第25話:どうしても見せたい景色がある
二人は並んで歩き出した。
金色の灯が街を彩り、夜風が頬に心地よく触れる。
甘い香りが風に乗って漂い、祭りの屋台ごとに異なる香りが混ざり合う。串焼きや香草を効かせたスープ、揚げ菓子の芳ばしい匂い――ひとつひとつが胸の奥をくすぐり、懐かしくも温かい気持ちを呼び覚ます。
イヴォンヌは、自然と笑い声をあげていた。
小さな射的の屋台でわざと外れを出してアレクシスを笑わせたり、砂糖菓子を分け合ったり。人混みをかき分けながら、手と手が触れ合い、少しずつ距離を縮めていく。
――こんなにも自由で、心が軽くて、幸福な気持ちになるのは久しぶりだ。
普段は義務や礼節に縛られ、表に出せなかった感情も、今夜のこの町の喧騒と色彩の中で溶け出していく。
「……ああ、楽しい……」
イヴォンヌの心は言葉にしきれないほどの喜びで満たされ、顔を上げるとアレクシスがそっと微笑んでいるのが目に入った。
その瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなった。――やはり、この人の傍にいると、自分はこんなにも自然体でいられるのだ、と。
やがて夜も深まった頃、アレクシスは静かに言った。
「最後に、どうしても見せたい景色がある」
イヴォンヌはその声に心が跳ね、わずかに頷いた。
彼の手に導かれ、二人は祭りの喧騒を抜け、街外れの小高い丘へと歩を進める。
月明かりが薄く差す小道は、ランタンの灯で淡く照らされ、二人の影をゆらゆらと伸ばす。
丘の頂に立つと、眼下に広がる町の光景が視界いっぱいに広がった。
無数のランタンが夜の海に浮かぶように瞬き、川面や屋根に映る光が揺らめく。
まるで星空が地上に降りてきたかのようで、言葉を失うほどの美しさだった。
「……きれい」
イヴォンヌは思わず息を漏らす。胸の奥がぎゅっと締め付けられるように温かくなり、視界がかすかに霞む。その瞬間、衣擦れの音が耳に届いた。
振り返ると、アレクシスが静かに膝をついていた。
「アレクシス様……?」
イヴォンヌの声は思わず震える。
彼の瞳は揺らぐことなく、真っ直ぐに自分を見つめている。
「イヴォンヌ」
彼は懐から小さな箱を取り出した。月明かりに照らされ、淡く光るその箱は、まるで心の奥まで透かして見せるような輝きを放っていた。
「最初からやり直させてくれ。イヴォンヌ――お前を見つめていると、心が暖かく満たされる。
お前の聡明さも、強さも、時に見せる大胆さも、そして何より、心の奥にある純粋さも――すべてが、俺の心を捉えて離さない。お前の笑顔に触れるたびに、世界が優しくなる気がする。
どうか……この俺のすべてを、受け止めてはくれないか? お前を愛する心を、永遠に捧げたい。
俺がどれだけ年を重ねようと、ずっと……傍にいてほしい」
その言葉にイヴォンヌは胸を打たれ、涙がゆっくりと頬を伝う。
瞳が潤み、呼吸が震える。
「……わ、私も、アレクシス様。私の全てを、あなたに委ねたいと思っています。あなたに認められ、必要とされることが、どれほど嬉しく、どれほど心を満たすか――とても言葉では伝えきれません。
カティック伯爵領に来てから、私は数えきれないほどの優しさや温もりを与えていただきました。ここが私の居場所だと思えるほどに――。私も、愛しています、アレクシス様」
声は小さいけれど、確かな想いが宿っている。
心臓が痛いほどに熱く、涙が瞳を濡らす。
アレクシスはそっと立ち上がり、イヴォンヌの左手を取った。
指輪が薬指に滑り込み、二人の間に静かな時間が流れる。
顎を優しくすくわれ、唇と唇が静かに重なる瞬間、イヴォンヌの心は震え、夜風が二人を優しく包んだ。
祭りの光、闇夜に浮かぶ町の情景、そして互いの鼓動――すべてが、二人だけの世界を作り出す。
星は瞬き、遠くの笑い声や音楽が静かに耳に届く。胸の奥が温かく、幸福に満たされる。
イヴォンヌは唇を離すと、そっと微笑んだ。
「……やっと、お伝えできました」
その言葉に、アレクシスも柔らかく微笑む。
長い不安や迷い、互いの距離――すべてが、この夜の美しさの中で溶けていった。
丘の上に立つ二人は、風と光の中で、ただ静かに見つめ合い、未来を約束した。
夜空の星々も、町の光も、二人の幸福を祝福するかのように輝き続けていた。
毎日21時に更新。25話+エピローグで完結。全話執筆済みです。




