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ウォルヴァンシアの王兄姫~番外編集~  作者: 古都助
~IFルート~
40/85

IFルート・ルディー編~2017verホワイトデー・イベント~

盛大にズサササァァアアッ! と、毎回の事ながら遅刻の古都助です。スミマセンッ!!

というわけで、ウォルヴァンシア騎士団長ルディー・クライン×幸希の両想い仕様のお話です。

幸希が成熟期を迎えております。


「はぁ……」


「悩ましい溜息だな? どうした」


「ん……、別に、何でもねーよ」


 久しぶりの休日を利用して訪れた、両親の許。

 ウォルヴァンシアの騎士団長であるルディーは、宿屋の一室にてまったりと過ごしていたのだが……。

 最近抱えている悩みのせいか、どうにも気分が晴れないままだった。

 外で用事を済ませて戻ってきた父親のラシュディースはそんな息子の姿を心配する、というよりは、どこか微笑ましそうに観察しているようだ。

 父はルディーの向かい側の席に腰を下ろし、茶色い紙袋から焼き立てのパンや軽食の類を取り出していく。

 ……時計を見てみると、あぁ、もう昼になっていたのか。と、ルディーはぼんやりと思った。

 

「母さんは?」


「アレだ」


「あぁ、アレか……。じゃあ、当分の間は戻って来ないな」


 アレ……。それは、ルディーの母が自分の専門にしている薬草学に関する貴重情報や、珍しい物や面白い物の話を聞きつけると、速攻で飛び出して行ってしまう、最早病気のような癖の事だ。

 好奇心の赴くままに行動するタイプの女性だから、夫であるラシュディースは常に置いてきぼりの寂しい目に遭う事が多い。


「はぁ~、何だかなぁ。せっかく息子が来てるってのに、全然ブレねー……」


「ははっ。そう見えても、アイツはちゃんとお前の事を気にしているぞ? お前が俺達の許に来ているというのに、別の事を考えてその心を揺らしているという事をな」


「うっ……」


「ルディーは母親の事より、可愛い恋人の事ばかり考えているから、ちょっと悔しい、とな。昨夜、そう言っていた」


「……別に、母さんの事を考えてないわけじゃ」


「勿論、それは承知している。だがなぁ……、悩みを抱えた状態でここにいても、楽しくはないだろう?」


 図星、だった……。

 ふんわりとした触感の、ジャムの入ったパンを一口咀嚼しながら、ルディーは俯く。

 父親の言う通り、最近の自分はある悩みに苛まれて、まったく物事に集中出来ないでいる。

 ……その原因が、恋人である、ウォルヴァンシアの王兄姫、幸希に纏わる件だった。

 彼女は二ヶ月程前に少女期の姿から成熟期の……、大人の女性へと変化を遂げたのだが。

 

「なぁ、……親父は、母さんと付き合ってた頃、……どうだったんだ?」


「ん?」


「母さんも、一応は美人の部類に入るだろ?」


「ルディー……」


 ラシュディースは鳥の形をした可愛らしいパンを、店で貰ってきた食事用の紙ナプキンの上に置き、静かにその表情を真顔へと変え……。


「訂正しろ!! 俺のリーチェは世界一美しい!!」


「……うん、親父が母さんにベタ惚れで他が見えねーのはわかってっから、落ち着け。おすわり」


 妻の愛称を口にし、怒気を露わにした父親……。

 元は一国の皇子であり、それも、次期皇帝の座を約束されていたその立場を捨て去り、ルディーの母親と一緒になったほどの男だ。ルディーが自分の母親に対して父親がどれだけの愛情を抱いているのかは、子供の頃からわかっている事だ。呆れるくらいに妻を愛する男、それが自分の父親だと。

 まぁ、ルディーが幸希の事を『一応可愛い』などと言われでもした日には、同じようなリアクションをとるのだが……、生憎と本人は自分が父親と同類だと気が付いていない。


「あ~……、で、なんだったか」


「母さんと付き合ってた頃、親父はどうしてたんだ、って話だ」


「う~ん、そうだなぁ……。今とあまり変わりはないが、……あぁ、デートの誘いに行く度、用事の方を優先されて……、毎晩枕を涙で濡らしたような記憶が」


「いや、そういうどうでもいい親父の切ないネタはいーって。ってか、確か、断られても母さんの後にくっついて、結局一日一緒に過ごす事が多かったんだろ? 昔話してたじゃねーか」


「ははっ。それはそうだが……、基本、放置だぞ。俺じゃなくて、薬草や珍妙物と話してたからな、リーチェは」


 完全に一方通行の恋だろ、それ……。

 半眼になったルディーに同情を向けられても、ラシュディースは特に気にしていない様子だ。図太い……。

 

「じゃなくて、俺が聞きたいのは……、あ~……、なんつーか、……。母さんと付き合ってる時、……し、嫉妬、とか、……そういう感情、どうしてたんだよ、って話で」


「嫉妬?」


「言っとくが、母さんが夢中になってる対象物は例外だからな」


「あぁ、そういう事か。……お前も知っての通り、リーチェは変わり者として有名だったが、やっぱり美人には虫が寄って来るものでな。同じ職場の男に言い寄られている場面に出くわす事もあったぞ」


「で?」


 もうひと口、自分の心に反して甘い味の広がる口内でパンを味わいながら、ルディーは先を促す。

 すると、父親は浮かべていた笑みを物騒な気配と共に深め、室内の気温を氷点下に陥らせた。


「勿論、俺のリーチェに対する愛を示し、――出る杭はひとつ残らず打ち込んでやった」


「……まぁ、そうなる、よなぁ」


 わかっていた答えだが、ルディーが聞きたいのはそこじゃない。

 愛する者の魅力をその恋人がわかっているように、他者もそのかぐわしい可憐な花の存在に気付き、手を出してくる可能性など、最初から把握済みだ。

 騎士団のアレクディースや竜の皇子と、まぁ、一部の男共は例外なのだが……。

 ルディー自身も、幸希に近づく虫を排除する作業には慣れている。

 だが……。

 銀月と白雪を思わせるような白銀の髪の前髪を掻き上げながら、ルディーは問う。


「なんつーか、さ……。親父は、嫉妬で……、狂いそうになった事、とか……、ねーのか?」


「ん?」


 こんな事、情けなくて聞けない……、はず、だった。

 誰かを好きになればなるほどに、幸希の事を愛する感情が衰える事なく深まってゆく度に……。

 ――自分の中で、醜く、歪んでいくものがある事を知った。

 

(姫ちゃんが少女期の時は、まだ、……大丈夫だったんだけど、なぁ)


 問題は、彼女が成熟期を迎えてしまった瞬間から始まった。

 ウォルヴァンシア王家の者として社交場に出る度、少女期の娘に微笑ましさ以外の興味を示さなかった男共が、美しい華として目覚めた幸希の存在に魅入られ、縁談の申し込みが激増してしまったのだ……。

 各国の王族、貴族……、そして、どこからか幸希の成長を聞きつけ、興味を示して見にくる侮れない訪問者、などなど……。大量の雑魚は問題ないが、中には手を焼かせられる猛者も多いのだ。

 何の下心もないと言わんばかりの顔で友好的に近付いてくる者や、ルディーが団長職で多忙な隙を狙って、幸希を強引に口説こうとする者など……。

 つい先日など、女に化けた面倒な男に幸希を攫われてしまう始末。勿論、速攻で奪い返したが。

 ……いっその事、幸希と一緒に二人で逃げたい。誰にも見つからないところで、幸せに暮らしたい。

 苦労のしすぎで、そんな事まで思うようになってしまった、哀れな騎士団長である。

 ラシュディースは苦悩している息子の顔を苦笑しながら見返し、頷く。


「誰しも抱く感情だが、本気で狂ってしまいそうな自分を感じるというのは、少々危ういな。早期の治療が望まれる」


「……だよ、な」


 今はまだ、狂うというほどではないのだが、これから先の事を考えると……、ルディーはどうにも不安なのだ。

 幸希に近づく男に嫉妬し、いつか……、大切な彼女にその激情を向けてしまうのではないか、と。

 まぁ、心配し過ぎだとは、ルディーも思うのだが……。

 一応、念の為に対処法があれば知っておくべきだろう。

 だが……、父親は彼の期待を裏切った。


「修行だ!」


「……はぁあ?」


「嫉妬はあくまで感情のひとつだ。すなわち、修行次第で自制心を高め、それを律する事が出来る! というわけだ」


「……それで、親父は出来たのかよ?」


「いや! 全然効果がなかったな!!」


「じゃあ言うなよ!!」


 あぁ、もう、……本気で頭が痛いぞ、これは。

 完全に他人事目線なのか、ラシュディースは全く役に立たない。

 人生の師に相談したのが間違っていたのだろうか?

