第19話:アレクシス様と……シンシア
陽光の中を駆け抜けながら、イヴォンヌは手綱をしっかりと握りしめた。
アーネストが選んでくれた馬のジョシュは本当に大人しく利口で、馬に乗り慣れていないイヴォンヌを気遣うかのように走ってくれる。
そのお陰でイヴォンヌはなんとか振り落とされず、進むことができた。
ジョシュの蹄が乾いた道を叩くたびに、胸の奥で焦りが跳ねる。
(アレクシス様、シンシア――どうか無事でいて)
街道を抜け、やがて見慣れた森の入り口が見えてくる。
イヴォンヌは馬を止めた。胸の鼓動が、耳の奥で強く鳴り響く。
「ッ、ハア、ハア、ハッ、ここ、だわ」
森の手前、ぬかるんだ地面にいくつもの蹄の跡が残っていた。乱れた息を整えながらイヴォンヌは馬を降り、裾をつまんで近づく。
跡は二頭分。片方は大きく、もう片方は少し軽い。
「アレクシス様と……シンシア」
しゃがみ込んで指でなぞると、土の感触が指先に冷たく伝わる。
比較的浅い踏み跡――ここを通ったのは、きっと朝のうちだ。けれど、森の奥に続く足跡の先で、急に蹄の跡が乱れている。深くえぐれ、土が跳ねたように散っていた。
「……何かが、あった?」
木々の隙間から吹く風が、ひやりと頬を撫でた。イヴォンヌはジョシュの手綱を強く握りしめた。
怖い。けれど――引き返すという選択肢は、もうなかった。
「アレクシス様、シンシア……どこにいるの」
小さくつぶやき、手綱を引いてジョシュを森の中へと進ませる。
枝が擦れ合う音が、心臓の鼓動と重なった。
森の入り口を抜けると、思いのほか穏やかな光に満ちていた。枝葉の隙間からこぼれる日差しが、細い帯となって地面を照らしている。
鳥のさえずりや、風が草をなでる音も聞こえる――けれど、イヴォンヌの胸の鼓動だけは、どこか浮き足立っていた。
馬を進めるたび、蹄の音が小さく響く。
森の奥へと続く道には、二頭の馬の足跡がくっきりと残っていた。
イヴォンヌは何度もその跡を確かめながら、慎重に進んでいく。
注意深く地面を見つめていると、突然、視界の端に白いものが飛び込んできた。
――片方だけの靴。
白い刺繍がほどこされたそれは見覚えのある靴だった。
茂みの根元に転がるそれを見つけた瞬間、胸がどくんと大きく鳴る。
「シンシアの靴だわ」
足跡は、さらに先へと続いている。イヴォンヌは足跡を辿って進みながら、息をひそめて耳を澄ませた。
ちゃぷん、と風に乗ってかすかな水音が聞こえてくる。そして、人の声。
「申し訳ありません、昼前には戻る予定でしたのに」
鼻にかかったような猫撫で声が聞こえる。
「いや、大丈夫だ」
低く穏やかな――アレクシスの声がシンシアの声に応える。
イヴォンヌはとっさに木の陰へ身を隠し、そっと枝の隙間から奥を覗き込んだ。
木々の間から見えたのは、ぽっかりと開けた空間だった。そこは湖のほとりのようで、陽光を受けてきらめく水面のそばに、二人の姿がある。
見つけた、とイヴォンヌは安堵の息をつく。二人の姿は出発したときと変わりなさそうで、イヴォンヌは自分の心配が不要なお節介だったことを知る。
アレクシスは片膝をついてシンシアの足首を見ている。
シンシアは靴を脱ぎ、白い足を少し上げるようにして、彼の方に向けていた。
「木の根につまづいて足をくじいてしまうなんて……」
「見たところ、折れているわけではなさそうだな。少し赤みがある程度だ。しばらく冷やしていれば、痛みも治まるだろう」
二人の会話を聞いてイヴォンヌは納得した。
森を散策している最中にシンシアが転倒してしまい、休まざるを得なくなったのだろう。であれば、予定の時刻に戻ってこられなかったのも致し方ない。
アレクシスが己のハンカチを水に浸して、シンシアの前にひざまずく。
彼の手がそっとその足首に触れる。イヴォンヌはごくりと唾を飲んだ。
(ハンカチくらい、自分で……)
自分の手で巻くことくらい出来るだろう。何もアレクシスが自分の手で巻いてやる必要はないではないか。
(落ち着いて、アレクシス様は女性には優しい方だもの。しかもシンシアは私の義妹。嫁入り前の貴族の娘が義兄との外出中に何かあったとなれば、その責を負うのはアレクシス様だわ……)
外聞を考えたとき付け入られる隙を与えないため。それを考えるとアレクシスの行動は正しい。
荒ぶる胸を鎮めようとイヴォンヌは自分の胸に手を当てて深呼吸を繰り返す。
そろそろ二人に声をかけようかとイヴォンヌが口を開いたとき、シンシアがハンカチを撒き終えて離れていこうとするアレクシスの腕を咄嗟につかんだ。
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