050.王都の方々
王城の中にある宰相専用の執務室。
ここでは宰相アンセルミが毎日重要な国事の裁定を行っている。
現在、病気療養中の王に代わり、カレリアの最高権力者となっているアンセルミ第二王子は、両腕で頭を抱えて机に蹲っていた。
「何という事だ、何という事だ……」
アンセルミ宰相の側近であり、優秀なブレーンでもある五人の補佐官は、呆けている宰相を放置で対策の相談に余念が無い。
驚くべき事だ。
第十五騎士団はたった四人のみで、アルハンゲリスク東部国境の要であるビボルグ砦を攻略し、更に東部交易の中心であるロシノに攻め入り東部一帯を預かる将軍とこの街の太守を正々堂々、戦にて殺して見せたのだ。
その前にあった報告が、アルハンゲリスクはビボルグ砦より襲撃を受け、村が焼かれたという話であったから、そこからどうしてロシノを攻めるなんて話になったものか。
例によって例のごとく、イェルケルよりは詳細な状況説明が送られて来た。
補佐官の五人はこれまで二度の実績から、イェルケルの報告はそれが如何に信じられぬ馬鹿げたものであろうとも、彼があった事を正確にこちらに伝えようとした結果である、と考えるようになった。
一番最初、イェルケルの名が世に知れたサルナーレの戦いの時の報告は、その後調査が進めば進む程、イェルケルの報告の正しさが際立っていった。
自身の手柄を誇張する、自身の過失を隠そうとする、そういった思考とは無縁の男であるのだ。
報告には何処までも正確さと簡素さを要求するそのスタイルは、まったくもって貴族らしからぬ、軍人のそれだ。
正しい情報が如何に大切かを体の芯まで叩き込まれている証であろう。
こうした傾向は、騎士学校の卒業生に多く見られるものだ。
アンセルミ宰相がまだ宰相職に就くずっと前。
成人すら済ませていない頃に、騎士学校設立構想は生み出された。
元々は国王直轄領の増加により、これらを管理する代官が不足して来た事に端を発する。
基本的にこういった役職は貴族が担うものであるが、貴族の教育も家毎に全てばらばらで、出来る者と出来ぬ者の差が著しかった。
そこで当時の宰相が文官を教育する機関の設立を訴えたのだが、貴族達の反応は芳しく無かった。
自家の教育に口を出される事を皆が嫌がったのだ。
そこで出てきたのがアンセルミだ。
当時まだ十歳と少し程度だったアンセルミは既に、今後必要とされる文官が増大すると読んでいた。
中央集権。
国王に権力を集中する統治の仕方は、大多数の貴族には受け入れられないものであろうが、昨今厳しくなっていく国際情勢の中、カレリアが生き残るにはこの道しかないとアンセルミは考えていた。
今はただ単純に国王が、他の貴族が力をつけ我が身が脅かされるのを恐れるが故に、それと気付かれぬよう貴族達の勢力を削ぐ事に執心しているだけだ。
だがいずれ、もっと大きな形でそれを為さねばならない、とアンセルミは考えていた。
そして中央集権が進めば進む程、国王直属の官が必要になるだろうと。
それはきっと、文官に限らないだろうとも。
アンセルミは時の宰相に、文官育成学校ではなく、騎士育成学校としてはどうか、と持ちかけた。
どこの家も、次男、三男、などが居る家はその処遇に困っている。
そうした者達が軍務について身を立てようとする事は以前からあったのだが、貴族の身分に相応しい働きは、そうした教育を受けていないのだから難しかったし、そのような未熟者が騎士の位につく事もまた難しかった。
騎士学校では軍務や武術のみならず、文官としての仕事や貴族の礼儀作法なども教えてやる事にすれば、騎士に相応しい人材も育成出来るだろうし、騎士になる道が学校の先にあるとなれば、子供を余らせている家はこぞって学校を利用しようとするだろう、と。
当初宰相が考えていた文官学校とは比べ物にならない大規模なものであり、宰相は難色を示したものだが、アンセルミが王家が力を付ける為の施策であると国王に説明すると、王はこのような幼い息子がこんなにも素晴らしい考えが出来るとは、とその類まれな才を喜び、騎士学校の設立許可を出したのだ。
この時、次男であるアンセルミが幼年の内よりこのような大きな仕事に携わってしまった事が、後に長男ウルマスとの対立を生み出す事になるのだが、当時のアンセルミにはまだ、そこまで考えは至らなかった。
こうした流れで出来た騎士学校である為、その教育理念にはアンセルミと当時の宰相の思想が色濃く反映されている。
アンセルミは騎士学校に、文武に優れた人材育成と彼等が貴族としての独り立ちではなく官吏として王家に仕える事を望む。
宰相は非効率的な作業を何より嫌っていて、文官であろうとも軍人がそうするような毅然とした規律と、効率的な問題解決手法の模索を要求した。