 ルディーは頭を抱えてテーブルに額を打ち込む。


「ははっ! 冗談だ、冗談冗談!! 修行ひとつで、何とかなるわけがないだろう?」


「はぁ……。じゃあ、今度こそ真面目にやってくれよ。こっちは真剣に、……ぁ」


 恐る恐る顔をあげてみると、それはそれは楽しそうなニンマリとした笑みとぶつかってしまった。

 

「青春してるんだな、ルディー」


「ぐっ……!!」


 息子に構う事が大好きな父親には、さぞ、今の自分がいじり甲斐のある存在に見えている事だろう。

 嫉妬心の制し方を尋ねた時点で、……いや、それどころか、ずっと前からバレていたはずだ。

 ラシュディースの顔に書いてある。――やっぱりなぁ、と。

 誤魔化すか、それとも、だからどうしたと開き直るべきか。

 その判断がつかない内に、ルディーの頭に父親の手が乗せられた。

 くしゃくちゃと、子供を褒めるような手つきで撫でられる。


「ユキ姫は、成熟期を迎えたんだったな」


「あぁ……」


「レイフィード王から手紙を貰った。もうすぐユキ姫が大人になった祝いの席を設けるので、出席してほしいとな」


「そうか……」


 姪御を溺愛しているウォルヴァンシアの王も、自分とは別の意味で苦労している者の一人だ。

 美しく成長した幸希を目当てに届けられる縁談の書簡や、自分の息子の嫁にしたいと自ら乗り込んでくる他国の王などを相手に、レイフィード王も、幸希の父親のユーディスも、溜息の気配が濃くなっている。

 勿論、ルディーも幸希の恋人として、悩ましい日々だ。

 嫌な方向へと育ちゆく嫉妬心と、幸希の周囲に湧く無数の虫。乱される集中力。

 

「その様子だと、仕事にも支障が出始めてるんじゃないか?」


「まぁ、な……」


 そう呼べる程ではないが……、影響が出始めているのは確かだ。

 恋人が魅力的な女性として成長を遂げてくれた、男として、喜ばないわけがない。

 だが、……周囲の反応が凄まじすぎて、逆に苦労が増えてしまった。

 押し寄せる恋敵達との攻防。苛立ちを覚えやすくなったこの心。万が一に対しての不安……。

 もう十年近く彼女と過ごしてきたのに、ずっと、幸せに、穏やかに、共にいられたのに。

 幸希が大人の姿になってからは、今日まで息吐く暇もなし……。

 

「姫ちゃん……、優しいんだよな。誰にでも」


「本気で怒りを覚えない限りは、無理なタイプだな。あの姫は」


「一応……、俺の事を考えて、野郎共との距離は取ってくれてんだけど……。逆に、その対応に燃えちまってる奴らが多いというか……。押せばいける! って、そう思われてんだよな、きっと」


「お前という恋人がいても、ユキ姫が独身である事に変わりはないからな」


 愛を誓い合う男がいても、独身である限りは誰にでもチャンスがある。

 現に、ルディーが恋敵共の前に立ちはだかっても、彼らは諦めようとはしなかった。

 幸希は箱庭のような閉じられた世界の囚われ人だと、もっと多くの事を知り、他の男というものを知った方がいいと、そう訴えてくる者もいた。勿論、問答無用で実力行使のお引き取りを願ったが。

 

「ルディー、限界を迎える前に言っておくが」


「ん~……」


「もういっその事、結婚したらどうだ?」


「ぶっ!! な、なななななっ、け、けけけけけ、結婚~~~!?!?」


 さらっと爆弾発言をした父親に、ルディーは飲んでいたジュースを噴出した。


「な、何言ってんだよ!! 親父!! ひ、姫ちゃんは、まだ成熟期を迎えたばっかの……っ、け、結婚なんか、は、早すぎるだろうが!!」


「……本気でそう思ってるのか?」


 当たり前だ!! 真っ赤に染まった自分の熱を感じながら言い返したルディーの頭は正常だ。

 この世界エリュセードにおいて、一般的には二百歳を過ぎてからの婚姻者が多く、人間の種族以外で言えば、それ以前に夫婦となるカップルは珍しいとされているのだから。


「別に構わんだろう? 世間一般的に少数派というだけで、禁止されているわけでもない」


「いやいやっ、そういう問題じゃなくて……!!」


「ユキ姫と結婚したくないのか?」


「ぐっ……!!」


 そんなの、そんなの……。


「い、いつかは……、したい、って、思ってる、けど、な」


 純白の花嫁衣裳を纏った幸希と、神の御前で永遠の愛を誓う。

 その瞬間を、いつかそうなれたらいいと……、本気で好きなら、必ず思う事だ。


「姫ちゃんは……、まだ、百の歳も数えてねーんだぞ。結婚なんて……、可哀相だろ」


「何故そう思うんだ?」


「結婚なんかしたら……、姫ちゃんのこれからを全部俺が縛る事になる」


 自分が望んでいても、彼女もそうとは限らないのだ。

 結婚して、幸希が自分の妻となったら……、あの子は、ルディーを中心に考える生活になってしまう。

 やりたい事や、知りたい事、独身時代だからこそ出来る事を、全部奪ってしまうかもしれない。

 それに……。


「本当に俺が姫ちゃんの相手でいいのか、悩んじまうんだよ……。早くに結婚したせいで、後悔とかされたらどうしよう、とか」


「決断力を求められる一国の騎士団長が、そんな事で悩むのか?」


「そんな事、ってレベルじゃねーだろ……。姫ちゃんにとっては、一生の一大事だ」


「そうやって相手の事を考えて慎重になるところは、昔からの長所だな。父親としては誇らしい限りだ。……だが、ユキ姫が二百の歳を迎えるまで……、お前の心はもつのか?」


「…………」


 結婚をしても、幸希に対して想いを寄せる者が消える事はないだろう。

 むしろ、彼女と一緒にいる道を選ぶのなら、苦労と不安は一生ものとなるはずだ。

 だが、少なくとも……、結婚すれば、幸希を自分のものにする事が出来る。

 今住んでいる騎士団寮ではなく、彼女の待つ家に帰り、その温もりを抱き締めて夜を過ごす事が……。

 それはきっと、ルディーに大きな安心感をもたらしてくれる事だろう。

 嫉妬の情も、上手く御せるようになるかもしれない。

 

(反対に、姫ちゃんが二百の歳を迎えるまで待つって事になったら……)


 自分自身、彼女にとって良い大人の恋人でいられるか……、自信がない。

 時は人を変えていく。自分達を取り巻く環境の変化によっても、また然り。

 純粋な愛情が歪みによって侵食され、狂気となり果ててしまったら……。

 慎重派のルディーとしては、考えなくてもいい不穏な未来を考えずにはいられないのだ。

 母親も父親も、物事を深く考えるよりは行動してみろ! のタイプなのだが……。


「まぁ、今はユキ姫が成熟期を迎えて間もない。そのせいで、不安定になっているだけ、とも考えられるからな。もう暫く様子を見ながら、ゆっくり考えてみるといい」


「……あぁ」


 親許に戻って二日目。その日は結局、父親と近くの山で手合わせをする事で、自分の中の苛立ちや迷いを誤魔化した。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「はぁ……、も、もう、限界っ」


