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ウォルヴァンシアの王兄姫~番外編集~  作者: 古都助
~過去編~
46/85

愛しい日々へ、貴方との出会いに想いを馳せる

幸希の両親、夏葉とユーディスが恋人同士になる前のお話です。

R15表現が後半ありますので、お気を付けください。


 それはまだ、私が幸希を生む前の話……。

 愛する人と出会い、お互いに想いを抱きながらも、素直にそれを伝えられなかった懐かしいあの頃……。

 異世界エリュセードに迷い込んだ私は、ウォルヴァンシアの王子であるユーディスと運命の出会いを果たした。

 空から高速落下してきた私を、たまたまレイちゃんこと、レイフィード王子と馬で遠乗りに来ていたユーディスが魔術の力を使って私を助けてくれたのが始まり……。

 あの時の出来事は、今でも心に優しく……甘い疼きと共に残っている。




 ――二十数年前・ウォルヴァンシア王宮。

 Side 夏葉



「おばさん、これくださ~い」


「あいよ!! って、なんだい。ナツハじゃないか。

 また王宮から抜け出して来たのかい?」


「ふふ、おばさんの顔が見たかったの。いいでしょ?」


「そりゃ嬉しいけどねぇ。でも、……ユーディス殿下に怒られても知らないよ?」


 果物屋のおばさんが朗らかに笑いながら、私が指差した果物を袋に入れてくれている。

 この異世界エリュセードに来て、早一年……。

 初めは未知の世界に対する怯え……などは特になく、むしろこれが異世界!! 地球外!! と、持ち前の好奇心の強さを発揮して、この世界に馴染み始めてしまった。

 私を助けてくれたユーディスとレイちゃんも、物怖じしない私の態度に最初は吃驚していたけれど、泣いて悲嘆に暮れるよりは良いかと受け止めてくれたし。

 うん。やっぱり人間、物事は明るくポジティブにが一番よね。

 というわけで、今日も私は王宮をこっそりと抜け出し、親しくなった城下町のおばさんと雑談に花を咲かせている。

 

「じゃあ、おばさん。またね~」


「気を付けて行くんだよ~。城下町だからって、何もないとは限らないからねぇ」


「は~い!!」


 果物が入った袋を手に持ち、私は大広場の方へと向かった。

 あそこに行くと、他国から来た商人さん達が出店を出している事もあるし、何か掘り出し物があるかもしれない。

 一応お小遣いは、ユーディスがくれるから、お金に困る事はない。

 勿論、貰った分だけは色々お手伝いだってしているから、良心も痛まない。

 見知らぬ異世界で一文無しというのは色々困るし、有難い事だわ。


 ――ドサッ!!


「にしても……、ルイヴェルさんの話だと、もうそろそろ……みたいなの、よねぇ」


 荷物を大広場のベンチに置き、よっと腰を下ろした私は、重たい溜息を吐いた。

 異世界に来て一年ほどが経つのだけど、王宮医師であるセレスフィーナさんとルイヴェルさんの協力のお蔭で、私は元の世界に帰る為の方法に近付きつつある。

 二つの世界に生じた時空の歪み、私はその力の影響を受けこの異世界に迷い込んでしまった。

 だから、いつかは帰らなくてはならない日がくる……。

 それを……わかっていた、はず、なのに……。


「……帰りたく、ないなぁ」


 長く居過ぎたのが原因かもしれない。

 このウォルヴァンシアという国は、異世界人である私を壁を打ち立てる事なく、温かさに満ちた心で受け入れてくれた……。

 エリュセードでの常識や、生活していく為のルール。

 王宮の人達は決して匙を投げる事なく私を指導し、不自由がないようにと取り計らってくれた。

 最初は本当に、未知の世界に歓喜した私の心は寂しがる暇もなかった。

地球では絶対に見る事の出来ない魔術という存在、人以外の種族達……。

見る物全てが物珍しくて、私は何でも知りたがった。

だけど、日を追う内に……、このウォルヴァンシアに慣れた頃、私は、そこで初めて『寂しい』という感情に苛まれた。

 まるで今までは、好奇心がそれを覆い隠したかのように、唐突に……。

 

(あの時は本当に困ったものだったわよね……。

 皆に気付かれないようにって、一生懸命いつも通り振る舞って……)


 でも、それも一、二週間が限界で……。


(もうどう笑っていいかわからなくなっていた私を、

 あの人が……)


 ――コツ……。


「ナツハ、君は何をしているんだろうね?」


「あら、ユーディス。こんな所で会うなんて奇遇ね?

 一緒にこの果物でも食べる?」


「全く……、相変わらずだな、君は」


 ベンチに座り、今までの事を思い返していた私の前に、ふと差したひとつの影。

 やっぱり来た……。

 そうほくそ笑みながら視線を彼の顔まで上げて行くと、呆れながらも苦笑している綺麗な蒼色をした髪の男性と目が合った。

 いつもの王族特有の上品な服装はしておらず、シャツとズボン、それから簡易的な上着を羽織った彼、ウォルヴァンシア王国第一王子、ユーディスがそこにいる。

 

(城下の人達は皆貴方の顔を知っているんだから、

 町民の恰好をしてもあまり意味はないと思うのだけど……)


 ユーディスは私の傍に腰かけ、桃色をした丸い果物を受け取ると、それを躊躇いもせずに一口齧った。

 王族の人なら、メイドさん達が綺麗に皮を剥いて切り分けた物を食べるものだけど……。


(気さくなところもあるのよね……)


 王子様なのに、王宮の事以外にも詳しく、どこか庶民ぽい所もある不思議な人……。

 異世界に迷い込んだ私を助けてくれた恩人でもあり、ウォルヴァンシア王国での衣食住を保証し、率先して……面倒を見てくれた人。

 誰よりも一番多くの時間を共に過ごし、……私の中で、特別になってしまった男性。

 果物を齧りながら、ちらりと私の方を見たユーディスが、ポケットからハンカチを取り出し、私の口許に付いていた果物の欠片を拭ってくれた。

 

「これを食べたら、一緒に城下を回らせてもらうよ?」


「……わかったわ」


 彼にとって私は、異世界からの迷い人……。

 頼る者さえない存在に同情し、救いの手を差し伸べようと温かな心を向けてくれるユーディス。

 こうやって私を探しに来るのも、庇護心からだという事はよくわかっている……。

 きっと私は、ユーディスにとって、『妹』のような存在。

 私がユーディスに対して、特別な異性に対する感情を抱いているなんて、きっと気付いていない。

 

「……」


「ナツハ、どうしたんだい?

