襲撃
グラニアスへ向かう一行は、リースのおかげもあって、なんの障害もなく進んでいく。
なにせ危険なことがあると先に精霊が知らせてくれ、それをリースが共有してくれるからだ。
これまで敵国だったからと、敵意むき出しだったグラニアスの兵士からすら信頼を得始めていっているリースに、アグニだけは複雑な様子だ。
しかし、アグニ一人がなんと言おうとなにか変わるわけではない。
隊長という立場とは言え、この軍の中にはアグニより地位が上のアルウィンがおり、さらに国のトップであるユリウスがいる。
警戒心が誰よりも強いはずのユリウスを手のひらで転がすように扱うリースに、アルウィンもただただ面白いものを見つけたというように見守るだけで、アグニのように食ってかかることはない。
少なくともこの軍隊のトップ二人を味方につけている以上、リースが害される心配はなかった。
まあ、ユリウスの力がなくともリースは敵対する者を蹴散らすだけの力は持っているのであまり意味はなかったりするが、問題が起きないに越したことはない。
ただ、リースはそろそろかと警戒はしていた。
「ロイド、ちゃんと計画は頭に入っているわね?」
「はい。確かに」
「それならいいわ。できればなにごともなくグラニアスに着いてほしいのだけど、難しいでしょうね」
「ええ、間違いなく」
そんな会話がされていたことを、ユリウスは知らない。
***
青く晴れた空の下、フィーリアの姫を連れたグラニアス軍は山道を進んでいた。
左側は深い谷となっており、遥か下には流れの早い川が見える。
一度足を踏み外したなら命はないだろう。
それほどの高さがある。
「そろそろ国境を越えたでしょうか?」
馬車内にいることでベールを脱いで気楽に過ごしているロゼットがリースに問う。
リースとは違い、ロゼットはほぼ馬車の中か天幕の中にいるので外の様子が分からないのだ。
ロゼットがどんなに有能な侍女でも、音だけで現在どのあたりを進んでいるか知るのはさすがに不可能だ。
しかし、それを可能にしてしまえるのが加護持ちというものである。
「そうね、ヘルツ国にはすでに入っているわ」
リースは迷わず答えた。
グラニアスへ行くまでには、ヘルツ国とサンストン国を通る必要がある。
小国で目立った特産品もないこの二つの国は、グラニアスがフィーリアへ侵攻した際、あっさりとフィーリアを見捨ててグラニアス側についた国でもある。
ライアンは二国の王族とは幾度か顔を合わせたことはあるが、あまり深く関わり合いになりたい相手ではないと漏らしていた。
それでも近隣国ということで、数少ない交流のある国だ。
好き嫌いで政を判断するわけにはいかない。
しかし、今回あっさりとフィーリアを見捨てた件もあるので、ライアンは今後の付き合いを見直すだろう。
グラニアスという大国を前にくだるという判断しか残されていなかったとしても、簡単に裏切る国とこれまで通りの付き合いをしていくのは難しい。
フィーリア国内からも反発は大きいだろうと考えるとなおさらだ。
なにより、ライアンは裏切り者にはそれはもう厳しい。
冷酷などと呼ばれているユリウスがかわいく感じるほどに過激に制裁をするはず。
泣いて慈悲を乞うても、天使のように慈愛に満ちた微笑みで相手の傷をグリグリと痛みつけることができるのがライアンという人間だ。
「まさかフィーリアがグラニアスと対等な同盟を結ぶとは思いもしなかったでしょうね。今頃両国のトップ陣が血相を変えているのが目に浮かぶわ」
くくっと笑うリースの目はひどく冷ややかだ。
「姫様、今すっごく極悪な顔をなさっておりますよ」
「お兄様には負けるわよ。今頃おもちゃを見つけた無知な子供のように残忍な計画を練っているでしょうから」
「それについては否定いたしません。自分達の愚かさにいつ気がつくでしょうか?」
「すべてが終わった頃かしらね。よりによってお兄様を敵に回すだなんて、あの方達は選択を誤ったわ。格好の理由を与えてしまったんですもの」
「欲張りすぎたのでしょうね」
「そうね」
ふふっと笑うリースは、次の瞬間ぴくりと反応する。
その目が見ているのは、ここではない遠く。
「姫様?」
真剣な表情を浮かべるロゼットに、リースはくっと口角を上げる。
「本当に愚かね。そうは思わない?」
「ライアン様の予想通りでしたか」
「ええ。お兄様の忠告に耳を傾けていたらよかったのに、若輩者と侮って選択を見誤ったようよ。ロゼット、ベールを被っていて。あなたはリース王女よ、これからなにが起こってもね。分かった?」
「かしこまりました」
ロゼットは一つ頷いてから重いベールをしっかりと被った。
そして走る馬車の扉を開ける。
するとすぐさまロイドが馬車と並走した。
「来ましたか?」
「ええ」
いちいち説明する必要などない。
すべてを了承したように表情を引き締めるロイドは、走ったままの馬車に手を伸ばした。
その手を取ってジャンプするロゼットは軽やかな身のこなしでロイドの馬に飛び乗った。
