111.シルヴィの不穏な近況
ヤロ・ハーヤネン男爵はもう中年と言ってよい年であったが、領主の座について一年ほどしか経っておらず、まだ周囲にも若造としか見られていない。
それを不満に思うヤロは、どこかでデカイことをしてやろうと機会を窺っていた。
いざという時のための切り札に自信のあるヤロは、南部貴族の蜂起を好機と捉えた。だが、国軍は国軍以外の部隊を活躍させるつもりはないようで、ヤロが苦労して用意した軍は全くといっていいほど出番が無かった。
参陣するにあたって、ヤロの兵は将軍配下であるという形式を取ってあったので国軍扱いしてもらえると思っていたのだが、国軍として訓練しているでもない部隊でありきちんと別枠にされていた。
この時のためにと領民の中でも身体の大きな者を選りすぐり、農作業の合間を縫って訓練を重ねてきたのだ。その苦労が無駄になる、と思うとヤロはどうしても苛立ちを抑えられそうにない。
だが、他騎士団と一緒の場所に並べられて初めてわかったことがある。
ヤロが農民たちにやらせていた訓練なぞ、お遊び程度でしかなかったということだ。歴戦の兵士、或いは弛まぬ訓練を重ねた兵士たちは、ヤロがこれならばと集めた兵士たちよりずっと強そうで、怖そうだった。
ただ、幾人かの騎士団団長や衛兵隊の隊長がヤロに声をかけてくれた。
彼らは口を揃えてシルヴィを見せろと頼んできて、これを認めてやりシルヴィの動きを見ると誰もが感嘆の声を洩らすのだ。
良くぞこれほどの逸材を、あの見事な腕前はお主が鍛えたのか、あれほどの兵はどこを探しても見つかるまい、等々、諸手をあげて皆シルヴィを褒めそやした。
確かにシルヴィはヤロにとっての切り札であった。百人の盗賊に単騎で突っ込みこれを撃退したという、とても人間業とは思えぬことをしでかした常識外れの猛者である。
それでもこうまで他所の騎士団団長たちが気にかけるほどとは思っておらず、ヤロは得意げにシルヴィを自慢した。
そして、ヤロは増長してしまった。ここまで褒められるシルヴィならば、どのような作戦も遂行できようと。
大鷲騎士団の調査を単独で進め、抜け駆けにて自らの兵のみでの攻撃を敢行する。
戦力比を考えればお話にならぬほどで、実はこれに気付いていた幾人かの騎士団団長も、いかなシルヴィとて勝利はありえまい、と見逃されていた。
だが、シルヴィの武は彼ら全ての予想を上回るほどで、五倍の兵力差をたった一人で覆してみせたのだ。
ヤロの喜びようといったらそれはもう凄いもので、シルヴィのみならず、同行した百人の兵士たちにもびっくりするほどの恩賞を取らせていた。
兵士たちはと言うと、報告では怪しまれぬよう言っていなかったが、実はまともに戦ってもいなかったので大層居心地の悪い話であったそうな。
ヤロはこれを足がかりに更なる発言権を、と勢い込んでいたのだが、当然、これで済むはずもない。
単独の抜け駆け、それも領地としてはともかく領主としては新米のヤロがやらかしたとあっては、周囲が黙っているはずもない。
ヤロはそこら中から責められ詰られ脅しすかされることになる。
会う貴族会う貴族皆から嫌味を言われ、時に怒鳴りつけられ、今後の付き合いも考えねばならないだろう、としつこいぐらい脅しつけられ、ヤロは可哀想なぐらい憔悴してしまう。
そこに、待ってましたとばかりに登場したのは騎士団の長を務める男、ユッカ・ヘリスト、大槌のユッカと呼ばれる男だ。
彼はシルヴィを見たいと言った内の一人であり、ヤロの状況を理解し、彼を慰め愚痴を聞いてやる。
そして言うわけだ、今度はヤロが貧乏くじを引けば、皆納得するだろうと。
もちろんヤロの野心を理解しているユッカは甘い餌も忘れない。
貧乏くじではあるが、シルヴィの卓越した武勇さえあればそんな窮地からでも武勲を挙げられるだろうと。そうすれば今度こそ皆ヤロの殊勲を認めざるをえまいと。
ヤロ・ハーヤネン男爵は、ただ利用されただけと見る向きもあろう。
だが、功を焦り手柄を独り占めしたのは彼自身の責であり、結果周囲から責められるのは当たり前のことだ。