 ウォルヴァンシア王宮にある鍛錬上の奥深くにて……、幸希は膝を抱えて物陰に潜んでいた。

 愛らしさを感じさせる顔立ちは、成熟期を迎えて美しく凛とした印象を抱くものへと変化しており、時折滲み出る吐息は、大人の色香を含んでいる。

 幸希はふわふわと踊る蒼く長い髪をベールとするように、その顔を憂鬱さに曇らせており、この二ヶ月間に渡る騒動の事を思い返す。

 成熟期を迎えた後、すぐ……、他国の王宮で開かれた舞踏会に出席したのが始まりだったような気がする。

 あの夜……、舞踏会の場である大広間に足を踏み入れた瞬間、自分を見る目に劇的な変化が起こった事を、――幸希は後になって気付かされる事となった。

 連日、叔父である国王や、王兄である父の許に届く、縁談の話。

 王宮に訪ねてくる見知らぬ男性達や、出掛けた先で出くわす、これまた、知らない個性的な以下略。

 自分にはルディーという素敵な恋人がいるのに、何故にそれを主張しても押しかけてくるのか……。

 成熟期を迎えた喜びよりも、……この二ヶ月で積み重なった負担への悲しみの方が幸希の中に大きく居座っている。


「何とか、何とかしないと……っ」


 王宮の者達だけでなく、ルディーにも酷い迷惑を掛け続けている事が、一番の気がかりだ。

 彼には騎士団の、団長としての仕事があるのに……、その邪魔ばかり。

 自分で何とかすると言っても、面倒見が良い恋人は幸希が困っている度に助けに来てくれる。

 押しかけてきた男性達の前に立ちはだかり、必死に守ろうとしてくれた……、愛する人。

 そんな彼の事を面白く思わず、非難や罵倒の言葉を口にする者達がいた事を、幸希はしっかりと覚えている。ルディーには何の罪もないのに、自分勝手な事を言って彼の事を傷付けた者達……。

 幸希の中には、耐え難い嫌悪の疼きと、怒りの情に支配されている炎が燃え盛り続けている。


「やっぱり……」


 ――決着を着けるには、恐れずに立ち向かうしか、ない。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「ほい、姫ちゃん。チルフェート・デーのお返し」


「わぁ、ありがとうございます。ルディーさん」


 ルディーと幸希が悩みを抱えながら過ぎた、数日後。

 女性が男性に対してチルフェートという、地球で言うところのチョコレートを使って作った菓子を贈る日と対のイベント、イリュフィア・デー当日。

 幸希は部屋まで迎えに来てくれたルディーと一緒に、遥か天空にある鳥種族の住まう王国へと訪れていた。その王都の喫茶店にて渡された、可愛らしいラッピングが施された袋。

 ピンク色のリボンを解いて中を覗いてみれば、星やハートの形をした色とりどりのクッキーがどっさりと入っていた。ほんのり甘い、花のような匂いのクッキー。

 幸希は星形のそれを一枚取り出して、ぱくりと噛り付いた。


「ん……。美味しいっ!」


「ははっ、そりゃ良かった。前に姫ちゃんがそれを売ってる店の事を話してくれたろ? なんか、菓子コンテストか何かで、その店の職人が優勝した、って。だから行ってみたんだ」


 向かいの席でニッコリと嬉しそうに笑ってくれる恋人は、普段の少年姿ではなく、頼もしい大人の男性の姿をしている。その時の気分で大人か少年の姿を選ぶルディーだから、デートの度に幸希は何だかわくわくしてしまう。一粒で二度美味しい、そんな恋人だ。

 そして……、今日、彼が大人の姿をしているのに対して、幸希の方は……。


「味もそれぞれ違うらしいから、楽しんで食ってくれよな」


「ふふ、はいっ。大切に食べさせて頂きますね!」


「おう。……それと」


「はい?」


 ルディーのアメジストの輝きを放つ瞳が、困惑げに笑う。


「今日は、少女期の姿なんだな」


「あ……、はい。最近はずっと……、あちらの姿でいましたから。慣れ親しんでいる方に戻りたくて。……嫌、ですか?」


「んなわけないって。どっちの姿も、俺の大好きな姫ちゃんだよ。……それに、ちょっと、安心してる」


「え?」


 贈られたお返しをバッグの中に仕舞う最中に見えた、ルディーの安らぎを覚えているような表情と、その後に続いた少し聴き取りにくい台詞に首を傾げていると、注文の品が運ばれてきた。

 ルディーの前には、ブラックの珈琲。幸希の前には、カフェオレが。

 それを手に取ってひと口味わい、幸希は尋ねる。


「あの、さっき……、最後の方、何て言ったんですか?」


「ん? ……あぁ、あれな。あれは、姫ちゃんの少女期の姿の方が俺も慣れてるから落ち着くって、そう言ったんだよ。大人の姿の時の姫ちゃんは、すっげぇ美人で魅力的過ぎるからな」


 茶化すように笑うルディーからの褒め言葉に、幸希は喜ぶよりも……、少しだけ悲しみを覚えた。

 大人の姿になってから、周囲が騒がしくなって……、あまり、落ち着けない日々が続いている。

 良い事よりも、悪い事が多くなってきた……、そう、思える気がして。

 カフェオレを手に俯いた幸希の姿に、ルディーが心配そうに手を伸ばしてくる。


「どうした、姫ちゃん?」


「……」


 成熟期なんて来なければ……、こんな気分にならずに済んだのだろうか。

 心落ち着かない面倒な日々も、恋人を傷付けられる事も……。

 

「具合でも、悪くなったか?」


 ルディーの手が幸希の片頬を包み込み、労わるように動く。

 温かで、安心できる……、大好きな人の感触。

 せっかくのデートなのに、この人を心配させてはいけない。

 幸希は子猫にでもなったかのようにルディーのぬくもりに身を委ねながら口を開く。


「すみません。何でもないんです……。ただ、ルディーさんがいっぱい褒めてくれるから、恥ずかしくなってしまっただけで」


「……姫ちゃんは照れ屋だもんな。悪い」


「ふふ、褒められると、どうしていいかわからなくなってしまうんですよ。特に、ルディーさんから褒められると」


「ははっ、姫ちゃんは褒めるところがいっぱいだからなぁ。どうしても褒めたくて堪んなくなるんだよ」


「じゃあ、私もルディーさんの良いところをいっぱい褒めましょうか? ルディーさんが真っ赤になって落ち着かなくなるくらいに」


 自分の様子がおかしい事に、鋭いこの人が気付かないわけがない。

 けれど、ルディーは幸希の心を尊重して、踏み込んで来ようとはしなかった。

 珈琲とカフェオレをお供に、他愛のない話をしたり、この国の観光名所の事を話してくれたり、面白い話を差し込んだりと、常に気を遣って喋ってくれる。

 幸希もその思い遣りを無駄にしないよう、明るい笑顔を浮かべて会話に花を咲かせ続けた。

 お互いの心に、気まずいものを感じ取りながら……。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「うわぁぁ……! 今年も、綺麗に咲いてますね~!」


 麗しき天上の至宝。そう称えられる存在が、幸希達の目の前にある巨大な純白の花冠かかんだ。

 頭上高くで咲き誇る花。この国の紋章を表した紋様で構成された魔術陣が両翼のように巨大な花の両サイドで薄っすらと光り輝き、きらきらとしている白銀の小さな光を雪のように舞い散らしている。

 天空最大の植物園と知られるこの場所の奥で、一番の目玉。

 イリュフィア・デーのある月にしか咲かない、神の涙花ラル・フィアーラと呼ばれる存在。

 この花の前に想い合う者同士で立ち、もしも、その花の蜜が雫となって二人の手のひらに伝い落ちると、――永遠の幸福が訪れる、と言われている。

 そのせいか、毎年この場所に大勢のカップルが足を運んでくるのは有名な話だった。

 ルディーと一緒に来た事はあるが、まだ一度も雫を手にした事はない。

 幸希は花を見上げているルディーの方を向き、落ち着きのある紅色の長い髪に縁どられているその横顔をじっと見つめる。

 ルディーと恋人同士になって、……エリュセードの時の流れで数えると、もう、十年近く。

 地球で言えば、二十年近く、だ。あちらの常識で考えると、夫婦になっていてもおかしくない年月が経っていて……。けれど、このエリュセードでは、結婚の適齢期は二百歳頃からの話。

 幸希はエリュセードに帰還した際、日本での成人年齢二十歳の身であっても、実質的な肉体の年齢は十六歳だと告げられてしまった。だから、今は二十代の半ば頃。

 つまり、適齢期まであと百年以上もあるというわけだ。


(……でも、その適齢期を待たずに結婚するカップルはいるわけで)