そういった背景により騎士学校卒業生には、軍人が上司に報告する時のような、貴族らしからぬ簡素で正確な報告をする者が多いのだ。
もちろん、貴族臭を好む人間は騎士学校卒業生であろうと貴族らしい表現を行うのだが。
イェルケルによる、判断に困る報告書はこれで三度目だ。
だが、サルナーレの時も、アジルバの時も、後から調べれば調べる程その報告が正確であった事がわかった。
それは、三度目の報告の信頼性を高める事になる。
補佐官達は、裏を取るのは当然忘れないながらも、イェルケルの報告はまずそれが真実である、という前提の元考えを組み立てるようになっていた。
それでも、ヒドイ話に違いは無いのだが。
アルハンゲリスクの出方を想定し、それぞれへの対策を考え、必要な備えを準備する。
一通りの対策をまとめ終えた彼等は、最後に最大の難問に関して、まずは主の意向を確認しようとした。
ヴァリオが彼等を代表してアンセルミに問う。
「で、イェルケル殿下はどうします?」
「どーもこーもなかろーが。アレを処断する事は出来ん。かといって放置も出来ん。後もう一つ、国境近くには絶対に置くなが加わったな。元帥が居ようが何だろうが他に場所は無い、王都に呼ぶぞ」
「ですなぁ。しかし、王都で何をさせます?」
「元帥と和解」
「はっはっはっはっは」
「……うわ、何だそのムカツク笑い。休暇を取れと言って、普通に取ってくれると思うか?」
「休暇中に敵を殺しに行くんじゃないですかね」
「アイツ等さ、いっそ殺してもいい敵を目の前にぶら下げておけば、大人しくしてくれるんじゃないかな」
アンセルミのそんな発言に、側近の一人が口を出してきた。
「宰相閣下。もしよろしければ、今私の所で担当しております『赤い刃』捜査に、イェルケル殿下のご協力が得られればと思いますが」
怪訝そうなアンセルミ。と、感心したような顔のヴァリオ。
「『赤い刃』は昔から貴族と繋がりがある扱いがかなり難しい案件だと思ったが。イェルケル達には向いておらんのでは?」
「いえ、報告書の各所にあった配下騎士達の潜入捜査は、それが真実であるのならかなり高度なものと言えるでしょう。役場や侯爵家の屋敷に忍び込んで情報収集なぞ、ウチの連中でも無理です」
「そう、か。そうだな。連中ならもしもの時も自力で突破して来るだろうし……ふむ、案外に良い手かもしれん。お前の所で使えるとなれば、一気に出来る事は増えてくれる」
「はい。専門では無さそうなので、まずは適性を見るといった所から始める事になりますが」
「ああ、その辺は任せる。よし、しばらく第十五騎士団は諜報部に預けるとしようか」
ヴァリオは最後に不吉な言葉を付け加えた。
「直属の上司が出来る事になりますな。……指示に従うでしょうか」
「くそう! どーしてお前は何時も嫌な事ばかり思いつくんだ! そこで揉めたら素直に引き下がれよ! 上司の人選は特に注意しろ! 後私からの命令書を片時も手放すなと言っておけ!」
ヘルゲ・リエッキネン。カレリア王国で将来を期待されている若手貴族の一人だ。
カレリアでアンセルミ宰相と双璧を為す権力者、ドーグラス元帥お気に入りの孫でもある。
ドーグラス元帥は武人に相応しい厳しさを持つ老人であるが、孫だけは別のようで、ヘルゲが幼少の頃より部下達にはとても見せられぬような様で可愛がっていた。
またそのヘルゲであるが、彼には剣術の才能があった。同い年ではほとんど相手にならず、ヘルゲは幼い頃よりずっと年上の者を相手に稽古を重ねて来た。
ドーグラス元帥はカレリアで最も有名な将軍でもあったので、ヘルゲは幼い頃から様々な将や兵を見る機会に恵まれた。
また時に彼等はドーグラス元帥への恩返しとばかりにヘルゲを鍛えていってくれた。
そうした繋がりから様々な情報を得たヘルゲは、自身が若手の中では最も強いと確信するようになる。
実際、彼に勝る剣士なぞ、滅多にお目にかかれなかった。
だが、ヘルゲは騎士学校に入学するなり、その男と出会ってしまった。
王子なぞ、上の数人を除けばどれも屑しか居ない。
貴族達の間ではそんな共通認識があった。
なのでヘルゲは同級生として入学してきた王子イェルケルを全く警戒していなかった。
だがそのイェルケルは、ヘルゲが見た事もない強大な剣士であったのだ。
騎士学校の教官を含めてすら彼に勝てるのは、カレリア最強との呼び名も高いダレンス教官ぐらいのものであった。
ヘルゲには才能があった。それは間違いない。
だが、ヘルゲはそれに慢心する事無く、数多の優れた剣士に教えを受け、自らの剣を磨き上げてきたと自負していた。
それでも、ヘルゲはイェルケルの足元にも及ばなかった。
彼が手を抜いていてさえ、ヘルゲはその切っ先を捉える事すら出来なかったのだ。
こうしてイェルケルは、ヘルゲの騎士学校在学中最大の敵となった。
ヘルゲは剣以外の科目でも彼に戦いを挑んだが、そのほとんどで敗北した。