 顔色が少し悪いようだが……王宮の方に戻ろうか?」


「……」


 私の心の動きに聡いはずなのに、どうしてこの気持ちだけには鈍感なのだろう。

 少しだけユーディスの鈍さにイラっとした私は、残りの果物をがぶりと頬張ってもぐもぐと喉奥ん流し込んだ。

 その姿を、元気であると思い直し安心したのか、ユーディスが微笑ましそうにこちらを見ている。

 

(ユーディスの笑顔は好きだけど、今だけは何だか腹立たしいわね)


「ナツハ?」


「ユーディスって……」


「ん?」


「……何でもないわ。それより、やっぱり私、一人で城下をまわりたいの。

 だから、ユーディスは王宮に戻って。今頃レイちゃんが寂しがっていると思うし」


 果物の袋を持ち立ち上がった私は、ユーディスに背を向け職人通りの方に歩き出す。

 あそこにも親しい職人さんが何人かいるし、今日は装飾品工房にでも寄らせて貰おう。

 このままユーディスと一緒にいると……、絶対に八つ当たりしそうだもの。

 うじうじしているくらいなら、さっさと告白してしまえばいい。

 そう……思う自分がいるのに、初めて男性に対してこんな行き場のない苦しくて甘い疼きを宿す想いを抱いてしまった私は、地球への帰還が近付いている今となっても、何も想いを伝える事が出来ないでいる。

 さっぱりすっきりが好きな私はどこに行ったのよ……。

 ユーディスの優しい表情を見るだけで、何も言えなくなる……。


 ――ガッ!!

 

 その時、自分の思考に囚われていた私は、石畳の隙間に躓き、前へと倒れ込みそうになった所を、後ろから伸びてきた力強い腕に腰を抱き寄せられ、何とか転ぶという醜態を避ける事が出来た。

 耳元で、ユーディスの安堵の声が聞こえる。


「大丈夫かい?」


「んっ……、だ、大丈夫……です」


 耳朶を震わせる低く掠れた……安堵の声。

 ユーディスが腰からお腹へとまわしている手と、もう片方の手で私を強く抱き寄せ、少し強めた声音でお説教を始める。


「君がお転婆なのは知っているし、ひとつ所に留まるよりも、自由に歩き回る事が好きなのも知っている。

 だけどね、せめて怪我をしないように気を付けるくらいの注意力ぐらいは持ってほしいんだよ」


「わ、わかった……からっ、ユーディス、もう、放してっ」


「駄目だ。今日はもう私と一緒に王宮に戻って貰うからね?

 昨日も一昨日も、目を離したら君はすぐにいなくなる……。

 その度に……私がどれだけ心配しているか、全然わかっていない」


「そ、そんな事言っても、私に追跡用の魔術をかけてあるじゃない!!

 どこかに行ったって、すぐに居場所なんてわかるでしょ!!」


「……それでもだよ。ナツハは自由な小鳥だから、捕まえるのに苦労するんだ」


 ユーディスは少しだけ切なそうにそう囁くと、あろうことか、私をその腕の中へと抱き上げ、所謂お姫様抱っこ仕様にしてしまった。

 この人は本当に……、私を駄々っ子か世話のかかる妹のようにしか思っていないわね……。

 こうやってお姫様抱っこにする時のユーディスは、とても頑固で言う事を聞いてくれない仕様だ。

 普段は自分の意思より、人の事を優先するのに、こうなった場合は、自分本位で動く。


「さ、王宮に帰るよ。この果物も、料理長に調理して貰えれば、美味しい茶菓子になるだろう。

 だから、今日は大人しく、私の部屋で過ごしなさい。いいね?」


「私は、職人通りに用があるのよ。下ろしてちょうだい」


「そのお願いは聞けないな。私は君とお茶の時間を過ごしたい。

 ついでに、外出に関しても色々とお説教をさせて貰わないとね」


「それは帰ったら……聞くから。

 だから、お、下ろしてちょうだい! 皆が見てるでしょっ」


 大広場の周囲に視線をやれば、露天販売の人達やお客さん、道行く人達がクスクスと笑いながら私達の様子をチラチラ見ているのがわかった。

 ユーディスの顔は、この城下町の人達なら誰でも知っているし、こういうやりとりも、別に今日が初めてじゃない。

 だけど、何だか……今日に限って、凄く……気恥ずかしい。

 正確に言えば、人に見られているのがどうというよりは、ユーディスの体温をこんなにも近くに感じている事が、とても……。


(おかしくなりそう……っ)


