恐ろしき悪夢!?
「どうすっかなぁ……、これ」
思わず昼寝をしたくなるような平穏真っ只中の午後の事……。
竜の第三皇子、カイン・イリューヴェルは、その腕に抱いている小さな生き物を見下ろしながら幸希の自室で困り果てていた。スヤスヤと気持ち良さそうにカインの腕を寝床としている……、ミニマムではあるが、ウォルヴァンシアの王兄姫、幸希そっくりの容姿を抱く女の子。
すっぽりと腕に収まってしまっている彼女の頭とお尻には、真っ白な猫耳と尻尾が生えている。
幸希本人の部屋で見つけたわけだが……、このミニマムで可愛い生き物はその時から眠っていて、王兄姫本人かどうかも確認出来ていない。
とりあえず、カインは赤ん坊の子守をしているような気分で王宮医務室に向かう事にした。
「――つーわけで、判断を頼む」
「……」
どんな時でも冷静沈着なルイヴェルが、差し出されてきた可愛らしい生き物を前に完全な思考フリーズ状態を迎えてしまった。
瞬きさえせずに、じーっと、カインの腕の中にいるミニマムな女の子を見つめている。
「だよなぁ……。これ、どう判断していいか、迷うよな? 俺も同じ反応だったぜ」
「ユキと似通っているが……。そういえば、今日はまだあれの姿を見ていないな」
微妙に現実逃避したいのか、ウォルヴァンシアの王宮医師ことルイヴェル・フェリデロードは眼鏡の中心を指先で押し上げ、幸希の魔力反応を求めて意識を集中させたのだが……。
その深緑の瞳が……、五秒後に、またカインの腕の中へと向けられた。
「どうしてこうなった……」
「それがわかんねぇから、相談に来たんだろうが……っ。あぁ、でも、やっぱこいつ、ユキなんだな? 魔力反応も同じだし、間違いないとは思ってたけどよ」
「とりあえず……、診察してみるか」
「おう」
有能な魔術師であり医師でもあるルイヴェルでさえ、目の前の状況が上手く呑み込めていないようだった。狼王族と人間のハーフである幸希は、彼らと同じように、狼と人、二つの姿を抱く存在だ。稀に、獣の耳と尻尾だけが人型の時に現れてしまうというケースもあるが、これはどう見てもおかしい。姿は幼子どころか、本当にミニマムキャラ状態。
しかも、何故狼ではなく、猫の耳と尻尾が生えているのだ?
スヤスヤと眠っている幸希を診察台に寝かせ、ルイヴェルは触診を始めた。
「……偽物、ではなさそうだな。しっかりと身体から生えている」
「そりゃ見ればわかんだろ。何でこうなっちまったかっていう事を知りたいんだっての!!」
「狼王族の者が、他種族のパーツを纏っているんだぞ……。どう考えてもおかしい。だが、身体を悪くしている部分は見当たらないな。……ん? 起きたのか」
可愛らしい暢気な欠伸を漏らし起床したミニマム幸希が、ぼーっとした様子で自分の身体に触れているルイヴェルの手を見遣った。……、……、……パク。
「……何をしている」
まるで子猫が、起き抜けに母猫の乳を求めるかのように、ミニマム幸希はルイヴェルの指をちゅぱちゅぱと吸い始めた。言っておくが、彼の指先からミルクが出て来る事はない。
ミニマム幸希の意味不明な行動を、ルイヴェルとカインはただ黙って眺め続ける。
ミルクが出ない事に気付いたのか、ミニマム幸希はぺっと指を吐き出し、地味に王宮医師の心を傷つけた。カインの方は思わず噴き出しそうになりかけているようだが、迂闊に大笑いすれば真横のルイヴェルに抹殺されかねない気がしているのか、必死に耐えている様子だ。
「ふみゃぁ……」
「完全に猫だな。見ろ、前足を使って顔を掻き始めたぞ」
「いや、冷静に観察してる場合じゃねぇだろ!! 早く戻せよ!!」
「原因が不明だというのに、どうやって戻せと言うんだ? これが病なのか、はたまた別の何かなのか、調べてくるから待っていろ」
白衣の裾を翻し、颯爽と奥の部屋へ消えていくルイヴェル……。
その後を追って診察台から飛び降りようとしたミニマム幸希を、慌ててカインが腕に抱き留めた。
