027.包囲殲滅作戦
レア・マルヤーナはこの規模の軍の行進を初めて見た。
道いっぱいに広がった兵士たち。これがどこまでも通りの彼方まで続くのだ。皆豪壮な鎧に身を固め、誇らしげに槍を抱えている。
千人。そう聞いてはいたが、これが本当に千人なのかとレアは我が目を疑ってしまう。ずらりずらりと並び進む兵士たちの威容は、それが万の軍勢であると言われてもそうかと頷いてしまいそうだ。
役所の前で閲兵式を行う彼ら侯爵軍に、レアはこれから斬り込もうというのだ。
隣にいる大して緊張しているようにも見えないイェルケル王子に、レアは無礼だのなんだのといった思考を完全に忘れて思ったままを口にする。
「あれに斬り込むなんて、絶対に頭がおかしい」
「あー、うん、そうだよな。レアは初めてだし普通そう思うよな」
「殿下たちは二度目だって、本当にアレに突っ込んだの?」
「はっはっは、平野に三千だ。初陣だったせいもあるだろうけど、正直圧迫感はあの時の方がずっとひどかったな」
「信じられない。……ねえ、私は……」
「怖いのは当たり前だ。前よりマシとか言ってるけど、私も物凄く怖い。戦ってそういうものだろ」
「……まあ、いい。確かに、怖いのは認める。でも、私は嬉しい」
「嬉しい?」
「やっと、オホトを殺せる。ずっとずっと、そうしてやりたいと思ってた。今なら、無法でもなく、筋を違えるでもなく、堂々とオホトを斬れる。そのためなら千人が相手だろうと、突っ込んでみせる」
「そうか、だがな、もし目の前に来たら私が斬ってしまうから怒るなよ。さすがに相手を一々選んでいる余裕は無いだろうしな」
「大丈夫。アレ先頭みたいだから、真っ先に私が殺す。後は、あの一族の兵、殺せるだけ殺して果てる」
「おいこら簡単に果ててくれるな。もしこの戦いを生き残れたなら、周りが何を言おうとお前を私の騎士にするつもりなんだぞ」
レアはじーっとイェルケルを見つめる。イェルケルも真顔で見返してやると、レアはイェルケルの前で初めて、柔和な笑みを見せた。
「そう。言葉だけでも、そう言ってもらえると嬉しい」
思わず赤面するイェルケル。今のレアは顔を隠す意図でわざと汚していた汚れを拭ってあり、元の可憐に整った顔を見せている。
アイリの愛らしさとはまた違う可愛さがある。気持ちたれ目気味のレアの顔つきは、おっとりとした落ち着きのある雰囲気を持つ。ただ大人びたというにはまだまだ幼さが残るため、年少の者が頑張って澄ましているように見えてしまう。
そんな子供を愛でる気配を一撃で吹き飛ばしてしまうのが、レアの大きく膨らんだ胸だ。これはある種の背徳感すら漂わせるものであろう。
少し焦っているイェルケルを他所に、レアはぼやくように言う。
「でも、どう考えても、この作戦はおかしい。考えたスティナも、本気で同意したアイリも、認めて実行しちゃう王子も、間違いなく頭おかしい」
「はっはっは、敵を逃がしたくないのなら、包囲殲滅は兵法の基本だろう」
「たった四人で、千人相手に包囲殲滅戦しようって発想は、基本なんてものを考える人間には絶対に思いつかない」
「ウチの騎士団はどうもそういう所らしいんだ。採用基準はコレに付き合えるかどうかなんでね。どうだい? レアはやっていけそう?」
「できればご免願いたいところだけど、多分私、他所では引き取ってもらえない。こんなのでもいい?」
「アイリもスティナも君が良いと言っていた。そして今、私も君を確かめる。アレに喜んで飛び込める戦士なら、千人相手に戦をし生き残れるほどの戦士なら、我が騎士団にこそ相応しいだろう。是非、入団してくれ」
「はい、喜んで」
「……でも、一つだけ先に謝らせてくれ。君より先に私が死んだらごめんな」
いきなりなイェルケルの弱気に、レアは思わず噴き出した。
「良かった。死ぬかもしれないと思っているのは、私だけではなかった」
「スティナやアイリですら危ないんだ。私なんてもーどうなることやらだ。お互い、なんとか生き残ろう」
