表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/26

第18話:見てりゃ、わかりますって!

 昼を過ぎても、アレクシスとシンシアは戻らなかった。

 窓の外に広がる庭は、朝のもやをすっかり払い、まぶしい陽射しが降り注いでいる。だが、イヴォンヌの胸の奥では、まだ冷たい霧が晴れないままだった。

 アレクシスは昼前には戻ると言って出て行った。

 アレクシスはいい加減なように見えて、有言実行する人間だ。周りや自分との約束を破るような人ではない。馬の脚を気にして遅れることはあっても、何の知らせもなく戻らないなんて。


(何かあったのかしら)


 心の底からそんな不安が湧き上がり、イヴォンヌは居ても立ってもいられなくなった。

 屋敷の時計の針が一刻、また一刻と過ぎていく音が、鼓動と重なる。

 昼食後のティータイムを楽しんでいる間も、不安の雲はどんどん大きくなっていった。

 胸の中で嵐が吹き荒れ始める。思わず声が漏れた。


「……行かなきゃ」


 乗馬は得意ではない。だが、アレクシスの身にもしものことがあったら――そう思うだけで、足が勝手に動いていた。

 イヴォンヌは廊下へ出て、骨董品の花瓶を丁寧に磨いていたモニカを探す。


「モニカ!」


 呼びかけると、モニカはぴくりと肩を震わせ、振り向いた。

「はいっ、イヴォンヌ様! どうされました?」

「アレクシス様たちがまだ戻らないの。……私、追いかけようと思うの」


 その一言を聞いた瞬間、モニカの顔がぱっと輝いた。手にしていた雑巾が空中に放り投げられ、宙を舞う。まるで祝福の花びらのように。


「ようやくその気になられましたねっ!」

「え、えっ?」

「準備は任せてください! こっちです!」


 モニカは有無を言わせずイヴォンヌの手を取ると、軽やかな足取りで部屋へと引っ張っていく。

 扉を閉めるなり、鏡の前に座らされ、慣れた手つきでリボンを解かれた。


「そんなお召し物では馬には乗れません! もっと軽くて動きやすいものを」

「ちょ、ちょっとモニカ、そんなに急がなくても、」

「何を言ってるんですか! 事は一刻を争います! ビアンカ~! 馬の準備をするようにアーネスト様に伝えてきて!」

「オッケー、モニカ! 任せといて!


 モニカが外に向かって声を張り上げると、廊下の向こうから別のメイドが威勢良く返事を返してくる。

 その声のテンションの高さに、イヴォンヌは目を白黒させるしかない。

 モニカは衣装箪笥から、薄青の乗馬用ドレスを取り出す。レースの装飾は最小限で、軽やかさと上品さを兼ね備えた仕立てだった。

 イヴォンヌはモニカに言われるままに袖を通す。


「……よし、完璧です!」


 モニカは髪を高く結い上げ、金の留め具でまとめると、鏡越しに満足げにうなずいた。

 心配と緊張がまだ胸を占めていたが、整えられた自分の姿に、ほんの少しだけ勇気が湧く。

 そのとき、ノックの音がして、アーネストが姿を現した。


「支度はお済みですか、イヴォンヌ様」

「ええ、今終わったところです」


 アーネストが穏やかに微笑む。


「では、ご案内いたします。厩舎へ」


 モニカと共に歩いていくと、なぜか厩舎の前には人だかりができていた。

 庭師、調理係、掃除の娘たちまで――屋敷の使用人たちがずらりと並んでいる。その最前列には賢そうな目をした栗毛の馬が一頭、すっかり馬装が整えられた状態で尻尾をぶらぶらと揺らしていた。


「え……なに、これ……?」


 イヴォンヌが戸惑って立ち止まると、モニカが誇らしげに言った。


「みんな、イヴォンヌ様を応援したくて集まったんですよ!」

「この子なら、必ずアレクシス様のもとへお連れします!」

「頑張ってくださいね!」

「そうです、あんな女に好き勝手させちゃダメですよ!」


 次々と飛んでくる声援に、イヴォンヌは目を瞬かせた。自分が恋心を自覚したのは、ほんの数刻前のはず。

 なのに――どうしてみんな、自分がアレクシスを好きだと知っているみたいに話すのだろう。


「あの……皆さんから見て、私って……アレクシス様が好きなように見えてましたか?」


 一瞬の静寂。

 だがすぐに、使用人たちの間から笑い声が漏れた。


「見てりゃわかりますって!」

「イヴォンヌ様は、気づくのがちょっと遅いだけですよ〜!」

「えっ、えっ……」


 自分の気持ちが筒抜けだったと知って頬がかっと熱を持つ。けれど、胸の奥は不思議と温かかった。

 恥ずかしい。けれど――嬉しい。

 使用人たちの笑顔に囲まれながら、イヴォンヌは思った。

 ここが自分の居場所だ。アレクシスを含めてこの屋敷の人たちが、今は自分の家族なのだ、と。

 アーネストが手綱を差し出す。


「お気をつけて、イヴォンヌ様」

「……ありがとう。行ってきます」


 イヴォンヌは深呼吸し、馬上へと身を躍らせた。

 陽光の下、風が彼女の髪をさらう。

 胸の中の霧は、もうすっかり晴れていた。

毎日21時に更新。25話+エピローグで完結。全話執筆済みです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