第22話:アレクシス様が悪いですな
毎日21時に更新。25話+エピローグで完結。全話執筆済みです。
それから数日――アレクシスは、見事なまでにイヴォンヌに避けられ続けていた。
夕食の席に姿を見せないと思えば、「少し気分が優れませんので」とメイドに伝言を託し、翌日は「婦人会がございますの」「孤児院の子どもたちに読み聞かせを頼まれておりますの」と、立て続けに予定を入れてくる。
食事の時間に顔を合わせるのは夕方のときだけだ。朝食は普段はイヴォンヌは寝室で、アレクシスは執務室で済ませている。
昼食も仕事の合間に執務室で軽く済ませるため、お互いが予定を合わせようとしなければ、顔を見る機会などまるでない。
夫婦の寝室を訪ねようものなら――扉の向こうから「今日はもう休みます」と、きっぱり拒絶の声が返るのだ。
さすがのアレクシスも、その扉を押し開ける勇気は出なかった。今までは別々の部屋で寝起きしていたというのに、こうなってから初めて夫婦の寝室を使おうというのは、イヴォンヌの警戒心を水増しするだけだろう。
――そんなことになるくらいなら、獅子の腹の中に飛び込むほうがまだマシだ。
その夜も寝室に戻れず、執務机の上で書類を前にアレクシスはため息をつく。
事ここに至っては、もはや手詰まりだった。
彼女の怒りは静かで、しかし芯から冷たい。中途半端な謝罪では、到底溶かせそうになかった。
そしてある夜。
アレクシスはついに談話室に使用人たちを呼び集めた。モニカ、アーネスト、そのほかのメイド、執事、料理人、馬丁たち――屋敷で働く者たちがずらりと並ぶ。
主人がこんな時間に召集をかけることなど滅多になく、皆が緊張した面持ちで背筋を伸ばしている。
「……実は、先日の遠乗りの件だが」
アレクシスは腕を組み、森での出来事をかいつまんで説明した。
シンシアの軽率な振る舞い。イヴォンヌの怒り。そして自分の不用意な発言。
話し終えると、部屋の空気が凍りつく。しばし沈黙が流れたあと――。
「――アレクシス様が悪いですな」
「……は?」
「絶対そうです」
「もっと乙女心を理解すべきです」
「イヴォンヌ様、可哀想ですよ」
「そりゃ避けられますよ」
アーネストの台詞を皮切りに四方八方から飛び交う冷たい言葉。
アレクシスは容赦のない発言の数々に目を瞬かせた。
「……おい、待て。俺はこの屋敷の主だぞ? 尊敬という言葉を知らんのかお前たちは?」
「もちろん尊敬してますとも!」とモニカがにっこり笑った。
「ただ、尊敬してるからこそ申し上げます。鈍感にもほどがあります、旦那様」
「おお……」とモニカの辛口に誰かがため息をつく。馬丁のルイスが腕を組み、「俺だったら一生口利いてもらえませんね」と呟いた。
アーネストでさえ、苦笑いを浮かべている。
「……どうすれば、許してもらえると思う?」
アレクシスは、ついに観念したように尋ねた。その声には、どこかしら情けなさが滲んでいた。
皆が一瞬黙り、互いに顔を見合わせる。長い沈黙のあと、モニカがゆっくりと口を開いた。
「アレクシス様。本当に、イヴォンヌ様と仲直りしたいのですか?」
「ああ。彼女を悲しませるつもりなど、もともと一度もなかった」
「アレクシス様はイヴォンヌ様のことをどう思っていらっしゃるんです?」
「愛おしい、と思っている。俺にはもったいない姫君だ。聡明さも、健気さも、時にはすべてを忘れて大胆になるところも、俺にとってはすべてが好ましい」
その言葉に、使用人たちは少し目を伏せた。
真摯な声だった。
彼のこういう、地位や誇りをかなぐり捨ててでも本音で人に向き合う姿勢を、彼らはよく知っている。料理人のオルセンが肩をすくめて笑う。
「まったく……そんな顔されたら、放っておけませんな」
ルイスが腕を叩き、「しゃーねえ、知恵を出すか」と言えば、メイドのビアンカが「イヴォンヌ様はロマンチックなことがお好きだと思うわ。舞踏会のときのアレクシス様にメロメロでしたもの」とつぶやく。
そこから談話室は、一気に賑やかになった。
「プレゼント作戦はどうです? 花束とか!」
「いや、ありきたりだろ」
「手紙ですわ、手紙! 心を込めて!」
「アレクシス様に文才があるとでも?」
「す、少しは?」
「少しとは何だ! 少しとは!」
議論は白熱し、アーネストが「静粛に」と声を張り上げる始末。その最中、モニカがふと手を打った。
「そういえば、もうすぐ収穫祭がございますね!」
談話室の空気が、ぱっと明るくなる。
「いいじゃないか!」
「非日常な雰囲気! ランタンの幻想的な灯り! 心をほぐすにはぴったりだ」
「街に出て、庶民みたいに食べ歩きなんてどうでしょう!」
アレクシスは鳩が豆鉄砲を食らったような表情で皆の顔を見回した。
「そんな庶民的なことを俺とイヴォンヌが?」
「そういうギャップが良いんです!」とモニカが即答する。
「きっと、イヴォンヌ様も新鮮に感じられるはずです」
「……だが、今の俺が誘っても断られるだけだと思うが」
「そこは――」
モニカが満面の笑みで胸を張る。
「大舟に乗ったつもりで、私たちにお任せくださいませ!」
アレクシスは半ば呆れ、半ば安堵しながら肩を落とした。その様子を見て、使用人たちは微笑を交わす。
――まったく、この人は。
気高いのに、妙に不器用で。
完璧なのに、肝心なところで子どものように迷う。それでもやっぱり、この人が主で良かった。
皆がそう思いながら、それぞれの胸の中で「イヴォンヌ様とアレクシス様の仲直り大作戦」の幕が静かに上がったのだった。