レアは少し考えてから、ひどく真面目な顔で答えた。
「いや、やっぱりどう考えても死ぬ、私たち揃って」
式典が終わると、行列は役所の前を右に曲がり、ここから東門に向かってまっすぐ伸びる道を進む。
その行く道を遮るように、レアは沿道からふらりと歩み出る。
行列の先頭に対し、レアが出た場所はまだ結構な距離がある。それでも、レアの顔を最前列の者が目視するには十分な距離でもあった。
最前列の兵士たちは皆この無礼な行為に憤慨したが、中でたった一人、驚き、そして恐怖した者がいた。オホト・バルトサールだ。
「お、お前……まさか、俺を……」
兵士たちが怒鳴る声にも構わず、レアは顔を上げにこやかに微笑みかける。兵士たちの怒声はそれだけで収まってしまう。
狼藉者かと思えばとびきり可憐な美少女であったのだ。彼らはその腰に下げた剣ではなく、幼い顔立ちにまるで不釣合いな大きな胸に目を向ける。
レアはこちらからも一歩、二歩、と歩み寄っていく。
「こんにちは、久しぶり、元気だった……違う、かな。ん、どうも、嬉し過ぎて、なんて言っていいのか、わかんない。ねえ、オホト・バルトサール」
レアがオホトの名を呼んだことで、兵士たちは皆オホトの知り合いだったのかと羨ましそうに彼を見る。馬にまたがるオホトは、真っ青な顔をしていた。
「お待たせ、殺しに来たよ」
すらりと剣を抜くレア。兵士たちは誰もがレアの可愛らしさに目を取られ、剣に注視していなかったため反応が遅れる。
「敵襲! 前衛三列横隊にて迎え撃て!」
ただ一人オホトのみレアの色香に惑わされておらず、即座に指示が出せた。兵士たちは皆厳しい訓練を潜り抜けて来たのだ。オホトの怒声に即座に反応する。
皆指示に従って動きながらも、この突発事態にも冷静に対応できたオホトへの信頼を新たにする。
「小さな体に惑わされるな! コイツは俺の倍は強いぞ! 心してかかれ!」
陣を組んだ最前列は、陣形を全く崩さぬまま前進してきた。レアもまた嬉々として迎え撃たんと構えるが、そんなレアの脇を疾風が通り過ぎる。風は抜けざま、レアに言った。
「肩を貸してやる。一気に飛べ」
剣を抜き放ちながら列に斬りかかり、一刀で一人を斬り伏せた後、彼、イェルケルは吼えた。
「第十五騎士団団長イェルケル! これより反乱の徒を殲滅せん!」
すぐにイェルケルが斬った隣の兵士も首を突かれ倒れる。
「私が蹴ったら、王子の肩外れるよ。それでもいい?」
「面白い、やれるものならやってみろ」
イェルケルの剣閃がひらめく度、前衛兵士が鈍い悲鳴と共に倒れていく。
どうやら敵兵の鎧は規格が統一されているらしい。随分と金のあることだ、とイェルケル。兵たち皆が同じ鎧をつけているのは、見た目は良いが攻める側としてはバラバラの方がやりにくい。
最初に斬りやすい場所を見つけたら、後は別の兵もそこばかりを狙えばいいのだ。今回の場合は首元で、ここを突くか斬るのが一番楽だ。
なのでイェルケルに斬られた者は皆首から血を噴き出して死ぬ。一人の例外も無くそうされていく様は、逆にイェルケルが余裕があるためわざとそうしていると敵兵には受け取られ、彼らは恐怖に青ざめる。
後方からオホトの声が聞こえる。これが、レアの目印となった。レアの身長では、相手が馬上とはいえ敵兵が押し寄せてくると、奥がよく見えなくなるのだ。
「行くよ、王子」
「行ってこいレア」
助走を付けて、レアはイェルケルに向かって走る。イェルケルはレアに背を向けたまま。レアは強く大地を蹴り出した。
敵兵より驚きの呻き声が。イェルケルは眼前の敵を斬り倒した後、一瞬、両足を踏ん張り両肩に力を入れる。イェルケルはこの時、右か左か指定しとけば良かった、と考えたが今更である。
イェルケルの右肩に、跳躍したレアの片足が乗る。ほとんど体重を感じない。右肩に力を込め、全身の関節を固定してやる。この間に、徐々に右肩への重さが増していく。