 愛する人のぬくもりを、存在を、こんなにも傍に感じられる幸せと、身体の芯が熱に焦がされるかのように湧き上がる羞恥心……。

 ユーディスは私と同じ想いじゃないから、特に気にする事もないのだろうけれど……。

 彼が何も気にしていないという事が、私に触れる事に躊躇がない事が……今は辛い。


「下ろして……、ユーディス」


「だから、それは駄目だと……。ナツハ?」


「貴方に触られたくない……」


「……」


 それは、抑えに抑え込んできた自分勝手な想いの八つ当たりだった。

 何とも思われていない事が我慢できなくて、優しいユーディスを傷付ける言葉を吐く。

 ユーディスは無言になったまま、暫く腕の中にいた私を見つめた後、そっと地面へと下ろしてくれた。


「すまなかった……。私に触られるのは……嫌、だったのだね」


「……っ」


 違う。悪いのは貴方じゃないわ、ユーディス。

 私が……子供すぎるのが、いけないのだから。

 俯いていた私は、彼の顔を見上げて……言葉を失った。

 優しい笑みを浮かべていたユーディスが、……今にも泣きそうな顔で、私を見ている。


「ユーディス……あ、あの」


「ナツハも年頃の女の子だからね……。

 私のように年上の男から同意もなく抱き抱えられば、当然、嫌悪感もあったはずなのに……。

 今までそれに気付かず、……馴れ馴れしくしすぎていたようだ」


「ち、違うの……!! 貴方の事が嫌なんじゃなくて、これは、私のもんだっ、……あっ」


「ナツハ? 君の問題というのは……」


「えっと……、あ、あの……も、……もう、無理!!」


「え? な、ナツハ!?」


 危うく自分の気持ちをぶつけてしまいそうになった私は、果物袋を胸に抱え、ユーディスから逃げるように走り出した。

 間違いなく傷つけてしまった彼に謝罪したくて、言い訳を口にしようとしたのがいけなかったとしか言い様がない。

 大広場から飛び出した私は、ユーディスが後を追って来ない事を確認しながら王宮へと走った。

 今もし追って来られたら、平常心ではいられないし、顔を見る事だって難しいっ。

 ユーディスといると、私が私でなくなってしまうから……、だから、今は逃げたいの!




 ――ウォルヴァンシア王宮・三日後。

 Side ユーディス



「レイフィード……、私はナツハに嫌われているのかな?」


「はい?」


 自分の執務室で仕事をこなしていた私は、のんびりとソファーに座ってお茶を飲んでいる弟のレイフィードに声をかけた。

 最近、どうにもナツハの事がわからなくて困っている……。

 この一年を通して、お互いに慣れ親しみ、家族のように生活出来ていると思っていたのに。

 いつの頃からか、彼女はどこか違和感を感じる行動をするようになった……。

 他の者達には変わりなく接し触れているのに、……何故か私が触れようとすると逃げる。

 そして、三日前、王宮に連れ帰ろうと抱き上げたら、まさかの「貴方には触れられたくない」ときた。

 あの時の衝撃を表すならば……。


(息をするのも忘れるくらい……辛かった)


 もうすでに周りの者達には気付かれているだろうが、私は彼女の事を愛している。

 異世界から迷い込んだ、いつか帰ってしまう存在を……、心から。

 彼女の面倒を見ながら一緒に時を過ごすうちに、浅ましい考えが私の心を支配するようになった。

 ナツハを、元いた世界に帰したくないと……、この腕の中に閉じ込めてしまいたい、と。

 いっそ想いを告げて、ウォルヴァンシアに留まってはくれないかと、何度懇願しそうになった事か……。

 今でも口にする事の出来ないこの想いは、弱まるどころか熱を強めるばかりだ……。


「兄上……。一体何があったんですか? ナーちゃんが貴方を嫌うなんてありえないでしょう。

 まぁ、最近の彼女は色々事情がありそうですけど」


「彼女から、はっきりと、「貴方に触れられたくない」と言われたんだよ……。

 けれど、その直後に何か、良く分からない事を慌てたように言われて……、逃げられた」


「……では、その良く分からない事の正確な意味を聞きに行けばいいでしょう。

 ナーちゃんはマイペースで動じない子ですけど、兄上の事になると色々平静ではいられないようですし?」


「どういう事だい?」


「ナーちゃんに怒られたくないので、僕は何も言いませんよ。

 でも、早く……、兄上の気持ちを打ち明けた方が良いんじゃないですか?

 セレスフィーナやルイヴェルの話では、異世界を行き来する為の術がそろそろ完成するそうですよ」


 コトンと、ティーカップをそっとソーサーに戻したレイフィードが、眉を顰める。

 窓の外はあんなにも青々と美しい色をしているのに、この執務室の中はどんよりと曇った気配に満ちていた。

 王宮医師であるセレスフィーナ達が一年をかけ研究を行った結果、ナツハにとっては喜ばしい成果が次々ともたらされている。

 だが、私個人としては……、その成果を素直に喜べないでいる。

 術が成功すれば、ナツハは元の世界に戻ってしまう……。

 二度と、……彼女のぬくもりを感じる事が出来なくなる場所に……。


「私が想いを伝えれば、ナツハを困らせてしまうだろう……。

 それに、彼女にとって私は、異世界で出会った、ただの保護者だ。

 一人の男として見られている可能性は……ないさ」


 空から降って来た異世界の少女。

 見知らぬ地へと迷い込んでしまった彼女をウォルヴァンシア王宮に連れ帰る事を決めたのは私だ。

 行き場のない少女は、怯えて泣く事もせず、好奇心に満ちた煌めきと共に、この世界をすんなりと受け入れてしまったが、それもやがては薄壁のごとく剥がれてしまった。

 初めこそ、自分にとって未知の魔術や景色に喜び何でも知りたがっていた少女は、ある日、唐突に……倒れてしまったのだ。

 それ以前にも、徐々に彼女の笑顔が無理をしたものに変わっていた事に気付いてはいたが、もっと早くに話を聞いてやるべきだったと、当時は心底から反省した。

 元いた世界には、彼女にとって大切な存在が沢山あったであろう事……。

 それと引き離されて異世界で暮らす事が、どれほど心に負担をかけるのか……。

 彼女の明るさや日頃の元気な様子にばかり目を向けて、それを失念していたのだ。

 

(彼女は間違いなく、元の世界に残してきた家族や友人を恋しがっている……)


 私が一度、彼女の溜め込んでいた弱音を受け止めた日、家族に会いたいと……私の腕の中で泣きじゃくる彼女の背を撫で、その心に寄り添おうとした時以来、もうそれを口にする事はなくなったけれど……。

 それでも、きっと帰りたくて堪らないはずだ……。


(そんな彼女に、愛していると……言えるわけがない)


 手元にあった書類を、右横に置いてあった書類の山に重ねると、私もソファーへと腰かけた。

 

「ユーディス兄上、言わないよりは、言ってしまった方がすっきりしますよ?

