第24話:奇遇だな
木の実の香ばしい甘みが舌の上でほどけた。
外は少し冷える夜だったけれど、掌に伝わる温かさが心地よい。
屋台で買ったその串菓子は、こんがりと揚げられた生地の中に、細かく砕いた木の実と蜂蜜を練り込んである。
表面はさくりと軽く、中はしっとり。甘さと香ばしさの加減が絶妙で、噛むたびにふわりとした芳香が鼻に抜けていく。
「おいしい……」
思わずこぼれた声に、隣のモニカがにこりと笑う。
「でしょ?この辺りの名物なんですよ。焼きたてのうちに食べないと、風味が逃げちゃうんです」
そう言って彼女は胸を張る。
「喉に詰まったら大変なのでお水ももらってきますね。ここから動かないでください、すぐ戻りますから!」
「ええ、ありがとう」
モニカの明るい声を背に、イヴォンヌは再び串菓子に歯を立てた。
蜜が舌に触れて、ほっとするような温かさが胸の奥まで広がっていく。
祭りの音が遠くから流れ、太鼓の拍子と笛の音色が、空気の波となって夜を満たしていた。
――どこか懐かしい。
胸の奥にぽうっと灯がともる。
気づけば微笑んでいた。こんなにも心が軽くなるのは、いつぶりだろう。
だが、どれほど待ってもモニカは戻ってこなかった。
周囲の人波はどんどん濃くなり、酒の匂いと焼き菓子の香ばしい香りが入り混じって漂ってくる。
夜風が頬を撫で、灯籠の火がかすかに揺れた。
「遅いわね……」
不安を打ち消すようにもう一度辺りを見回した、その時――酒臭い息が鼻先にかかった。
「姉ちゃん、美人だなあ……俺たちと一緒に飲もうや」
声をかけてきた酔っ払いがじろじろと不躾な視線を向けてくる。その充血した目がイヴォンヌの全身を這い回り、背筋にぞぞぞっと悪寒が走った。
「結構です」
思わず一歩下がる。
だがその瞬間、男の手が伸びてきて、手首をがっしりと掴まれた。
「離してください!」
腕を振りほどこうとするけれど、びくともしない。男は相当に酔っているのか完全に目が据わっている。酒と汗の混じった匂いに吐き気が込み上げた。
「ちょっとくらいいいじゃねえか」
「やめてください!」
周囲は音楽と笑い声で騒がしく、誰もこちらを見ていない。
怖い。心臓が早鐘のように打つ。視界が滲み、声が震える。
「嫌……っ!――アレクシス様っ!」
思わず叫んだその名が、夜気を裂いた。瞬間、風が動いた。
何かが閃いたかと思うと、次の瞬間には男の手が離れ、彼は地面に叩きつけられていた。
「淑女に手を上げるとは……貴様ら、恥を知れ」
低く、冷えた声。
その声の主を見た瞬間、イヴォンヌの胸に安堵が広がる。
「……アレクシス様?」
月明かりの下、彼は立っていた。薄闇の中でもその姿は一目でわかる。
深い群青の外套が風に揺れ、灰色の瞳が怒りを孕んで光っている。
一歩、また一歩。
アレクシスがこちらへ歩み寄ってくるたび、胸の奥で何かがじんと疼いた。酔っ払いが分が悪いと悟ったのか、血相を変えて逃げ出していく。
酔っ払いが完全に人波に消えていくのを見て、アレクシスはようやくこちらを見た。イヴォンヌを捉えて彼がおや、と片眉を上げる。
「奇遇だな。お前も来ていたのか」
――奇遇、だなんて。
イヴォンヌはゆっくりと目を細め、少しだけ顎を上げて彼を見上げた。
「これは……仕組まれた“偶然”ですわね?」
だとすればモニカがいくら待っても帰ってこないことの説明がつく。沈黙。そして、アレクシスは気まずそうに頬を掻いた。
「……バレたか。すまない」
その姿があまりにも不器用で、イヴォンヌはふっと息をこぼした。怒る気にはなれなかった。
むしろ、胸の中を占めているのは――安堵だった。
きっと、彼は自分と向き合おうとしてくれているのだ。彼なりに、不器用な形で。それを責め立てるのは、なんだか違う。
「……私、この町のこと、まるで分かりませんの。案内してくださる? アレクシス様」
静かに差し出したその言葉に、アレクシスは一瞬きょとんとしたあと――まるで少年のような、心からの笑みを浮かべた。
「喜んで」
その声に、胸の奥がきゅっと鳴った。
まっすぐで、少し照れくさそうで、けれど確かな温もりを帯びたその笑顔。
――ああ、やっぱり私は、この人を好きなのだ。
夜風が二人の間を抜けていく。
遠くで笛の音が響き、灯籠の光が水面に反射して揺れた。イヴォンヌは小さく笑みを返した。
「では……行くか」
「ええ、参りましょう」
アレクシスが手を差し出し、イヴォンヌがその手に触れる。
指先に伝わる温かさが、さっきまでの恐怖をすべて溶かしていくようだった。
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