 別に、今すぐ結婚したって、きっと問題はない。

 そんな事を思いながら幸希がじっとルディーの横顔を見つめていると。


「ん~、姫ちゃん。顔に穴がきそうなんだけど~……、どした?」


「あっ、す、すみませんっ!」


 嬉しそうな、困ったような、そんな微笑が幸希の顔を覗き込んでくる。

 どちらの姿の時でも変わらない、自分を捉える……、力強い意思の輝きを感じる双眸。

 何年経っても……、肌を重ねてからも、……この人にこうやって見つめられてしまうと、弱い。

 

「姫ちゃん……、えいっ」


「え? ――んっ」


 唇の表面を軽く啄んだルディーの柔らかな感触。

 カップルだらけの園内では特に気にする必要のない些細な戯れだが、悪戯めいた笑みが小さく舌舐めずりをするの様を見て、さらに幸希の顔は熱を灯してしまう。 

 背を屈めたまま微笑む瞳に、蜂蜜のような、とろりと甘い気配が宿っていく。

 

「姫ちゃんは素直過ぎて、何年経っても無防備だから……、ちょっと困る」


「ふ、不意打ちは……、駄目、ですよ」


「ははっ。ごめんな? けど、……周りが煽ってくるもんだから、つい、な」


 幸希が周囲を見回してみると、それぞれのカップルが仲睦まじく寄り添い合い、人目も憚らずにイチャイチャとしている光景が目に入った。……確かに、目の毒だ。

 

「恋人同士の絆が強いと、雫を貰える可能性が高い、って……、そう聞くけどな」


「わ、私も聞いた事があります、けど……。皆さん、ちょっと……、イチャつきの具合が凄くなってませんか?」


「今日はイリュフィア・デーだから、ダブルで幸運が欲しいんだろう」


 彼女に捧げる感謝の印と、約束される永遠の幸福。

 誰もが、特に女性が憧れる類の話だ。幸希自身も前から興味を抱いていたが、今回ここに連れて来てくれたのは、ルディーだ。

 デートの度に幸希の事を気遣い、楽しませようとしてくれる彼らしい、といえば、らしい、のだが……。ここに入る前のルディーは、どこか思い詰めているような、真剣な顔をしていた。


「さ、行こうぜ、姫ちゃん。結果はどうあれ、何事も試してみなきゃな」


 そう言って、幸希の手を引いて、花の前に並んでいる人々の後ろについた。

 繋いだ手に、ぎゅっと……、強い力が加わる。


(ルディーさん?)


 永遠の幸福を約束する、涙を零す花。

 それを見上げながら順番を待っている彼は……、やはり、いつもとは少し違っているように思えた。


「――次の方、どうぞ」


 三十分以上の時をお喋りで過ごした幸希とルディーは、物静かな職員に促され前に出た。

 涙花の真下、丁度真ん中の部分に立ち、二人で向き合い、両手を包み込むような形に開く。

 与えられる時間は五分。その間に雫が落ちて来なければ、次の人に順番がまわっていく仕組みだ。

 

「「…………」」


 一分、二分……、時間にしてみれば、酷く短いものだろう。

 だが、互いに両手を差し出し合っている二人にとっては、一秒一秒がとても長く感じられてならない。けれど、時の流れに飽いて、他を見る事はなかった。

 幸希はルディーの瞳を、彼は彼女の瞳を、決して逸らさずに見つめ続けている。

 

(やっぱり……、何だか、今日のルディーさんは……)


 とても強い想いを向けられている。何かを、渇望されていると……、そう感じる。

 言葉には出来ない、その熱い想いで幸希を掻き抱いてくるかのような、凄く……、切ない、感覚。


「姫ちゃ――」


「あ」


 ルディーが口を開きかけたその時、待ち望んでいた瞬間が訪れた。

 涙花のめしべがある奥の部分に淡い光が生まれ、それが徐々に大きくなり……。

 ゆっくりと……、雪が舞い降りてくるよりも遅く、園内にいる者達を魅了しながら落ちてくる。

 涙花に寄り添う小さな花々も、二人を祝福するように純白の花びらを舞い散らす。

 それはとても幻想的で、幸希とルディーも光を見上げながら言葉を失っていた。

 涙花は、滅多にその雫を生み出す事はないと言われている。

 今回も、きっと駄目だろうな、と……、幸希はそう思っていたのに。

 二人の手のひらへと訪れた光輝く雫はゆらりと陽炎のようになったかと思うと。


「これは……、指輪?」


「へぇ~……。こんな風に形を変えるのか」


 銀色のアームと、石座にはアクアマリンとよく似た色合いの宝石が嵌っている。

 宝石の奥浮かんでいるのは……、この紋様は確か、エリュセードにおける愛の神様を表すものだ。

 

「なるほどな。愛の神が永遠の幸福を保証してくれるわけか」


「綺麗ですね~」


 お揃いの指輪を手に取って眺めていると、ルディーさんが空いている手を差し出してきた。


「姫ちゃん、悪いんだけど……、それ、少しの間、預かってても良いか?」


「え? あ、……はい」


 この場で身に着けてみようと思っていた幸希だが、素直に指輪を彼の手に委ねた。

 だが……、神妙な顔つきで指輪を見つめ、それをズボンのポケットに仕舞った彼の行動に、何となく……、寂しさを感じてしまう。


「おめでとうございます! お二人に、幸福に満ちた未来を!!」


「「「おめでとう!!」」」


 ルディーにとって、揃いの指輪を身に着ける事は、もしかして……、嫌だと、そう思われているのだろうかと不安になりながら、幸希は人々に祝福されながら植物園を後にしたのだった。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「おや? ユキ姫様ではありませんか?」


「え?」


 それは、植物園を後にし、ルディーと共に幾つかの観光施設を周った後の事。

 すでに夕暮れ近くの時間帯となっている、王都の大通りを歩いている時だった。

 セレブ御用達だと人目でわかる豪華そうな洋服店から出て来た、二人連れの男性。

 彼らは店の前を通りがかった幸希とルディーの姿に気付くと、親しげに声を掛けてきた。


「えっと……、確か、この国の……、貴族の方、でしたよね?」


 名前までは憶えていないが、幸希が成熟期を迎えた後に出席した舞踏会の席で顔を合わせた者達、だと……、思う。


「我が国においでになっていたのですね。成熟期の姿もお美しいですが、その少女期の姿も、とても愛らしいですね」


「あ、ありがとうございます」


 二人は口々に幸希の事を褒め、その視線を今度は幸希の隣に立っているルディーへと向けた。

 

「こちらは? ユキ姫様の護衛の方ですか?」



「あ、ルディーさんは、ウォルヴァンシアの」


 大人の姿をしているルディーの事をじろじろと品定めでもするかのように見る二人の男性達に、幸希は何だか嫌な印象を覚えた。

 一歩前に出ながら、気を引き締めてルディーの事を紹介しようとしたが、鍛えられている長い腕に制されてしまう。


「ルディーさん?」


「ウォルヴァンシア騎士団、団長、ルディー・クラインだ。普段とは違う姿で失礼する」


「……あぁ、あのルディー・クライン殿か。以前にも何度かお見かけした事がある。だが……、常にお可愛らしい少年の姿をしておられる、と、そう聞いていたのだが……、もう成熟期を迎えられていたのですね?」