そしてその後、こうしたユッカからの申し出を、ヤロは蹴ることもできたのだ。その危険さを理解できるだけの知識もヤロにはあったはずだ。
しかしヤロは、吸い寄せられるようにユッカの手を取ってしまった。むしろ感激しながら、貴方こそ我が師と呼ぶべき方だと。
その時のヤロの頭にあったのは自らがいかに窮地を乗り切るかのみで、シルヴィと百人の兵士たちの生死なぞ欠片も頭に無かったのも、事実であるのだ。
ユッカ・ヘリストは、今回の策を共に練った相棒、衛兵隊隊長カレルヴォ・ヒルヴェラと、作戦の山場を越えられたことで祝杯を挙げていた。
「あのザマを見たかカレルヴォ。シルヴィ・イソラの主だっていうからよ、どれほどの奴かと思やなんだありゃ? 今日びウチの新米だってもうちっとマシだぞ」
「アレがシルヴィ・イソラを見出したというのもどこまで本当のことやら。だが、いいのかユッカ? あの武才は惜しいなんてものではないぞ」
「やめとけやめとけ。見たかシルヴィ・イソラの顔? あそこまで美人だとは正直予想外だったわ。ありゃまずい。腕っ節が強いのもいい、美人なのもいい、だが両方揃ってるのはいけねえ。ありゃいずれどっかの大貴族が取り込むことになる。そんなもん、俺たちが抱えていたらどんなアヤつけられるかわかったもんじゃねえよ」
「大貴族の手の内に入るぐらいなら、死んでくれていた方がマシ、か。こちらの仕事を奪われるのも困るし、敵に回られれば尚のこと、だな」
「そういうこった。あのボンクラの下だってのは運が良い。今のうちに死んでもらうのが世のため人のためってもんだ」
「しかし、あれだな、あれほどの武を使い捨てできるとなれば、相当無茶な作戦も可能だ。年甲斐もなく胸が高鳴るぞ」
「ははははは、お前は戦となりゃいつだってうきうきじゃねえか。ま、敵はあのイジョラ魔法兵団。そいつを国軍無視して俺ら騎士団だけでやっちまおうってんだ、このぐらいの手札は持たせてもらわねえとな」
既に冷や飯食いの他騎士団とも話をつけてある。
一番危険な場所を、ヤロの兵士たちとシルヴィ・イソラに任せられるということで、どこもイジョラ魔法兵団が相手だというのにやる気満々である。
いや、それだけではあるまい。
宰相アンセルミが、遂に新王として即位した。
これに伴い、国軍の権限は更に強化されるだろう。
今回の戦を見ればわかるように、新王は最早騎士団を必要としていない。傭兵団やそれ以外は尚更だ。
戦場を渡り歩く傭兵のような騎士団であるユッカや、戦が無ければ作り出してでも戦うような戦馬鹿、カレルヴォにとっては住み難い国になっていくだろう。
どちらも武勲だけで言うのなら国軍に招かれることもあったのだろうが、片やユッカは騎士団とは名ばかりの略奪暴行を何より好む盗賊紛い、片やカレルヴォは常に戦の最中になければ落ち着かない戦争狂、これでは規律を重んじる国軍でやっていけるはずもない。
他の騎士団らも似たようなもので。
いずれも国軍ではやっていけそうにないはぐれ者、荒くれ者、脛に傷持つ者、そういった連中が集まっているのが今回の騎士団組、騎士軍であるのだ。
この最後とも言える戦で、是が非でも存在価値を示してやらねば、生き残っていくことはできないだろう。
彼らは、反乱を起こした側に与するほど愚かにもなれないが、新王の目指す国で生きていけるほどお行儀良くもなれない、そんなハンパ者たちの集まりであった。
ただ、ハンパ者の集団の中にも、格別な連中もいる。
それが、大槌のユッカ・ヘリストであり、駆け抜ける矢カレルヴォ・ヒルヴェラであるのだ。
いずれも軍の指揮官でありながら、単身の戦闘力の高さを語られる勇者の中の勇者。彼らに付き従う兵士たちも数多の戦場を潜り抜けてきた勇士の集まりだ。他騎士団も多かれ少なかれそうした猛者を抱えた連中である。
ユッカもカレルヴォも、この地に集まった騎士団が力を合わせれば、勝てぬ敵なぞこの世にないと考えていた。
そしてそれは一部の例外を除けば概ね、正しい判断だったのである。尚武の国カレリアの名声を陰ながら支え続けてきたのは、他ならぬ彼らであったのだから。