イェルケルの準備が整ってから瞬き二回分程度の時間をあけて、右肩が強く強く蹴りだされた。その凄まじい衝撃にもイェルケルは微動だにしなかったが、内心では悲鳴の嵐である。
『痛い! 痛い! すっごく痛い! やってみろとかごめんちょっと言い過ぎた! この子アイリやスティナぐらい力あるんじゃないのか!? こんな力で蹴飛ばされたら普通どっか取れるぞ! これで速いけど軽い!? アイリの評価どんだけ辛いんだよ!』
そんなイェルケルの心の叫びは空中にあるレアには全く届かず。
『凄い。王子も本当に凄い。私思い切り蹴ったのに、王子まだまだ余裕あった。ああっ、もしかして私、肩外れるなんて、恥ずかしいこと言った? うー、あんなこと、言うんじゃなかった』
そんな動揺がありつつも、レアは空中で蹴り飛ばす姿勢を整える。イェルケルの肩に足を乗せ蹴り出すまでの間にオホトの居場所は確認してある。
ちょうどあれの頭付近に当たるように狙ったのだ。だが、空中でレアは思い直す。このまま首を蹴り折ってはコレに思い知らせたことにはならないのではと。
オホトが驚きに口を開くのが見えた。この横をすり抜けながら鎧の後ろ襟を掴む。レアの飛んでいく勢いに引かれオホトは弾かれるように落馬する。
オホトで減速したおかげか、レアは軽々と着地を決める。ついでに着地直後に右と後ろに居た兵士を順に蹴飛ばしておいた。二人は鎧を着たまま後ろにごろごろと転がっていった。
レアはオホトがこの隙に起き上がっている前提でそちらに顔を向けながら走り寄るが、オホトは金属鎧を着込んだまま落馬したせいで、地面にうずくまったまま咳き込んでいる。
「オホト」
返ってきたのは苦しそうな呻き声。返事は諦め、レアはオホトのわき腹に剣をまっすぐ差し入れる。
帷子で守られているがレアの腕力で無理に剣を押し込めば問題無く千切れる。
きちんと内臓にまで至った感触を確認しながら、レアは剣を抜いた。
「オホトは運が良い。八つ裂きにして、学校に晒してやりたかったんだけど、時間が無い。腹は死ぬまで時間がかかるから、ゆっくり苦しんで死んで。それで私は満足ってことにする」
やはりオホトからの返事は無い。苦痛の呻き声が聞こえるが、特に嬉しいだの気持ち良いだのはなく、むしろオホトの声は聞くだけで不愉快で。それが苦しそうだろうとなんだろうと不快さに代わりは無かった。
ざまあ見ろなんて思いも無いではないが、あれほど殺したいと思っていたのに、いざ殺してみるとあっさりとしすぎていて拍子抜けだ。
こんなことならさっさと空中で蹴り殺しておけば良かった、と思う。いまだに蠢いているオホトにはもう欠片の興味も無い。
お家の跡取りを殺された兵士たちは、激昂しレアへと襲いかかってくる。怒りに任せて突き出してくるだけの槍なんて、レアからすれば弾いてやる価値すらない。
半身になって滑り寄りながら槍をかわしつつ懐に、半身になる動きで剣を外より大きく回し、剣で斬らずに頭部を強く叩くことで、兜の重量もあってその兵士の首がごきりとへし折れる。
やはりこの鎧、首回りが弱いようだ。
二歩、左に踏み出しながら胴を真横より薙ぐ。命中した鎧がひしゃげ、敵兵の脇腹が赤く染まる。鎧が変形したせいで剣が挟まってしまうが、力ずくで引き抜く。
この時、引き抜いた勢いを殺さぬままに逆に薙ぐと、常ならぬ速度が出た剣はまた別の敵兵の腕を断ち脇腹を覆う鎧を深くへこませる。
『鎧の厚みはそこそこ。下手に首を狙うより、こっちのが速い』
レアは強打により手際良く兵士たちを片付けていく。数が圧倒的に多いのだから、レアには素早い処理が求められる。
指揮官を早々に殺せたのだから、兵士たちは動揺し乱れてくれるかと思ったのだが、全くそんな気配はない。レアからは見えない所にいる何かが指揮をとってるらしく兵士達は秩序正しくレアへと押し寄せてくる。
兵士たちの動きが変化した。
そちらから来る、と読んでいた兵士数名の動く音が聞こえない。何か異常かと慌てて目を向けると、騒ぎと、血飛沫と、倒れ込む兵士と、イェルケル王子が見えた。
