第20話:血相を変えて、どうなさったの?
アレクシスの腕をつかんだシンシアは突然、挑発的な微笑をひらめかせた。彼女の瞳はアレクシスに向けられ、甘く絡みつくような響きでアレクシスに語りかける。
「ねえ、アレクシス様はお義姉様との生活に満足していらっしゃるの? お義姉様は、あなたとはまったく正反対のお人柄でしょう。退屈ではないかしら? 私のほうが、アレクシス様を楽しませて差し上げられるわ。もちろん――ベッドの中でも」
言い終わるよりも早く、アレクシスが止めるよりも前に、シンシアは乗馬服の前を大胆にはだけさせた。もともと息をしやすくするためにゆるめられていたブラウスが大きく開き、下着姿があらわになる。柔らかな肌と女性らしい曲線が、陽光に照らされて妖艶に輝いた。
イヴォンヌは木陰で目を押さえ、耐えがたい光景に息を呑む。全身に電流が走り抜け、溜まりに溜まったこれまでの鬱憤がついに臨界点を突破して、炎となって噴き出した。
「――やめて!!!」
考えるよりも前に体は動いていた。目の前が真っ赤に染まっている。イヴォンヌは駆け出し、二人の前に立ちはだかる。ぐつぐつと全身の血液が煮えたぎる音が鼓膜の裏から聞こえる。
「はしたない! なんて、なんて、はしたないことをっ! 自分がどんなに非常識なことを仕出かしているのかわかっているの、シンシア!」
突然のイヴォンヌの登場にシンシアとアレクシスが弾かれたように振り返る。
「え、お義姉様!? どうやってここまで……」
「イヴォンヌ!? お前、馬に乗って来たのか!?」
「馬!? 馬ですって!? そうに決まっているでしょう! お二人がなかなか戻られないから! ですから、私、私は心配で居ても立ってもいられなくて……っ!」
真正面から糾弾され、義姉の夫を誘惑している場面を目撃され、さすがのシンシアも一瞬動揺したように見えた。しかし相手がシンシアであれば恐れるに足りないと踏んだのか、開き直った態度で鼻を鳴らす。
「血相を変えてどうなさったの? 私、アレクシス様を楽しませて差し上げようと思っただけよ。昨日、夜更けにお手洗いに立ったとき、使用人の会話を立ち聞きしてしまったの。お二人はまだそういった仲ではないって。アレクシス様、ずいぶんご無沙汰でしょう。だから……」
イヴォンヌの全身が大きくわななく。もはや理性などかなぐり捨て、シンシアは声の限りに怒鳴った。
空気がびりびりと震える。
「余計なお世話だわっ!!!!」
何も知らないくせに。どうせシンシアもアレクシスが美女に言い寄られたら手あたり次第。お構いなし。取っ替え引っ替えの入れ食い状態。
そんなくだらない噂を本気にしているのだろう。だから体を使ってアレクシスを篭絡しようと思ったのだ。イヴォンヌからアレクシスを奪いたくて。ずっと見下していた義姉が幸せになっているのが面白くなくて。
たったその程度のことで、イヴォンヌが手に入れた幸せを、壊そうとした。
「アレクシス様は私の夫です! 本当のアレクシス様のことを何も知らないくせに、勝手なことをしないで! 我が夫への侮辱は即ちカティック伯爵家への侮辱と見做しますっ!!! あなたがやめないと言うのであれば、マルティネス侯爵家がカティック伯爵家の名誉を毀損したとして、国王陛下に奏上しますっ!!!」
イヴォンヌの勢いに、アレクシスは一瞬目を見開いた。国王陛下に奏上するとまで言い切ったイヴォンヌの啖呵に、さすがのシンシアも怯んで言葉を失っている。
「あー、申し訳ない、シンシア嬢」
張り詰めた重い空気を切り裂いたのは、アレクシスの場に似つかわしくない呑気な声だった。
明日の天気でも語るかのようにアレクシスがのんびりと、シンシアに話しかける。
「シンシア嬢、君は確かに魅力的なご令嬢だ。だが……俺は、俺の妻に、俺には決して持ち得ないものを求めているのだ。それに俺の気持ちは、下世話な話かもしれないが、一目瞭然だろう。そら」
アレクシスがシンシアの前でよっこらせと立ち上がる。上半身裸も同然のシンシアを前にして、アレクシスのズボンは平坦そのものだった。少しも反応している様子がない。
「なっ、な、なっ!?」
「これでは君と楽しむこともままならんな。本当に重ね重ね申し訳ないことだが」
「っ……!」
完全に煮え湯を飲まされたシンシアがブラウスのボタンを留め直し、無言のまま馬に飛び乗る。表情には馬鹿にされた悔しさと屈辱が滲んでいた。
馬の首を返し、足首の痛みだと感じさせない様子で屋敷のほうへと戻っていく。
森に残されたのは、静かに呼吸を整えるイヴォンヌと、無言のままシンシアを見送るアレクシスだけだった。
日差しにきらめく湖面の前で、イヴォンヌの胸の中ではまだ火種がくすぶったままだった。
毎日21時に更新。25話+エピローグで完結。全話執筆済みです。