「吃驚いたしましたよ。随分と印象が変わるものだ」


 やっぱりだ。目の前の上品ぶっている貴族二人は、ルディーの事を侮っている。

 表向きには知られていないからか、ルディーの事を騎士団長とはいえ、ただの庶民の出だと思って下に見ている。自分達が貴族だから、対等の関係などあり得ないと……。

 何という愚かな傲慢ぶりだ。幸希は湧き上がる怒りを必死に抑え込みながらも、ルディーの前に出る事は許されなかった。


「それはどうも……。普段はあっちの姿の方が楽だからな。あえてそうしているだけだ」


「あぁ、確かに。頼りない少年の姿では、ユキ姫様の護衛は務まりませんからね。賢明な選択ですよ」


「騎士団長が護衛役であれば、ユキ姫様も頼もしい事でしょう」


 それ以上、余計な事を言わない方がいい。

 幸希がそう感じ取ったのは、ルディーの気配が徐々に剣呑なものに変わり始めたからだ。

 狼王族のものとは違う、魔竜の血が色濃く出るその姿から立ち昇っていくのは……、闘気。

 高貴な身分だと、自分達の愚かさをわかっていない貴族の二人は……、まだ、ルディーの変化に気付いていない。


「確かに俺はユキ姫の護衛役だ。――だがな、それは騎士団長としてじゃない。彼女の恋人として、その守りをしている」


「る、ルディーさん」


「恋人……? あぁ、そういえば、そんな噂もありましたね」


「私も伺った事がありますよ。ですが……、適齢期までは、まだまだ時間があり過ぎますからね」


「どういう意味だ?」


「おや、失礼。男女の仲は、幻の如く移ろうものですから……。お二人の仲が末永く続く事を願ってやみませんよ」


 遠回しに、いつまでも王兄姫の傍にいられると思うなよ、と。

 彼らはルディーにわかりやすい喧嘩を売っているのだ。

 あぁ……、何と愚かな、何と浅はかで……、救いようのない。

 普段のルディーなら、きっと適当にかわしてこの場を後にしていただろう。

 だが、今の彼は違う。迂闊に触れようものならば、その激情に肉を引き裂かれる、そんな危惧を抱く程に……、危うい。

 ルディーの足元からぶわりと風が生じ、鈍感な貴族達に己の愚かさを突き付ける……、凄まじい闘気が大通りを行く他の者達まで恐怖を与え始めた。

 貴族二人の余裕じみた陰険な笑みが瞬時に消え去り、彼らの表情に絶望が宿る。


「――貴様らに案じられるまでもない」


 聴く者の心臓を握り潰してしまうかのような、威圧感に満ちた冷酷な声。

 ルディーは男達を憎悪に満ちた視線で睨み付け、次に幸希の腰を抱き寄せた。


「る、ルディーさんっ!? ――んんぅぅっ!!」


 顎先を持ち上げられ、強引に重ねられたルディーの唇。

 抵抗する幸希を巧みな力と仕草で押さえ込み、貴族の男達へと見せつけるように濡れて熱くなっている舌を捻じ込み、彼女の艶めいた吐息ごと飲み込んでいく。

 

「んっ、……は、ぁ、っ、んんっ」


 自分を気遣い、優しい動きで愛する時の感触じゃない。

 ルディーが今強いているキスは、あまりに酷く……、乱暴にも感じられるような、生々しく官能の気配を感じさせるもので、腰が砕けてしまいそうな程に淫らなものだった。

 唾液が混じり合い、口内で強く舌を吸い上げられた瞬間に、膝がガクガクと震えて、姿勢を保てなくなる。


「はぁ、……っ」



「お、おいっ!! 公衆の面前で無礼じゃないか!!」


「ユキ姫様の御身を人目も憚らずに穢すとは……っ、何を考えているんだ、貴殿は!!」


「言っただろ? 余計な心配をされたくねー、って」


「る、ルディーさ、きゃっ」


 非難の声を叫ぶ貴族の男性達に挑発的な視線を向け、ルディーが我が物顔で幸希を腕の中に捕らえる。彼女の頬を手のひらで愛おしそうに撫でながら、額や目元にキスを降らせ、妖しく微笑む。


「姫ちゃんは、俺のもんなんだよ。お・れ・の! 雑魚が何千匹たかってこようが、姫ちゃんを感じさせられるのは俺だけだし、この可愛い反応は、俺だけの特別だって……、底なしの馬鹿でも、わかるようにしてやったんだよ」


「「なっ!!」」


 喧嘩を売った愚か者共が屈辱的に顔を赤くするのとはまた別に、幸希はあまりの恥ずかしさに耐え切れず、ボカンッ! と、顔中が爆発するような心地に陥った。

 

(な、ななななななななななっ! ルディーさんてば、何考えてるのぉおおおおおおっ!!)


 自分の身体に触れてくる彼の手つきは艶めかしく、激怒している貴族達の視線や周囲の反応を気にする事もなく、ルディーは幸希を愛で続けている。

 その動きは、二人きりの時に一晩を共にする時と同じ、甘い、甘い、……困った熱を呼び起こすものだ。けれど……。


(さっきのキスで、もうアウトぉおおおおおおおおっ!!)


 こんな他国の地で、しかも、大通りのど真ん中で! 大注目を浴びながら!!

 しかし、逃げ出したくとも、あらゆる諸事情によってそれは阻まれてしまっている。

 

「ルディー・クライン……っ、ユキ姫様と我々への無礼、決して許さんぞ!!」


「あぁ、その通りだ! こんな野蛮極まりない輩、ユキ姫様に相応しくない! いや、ウォルヴァンシア騎士団の名折れだ!! 他国の貴族である我々にまでこんな屈辱をっ」


「はぁ……。貴族だから何だ? 高貴だとか主張する割に、やってる事は低級だろ。大体、俺と姫ちゃんは恋人同士としてこの国に来てるんだ。どこでイチャつこうが、咎められる筋合いはない。――それと」


 貴族という肩書以外に誇れるものがないのかと、ルディーはらしくもない嘲笑を二人に向け、幸希の左手を引き寄せた。薬指にきらりと光る、美しいアクアマリンに似た輝きを宿した指輪。

 ルディーに渡したはずの指輪が,何故自分の薬指に? 一体、いつ……。


「よく見ろ。この指輪は、お前達の国で崇められている、涙花ラル・フィアーラの雫だ」


「る、涙花……、だと!?」


「その雫を授けられたカップルは、永遠の愛と幸福を約束されるという……、あのっ!」


「その通り。滅多に手に入るもんでもない上に、エリュセード神族に名を連ねる愛の神が認めた恋人同士にしか与えられない、貴重な代物だ。――つまり、この指輪をしている俺と姫ちゃんは、この世界に認められた、誰にも邪魔出来ない絶対的な関係って事だ」


「ぐっ!!」


「くそっ……! 愛の神は、何故こんな野蛮な男をユキ姫様の相手にっ」


 まるで、某旅のご隠居様様に印籠を突き付けられた悪者達のように、石畳の上に這い蹲るノリの良い貴族男性達。幸希がるルディーの腕の中から大通りの様子を確認してみると、何故か道行く無関係の人達まで、有難そうに両手を祈りの形に組み、羨望を湛えた表情でこちらを見ていた。……涙花の影響力、恐るべし!


「庶民出の騎士団長如きが……っ」


「またそれか」


 ルディーが挑発的な行動を起こした為に、貴族の二人は猫被りさえ出来ず、怒りに打ち震えている。

 もう、幸希の事がどうこうという問題ではない。

自分達のプライドを傷付けられた恨み、それだけに囚われてしまっている。

ウォルヴァンシア王国の騎士団長、ルディー・クライン。

彼の出自は、一般的には庶民の出だと、確かに騎士団の個人記録に記されている。

本当は、竜煌族と呼ばれる魔竜種族の父親を持ち、尊きガデルフォーン皇族の血筋に名を連ねる者。

父親であるラシュディースが皇族の立場を捨てているとはいっても、その事実は動かない。

それを目の前の二人が知れば、完全な敗北が決まるのだろう。

――だが、幸希にとって、ルディーの持つステータスなど、どうでも良い事だった。

 今、一番大事な事は、大事な恋人を侮辱され続けている事。

 ルディーの魅力は、身分や血筋などではない。

 この十年近く、幸希はずっと見てきた。大好きな彼の、様々な表情を。

 彼の明るい笑顔、自分を呼ぶ優しい声、一緒にいると安心できる、陽だまりのような包容力。

 口にすれば、きりがないくらいに大好きなところがいっぱいあって、幸希はルディーの事を想うだけで幸せになれる。傍にいられればいい。ただ、この人と一緒にいられれば……。

 呆れ返っているルディーの力がほんの少し緩んでいる事に気付いた幸希は、さっきは出来なかった一歩を踏み出す事が出来た。


「姫ちゃ」


 貴族男性達のすぐ目の前に立ち、ゆっくり頭を下げる。


「お騒がせしてしまい、大変申し訳ありませんでした」


「い、いえ……っ、ユキ姫様が頭を下げられる事ではっ」


「そ、その通りです! ユキ姫様は、その男に無理矢理辱められたのですから、被害者ですよっ」


「やめろ! 姫ちゃんっ、頭なんか下げんな!!」


 焦りと怒り、そして、傷付いているようなルディーの声を背にしながら、さっきまでとはがらりと気配の変わった、上機嫌な男性達を見上げ、申し訳なさそうな顔から一転。


「じゃあ、次は私の番ですね」


「「え?」」

 