 想いを伝えて、初めて意識される事だってありますし、それに……。

 兄上は少々鈍感だと、僕は思うんですよね」


「何でそこで溜息を吐かれるのか、全然わからないんだが?」


 ――コンコン。


「失礼します」


 執務室の扉がノックされ、私の許可の声に応えるように扉が開かれると、金色の光を髪に纏う女性と、その対極にある銀の光を髪に纏う青年が一礼し、入室してきた。

 ウォルヴァンシアが誇る、魔術と医術の名門、フェリデロード家の者であり、現王宮医師であるセレスフィーナとルイヴェル、双子の姉弟だ。

 

「ナツハ様の件に関する事なのですが、ご報告をよろしいでしょうか?」


 私達の前へと立ったセレスフィーナが遠慮がちに言葉を向け、腕に抱えていた書類をテーブルに置く。

 ナツハの件、つまり……彼女が元いた世界へと帰る為の術構成がどこまで進行したかの報告だ。

 レイフィードと共にそれを手に取り、経過の報告に目を通していく。

  ……問題なく、作業は進んでいるようだな。

 彼女にとっては喜ばしい報告、だが、私にとっては……。


「ねぇ、セレスフィーナ、ルイヴェル」


「「はい?」」


「ウチの鈍感な兄上様がね、どうにも男らしくなれなくて困っているところなんだけど、

 君達からも何とか言ってくれないかなぁ」


「あの……、レイフィード様、それは……何に関する事を仰られているのでしょうか?」


 レイフィードからの声に、困ったように首を傾げるセレスフィーナと、「あぁ……」と、一人何かを察したらしきルイヴェルを流し見たレイフィードが、私を追い詰めるかのように、ナツハの事を話しだしてしまう。


「……なるほど。ナツハ様の件ですか。

 あの……僭越ながら、ご本人同士の問題ですし、私共は何も……」


「遠慮しなくたっていいんだよ~?

 告白する勇気のない兄上が悪いんだからね」


「レイフィード……、兄に対して散々な物言いだね?」


「僕は兄上の事を物凄ぉ~く尊敬してますよ。

 けど、この件に関しては別です!! 

 兄上が勇気を出して、ナーちゃんに告白するなり押し倒すなりすれば、

 もしかしたら、こっちに残ってくれるかもしれないじゃないですか」


 だから、ナツハの故郷に対する想いを無視してそんな事を出来るわけが……。

 ギロリと弟を睨み口を開こうとすると、別方向からレイフィードの援護が入った。


「レイフィード様の仰る通りかもしれませんね……。

 ユーディス殿下には恐れながら、本当にナツハ様を想われているのでしたら、

 全てを捨ててでもその愛を伝える事も、ひとつの誠意ではないかと」


「……ルイヴェル、君までレイフィードの味方をするのかい?」


「申し訳ありません。一意見ですので、お気になさらずに」


 弟とルイヴェルに挟み撃ちのように追い打ちをかけられたせいで、私の中で燻っているナツハへの想いが、黒い気配を纏いながら悪魔の囁きを落とす。

 素直に想いを伝えて懇願すれば、もしかしたら……彼女は俺だけの人になってくれるかもしれない。

 故郷への寂しさや恋しさも、私が彼女を生涯をかけて愛する事で、新しい家族を一緒に作る事で……癒す事が出来るのなら。

 私の身勝手な願いが、表に出始めるのを堪えながら、私は咳払いをひとつ漏らす。


「ナツハの件に関する報告は、あとでゆっくり目を通させて貰うよ。

 レイフィード、二人と一緒に退出しなさい」


「ユーディス様、申し訳ありません。弟が無神経な事を申し上げてしまったようで」


「いや、参考にさせて貰うよ。引き続き術の研究を進めておくれ」


「「御意」」


「ユーディス兄上、……ナーちゃんが帰ってからじゃ、遅いんですよ。

 その事をよぉーく考えて、……後悔のない選択をしてください」


 ――バタン。


 静かに閉じられた扉の音を聞きながら、私はテーブルに両肘を着き、手を組み合わせ顎を乗せた。


「後悔のない……選択、か」


 ナツハが元の世界に戻った後、果たして私は、彼女への想いを断ち切り、別の女性を愛する事が出来るだろうか……。

 最近、ウォルヴァンシア国王である父から、国王を引退してエリュセードの秘湯巡りをしたいから、早く結婚して王位を継いでくれないかと打診がきているのだが……。

 結婚するという事は、……ナツハ以外の女性をこの腕に抱くという事だ。

 何もかもが彼女と違う……何とも思っていない存在を。


「ナツハ……」


 その音を奏でる度に、彼女への想いが甘く切ない疼きを生むように騒ぎ出す。

 望めるものなら……、ナツハをこの腕に抱き、どこにも行かせたくないと願うのに。

 どうして、自分達は違う世界の者同士なのだろう。

 どうして、私は愛する女性を求めているのに、想いを伝えずに終わろうとしているのだろう。

 自分がこんなにも情けなく、恋に愚かな男だとは思わなかった……。


 ――ドクンっ……!


