渡す。
この場に集合した多数の兵士たちは皆、不安げな表情をしている。
それはそうだろう。
五千で篭城すれば一万が相手であろうとそう容易く敗れることも無いだろうに、わざわざこちらから出向いて戦おうというのだから。
ハハリ将軍と参謀たちの作戦に従い、イェルケルたち第十五騎士団含む全軍五千は、砦を出て一万の敵軍を迎撃することになった。
もちろんイェルケルは強硬に反対した。
元々ハハリ将軍に割り当てられた兵士は三千にも満たず、このままであったなら篭城とはいえ一万を相手にしては抜かれる可能性もあっただろう。
それをハハリ将軍が私費を投じてまで五千の兵を揃えたことで、敵の思わぬ多勢にも充分役目を果たせる目算が立ったのだ。
正に輜重隊出身将軍の面目躍如であろう、手柄としては申し分無いものだと思われる。
唯一の問題は糧食だが、援軍が来るまで耐えるということならばこれでも間に合う計算だ。
篭城すれば、勝てるのだ。
なのにハハリ将軍は攻めると言う。
参謀たちも、初日こそ篭城を主張する者も多かったのだが、翌日からは皆ころっと態度を変え出兵論を唱えるようになり、結局反対者はイェルケル一人になってしまった。
こうなっては客将扱いのイェルケルにはいかんともしがたい。
せめて三千を城に残すようイェルケルはハハリ将軍に頼んだのだが、兵力の逐次投入云々と断られてしまった。
『勝つ負ける以前に、このままじゃ最低限の任務すら果たせないだろーがー』
そしてもちろんイェルケルたち第十五騎士団は先鋒に位置し、その突破力が戦の趨勢を決めるような話になってしまっている。
『突破するだけならそれほど難しくない。兵士たちを引き連れて突破するのが難しいんだって!』
自分の今までの戦いを振り返って、後ろに普通の兵士を連れてたらどうなったかを考える。
間違いなく死んでる。
八方を敵に囲まれた状況では守ってる余裕なんて無い。
スティナとアイリは二人で意識を失ったイェルケルを守り通したが、後で聞いたところによると、途中からはイェルケルは死んだものとしてそちらにはほとんど攻撃はしてこなかったらしい。
『あれ? 兵士連れて戦った方が不利って何かおかしくないか? もしかしたら兵士たちを率いた戦い方をきちんとすれば、もっと上手くやれるのか?』
イェルケルが三騎士皆に集まるように言うと、馬体を並べるように四人が寄り添う。
「なあ、兵士率いて敵中突破って、どうすればいいんだ?」
「うわ、王子もそれ、知らないんだ。騎士学校で、教わったのじゃマズイ?」
「アレって馬が敵の体を踏んで足をくじくって部分を完全に無視してるだろ。運頼りになるぞ」
「避ければよろしいのでは?」
「そーいうことできるのはアイリとスティナだけだっ!」
「殿下もできますよ、きっと。レアは微妙だけど」
「うー。私が馬苦手なのは、背が低くて、前が見えきらないせい。決して実力じゃないっ」
ああでもないこうでもないと言い合って、早く進みすぎない、後ろにできるだけ敵を流さない、密集しすぎてる敵には突っ込まない、の三点に注意しようということでまとまった。
「何か色々と雑だよなぁ」
そんなぼやきも出ようもので。
もう出陣だというのにイェルケルは、心の準備も整っていない。
具体的に一万の敵と戦うということがどういうことか、想像することができないのだ。
出陣までもやたらばたばたしていたし、何より勝てる勝てると言っている将軍の言葉をまるで信じられないのだ。
夜間の奇襲だが、五千もの兵が動いて敵に気取られないわけがない。
イェルケルは彼女たちにだけ聞こえる声で言う。
「今回は不穏な要素が多すぎる。いいか、最悪、砦の保持には拘らない。私たち四人がバラけないことと、四人が生き残ることを最優先に動くぞ」
三人は真剣な顔で頷く。
皆何度も戦を潜り抜けてきた猛者であるが、ハハリ将軍が言うように余裕があるとはとても思えない。
三人でどうにかこうにか三千と戦えたのだ。
あれはもう一度やれと言われても、無理だと即答するぐらいキツかった。
それが今回は三倍以上だ。
初めての環境が多すぎて、先でどう転ぶか予想がつかない。
出陣直前、イェルケルは本陣となるハハリ将軍のもとへと呼び出される。
今更確認すべきことなど無かったはず、とイェルケルは警戒心を大いに刺激されている。
既に将軍の信用は地に落ちきっているようだ。
その将軍は戦の前とはとても思えぬ弛緩した笑顔でイェルケルを迎えた。
「おおっ! イェルケル殿下! 実はですな、殿下の所との連携を密にすべしとのことで、そちらに一人置かせていただこうと思いまして」