 幸希の表情が、苛烈で攻撃的な気配に染まった。


「ルディーさんに謝ってください」


「ゆ、ユキ姫……、様? 何を仰って」


「愚弄されたのは、ユキ姫様と、我々の方ですよっ? 一体どうされたのですかっ」


「その件に関しては、今私が謝った事で解決しました。だから、今度はこちらの番です。ルディーさんに対して言った、失礼な言動の全てを……、私がしたのと同じように、頭を下げて謝ってください!」


「ひ、姫ちゃん……」


 事あるごとに、彼らはルディーを侮辱し、貴族でないからと下に見た、蔑んだ。

 人と人が向き合う事に、身分など関係がない。大事なのは中身なのだと、どうしてわからないのか。

 眉を顰めて迫ってくる幸希の姿に、貴族二人は訳がわからないと言いたげながらも怯んでいる。

 庇われているルディー自身も、自分の恋人が発している怒気に気圧され、戸惑い気味だ。


「ルディーさんは、とっても素敵な人です! 貴方達みたいに自分の立場をひけらかして威張っている最低な人達とは違います!」


「「さ、最低……っ?」」


 自分を客観的に見る事の出来ない二人の男達は、連続的なショック音を脳内で聞きながら、今にも泣きだしそうだ。だが、まだ逃がさない。幸希は彼らにビシィイイイッ! と指を突き付け、声を張る。


「ええ、そうです! 自分が言っている事の中身も、その低レベルさにも気付けないような人……、貴族どうこう威張る前に、性根が腐ってます!! 中身がすっからかんのお馬鹿さんです!!」


「「なぁあああっ!!」」


「家柄よりも、中身で勝負出来る人になったらどうなんですか!! いいですか? 私のルディーさんは、身分や家柄を主張しなくても、溢れんばかりの魅力がぎゅぅうううううっ! と詰まった人なんです!! 貴方達なんか……っ、足元にも及ばない!!」


 こんなにもなりふり構わずに怒ったのは、いつぶりだろう。

 周囲から向けられる好奇や困惑の気配も、自分にとって敵だと認識している目の前の男達が傷付いているその姿も、何もかも、今の幸希にはどうでも良かった。

 

「ひ、姫ちゃん! もういいっ!! もういいからっ、ちょっと落ち着けって!!」


「嫌です!! この人達がルディーさんに謝るまで、絶対にやめません!!」


 見かねてルディーが伸ばしてきた手も払いのけ、幸希はますますヒートアップしていく。

 だが……、貴族達も言われっぱなしではなかった。

 愛らしき王兄姫殿下の豹変と、罵倒されたショックからどうにか心を立て直し、剣呑な表情で幸希を睨んでくる。


「ユキ姫様……、貴女が侮辱した我らは、この国の貴族。それを愚弄するという事は、我が国の王に対して刃を向けた事と同じなのですよっ」


 そんなわけがあるか! 狼に変じて襲い掛かってやろうかと、幸希の心に物騒な考えが浮かぶ。

 あれだけわかりやすく言われても、まだその立場や血筋に拘るのか、この馬鹿共は!

 幸希はこの国の王を馬鹿になどしていない。

 大体、彼女が知っているこの天空の王は、とても思慮深く、身分で人を判じるような御人ではない。

 一緒にされた王様に失礼だ。幸希は薄ら寒くなるような黒いオーラを滲ませながら、敵を睨み続ける。


「もう一度言います。ルディーさんに謝ってください!」


「お断りします。この場合、我らに謝罪すべきは、ユキ姫様ですからね……。淑女たるものが声を荒げて、他者を侮辱するなど……、あぁ、そういえば、……ユキ姫様は、異世界でお育ちになられた方だと窺った事があります。その影響でしょうか?」


「そうですか。今度は私の育った環境を馬鹿にしたいんですか? 王族であっても、育ちが悪いと、今そう聞こえましたよ」


「おやおや。そこまでは言っておりませんよ。そちらの庶民的な騎士団長殿と、実はよくお似合いだと、そう思ったま」


「黙れ」


 報復に転じた男達が幸希を傷付けようと重ねていた言葉に、……恐ろしく冷たい音が割り込んだ。

 戦闘態勢のような気配に包まれている幸希を背に庇い、ルディーは自分の顔を見て青ざめている男二人に凄まじい殺気を容赦なくぶつけてやる。


「本当の事を言われて、図星突かれて八つ当たりするような奴は、姫ちゃんの言う通り……、貴族以前に、中身がボロクソの屑野郎だ」


「何を、――っ!」


 男達は何も言えなくなった。……大切な恋人を侮辱され、抑えが利かなくなった、その怒りの表情を直視してしまったせいで。これ以上何か言えば、一瞬で肉を引き裂かれ、息の根を止められてしまう。生命としての、根本的な生存本能が、彼らに警鐘を打ち鳴らしているのだ。

 ルディーの感情に呼応して、その足元からは徐々にヒビが入り……、ついには地鳴りと大きな音を響かせて、大通り中にその亀裂が広がった。

 服越しでも肌に伝わってくる、総毛立つような危うい気配……。

 貴族二人はその場を動けないどころか、今にも喰われて絶命しそうな顔で震えあがっている。


「礼をしてやるよ……。俺と姫ちゃんの分……、何千倍にもして、たっぷりとな」


「「ひぃいいいいいっ!!」」


 不味い。竜煌族……、それも、皇族の中でも特に強いその血が……、彼を魔竜の本性に染め上げていこうとしている。このままでは……、確実に、あの男達だけでなく、この大通り中に被害が降りかかってしまうかもしれない。駄目だ、早く止めなくては。

 大慌てで幸希がルディーの前にまわろうとすると、別のところから助けの手が入った。


「ルディー・クライン殿。申し訳ありませんが、その辺りで怒りを収めては頂けませんか?」


 凶悪的な気配に支配されている場へと、彼らは特に気にした様子もなく踏み込んでくる。

 長い水銀髪を背に流している執事服を纏った若い男性と、彼の隣にちょこんとくっついている、物静かそうな印象を与える幼い少女。二人はルディーの近くへと寄ってくると、一緒に揃って頭を下げた。


「我が国の者が失礼をいたしました」


「お馬鹿さん達の相手をさせてごめんなさいね? ユキお姉さん、ルディーさん」


「ラフィアス王子……、フィアラ姫」


 貴族の二人が驚きショックを受けるのは当然だ。

 今、ルディーと幸希に対して頭を下げているのは、この国の第一王子と王女。

 幸希も何度か会った事があり、フィアラ姫とは文通友達でもある。

 その二人が、民や臣下の目を気にせず、自分達のせいでもない非を詫びるとは……。


「何をなさっているのですか! 殿下っ、姫っ」


「黙れ。わからないのなら、今すぐにその頭の中身を引き摺り出して……、踏み潰してやろうか?」


「で、殿下……っ」


 一瞬垣間見えた、ラフィアス王子の抑え込まれた怒りの気配。

 自国の臣下に対して、心底軽蔑しきっているような音を滲ませ、ラフィアス王子は彼らに命じる。

 ――ルディーと幸希に対する非礼を詫びろ、と。

 勿論、彼らが重要視する絶対的な掟が目の前にあるのだ。逆らうすべはない。

 

「「も、申し訳……、ありません、でした」」 


 心の籠っていない謝罪。幸希もルディーも、それに対して何かを感じる事はない。

 