「……くそっ、また『アイツ』か」


 私らしくもない悪態を吐きながら、王宮内に生じた厄介な気配の許へと駆け付けるべく、私は執務室を飛び出した。




 ――ウォルヴァンシア王宮・夏葉の部屋。

 Side 夏葉



「はぁ……、だから、私は嫌だって言ってるでしょう?」


「俺の嫁になれば、楽しい日々がお前を迎え入れてくれるぞ?」


「い・や・だ。……って、何度振れば良いのかしらね?

 しつこすぎる男は、モテないわよ?」


 ウォルヴァンシア王宮の三階にある私の部屋の窓枠に腰かけ、ぱらりと扇子を口許に当てニヤニヤと笑っている面倒極まりない黒髪の男が、いつものように「嫁に来い」と催促してくる。

 この世界に来てから知り合った、正体不明の男……。

 着ている衣服は、私達の世界で言うところの、平安時代の貴族の人達が着ていた直衣と呼ばれる白いそれを着崩した状態で纏っており、札の類を操り戦う姿を見た事があるから、さながら、エリュセード風陰陽師と言ったところだろうか。

 ウォルヴァンシアから遠く離れた地にある、和を生活の礎としている国。

 多分そこの出身じゃないかな~と、私は思っている。

 この男と出会ってしまったが為に、私は頻繁に求婚を受ける羽目になっている。

 

「欲しいものを努力して手に入れる事は必要な手順だからな。

 そういうハッキリした気の強いところも、本当に……俺好みだ」


 ――ゾゾゾォォオオオオ!!


 男は扇越しに艶を含んだ流し目を送ってくる。

 綺麗な顔立ちと、女性を誘惑するには十分な魅力を醸し出すこの男は、非常に有害だ。

 いつまで経っても出て行かない男に焦れた私は、もう存在を無視して読書をする事に決めた。


「……」


「ナツハ、相手をしてくれぬのか?」


「もう十分に相手をしてあげたでしょう?

 さっさと帰ってちょうだい」


「その冷たい態度もゾクゾクくるな……。さすが俺のナツハだ」


 もう相手をするのも面倒すぎる。

 男は勝手に部屋の中へと足を踏み入れ、椅子に座り読書に集中し始めた私の背後にまわると、さらに面倒な事をし始めた。

 

「そんなに……あの男が良いのか?

 王宮育ちのおぼっちゃんよりも、世界を旅する気楽な俺の方が良いと思うがな」


 両手を私の肩へと絡ませ、耳元で囁き始める変態和風男……。

 この男は、その名を呼んでやると物凄く喜ぶから絶対に呼ばない。

 というか、色気を垂れ流しながら触らないでほしいのだけど。


「離れてちょうだい」


「遠い場所からわざわざお前に会いに来てやったのだ。

 こうやって触れ合いをするのは、恋人同士には必要な事であろう?

 出来れば、お前の可愛い唇に俺のを重ねたいところだが……」


 恋人同士じゃない事ぐらい、しっかりわかっているはずなのに、何を言っているのだか。

 私は本を広げたままテーブルに下ろすと、思いきり手加減なく右拳を男の顔面に殴りつけた。

 痛そうな音が響いたけれど、男はまだ離れない。本当しつこいわね。

 それどころか、嬉しそうに笑いを零し、袖の袂から札を一枚取り出すと、私の胸へとペタリ。

 聞き慣れない詠唱の音が短く零れ出し、不味いと思った時にはもう遅い。

 私の身体は自由を奪われ、男の腕の中へと抱き上げられ、寝台へと放り込まれた。


 ――ギシッ……。


「私の許可もなく触れたら、本気で怒るわよ?」


 仰向けになっている私の上に不敵な笑みを纏う男が覆いかぶさってくる。

 大丈夫、もうすぐユーディスが駆け付けてくれるはず……。

 それまで、口だけでも何とか抵抗しないと……。


「私は貴方を好きになんてならないし、……もうすぐ元の世界に戻るの。

 だから、何をしたって無駄なのよ」


「好きな男の事は良いのか?

 俺の事は意にも介さぬくせに、あの男の事だけは……、

いつも焦がれるような眼差しで見ている」


「それも……、もうすぐ終わるのよ」


「全部捨てて、なかった事にして……逃げるのか?」


 真顔になった男が、動けない私の服の襟元を乱し肌へと手を滑らせる。

 ユーディス以外の男の手……。


「お前が、あの男への気持ちをなかった事にして逃げると言うのなら、

 ……無理やりにでも俺のものにしてしまうが、良いのか?」


「言ってる事が意味不明すぎるわね……。

 私とユーディスの事は、貴方には関係ないでしょう?

 それと、勝手に触らないで。気持ち悪いから」


 性的な意味で、ユーディス以外の男になんて触れられたくなんてない。

 こうやって自由を奪われ、されがままに馬乗りになられているこの状況も、腹が立って仕方がない。

 拒絶の言葉を向けて、あえて傷付く事ばかりを重ねる私に、男は特に気にした様子もなく顔を近づけてくる。

 

「そろそろ……、アイツが来る頃だな。

 少し……悪戯を仕掛けてやるとするか」


「何を考えているのよ。早くどいてったら!!」


「ナツハ、覚えておくといい。

 一度抱いた恋情は、元の世界に帰ったくらいじゃ……消えぬぞ」


 直後、私の部屋の扉が乱暴に開かれ、ユーディスが飛び込んで来た。

 肩で息を乱し、普段の優しい表情からは程遠い、鋭さを秘めた険しい顔で男を睨んでいる。


「何度も何度も懲りずに貴様は……!!

 ナツハから離れろ!!」


「温室育ちの王子様のご登場か。……今の状況をよく見たらどうだ?