イェルケルの屋敷は貴族の邸宅としては驚くほどに小さい。王族としてならば尚更だ。
ただ、それでも部屋に余分はあるし、うちの一つを女子部屋として第十五騎士団女衆が着替えやら何やらのため好きに使える部屋とするぐらいの余地はあった。
書類仕事やらもここでこなせるようにしてあるので、三騎士が屋敷に来たときはごく自然にこの部屋を使っている。
スティナがこの部屋で椅子に腰掛け書類に目を通していると、外より戻ったレアが部屋に入ってきた。
「おかえりレア。どう?」
「ただいま。欲しいものは集まったけど、中身は良くはなかった」
椅子に座るレアに、スティナは立ち上がってお茶を入れてやる。ワイン好きの二人ではあるが、ほっと一息をつくのならばお茶がより好ましいものだ。
二人でお茶をいただいて少し落ち着いた後、レアはスティナに報告をはじめる。
「まず、シルヴィの領地。先代が優秀だったみたい。特に手をつけなくても、充分な税収が見込める。ただ、それだけで満足できず、軍もどきを作った。領主はもういい年なはずなんだけど、名誉欲旺盛なよーで」
「シルヴィ手に入れたんなら無理もないけど、それであの大鷲騎士団に挑むってんだから剛毅な話よね。レアが手貸さなきゃさすがに無理だったんじゃない?」
「百の兵が一緒に突っ込んでたら、わからなかった。ただ、そこも問題」
「ん?」
「シルヴィ、兵士に全然向かない。あの百人の兵士が大事すぎて、一緒に行ったら死人が出るって言って一人で突っ込んだ。調べたんだけど、あの百人はシルヴィにとって、もう家族とかそういう扱いみたい。何を考えてるんだか」
「それは領主に言うべきね。シルヴィの家族は?」
「いない。だからこそ、かな。たった一人の死でも、シルヴィは許容できないっぽい。それであの戦場に行くのは、幾らシルヴィでも自殺行為に近い」
今度はスティナの番である。
「こっちはもっとヒドイ話よ。新王陛下はやっぱりこの戦で騎士軍の全滅を望んでる。でも、イジョラ魔法兵団を相手に存在意義を証明できるのなら、居場所を残してやるって。そこに、シルヴィたちも参加することになったわ」
「……イジョラの魔法は、伊達じゃない。魔法兵団は、陣地作って引きこもってるって、聞いたけど?」
「確認したわ」
「だったら最悪。補給は?」
「充分な量と一緒に行軍してた。それにいつまでもカレリア領内で好きにさせるのも外聞が悪い。カレリア側も短期決戦を望んでる」
「せめても、シルヴィにはできるだけ、戦に加わらないよう言っとかないと」
「それも無理。この間の抜け駆けが響いてる。領主はさんざ脅されてシルヴィたちの指揮権は完全に今の騎士軍に持っていかれてる。もちろん騎士軍は磨り潰すのを躊躇しないでしょうね」
うがー、と頭をかきむしるレア。
「今すぐ逃がす。戦が始まったらもう、手が出せなくなる。百人の兵士のその後の生活は、うちの実家で面倒みるって言えば、シルヴィも納得してくれる。と、いいな」
「百人の兵士は領地に家族が残ってるんでしょ? 逃げることに同意してくれるとは思えないわね。いっそその領主殺しちゃえば話は早いかな、とも思ったんだけど、シルヴィが領主のことどう思ってるかが見えてこないのよ。これで恨まれでもしたら馬鹿みたいだし」
「バレなければいい、とは思わないんだ」
「……うまくいけば、身内に迎えたいって相手よ。嘘は絶対につきたくないわ」
にへらっとレアの表情が緩む。
「スティナは基本れいこくひじょーだけど、大事なところはきちんとわかってる。だから、頼れる」
「褒めるんなら全部きちんと褒めなさい。まいったわね、私たちにはあの娘を気にする理由はあるけど、新王陛下たちにはないのよ」
さらっと流したが、基本レアが好意を見せてくれるとそれだけで飛び上がらんばかりに浮かれてしまうスティナだ。同じ小柄でもアイリにはない小動物的愛くるしさがあり、これがもうスティナは可愛らしくてしかたがないのだ。