「連携? もしかして伝令ですか? いえ、それは既に共に行く騎馬隊にいますから……」
「いえいえ、我等本陣との意思疎通が円滑にできるよう、我等の参謀から一人そちらにお付けしましょう。こちらの作戦を全て把握している者ですので、判断にお困りの時はこの者をお頼りくださいませ」
「さ、参謀? その参謀殿は剣術や馬術は、どうなのですか? 私たちについてくるということですと、その、それなりに、できる者でないと」
「無論! 軍務についている貴族ですからな! 殿下ほどの剛勇の方には物足りぬかもしれませぬが、当然の嗜みは身に付けておりますぞ!」
「あの、嗜み程度だときっと、その方死んでしまうのですが……」
ハハリ将軍の側の参謀が何やら耳打ちすると、将軍は軽く手を振って話を切り上げる合図を出してくる。
「おっと、申し訳ありません殿下。そろそろ動き始めねばなりませんので、後のことはその参謀にお聞きください」
「あ、え、ちょっと……」
将軍と参謀が一斉に動き出し、気が付けばぽつんとイェルケルだけが取り残されていた。
あまりの手際の良さに文句を言う暇すらなかった。
だが、このままでは無駄に人死にが出ると思い、気を取り直して将軍を追おうとしたイェルケルに、一人の青年貴族が話しかけてきた。
「どうも、イェルケル殿下。何度かお目にはかかりましたが自己紹介は初めてでしたな、殿下の参謀役を仰せつかったサロモ・ウッパでございます。この度は殿下のような武勇優れた方とご一緒できると聞き、楽しみにしておりましたよ」
第十五騎士団の参謀を決める権限などハハリには無いはずなのだが、サロモは当たり前の顔をしてそんなことを言う。
イェルケルは申し訳無さそうに彼に言った。
「貴方が。その、将軍にお話があるのですが……」
「将軍は出陣前故ご多忙でございます、もし知りたいことがあるというのでしたらこの私が聞きましょう。何、此度の作戦のため必要な情報全ては我が頭脳の内に収められております故」
「は、はあ。サロモ殿は私たちと共に来る、ということですよね。それですと、こう、どう贔屓目に見ましても、サロモ殿では生き残れないと思うのですが……」
「ははははは、心配ご無用。このサロモ・ウッパ、殿下たちには及ばざれど、剣術には少々うるさい方でしてな。自分の身を守る程度ならそこが最前線であろうと容易いこと。それに、少し厳しいことを言わせていただきたい」
「はあ」
「参謀は軍の頭脳でありますれば、刃と盾はこれを守る任を負うものですぞ。まあ、そこは百戦錬磨の第十五騎士団とイェルケル殿下ですから、私は心配なぞしてはおりませぬがな」
「そ、そうはおっしゃいますが、さすがに乱戦となってしまったら、守るも何も、すぐに姿を見失ってしまうでしょうし……」
「殿下。先の軍議の時もそうでしたが、ただただ否定意見を述べるのみでは不平不満を愚痴る兵士たちとなんら変わりませぬ。我ら貴族は常に、ではどうするかを提示せねばならぬのです」
「はい、ですからサロモ殿には本陣にてお働きいただいて……」
「殿下! これは将軍よりの命令なのですぞ! その意味をよくご理解いただきたい! 此度の戦の趨勢は一重に殿下の突撃にかかっております! それを少しでもお助けしようと将軍は特にとのことで他ならぬこの私を殿下に配したのです! 将軍の格別のご配慮を如何にお考えか!」
「ハハリ将軍、やはり敵数一万ではいかな第十五騎士団とて……」
そう言って不安気な顔をする参謀の一人を、ハハリ将軍は強く叱咤する。
「馬鹿者! そのような弱気で戦に勝てるものか! いいか、戦で機を掴むのは至難の業だ。だが、あの連中の馬鹿げた武力ならば確実にその流れを掴み取ることができるのだ! ドーグラス突撃を思い出すがいい! 機を掴んだ突撃の圧倒的破壊力を考えればたかだか二倍程度恐るるに足らぬわ!」
それに今回の戦に関してはもうずっと何度も作戦の精査を重ねてきたのだ。
多少敵数が増えたとて充分対応できるはず、という考えは参謀皆にあった。
「一番の不安要素である第十五騎士団にはサロモを送り込み、馬鹿な真似をしそうになったら止めさせれば良い」
「言うことを聞きますか?」
「ふふ、どれほど武名を鳴らそうと、ウッパ家の者の言をそう無下にはできまいて。まあ首輪を付けられるようなものだ、嫌がって逃げようとするかもしれんが、そこは出陣直前にでも申し付けて文句を言う暇を奪ってやればいい」
「そう、ですな。それにサロモの弁舌ならば上手く連中を御することもできましょう。いや、納得いたしました。これならば私からはもう言うことはございませぬ」