 俺はナツハと想いを交わしている最中だ。邪魔者はお前の方であろう?」


「何言っ……!!」


 瞬間、短く印を切った男が、私の喉に軽く指先を触れさせたせいで、声が出なくなった。

 身動きの取れない私を自分の方へと抱き起し、男がユーディスに見せつけるかのように後ろから私を抱き締め、首筋にキスを落とす。

 それを視界に映したユーディスから、……恐ろしいぐらいの殺気が生じ始める。


「ナツハに触れるな……!!」


 ユーディスの目の前に、沢山の氷の刃が生まれ、男を刺し貫こうと構えをとった。

 けれど、男は動じた様子もなく、また札を数枚指先に挟み、詠唱を紡ぎ宙へと飛ばす。

 銀色の光を纏う狐に似た生き物が五体現れ、ユーディスを取り囲む。


(ちょっと!! ユーディスに何をする気なの!!)


 叫びたくても声が出ない……。

 私は何も自由にならない心の中でユーディスの名を叫び続ける。

 

「お前がナツハを自分のものにせぬのなら、俺が貰う。

 元の世界になど戻さぬ。永遠に、俺の傍に在るように、縛り付けるとしよう」


「本当に貴様は自分勝手な男だな!!

 ナツハには帰る場所が在るんだ、それを何故奪おうとする!!」


「愛しているからだ。

 ナツハに対する想いは、尊重して諦められる程度のものではない。

 それにな……、一度俺が引いたのは、お前がいたからだ、ユーディス」


「……っ」


「あれからどれほどの月日が経った?

 たまに様子を見に来ても、何も進展しておらぬ……。

 ナツハの為、ナツハの為にと、自分を押し殺して善人ぶるような奴に、

 一度でも引いた自分が情けない。……もう容赦などせずとも良いと、そう思った。

 俺はナツハを連れて逃げるぞ。お前の手の届かぬ所まで、な」


 男が右手を胸の前で薙ぎ払った瞬間、狐に似たそれが一斉にユーディスへと襲い掛かった。

 銀色の炎へとその身を転じ、彼を焼き尽くそうと……。

 けれど、ユーディスの氷の刃がそれを打ち消すように銀色の炎へと叩き付けられ、部屋の中が静まり返る。


「ふむ……。そこまで恋敵である俺に対し腹を立てているというのに、

 何故、ナツハを手に入れようとしないのか……、お前は本当に難儀な男だな」


「私は、お前とは違う!! 彼女の幸せを考えて……」


「自分の心を偽るのは、それほど心地良いのか?」


「何だと……っ」


「お前は、ナツハを尊重する自分に酔っているだけだ。

 その身に秘めた熱情を抑え込み、ナツハが永遠に手の届かぬ場所に消えた時、

 初めて、自身の選んだ道を悔いる事だろう……。

 あの時、想いを伝えていれば……何かが変わったかもしれないのに、と」


 衣擦れが響き、私の顎を持ち上げ悲しそうに言葉を紡いだ男が、私の目尻に浮かんでいた涙をその舌先で掬い上げた。

 それを見たユーディスが、さらに殺気を募らせ寝台の中へと飛び込んでくる。


 ――ガタンッ!!


 鬼気迫った表情で私を男から奪い返したユーディスが、その腕の中に私を強く掻き抱き低く唸った。

 今まで見た事もないほどの……必死さを纏ったユーディスの気配。


「貴様に渡すくらいなら……っ」


 私の身体を抱くユーディスの熱と力が痛いほどに強まり、服越しに彼の指先が喰い込んでくる。


「どうした? その激情のままに……ナツハをものにすればいいだろう」


「何言ってるのよ!! ユーディスは私の事なんて……!! あ……」


 馬鹿な事ばかりを口にする男に心の中で叫んだはずの音が……。


「声が……出る?」


 何で……、確かに、封じられていたはず、なのに。

 ついでに、ユーディスの中で身を捩りたがっている私の気持ちに、身体が素直に反応し、動けるようにもなっていた。


「はぁ……。どちらも焦れったいほどに、阿呆だな」


「何ですって!!」


 寝台の外に飛び退いた男が、扇をはらりと口許に開き、喉奥で呆れたように笑った。

 

「ナツハ、お前は賢い女ではあるが、どうにも鈍すぎる……。

 まぁ、そこも魅力のひとつだが……、流石に頭が痛くなるほどの焦れっぷりだ」


「意味が全然わからないわ!!」


 人を拘束し、声まで封じる横暴をやっておきながら、今度は何で呆れられなければならないのか。

 

「ユーディス、ちょっと離してちょうだいっ。

 あの馬鹿男、本気で殴らないと気が済まないわ!!」


 そう叫んで興奮している私に、ユーディスは首を振って駄目だと繰り返す。

 あの男の傍に行ってはいけないと、自分から離れるなと……ますます腕の力を強める。


「痛っ……嫌っ、ユーディス、離し、てっ」


 何かがおかしい。この男を見た瞬間から、ユーディスの中で何かが崩れてしまったかのように、普段では考えられないほどの気配が彼を包んでいる。


「ナツハは……、貴様には絶対に渡さない」


「ならどうする? お前がナツハを諦めて別の世界に帰してしまうと言うのなら、

 俺は必ず、ナツハを奪いに来るぞ」


「……何度言えばわかるっ。

 ナツハには、元の世界に大切な者達がいるんだ……。

 それと引き離して、自分の許に繋ぎ留めるなど……傲慢でしかない」


「ならば、お前が行けば良い」


「……何を、言っているんだ」


 男は右手を払うと共に扇をバチンと閉じると、それをユーディスの方へと突き付けた。

 そして、真剣な表情で口許に笑みを刻み、音を紡ぐ。


「ナツハを悲しませたくないと言うのなら、

 こちらの世界に引き留める事が出来ぬと言うのなら……、

 お前がナツハの世界に婿入りすれば良い」


「なっ、何言ってるの!!