普段の幸希なら何も心配はいらないが、今は違う。
ミニマムにゃんこ仕様になってしまった王兄姫にとって、この王宮の全てが危険でいっぱいなのだ。
「ルイヴェルが元に戻る方法を見つけてくれるまで、お前はここでお留守番だ」
「にゃぁっ、にゃああっ」
「はぁ……、人の言葉まで忘れちまったのかよ。あぁっ、よしよし!! 俺が遊んでやるから泣くなよなぁ」
「ふにゃぁ……」
まるで、ミニマムな幸希の中に、ただの猫が入っているかのようだ。
自分の置かれている状況さえも把握出来ていないのか、ミニマム幸希は医務室内を見回し、またか細く鳴き声を漏らす。その頭を撫でてやりながら、ソファーに腰を下ろしたところで、テラスに続く一面窓仕様の扉の向こうに、見慣れた騎士の姿が目に入った。
煌めく日差しを浴びて輝きを増す銀の髪、穏やかな蒼の双眸……。
腰に帯びた剣と、その出で立ちから騎士とわかるその青年の名は、アレクディース・アメジスティー。幸希の護衛騎士であり、彼女を第一に考え、カインと共に想いを抱く一人だ。
彼は室内へと入って来ると、静かにカインの腕の中で小さく鳴いているミニマムな生き物を見下ろした。……、……、……。たっぷり十秒ぐらい沈黙を落とした後に、アレクは無表情で腰の剣を引き抜いてみせた。勿論、それを向けているのは、カインに対してだ。
「ユキに何をした……っ」
「何で速攻俺のせいになってんだよ!! ふざけんなよ、このクソ番犬野郎!!」
もういつもの事なので説明するのもあれなのだが、この二人はとにかく仲が悪い。
幸希を巡る恋敵である事も関係しているが、恐らくは、元から相性が悪いのだろう。
顔を合わせれば喧嘩ばかりの関係だ。
二人の間で散っている火花の恐ろしさに気付いたのか、ミニマム幸希が小さな身体を震わせて、アレクとカインを仲裁するように何度も鳴いてしまう。
「すまない……、ユキ。今一番辛いのはお前なのに、俺は冷静さを欠いてしまっていたようだ」
「テメェの場合は、ユキ絡みになると年中正気をどこかに失っちまうだろうが」
「黙れ……。その達者な口を二度と開けないように、首から上を斬り飛ばすぞ」
カインの真紅と、アレクの蒼が殺意の籠った敵意を交じらせ合い、再び室内に剣呑な空気が満ちていく。と、そんな空気をもう一度緩和させる為に、ミニマム幸希が自分の小さなお手々をカインの方へと押しつけ、喧嘩をやめてほしいと懇願しにかかった。
ぷにっとした柔らかな感触……、幼子レベルの手は小さくて可愛いものだと絆されかかっていたカインだが、数秒後……。
「何で手まで猫化してんだよ!!」
「何? ……これは」
もふっとした白の毛並みに、手のひらにはピンクの肉球と……指先には鋭く丸い爪が。
カインとアレクが一気に顔を青ざめさせ、奥の部屋へと突撃をかます。
「ルイヴェルぅうううううう!! ユキが、ユキが!!」
「ルイ!! ユキの様子がおかしいんだ!! 早く治療を!!」
助けを求めて奥の部屋に突撃した二人だったが……、そこで見たものは。
「まだ調べている途中にゃ……、大人しく待っていろにゃぁ」
「「!?!?!?」」
テーブルにドッサリと山積みにされた書物の群れ……、その隙間からこちらを振り返ったのは、幸希と同じようにミニマムと化し、銀色の猫耳猫尻尾を生やした王宮医師の姿だった!!
うねうねと不機嫌そうにくねっている長い尻尾、明らかに言動がおかしくなっている目の前の王宮医師……。ストンと、カインの腕から飛び降りたミニマム幸希が、仲間を求めてルイヴェルの方へと駆けて行く。
「ど、どうなってんだよ……、これ!!」
「何故ルイまで……、はっ!! カイン、お前!!」
「え!? な、なんだよ!!」
アレクの驚愕が大きくなり、カインの頭を震える指先で示した。
そこに手をやり、……ふにっと柔らかな感触を確認するカイン。
間違いない、今……、彼の頭に、獣の耳がしっかりと生えてしまっている!!