「レア! 飛ばしすぎだ!」
邪魔する兵を、体の表面をなでるような剣で斬りながらレアの隣に走り込む。すぐにレアとイェルケルはお互い背中合わせに。
「オホトは殺した。後は王子の指示に従う」
「そうか。ならまず一つ目。強く打ちすぎだ。バテないように力を抑えながら戦うんだ」
「手を抜くということ?」
「必要以上に壊すなんて効率の悪いことをするなってことだ。できるだけ少ない力で、楽に倒すよう心がけるんだ。戦場は驚くぐらい消耗が激しいぞ」
「……わかった、やってみる」
二人は同時に飛び出す。それはちょうど、二人の包囲を終えた敵指揮官が突撃の合図を出す直前であった。
両手持ちに剣を握ったイェルケルは、剣先をちょんと当てるような動きで敵兵士の槍を弾きつつ踏み込み、同じく剣先を引っ掛ける距離でその首を薙ぐ。首を覆う帷子が千切れ、首から盛大に出血した兵士はその場に崩れ落ちた。まだ息はあるが、二度と立ち上がることもあるまい。
真横から、槍が突き入れられる。そちらに進もうにも、倒れた兵士が握っている槍が行く手を遮るようにイェルケルの前に伸びる。
無理にこれを押し切ったりはせず、イェルケルは槍をかわしざま、片手で剣を投げ付けた。回転しながら飛んだ剣の刃が、こちらもまた同じように兵士の首に突き立つ。イェルケルはこれを確認もせぬまま、先ほど倒した蹲る兵士の剣を奪い取る。
しゃらん、といった鞘走る音。剣を抜き放つ動きをそのまま斬撃に。ぐるりと体を捻り回しつつ、勢い良く突っ込んできていた兵士の頭頂へ振り下ろす。兜ごと、兵士の頭部は砕けた。
剣が兜にめり込んでしまったので、イェルケルはその兵士の握っていた剣を奪って次の敵へと。
レアは三方から同時に突き出される槍を、走り続けることでその狙いを外させる。とはいえそれだけで全てはかわせない。見える分に関しては当たり前に見て避けるが、見えない分は音で判断しなければならない。槍を突き出す時の強く踏み出す足音を、聞き逃さず動く。
かわすと踏み込むを同時に行い一人を斬る。すぐに更に別の兵士が槍を突き出してくる。もう、攻撃された相手を攻撃し返すのではなく、攻撃を避けつつ一番近くの敵を斬る、といった形になっている。
なのでレアが現在気にかけなければならない敵の数、十四人。この人数の動きを全て頭に描きつつ、攻撃を凌ぎ逆撃を加えるのはレアが思っていた以上にキツイ。
派手な一撃で残る者を怯ませる、といった戦い方ができればもう少しは楽になるのだろうが、イェルケルよりそういった強い動きは止めるよう言われている。
仕方なくレアはかわしかわしかわしかわして斬るを、丁寧に積み重ねることにした。
ありがたいことに、敵にも馬鹿とそうでない者がいて、馬鹿は間合いも何も考えず勢いだけで突っ込んできてくれる。これを、レアは狩っていくのだ。そしてその斬られた者が兵士たちの中で幾ら劣った者であろうとも、仲間が為す術もなく斬られるのを見た兵士はわざわざ派手な動きを見せずとも少しづつ怯えを重ねていってくれるのだ。
レアもイェルケルも最初こそ背中合わせであったが、今ではお互いある程度の距離が開いてしまっている。敵を斬るには踏み込まねばならない以上これはどうしようもない。
だが両者共に、お互いの動きを時折視界に入れるようにはしていた。
レアはイェルケルの動きを見て低く唸る。
『強い。全然隙が見えないし、技も、力も、速さも、全部が凄い。確かにこれは、もしかしたら私より強いかもしれない』
イェルケルもまたレアの動きに驚嘆する。
『強い。かなり抑えてるんだろうけど、速さと正確さが尋常じゃない。おいおいアイリ、この子、私より強いかもしれないぞ』
レアとイェルケルは戦場を駆ける。まるで死の暴風が荒れ狂っているような惨状に恐れおののく兵士たちであったが、彼等はこれが長期戦を考慮して力を抑えた二人であるとは夢にも思わないのである。