 さっきから馬鹿みたいな事ばかり言って……!!

 ユーディスはね、私の事なんて何とも思っていないのよ!!」


 そう泣きそうな気持ちになりながら叫んだ直後、私は唐突に顔を引き寄せられ……。


「んんっ!! な、何……、ふぁっ」


 何が起きたのか把握する事も出来ず、目を瞬いた私は……。

 ユーディスの唇に深く口付けられ、息も出来ないほどに口内を熱い感触に嬲られていた。


「んっ……ユー、ディ、スッ」


「……何とも、思っていない……?

 そんなわけがないだろう……っ。私は、君の事を……ずっと!!」


「お、落ち着いて、ユーディ、んんっ、駄目っ」


 あの男が見ているのに……、って、いない!!

 何とか動かした視線の先に男の姿はなく、心地よい風にカーテンが窓を揺蕩うのみ……。

 散々人の事を掻き回しておいて、いなくなるってどういう事なの!!

 というか、ユーディスは一体どうしちゃったの!! 

 私の名を熱に浮かされたように吐息と共に奏でながら、少しだけ唇を離したと思ったら。


「ユーディスっ、……んぅっ」


 寝台に押し倒され、ますます深く重なり合う唇同士が、聞くのも恥ずかしくなるような水音を漏らしながら、口内で舌を絡ませ合っている。

 ユーディスの背中をバシバシ叩いても、全然気づいてない!!

 初めての触れ合いに心臓が壊れそうなほどに激しく脈打つ。

 

「ナツハ……、愛しているんだ」


「……え」


 ようやく落ち着いたかのように唇を離したユーディスが、私の頬を両手で包み、今にも泣きそうな……とても切ない気配を宿した表情で私を見つめてくる。

 彼は……今、何と言ったかしら? 『愛している』と……そう、聞こえた気がするのだけど。


「ユーディス……。今……何て言ったの?」


「誰にも奪われたくない……。私だけの……ナツハ。

 どこにも行かないでほしい……、愛しい……ナツハ」


「な、何……言ってるの。

 貴方にとって私なんて、ただの……世話のかかる子供か、妹みたいなものだったでしょう?

 愛してるなんて……そんなわけ」


「本当だ。私はずっと……、君を一人の女性として想ってきた。

 君を傍に感じる度に、溢れ出そうになる熱情を……ずっと、持て余して……っ」


 私の両手が彼の頬へと伸びる。

 同じように互いの顔を包み込み、もう一度繰り返す。


「本当に……?」


「何度言えばわかってくれるんだ……。

 本当は、君を元の世界に戻す為に……ずっと伝えずにいようと思ったこの想いを……。

 嘘だと、信じられないと……君はそんな酷い事を言うのか?」


「だって……、そんな素振り……ちっとも」


「君に気付かれないようにと、努力していたんだ……。

 けれど、自分でも油断したと思うほどには、たまに触れ過ぎていたり、

 君を想う視線を向けてしまったりした事もあったが……ナツハが鈍感で助かった」


 何なんのかしらね、それは……。

 私が鈍感で助かった? 奇遇ね、私も同じ事をずっと思っていたのだけど!!

 ユーディスの頬をぷにっと指先で抓んで怒りを込めた視線で見上げると、彼が息を呑む気配がした。


「ナツハ……? やはり、私に触れられるのは嫌、なのか」


「鈍感なのは貴方の方よ。鈍感ユーディス」


「え……」


 私の言葉に呆けたユーディスにニッコリと微笑んでやると、私は彼の後頭部に手を回し、グイッと引き寄せた。


「ナツ……ンンッ!!」


 お返しとばかりにユーディスの唇を奪い、互いの熱を共有し深く重なり合った私は、適度な所でそれを離し、零れ出る涙を感じながら言ってやった。


「好きよ、ユーディス」


「……」


「なのに、貴方ときたら、全然私の気持ちに気が付かないし、

 「早く元の世界に戻れるようにするからね」とか、無神経な事ばかり言って……。

 貴方は、私以上に鈍感よ!!」


「なっ……。き、君だって、そんな素振りなんてしていなかっただろう!!

 いや、確かに……途中から、避けられたり、違和感を覚える時はあったが」


「乙女の恥じらいや、心の機微が全くわかってなかったって事よね……。

 もう……、私達、お互いに何をやっていたのかしら」


 軽く溜息を吐いた私は、その後に小さく笑った。

 あの男の言う通り……焦れったすぎる時を過ごし過ぎたのね、私達。

 お互いを想っているから、何も言えなくて……。

 