「おや……、誰が突っ立ったまま詫びろと言った?」


「土下座……。ユキお姉さんとルディーさんの前で跪いて、顔面を地面に擦り付けて言うべきだと思うの」


「「ひ、姫……っ」」


「ねぇ、お兄様?」


「フィアラの言う通りです。そうでもしなければ、ユキ姫殿とルディー・クライン殿の気が済まないでしょうしね。……勿論、私達の気も、ですが」


「「ぐ……っ。ぎょ、御意の、ままにっ」」


 自分達の身分を誇っていた彼らにとって、これ程屈辱的な事はないだろう。

 幸希が謝罪を求めた時に頭だけでも下げておけば、さらなる苦汁を舐める羽目にはならなかった。

 だが、――もう、遅い。愚かなる男二人は、幸希とルディーの前に立ち、そして。


「「我らが非礼、どうか……、お許しを」」


 強制されて詫びられても、心が晴れる事はない。だが、今はこれでいいだろう。

 いつか彼らが価値観を改めてくれる事を願いながら、幸希はルディー達と一緒に逃げ去っていく男達を見送った。


「ふぅ……。ああいう馬鹿は、どこの国でも共通だな」


「お兄様、ああいうタイプは首輪を着けて、廊下のゴミ掃除でもやらせておけば、少しはマシになるかもしれませんわ。勿論、掃除道具はその舌で。ふふ」


「あぁ、それがいいな。今度やってみようか。フィアラは頭が良いな。よしよし」


「ふふ、それほどでもありませんわ」


「はは……。相変わらず、ですね。お二人とも」


 兄妹揃って、見事なサディストっぷりだ。

 それに安心していいのか、それとも矯正が必要だと思うべきなのか……。

 幸希は引き攣った愛想笑いでこちらを向いた天空の王族兄妹と久しぶりの挨拶を交わすと、先程の件について礼を言った。


「お気になさらずに。喧嘩を売る相手を間違った愚かな者には、まだまだ生温い処置で申し訳ありませんでしたが……。後日、追加で仕置きを与えておきますのでご安心を」


「ふふ、楽しみ。二度と威張れないように罰を考えておかなきゃ」


「ど、どうかお気になさらずに……。お手柔らかにしてあげてください」


「…………」


 逃走したあの二人には、先程の仕打ちで十分だろう。プライドはバキッと折れ曲がり、家に帰れば羞恥と屈辱に塗れて泣き寝入る事は確実だ。

 だが、非情になれない幸希とは違い、ルディーの方はまだ怒りを解いていないようだった。

 両腕を胸の下で組み合わせ、天空の兄妹を睨んでいる。


「……私達の介入が気に入らなかった、という顔だな? ルディー」


 普段は誰にでも敬語口調のラフィアスは、それに値しない相手へと、長年の友人に対しては別の、素の気配でルディーに声をかける。

 本気で射殺しそうな視線を向けるルディーにも、天空の王子は恐れを覚えていないようだ。


「邪魔すんなよ……」


「誤解するな。あの馬鹿共の為じゃない。お前が本気を出して暴れると、周囲の民が迷惑する。俺は、この国の王子として最善の道を選んだだけだ」


「……ふん」


「ユキお姉さんも、お兄様と同じ事を思って止めようとしていたの。わかるでしょ?」


「……姫ちゃん」


 ルディーがそれをわからないわけがない。

 普段の彼ならば、暴走しようとする目下の者達を諫め、宥めるのが常なのだから。

 幸希は自分の前に来たルディーと見つめ合い、その手に頬を包まれる。


「ごめんな……、姫ちゃん。ちょっと、頭に血が上っちまった」


「いいえ……。私も、同じたから。ルディーさんの事を馬鹿にされて、つい……」


「姫ちゃん……」


 自然と、彼の胸に顔を寄せて温もりを寄せた幸希に、ルディーも微笑みを浮かべて両腕の中に彼女を閉じ込める。幸希自身も、彼らが謝罪をせず、大切な恋人の事をあれ以上罵倒されていたら……。神々が慌てる程の暴走を見せていたかもしれない。

 他の事など何ひとつ考えられず、愛する人を守りたい一心で……。


「ルディー、ユキ姫殿……。そのままラブイチャモードはご遠慮願いたいと……、あぁ、聞こえてないな。鬱陶しい余波が……、はぁ」


「バカップルというやつですわ、お兄様。……ふふ、今度の執筆のネタに、たっぷりと観察を」


「フィアラ……、涎が出てるぞ」


「ご心配なく。これは萌え成分たっぷりの甘いシロップですから」


「アホを言ってないで、口を拭きなさい。口を」


 見事に二人だけの世界に突入してしまった幸希とルディーを放置し、天空の王族兄妹は……、いや、兄の方だけが集まって来た王都内の警備兵達に後片付けを命じ、一人こっそりと疲労の息を吐いたのだった。

 


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「――へ? 親父達の所に行きたい? これから?」


「はい。出来れば……、今、すぐに」


 王都での一件から数時間後、あたたかなオレンジの光に照らされた大通りの真ん中で、ルディーは幸希から予想外のおねだりを受けていた。

 この国での予定は全て終了し、後はウォルヴァンシアに帰るだけ、……なのだが。

 

「何か急用なのか? いや……、それだったら、待ち合わせの時点で言うよな」


「あの……、さ、最初から、決めていた事なんです。デートが終わった後にお願いしよう、って」


「何の用事か……、聞いてもいいか?」


「そ、それは……、ラシュディースさん達の所に着くまで、……出来れば、内緒で」


 意味がわからない。

 突然自分の両親に会いたいと言い出す恋人。面識は何度かあるわけだが、彼女が個人的にあの二人に用事があるようには思えないのだが……。

 しかも、内緒……。両親に会うまでは言えない、と。……何だかモヤモヤする。

 だが、ルディーはそれ以上口を割らせる事は良くないと考え、幸希を連れてラシュディース達の許に向かう事を決めたのだった。

 俯いてしまった恋人が……、酷く落ち着かない、真っ赤な顔をしている事を知らずに。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「お~! ルディー!! それに、ユキ姫じゃないか!!」


「あら、いらっしゃい、ユキさん。それと、ついでにルディーも」


 大事な息子についで呼ばわりかい。

 先日訪れた町へと飛んで来たルディーは、宿屋の一室で寛いでいた二人に、相変わらずだなぁと思いながら、幸希に続いて中に入った。

 温もりの感じられる丸い木造りのテーブルでお茶を飲んでいる両親の向かい側にルディーが幸希を促すが……、何故か、彼女は動かない。


「姫ちゃん……?」


 奇妙に思い、その肩を抱いて顔を覗き込んでみれば……。

 微かに息を乱し、炎の塊でも飲み込んだかのような顔をして震える彼女を見つけてしまった。

 

「ひ、姫ちゃん……、どうし」


「お、お義父さん!! お義母さん!!」


「「「へ?」」」


 幸希の異変を理解出来ないルディーを置いてきぼりに、彼女は彼の両親の足許に飛び込み、正座スタイルで三つ指をついた。

 湯でダコのような顔で声を震わせ、まさかの――。


「む、息子さんを、息子さんを、私に下さい!!」


 ……、…………、…………。

 今、ゴンッ!! と、痛そうな激突音がしたような気がするが、それよりも、彼女は今、何と言っただろうか? ルディーは両親と一緒に目を見開いてカパッと間抜けな感じで口を開けたまま、完全に動きも思考も止まってしまった。

 聞き間違いか? 何か……、夢のような台詞が大音量で聞こえたような……。


「あ、あ~……、姫ちゃ~ん。今、何て言ったんだ?」


「え……っ? も、もう一回、ですか?」


 うるうると涙ぐむ、恋人の可愛い過ぎる反応を前に即押し倒したくなろうとも、ここは譲れない。

 ルディーは真顔でコクコクと頷き、耳だんぼでバッチリと聞く体勢に入った。

 母親も父親も、同じく、だ。


「む、息子さんを……、る、ルディーさんを……っ、私に下さい!!」


「な、何だってぇええええええええええええええええええええええ!?!?」


「「…………」」


 今度は間違いない!! 幸希の愛らしい声が、確かにそう言った!!

 自分の事が欲しいと、所謂……、け、結婚の許しを求める発言が、今確かにっ!!

 人生初と言ってもいいくらいに凄まじい衝撃と喜びが、ルディーの中を駆け巡る。

 

「ユキ姫……、ひとつ聞くが、今のは……、ウチの息子を嫁にくれという頼みだろうか?」


「嫁違う!! 婿!! 婿だろ!! 親父!!」


「落ち着きなさいな、ルディー。どっちも一緒よ」


「どこがだよ!! あ、あぁっ、そうじゃなくて!! え~とっ、うぅっ、ひ、姫ちゃんっ!! ほ、本気なのか!? 本気で……、その、俺と……、け、結婚したい、って」


「は、……はい。勿論、ルディーさんがお嫌でなければ、なんです、けど」


 もう満身創痍のていで恥ずかしがっている幸希に、ルディーは理性を総動員しなければならないほど、心を乱してしまう。

 幸希が自分を欲しがっている? 夫に望んでいる? 冗談じゃなく? 本当に?