ロイドの後ろに座ると、すかさず馬車の扉も閉める。
そうすれば、フィーリアから連れてきた者達がいち早く気がついて集まってくる。
「皆は姫様をお願いね」
「御意」
侍女相手にその返答の仕方は駄目でしょうにと思うリースは苦笑し、次に空を見あげる。
正確には崖の上だ。
左は深い谷、右は急斜面の崖となり森となっているが、その木々の隙間からきらりと光るものが確かに見えた。
「襲撃よ! 備えて!」
リースの鈴のように澄んだ声が警戒をにじませて周囲に響いた。
まるでそれが合図となるかのように、崖の上から矢が雨のように降り注いでくる。
「わぁぁ!」
「奇襲だ!」
「武器を取れ!」
さすが最強の軍事力を持つとされるグラニアスの兵士だけあり、一瞬動揺を見せたものの、すぐに戦闘態勢へと入った。
それでも、矢の数があまりにも多い。
普通なら完全に防ぎきることはできず、幾人かの死傷者を出すはずだが、それがどうしたとばかりにリースが手を上に上げると、突風が巻き起こり飛んでくる矢の勢いを殺して地面にばらばらと落ちていく。
呆気にとられたのは敵だけではなく、グラニアスの兵士もだ。
「まじ?」
「すげぇ……」
思わずといったようにグラニアスの兵士から零れた言葉が、リースの力の異常性を如実に表している。
ユリウスも矢が避けていく経験は持っており、その場面を目にした者も多いだろうが、あくまで守られていたのはユリウスだけ。
他の兵士までを守るまではできなかった。
それは力がどのようにして発動するかを知らないからであり、物心つく頃から加護持ちとして力の制御と訓練を重ねてきたリースにとっては、この程度の規模の範囲を矢から守るぐらいわけなかった。
「なにをしているんですか? 来ますよ」
決して怒鳴っているわけではないのに、リースの声はよく響いた。
そしてその言葉ではっと我に返ったグラニアス兵士はおのおの武器を構える。
すると、崖の上の木々に身を隠していた敵襲が勢いよく下ってきた。
統率の取れた動きからして野盗などではない。ちゃんと戦闘の訓練をされた兵士だ。
しかし、どこに属している者かは分からず、目的も分からない。
この場には必ず守らなければならない対象が二人いる。
皇帝ユリウスと、輿入れするフィーリアの姫であるリースだ。
しかもただの小国の姫ではない。
帝国とも並び立つ大国ラヴィニール国王の孫娘でもある。
傷一つつけるわけにはいかないと素早い判断を下せた者も中にはおり、ロゼットの乗る馬車に走った。そんなグラニアスの兵士を、すかさずリースが止めた。
「姫様の馬車はフィーリアの者で守るので構いません。襲撃した者の排除に専念してください」
「は、はい!」
「矢からは私が守ります。散らばらず、固まって順に片付けていってください」
「はっ!」
くるりと踵を返してリースに従うグラニアスの兵士の姿に違和感を持っている者が果たしてどれだけいるだろうか。
まるでそうあることが当然であるように、リースの言葉通りに動いていく。
リースの気迫と堂々とした様、そして落ち着き払った姿に、グラニアス兵士達は突然の攻撃に怯むどころか安心感すら抱いていた。
まるで唯一の主と定め、剣を捧げたユリウスとともに戦う時に似た感覚を宿す。
そんなグラニアス兵士達にリースは指示を出していると、猛然と向かってきたのがアグニである。
「貴様! なにを勝手にうちの兵士を顎で使っているんだ!!」
「この状況下でそんなことしか言えない無能は黙っていてくれますか」
「無能⁉」
そんなこと初めて言われたというように衝撃を受けているアグニに、リースは困ったように頬に手を当てた。
「どうやらあなたは隊長でありながら兵士に指示を出すよりも私に文句を言うことを最優先するのですね。兵士を殺したいのかしら?」
「そんなわけないだろう!」
「けれどあなたの行動がそれを肯定していると分かっています? 周りを見なさい」
リースは乗っていた馬から降りると、笑顔を消し、刺すような冷たい眼差しでアグニに告げる。
「武器を持ちそれぞれ戦う部下の中、隊長であるあなたはなにをしているのかしら? 私に難癖をつけることがあなたの役目なの?」
リースだけではない、ともにいるロイドも馬に乗りながら非難するように見下ろしていた。
「役目を果たせないなら隊長職など捨てなさい。それが他の兵士の命を守るためになるわ」
「っ……」
ぐっと息を呑むアグニへの興味は早々に失せ、リースはロイドの馬に装備されていた剣を抜き、己も戦いに参加するべく敵の中へ進んでいった。
ロイドもついていこうとしたが、リースが視線でそれを止める。
ロイドがするべき仕事は襲撃に対処することではない。
なにも言わずともそれを理解したロイドは、すでに進み行くリースに声をかける。
「ご武運を」
「誰に言ってるのよ」
くすりと笑うリースに、ロイドは苦笑して馬の向きを変えた。
リースとは反対の方向へ走るロイドをリースは背で感じて、敵の真っただ中に飛び込んでいく。