それだけではなく、お尻の方がムズムズし始めたと思ったら、ふさふさの黒い尻尾が陣取り、さらにカインをパニックの境地へと追い詰めた。
竜族なのに、何故猫耳と猫尻尾!? 視線をずらせば、ついには真っ白な完全なる猫へと変化してしまった幸希が、同じ姿になったルイヴェルと猫語で楽しそうに会話をしており、事態は恐ろしいまでに悪化したといえる。
「な、なぁ、番犬野郎っ、せ、セレスフィーナ呼んで来ようぜ!! このままじゃ、テメェも」
「わかったにゃぁ。セレスを呼んでくるにゃぁ」
「はっ!?」
もしかしたら、厄介な伝染病の類かもしれない!!
そう危惧してアレクの方を振り返ったカインだったが、すでに手遅れ。
アレクは全身でっぷりとした銀色の巨大にゃんこに豹変してしまっており、ドスドスと大変そうに巨体を揺らしながら医務室を出て行ってしまった。
「なんだよ……、あれ。おい、ルイヴェル、ユキ!!」
「にゃぁあっ」
「にゃぁぁんっ?」
外の陽気な気配は変わらないのに、この医務室の中だけが異空間のように意味不明だった。
もう、ユキどころか、ルイヴェルにも人の言葉が通じていない。
一体何なんだ!! このウォルヴァンシア王宮に、何が起きているというんだ!!
カインは身体に疲労感と圧迫感を強いられながら膝を屈すると、ぷにっとしたピンクの肉球に代わってしまった自分の両手に吐き気を催しながら、気が狂わんばかりに叫んだのだった……。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「カイン皇子!! カイン皇子!!」
「ニュイ~!!」
「うぅっ、やだ……、俺は、猫野郎になんか、うわぁああああああああああっ!!」
泣き叫ぶように飛び起きたカインは、自分の胸の上から放り出される薄桃色のぽっちゃりボディを視界に映した。ここは……、ウォルヴァンシアの……、あぁ、自分の部屋だ。
一瞬だけ安堵を覚えたものの、カインは大慌てで自分の身体をペタペタと触り始めた。
猫耳や、猫尻尾、急激に生え始めた毛は……、ふぅ、どこにもない。
「夢……、だったの、か?」
「大丈夫か? カイン皇子……」
寝台のすぐ傍で、心配そうに顔を覗き込んできたのは、ウォルヴァンシアの第一王子、レイルだった。寝台の下に落ちたらしき薄桃色のぽっちゃりボディが特徴的なガデルフォーンの稀少生物、ファニルもまたカインの傍へと飛び上がってくる。
どちらも、猫の片鱗もない、いつも通りの姿だ。
「いや、悪ぃな……。ちょっと夢見が悪くてよ」
「凄い魘され様だったからな。寝汗も酷い……。具合が悪いようなら、一日大事をとって休んでおいた方がいいぞ?」
「ん……。飯食ったら、もうちょっと寝るわ。はぁ、……凄ぇ夢だったなぁ」
湯でも浴びて気分をスッキリさせるかと、カインが寝台を下りかけた、その時。
「カインさん、おはようございまーす!!」
突然カインの部屋の扉が大きく開け放たれ、巨大な人型サイズのもふもふ仕様の二足歩行にゃんこが現れた!! しかも一体ではない。傍に寄り添うように、背の高い同じ姿をした存在がのっそりと中に入ってきたのだ!!
真っ白な猫に、銀色の、猫……。猫……。
「うっ……」
「か、カイン皇子!? 大丈夫か!? カイン皇子~!!」
くらりと意識がフェードアウトし、カインは寝台にぶっ倒れた。
弱々しい呻き声が漏れ聞こえるが、完全に意識を失っている模様だ。
真白の巨大にゃんこは大慌てでその頭の部分を取り外し、ぷはぁ、と息を吐き出す。
「そ、そんなに吃驚したんですか!?」
「このくらいで気絶か……。情けない竜だ」
銀色の巨大にゃんこが静かに頭部を脱ぎ、冷めた視線でレイルに介抱されているカインを見遣る。
まさか、起きる直前まで猫関係の恐ろしい夢を見た、などと二人が知るわけもなく……。
また、今日のこの日が、地球で言うところのハロウィンの日であった事も、カインは知らないわけで……。哀れな被害者となったカインは、それから三日三晩魘されながら寝込む事になってしまった。彼からすれば、最低最悪の展開となってしまったわけだが、その三日間。
朝から夕方まで幸希が献身的に寄り添ってくれたのだから、ある意味で、幸せだったのかも、しれない?