レアはあまりそうやって可愛がりされるのを好まないのが見ているだけでわかるので、そんなこと思ってないですよ顔をしてはいるものの、ついついレアには甘い対応をしてしまうスティナである。
「友達だから、助けてほしい、って言って手を貸してくれない、かな」
「私達は武勲のおかげで随分と優遇されてるから忘れがちだけど、新王陛下ってその手の贔屓とか絶対しない方よ。カレリア王家に対して全く貢献のないシルヴィのために、先払いで何かしてくれって話は通らないでしょうね」
渋い顔のレアに、スティナは問う。
「無情だと思う?」
「ううん。王としては文句のつけようのない人だと思うし、そういう王であるために、私たちが力を尽くすっていうのが、本来あるべき姿だと思う」
「そうなのよねぇ。王に愚かな王であるよう求めるなんて、殿下の前でとてもじゃないけど口になんてできないわよ。きっとね、サヴェラ男爵あたりに必死になって頼み込めば新王陛下の意向は意向として、うまいことなんとかしてくれるとも思うけど、それはきっと殿下の立場を悪くするわ」
アンセルミ王との友誼を利用して、王の部下に優遇を求めたなんて話が王に伝わったら、その後の王とイェルケルとの付き合い方は大きく変化することだろう。
スティナは自身の基準を示す。
「理不尽な裁定が下されない、ってことで納得しておくべきね。手柄に対する褒賞ではなく、不公平を求めるってことになるときっと、色々とよくない形になっていくと思うわ」
「そういうのに理屈を付けるのは、アイリがうまいから任せよう。私も異論はない。でも、だったら、どうしたもんだろ」
「最悪、私が側についてて、一緒に逃げるって形にすればそれなりに生存率は上がると思うわ」
「なら私も行く。でも、きっと、シルヴィは逃げたがらない」
百人の兵士が問題になってくるのだ。これを伴い敗戦の最中、被害なしで逃走しきるのはまず無理だ。
かといって予め逃がしておくなんて真似も難しい。
戦場でシルヴィたちに与えられる仕事はきっと損耗覚悟の極めて難しい任務であろうし、そもそも百人もの兵士の離脱が許されるはずもない。
暗澹たる気持ちで二人は嘆息する。と、嫌な話をもう一つレアは思い出す。
「ああ、そうだスティナ。ウチの実家絡みの話」
「ん?」
「実家で作ってるワイン。これの納入先商会を、とある貴族が買い取った」
曰く、これまでもレアの父の趣味で細々とやっていたワイン畑だが、レアの褒賞金を得て一気に規模を拡大した。
そしてこのワインを納入していた商会を、突然ある貴族が買い取ったと。
相手貴族はこれを秘密裏に進めているようだったが、レアにしろスティナにしろ、第十五騎士団の調査能力は常識の範疇になく、その諜報の手を逃れるのは至難の業である。
色々と嫌な予感がしながら問うスティナ。
「その貴族の名は?」
「ケネト子爵」
がっくりと肩を落とすスティナ。次から次へと手を打ってくる。
ケネト子爵はアイリとスティナがイェルケルと出会う以前からアイリにご執心で、謀略によりアイリを手に入れようとしていたのだが、これに失敗しアイリがイェルケルやスティナと共に力をつけてくると、あっさりと手の平を返し懐柔に回ったのだ。いや、最早懐柔というより周囲を固めて自分に手を出させない自衛策というべきか。
厄介なんてものではない。これと同格、もしくは一枚上と言われていたアジルバの街で殺したバルトサール侯爵とか、もし生きていたらどうなってしまっていたのやら。
やはり貴族の舞台で戦っては後手に回らざるをえない。恐らくはこれで終わりではあるまい。まだまだ手は打っているだろう。
なりふり構わない本気の貴族の姿は鬱陶しいことこの上ないが、それとは別に、スティナは本気で感心している部分もある。
やると定めればわき目もふらず目指す一点目掛けて飛び込んでいくその勇気、そして各種手管を状況に合わせ使い分けていく繊細な立ち回り。
その腐りきった人となりはそれはそれとして、見事、と称賛を送ってやりたくなる。
もちろん、顔中に出てしまうぐらい嫌がっているレアの前でこれを口にしたりはしないのだが。