 胸の奥から湧き上がってくる大きな幸福感の気配に心を擽られながら、ルディーは自分を落ち着かせようと自制心を働かせ、……何故か、狼の姿に変じてしまった。


『ひ、姫ちゃん……っ、あ、あのっ、あのっ、ひ、姫ちゃんは、その、まだ少女期から成熟期に入ったばっかで……、あ~、わ、若い、っつーか、幼い、わけで、だな……っ。こ、こんな、早く……、じ、人生を決めちまって、後悔……、こ、後悔っ、しないのか?』


 あくまで彼女の幸せと人生を考えて言ったルディーだが、その尻尾は喜びのあまり全開で大きく振りまくられているが、生憎と本人は無自覚だ。

 白銀髪の長い巻き毛を揺らし、ルディーの母親がニヤニヤと息子の貴重な姿に微笑む。


「ねぇ、ラシュ……。私、ルディーのこんな面白い反応、初めて見たわ~。ふふ、レアねぇ」


「ははっ。俺も同じくだ。記録シャルフォニアで記念を収めておこう」


 記録の術を発動されても気付かないルディーは、太い前足をひょいひょいと掻くようにしながら言葉を続け、幸希の決意を何度も何度も確認せずにはいられなかった。

 彼女にとって、早すぎる婚姻が負担とならないか……。自分が夫で本当に良いのか、後悔はしないのか……。らしくもない不安ばかりが、彼女に救いを求めてやまない。

 

「ルディーさんこそ、私をお嫁さんにしても……、後悔しませんか?」


『するわけない!! 俺は、俺はっ、姫ちゃんが傍にいてくれるなら、一生幸せだって断言出来る!!』


「私だって同じです!! ルディーさんが旦那様になってくれるなら、一生幸せを感じながら生きていけるってそう思います!! むしろ、私がルディーさんを幸せにする気満々でお願いに来てるんですから!!」


『姫ちゃぁぁん……っ!!』


 白銀と、僅かに紅の房飾りのような色合いの交じる毛並みに覆われたルディーが、はにゃぁぁああんと幸せそうに蕩けた表情を見せる。

 自分を両手に抱き締めてくれる恋人に頭を擦り付け、甘えた声が何度も何度も零れ落ちてゆく。

 本当に良いのだろうか? 自分が彼女の伴侶となっても……。

 溢れんばかりの幸福感を覚えながら、再び人の姿に戻る。勿論、大人の男性としての姿に。

 膝を着いて幸希を抱き締め、力強い抱擁でその想いに応える。


「嬉しい、嬉し過ぎてヤバイ……っ。なぁ、本当に、本当の、本当なんだよな? 姫ちゃん、俺と結婚したいって、そう言ってくれてんだよな? 夢じゃないよなっ?」


「ふふ、勿論ですっ。――ルディーさん、私の旦那様になってくれますか? 一生懸命、頑張って幸せにしますから」


 ニッコリと頼もしい言葉をくれる恋人に、その唇を深く、熱く、愛を捧げながら塞ぐ事で応える。

 早過ぎると、彼女を幸せにする自信が持てないと、自分だけが満たされていいのだろうかと思っていたのに……。彼女はルディーの予想も不安も、ひょいっと飛び越えてしまった。

 二人で一緒に幸せになろうと、そう言ってくれる彼女が眩しくて、あたたかくて……。

 ルディーは彼女の温もりを名残惜しげに離し、蕩けるような笑みを向けて答えた。


「俺を、姫ちゃんの旦那にしてほしい。絶対に、俺の全てを懸けて幸せにするから」


「ルディーさん……」


「まぁ、本当は親父達にじゃなく、先に俺の方に言ってほしかったなぁ~と、そう思うんだけどな。でも、すっげぇ嬉しいサプライズだったよ。ありがとな、姫ちゃん」


 幸希の頭を胸に抱き寄せて、ルディーは蒼い髪を梳きながら聞いた。

 彼女が、一応は先にご両親の許可を取ってから、改めてプロポーズを、と、恥ずかしそうに打ち明ける声を。そうすれば、もっと勇気が出るかもしれないと思った事も。

 それと……、結婚すれば、面倒な押しかけ人達がいなくなって、ルディーが安心して仕事に精を出せるのではないか、と。


「私のせいで、沢山の迷惑を掛けてしまいましたから……。でも、それは理由のひとつであって、私がルディーさんと結婚したい思いは、ずっと前からのものなんです!! だからっ」


「うん、わかってる。姫ちゃんの本音は、全部俺のもんだから。ちゃんとわかってる」


「良かったな~、ルディー! お前の悩みも今日で解決だ。ユキ姫がその気でいる以上、レイフィード王もユーディス殿も、駄目とは言わないだろう。ははっ、めでたいなぁ~!」


「ふふ、おめでとう。ルディー、幸希さん。勿論私達も賛成よ。ルディーの面白い姿も見られたし、貴女なら、これからも私の興味を擽るような楽しい事をしでかしてくれそうだもの」


 面白い事を目にする為ならば、息子さえもその対象……、と。

 そんな相変わらずの母親に半眼を向けながら、ルディーは大きく溜息を漏らす。

 まぁいい。反対されずに許しを貰えたのだ。今日はどれだけいじられても、からかわれても、ぐっと耐える事にしよう。

 幸せな気分を味わいながら晴れやかな諦めを覚え、ルディーはその日の夕食を家族と一緒に過ごす事になったのだった。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「きゃっ! る、ルディーさんっ!?」


「姫ちゃん……」


 彼の家族と一緒に楽しい夕食時間を過ごした後、幸希はルディーと一緒にウォルヴァンシア王宮にある自分の部屋へと戻って来た。

 いつもなら、扉の前で少し話をして、おやすみの挨拶を交わすのだが……。

 今夜のルディーは、幸希がもたらした大きな幸福の波に溺れ、目つきが少々違っていた。

 幸希の部屋の明かりを点けないままベッドに彼女を押し倒し、大きなその身体で覆い被さり……。


「まだ、……イリュフィア・デーは終わってないだろ?」


「え? で、でも……、クッキーを貰いましたよ?」


「それだけじゃ足りない……。俺は姫ちゃんに……、もっと、もっと、尽くしたい」


 耳朶をぺろりと艶っぽい仕草で舐められ、濡れた声音で囁かれてぞくりと肌が震えた。

 ルディーは幸希の手から放れたクッキーの袋を掴み、中からハート型の一枚を取り出し、それを口に銜える。


「ルディーさ……、んぅっ、ふあ、っ」


「……これも一緒に、な? 二人で味を確かめながら、……姫ちゃんに俺の気持ちを伝えさせてくれ。イリュフィア・デーの分も、今日、姫ちゃんから貰った最高の幸せの分も……」


 イリュフィア・デーは、恋人にとって男性は女性に感謝と愛を伝える日。

 時刻はまだ、このイベントが終わるまでに一時間以上ある。二人の邪魔をするものは、何もない。

 幸希は彼の熱に唇を奪われながら、徐々に戸惑いを捨て去り、うっとりと身を委ね始めた。

 愛する人の温もり、愛する人が与えてくれる喜び。ここは、二人だけの楽園。

 今まで以上の幸せが幸希の心を満たし、彼もまた、目の前の温もりを求めて愛を囁き続ける。

 もうすぐ変わってゆく、二人の新たな関係……。幸希と彼が掴み取った光溢れる未来への道は、その期待と想いを裏切る事はないだろう。

 

「姫ちゃん……、愛してる。これからも、ずっと、ずっと……」


 暗闇の中でもわかる、泣き出しそうな顔なのに、感動を滲ませながら喜びを宿す彼のその表情。

 幸希は両手を持ち上げて彼の頬を包み込むと、その温もりにキスをして、同じように笑みを返した。

――愛してる、ずっと、ずっと。

自分も同じ気持ちだと、その瞳に甘い熱を揺らめかせて……、幸希は夢のような甘いひとときに溺れていった。

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