偶に一部で勝る事はあったが、ヘルゲが最も力を入れている剣術では絶対に勝てなかった。
理解出来なかった。
ヘルゲが強いのは元帥という素晴らしい祖父が居てくれて、彼が何かにつけヘルゲに配慮してくれているからだとヘルゲは考えていた。
だが、イェルケルはそんな後ろ盾も何も無く、教えてくれる有名な教師も無く、それでも信じられぬ程に強いのだ。
ヘルゲの努力も才能も、他でもないダレンス教官が認めてくれていた。
イェルケルという例外を除けば、ヘルゲはここ数年見て来た生徒の中でもとびっきりの剣士であると。
そう、ダレンスもまた、ヘルゲはイェルケルには決して勝てぬと言って来た。
彼は、剣において真剣に訊ねた問いならば、貴族らしい虚飾を取り払って真実を語ってくれるのだ。
強烈な嫉妬をイェルケルを見る度ヘルゲは感じる事になったが、ヘルゲがイェルケルを生かしておけぬと考えたのはこれとは別の理由だ。
元帥の元に集まる貴族達から話を聞いたヘルゲは、宰相閣下を中心とした王家に権威と権力を集中させようとする勢力と、これに対抗せんとする貴族達の勢力がある事を知った。
元帥は宰相閣下の朋友である。
それは元帥が王家の軍である国軍の最高責任者であるという立場から来ているものだ。
ただ、リエッキネン家としての立場で言うのなら、ヘルゲは貴族達の派閥に属する。
イェルケルはもちろん王家そのものであり宰相派であろう。
そのイェルケルの危険性に、ヘルゲはカレリアで最も最初に気付いた男だ。
何せまっとうな手段ではこの男を止められないのだ。
イェルケルが本気で暴れれば、数十人の歴戦の兵が相手ですら突破されかねない。
それは、イェルケルが暗殺に動いた時、如何な護衛を連れていようと暗殺を防ぐ事は出来ないという事である。
どれだけ重要人物であろうとも、護衛を常に何十人も連れ歩くなんて事は出来ないのだから。
ヘルゲにとってはこれは見逃す事の出来ない重大な問題であった。
もっともこれをイェルケルに言ったとしても、鍛えて強くなるのが悪いと言われても、と返ってくるだけであろうが。
そんな理由を彼なりの正当性とし、ヘルゲはイェルケルに対抗という名の嫌がらせを続けた。
謎の鋼メンタルで全てを耐え切られたが。
嫌がらせを続ける日々の中でそれなりにだがイェルケルの好みや思考を理解出来る部分も出てきたが、やはり依然としてヘルゲにとってイェルケルは理解の及ばぬ人物であった。
ヘルゲは受け取った手紙を開いて読んだ後、首をかしげてもう一度読み直した。
同席していた取り巻きの一人が怪訝そうな顔で問うて来た。
「どうされました?」
「あー、うん、いや、見間違いかって思って…………ぜんっぜん見間違いじゃねえええええええええ!! なんじゃこりゃああああああああ!!」
「へ、ヘルゲ様?」
「あの馬鹿! 浮気相手に刺されて死んでやがった! しかももう一人も盗賊に殺されただあ!? アホか!? ヴァラーム城じゃ人間がアホになる呪いでも流行ってるのかあああああああ!!」
「お、落ち着いて下さいヘルゲ様」
怒鳴るヘルゲに、これを嗜める取り巻きA。そして、無言のままヘルゲに向かって指二本の間に挟んだ銀貨を差し出す取り巻きB。
「ん? 何だよ?」
「今回は負けを認めましょう。……これから出世してこうって人間が、婚家との関係もあるってのにどうしてこういう馬鹿な真似が出来るのか」
「くそっ、全然嬉しくねえ」
苛立たしげに賭けの勝ち金を受け取るヘルゲ。
彼は死んだ男が、随分前に浮気を止めると言っていた言葉を信用しないに賭けていた。
結局、イェルケルや第十五騎士団の情報収集は失敗である。
取り巻きAがおずおずと意見を述べる。
「想定していたよりずっとイェルケル殿下の帰還は早まりそうです。強者の選定と収集は順調ですが、その、これ以上はより高額な出費を要求されるかと」
「赤い刃ってのはもっと世俗から離れ超然とした集団かと思っていたが、存外俗っぽい連中なのだな、安心したよ。資金はアテがあるから気にするな」
「ありがとうございます。赤い刃は部門によって印象が大きく違うのでしょう。殺しに関しては職人芸の域だそうですよ」
「……その部門は早々に潰しておきたくなるな」
「お止め下さい。アレ等と敵対なんてした日には、二度と安らかな夜は訪れなくなります」
「そういう所が気に食わんと言っているのだ。なあ、イェルケル達が王都に戻って来たら、連中とぶつけられんかな」
「あの方も王都育ちです。王都で生まれ育っておきながら、平然と赤い刃を潰すだのなんだのと口に出来るのは、私はヘルゲ様ぐらいしか知りませんよ」
ヘルゲはぼそっと呟くが、その声が彼らに届く事は無かった。
「……イェルケルなら、俺みたいに口に出すだけじゃなくて本気でやりかねないんだよ」
。