「うむうむ。ここで野戦の勝利を得るのは絶対条件だ。ドーグラス元帥の容態を考えれば、この戦の後、次代の元帥争いは激化するだろう。ふん、皆目の色を変えて手柄に執着しておるが、ほぼ同格の手柄さえあれば、戦の無い場所での争いで私が後れを取るはずもない。後継は決まったなんて顔をして油断している間抜けの横っ面を張り飛ばしてくれる。勝つのは、この私だ」
「スマン、口では全く勝てる気がしないんだ……」
そう言って第十五騎士団の三騎士に謝るイェルケル。
もちろん謝罪の理由は、サロモ・ウッパを断れなかったことだ。
レアはとても嫌そうな顔をしていたが、スティナはそれほど気にはしていないようだ。
「構わないんじゃないですか? 戦が始まったらどうせ連中の言うことなんて聞く気ないですし。それに国軍で育った参謀からまっとうな助言がもらえるというのであれば、それはそれで有難いですしね」
アイリは張り付いたような無表情。
「……とても嫌なものを思い出しました。サロモなる者のあの話し方、どこかで聞いたと思ったらアレ、ケネト子爵が猫撫で声で擦り寄ってくる時の話し方そっくりですぞ」
あ、とイェルケルもぽんと手を叩く。
レアは少し投げやり気味に言った。
「ならちょうどいい。アレ、偉そうに色々言ってるけど、どうせついてこられない。アイリは、その時アレが、どんな顔するかでも、楽しみにしてたらどう?」
「私にそういう趣味は無い。その手の悪趣味はスティナの領分だ」
「おいこらそこで何故私に振る」
いつもどおりの三人に少し心安らいだイェルケルだが、自分の心が浮ついたものである自覚はあった。
味方の不安要素が尽きることなく積み上げられていき、敵に関しては何故一万なんて大軍が来たのかすら不明のままで戦いに赴かなければならない。
だが、状況は進んでいってしまう。
あれよという間に、出陣が始まり、夜陰に乗じて移動をはじめ、先発隊であるイェルケルと五百の騎馬が森の中に隠れ潜む。
暗くて敵が全く見えない。
この木々を抜けた先に、一万というイェルケルが見たことも無い大軍が居るはずなのだが、幾つかの篝火のみが見えるだけで、あの火と火の間に大量の兵士がいるなんて信じられない静けさだ。
イェルケルはとても妙な気分であった。
今から戦が始まるなんてまるで信じられない。
付き従っている騎馬兵の顔つきがとんでもなく殺気立っているのを見て、何を怒っているんだと不思議に思える。
イェルケルの隣に来たサロモが、突撃を開始した後はどう動け、何をするな、敵はどれだけ倒せ、などと色々言ってくるが、全部頭に残らない。
サロモを無視して、イェルケルはスティナに小声で問う。
「なあ、なんか戦が始まるって感じ、全然しないんだけどさ。これ今から帰っちゃまずいかな? 今行っても戦える気しないんだよな」
スティナは目を丸くした後、声を出してしまわぬよう手で口を押さえながら必死に笑いを堪えだした。
「で、でんかっ、いきなり、なにっ、言い出すんですかっ。殿下、知ってるでしょっ、私、笑い上戸の気があるって。今、笑うのさすがにっ、まずいっ、ですっ」
そしてこちらは声が聞こえる距離まで近寄ってきていた、爽やかな笑みを見せているアイリだ。
「心ここにあらずといった顔をしておりましたが、やはりその気になっておりませんでしたか。他人に全て段取りされている戦は好みませぬか?」
「それ、かなぁ。うーむ、何が原因か自分でもわかっていないんだ。本当に、変な感じなんだ。現実味が無いというか、他人事みたいというか……」
「確かに、よくわからぬことになっておりますな。今回は味方も敵も面倒ばかりですから、変に考え過ぎなのでは?」
そうそう、と頷いているのはレアだ。
「そこのサロモっての、なかなか良いことを言った。突撃後はソレの言う通り、左に折れて丘の上に向かおう。あそこなら、敵の動きも見えやすい。考えるのはそれだけで、いいんじゃないかな」
イェルケル以外の三人は結構やる気になっているようだ。
それでようやく多少なりと安心できたイェルケルは、よしっ、と気合を入れなおす。
「じゃあそろそろ行くか。ん? サロモ殿?」
あまりと言えばあまりな会話に、サロモは絶句したままである。
反応が無いので仕方が無く、騎馬隊の隊長に手で合図を送る。
彼もまた、準備よろしの合図を送り返してきた。
イェルケルは、では、とまるで気負った風もなく馬に駆けろの合図を送る。
これに即座に反応できたのは第十五騎士団の三騎士のみで、騎馬隊及びサロモは、闇に消えていったイェルケルに驚き、慌ててこの後を追うのだった。