「正直、私は、自分の家族や友人に会いたいっていう気持ちは消えないわ。

 元いた世界に帰りたいっていう思いも、貴方には悪いけれど、この心の中にあるの。

 ……でもね、貴方を好きだっていう気持ちはそれ以上に強くて、

 この腕の中から離れたくない、そう思う自分が止められないの」


「ナツハ……」


 私の涙を、ユーディスの優しいキスが拭っていく……。

 彼の腕が、私の身体を抱き起し、互いの手を絡め合せながら向き合う形で見つめ合う。

 私もユーディスも、お互いの存在を深く求め合っている……。

 離れたくないと、心が泣き叫んでいる。


「好き……、心から、貴方だけを愛しているわ。私のユーディス」


「ナツハ、君を離す事なんて、私には出来ない……。

 あの男に煽られた形での吐露は癪だったが、それでも……君への想いを口に出来た事が」


「私も、貴方に想いを伝えられて、とても幸せな心地だわ。

 ねぇ、ユーディス、私達が一緒にいられる方法を、これから考えていきましょう。

 よく考えたら、二つの世界を行き来する為の術が完成するのなら、

 通ってくる事だって出来るじゃない。

 それなら、私も……、貴方の傍にずっといる覚悟を育てる時間を得る事が出来るわ」


「君は強いな……。決して諦めず、幸せになる方法を掴もうと前を向き続ける。

 ……ナツハ、君の言う通り、私も考えてみるよ。 

 どうすれば、世界で唯一人愛する君を本当の意味で幸せにすることが出来るのか……」


 再び近付いた互いの唇が、吐息を交わせながら深く重なり合う。

 長い時間がかかってしまったけれど、このぬくもりに出会う為に私は生まれ来たのだと、心からそう思えた優しい時間……。

 違う世界に生きる私とユーディスには、これから色々と問題が待ち受けているだろう。

 けれど……、大丈夫よね。

 触れ合ったこのぬくもりを、お互いの想いを受け合いながら甘く疼いては焼き焦がされそうなこの熱情を……手放す事など、もう二度と……出来はしないのだから。





 ――ウォルヴァンシア王宮・現代。

 Side 夏葉



「……と、いうわけで、結果的には、ユーディスの気遣いもあって、

 地球で家庭を築く事になったのだけど、そうなるまでにもまた色々とあったのよね」


「「「「「「…………」」」」」


 お茶を飲みながらソファーに背を預け、ニッコリ笑った私から視線を外した皆が、向かい側に座るユーディスへと意味ありげな視線を向けた。


「お父さんって……、すっごく情熱的なんだね」


「流石、レイフィードのおっさんの兄貴だな……」


「……」


「何かあったな~とは思ってたけど、へえ~、ユーディス殿下、

 俺達が騎士団で仕事してた時に、裏でそんなオイシイ事を……」


「伯父上……感服いたしました」


 ふふ、幸希やカイン君、アレク君にルディー君、それからレイル君の視線を受けているユーディスが、照れたように頬を染め咳払いをしている。

 子供達や壁に寄り掛かっているルイヴェルさんと、何故かガデルフォーンから来ているサージェスさんからの視線も、どうやら恥ずかしさに拍車をかけているようね。

 当時の事を話している最中に、何度ユーディスが咳払いをして話を中断させようとした事か。

 ふふ、私の愛しい旦那様は、根が照れ屋なのよね。

 

「俺もユキの親父さんを見習わねぇとなぁ……」


 一人小声で呟いているカイン君を、幸希が座るソファーの背後に立っていたアレク君がぎろりと威嚇するように睨んでいるけれど、まだまだ幸希の旦那様は決まりそうにないようね。


「幸希もいつか、私にとってのユーディスのような人が現れるから、

 その時は、自分の気持ちを抑えたりしちゃ駄目よ?」


「えっ……あ、あの……その」


 ふふ、頬を真っ赤に染めちゃって、我が子ながら純情可憐で可愛いわね。

 ちなみに、今の私の言葉にピクリと反応した人が……数人いるようだけど、幸希はまだまだお子様というか、狼王族と地球人のハーフである為か、なかなか恋には発展しないみたい。

 結構経つけれど、……まだまだ幸希の旦那様が決まる日は遠そうねぇ。


「はいはーい!! 幸希ちゃんのママさん。

 俺なんかお婿さんにどうかなー? 収入も地位も安定してるし、

 そろそろ可愛いお嫁さんがほし」


 ――ドゴォオッ!!


 サージェスさんの楽しげな声が幸希の背後の壁の方から聞こえたかと思うと、同時に物凄い音が……。

 あらあら、ルイヴェルさんの右足がサージェスさんの腰の右辺りにめり込んでるわ。

 ボロボロと崩れている壁を見るからに、相当の足ドンだったのねぇ。


「アレクとカインがキレるから、冗談はほどほどにしておけ……」


「いや!! キレてるの、ルイちゃんでしょ!!

 何今の!? 相当の殺気を有難う!! じゃなくて、

 アレク君と皇子君が出遅れた感満載で絶句してるのわかってる!?」


 ふふ、本当に幸希の周りは見ていて飽きないわね~。

 私の時よりも、選択肢が多いじゃないの。

 ちょっとだけ羨まし……あ。


「夏葉。今……何を考えていたのか、言ってごらん?」


「ふふ、さぁ~、何かしらね~」


 ユーディスは私の中に生じた、お茶目な考えを瞬時に察し、ニッコリと……不穏な気配を纏いながら手招きを寄越した。

 私の愛しい旦那様は、意外と嫉妬深いのよねぇ……。

 もしこの場に、……あの男、いいえ、あの人が現れた日には、幸希や皆が吃驚するぐらいの怖いユーディスが見られるのだけど、……見ない方が精神的に良いかしら?


 ――フワッ……。


 その時、開いた窓から風に乗って、私の膝へと一枚の真白い札が舞い降りた。


「夏葉、それは……っ」


 札はポンと小さな音を立てて、一通の手紙と、……綺麗な花を一輪私の膝に落とした。

 それを開封し、中身に目を通した私は、口許を和ませる。


「大丈夫よ、ユーディス……。

 これは、懐かしい友人からの……祝福のお手紙だから」


 エリュセードで私が好んだ大好きな花と、


 ――『幸せそうで何よりだ』


 そう、一文だけ書かれた横に、『愛しいナツハへ』と書かれてある。

 こんな手品みたいな事をするのは、……あの人しかいない。

 私は手紙と花を胸に抱き寄せると、小さく呟いた。


「有難う……」


 姿を見せない懐かしい友人に、私は彼の幸せを願いながら、そっと瞼を閉じた……。

ここまでお読みくださり、本当に有難うございます!!

夏葉とユーディスは、焦れ焦れな月日を過ごした先で、

やっと結ばれた模様ですが、敵に塩を送る恋敵の和風男さんは、

今もエリュセードのどこかでふらりと旅を続けています。

叶わぬ想いを抱えながらも、唯一愛した女性、夏葉が幸せで在り続ける事を

心から祈って……。

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