剛力突破
小虫の大群を何とか振り切ったアムルとブラハムだが、それでこの城のトラップが終わりと言う訳では……当然、無い。
ここは魔王城の地下。アムルたちは今、その地下道を進んでいる。
当然の事ながら、何の障害も無く進めると言う訳では無い。
そして、襲い来るのは何も魔獣の群ればかりと言う訳では無いのだ。
「うおおおぉぉっ!」
「がんばれぇ、ブラハムゥ」
ブラハムは今、アムルを小脇に抱えて疾駆していた。……いや、疾駆しているつもりで足を動かしていた。
だが残念ながら、彼の思いはその行動に伴っていない。ブラハムが上げる気合の声程に、彼の足は素早く動いてくれなかったのだ。
それもそのはずで、彼の足は何やら粘着質のものに取られて動かすのも困難だと見て取れた。そしてその床は、随分と先の方まで続いていたのだ。
「なぁ、ブラハム。俺も降りて走った方が早いんじゃないか?」
僅かに進むだけでも四苦八苦するブラハムを見かねて、アムルはそう提案した。今のブラハムは、深い沼に足を取られている様なものだ。そんな状態ならば、少しでも自身が軽い方が良いに決まっている。
「はぁ……はぁ……。うるせぇ、黙ってろ! 喋るのも……楽じゃねぇ……うおっ!」
そんなアムルにブラハムは口を閉じる様に告げるのだが、そのセリフは最後まで言い切る事が許されなかった。
ここは魔王城であり、様々な魔獣や罠が侵入者の行く手を遮る。
今ブラハムが足を取られている床も、その罠の一環という事になるのだが。
彼が罠に嵌っているからと言って、魔獣が攻撃を仕掛けてこないという決まりはない。
そして今まさにブラハムは、壁に設けられた穴より出現した魔獣の襲撃を受けたのだった。その魔獣の姿はヒルとナメクジを掛け合わせたような……ミミズの様な姿をしている。全身をドロッとした粘液で覆われ、一見すれば気持ちの悪い外見をしていた。
「ちぃっ! ぜぇぜぇ……こ……こいつらはなんで……はぁはぁ……この床の上を自由に動けんだよ!」
剣を振るいながら、辟易したと言わんばかりに、息も絶え絶えなブラハムが批難を口にする。
地の利は敵にありこちらが不利になるのは当然とはいえ、ブラハムの疑問ももっともなところであった。粘着性の床に敵味方は関係なく、踏み込んだ者全てに作用して然りだからだ。
「ああ、こいつらは『粘質性迎撃型伏兵魔獣 RG―019 リーチスラッグ』だ。この『足を取られる床』の罠近辺に配置された魔獣だな。しっかし、こんなものまで利用するなんてなぁ……」
ブラハムの疑問に対するアムルの答えは、嫌悪感を存分に孕みつつも呆れているものだった。確かに時折襲い来る魔獣の外見は、忌避するに十分な姿をしている。
「あいつらは、体から分泌している粘液でこの床の影響を受けないんだ。強さはそれなりなんだが、こっちは事実上動けないからな。この場所に限って言えば、厄介この上ない相手だよ」
巨大なミミズの化け物……リーチスラッグに斬り付け怪物を寄せ付けないようにしているブラハムの左わきの下で、抱きかかえられたままのアムルが大きく嘆息する。それは、この罠を発動させた者の心情が理解出来ないと言った風情を含んでいた。
「なるっ……ほどっ……なっ! だから実際以上に速く感じるって訳か。確かに、面倒くせぇ相手だなぁ」
襲い掛かって来たリーチスラッグを何とか叩きのめし、ブラハムはアムルに感想を述べた。
両断された怪物は、本当ならば気色の悪い姿で足元に事がっている筈なのだが、魔王城に生息する魔獣は全て魔導生物である。
倒されれば、程なくして霧散して消えうせる事がブラハムにとってはせめてもの救いだった。
リーチスラッグを屠り、ブラハムは再び歩を進める。そして十数歩進むたびに、魔獣の襲撃を受けると言う事の繰り返しが行われていた。
しかも厄介なのは、必ずしも前方から現れると言う訳でも、1対1と言う構図になると言う訳でもないところにある。時には2匹同時に、しかも前後から襲われる事もあった。
「おい、アムル! いいな! お前ぇは絶対、手ぇ出すなよ!」
襲い来るリーチスラッグを相手取りながら、ブラハムは魔法を使おうとする気配を見せるアムルにそう念を押した。
その度にアムルは、加勢しようとして用意した魔法を引っ込めていたのだった。
先ほどのバグズのいた通路を越えてから、殆どの戦闘はブラハム一人で対応していた。
それだけではなく、仕掛けられた数々の罠の全てを解除……ではなく粉砕してきたのは、彼の剛力だったのだ。
ブラハムはこれから先、アムルの力が必ず必要となることを感じ取っていた。勿論、そうならないならばその方が良いとも考えていたのだが。
しかし魔王城に配置されている魔獣の質を考えれば、どんどんと強くなっていく事は想像に難くない。
だからブラハムは、可能な限り彼の手で魔獣を倒し罠を踏破してアムルの体力と魔力を温存しようと考えていたのだ。
「ぐぅぬううぅぅっ!」
出現したリーチスラッグを倒し、ブラハムは再び進軍を開始する。魔獣の強さを考えれば、彼にとって厄介なのは足を取られる床の方なのだ。
強力に足を取られながら、ブラハムはアムルを抱えて只管前進していったのだった。
何とか「足を取られる床」の区画を抜ける事に成功したブラハムは、その後も彼が先頭に立ち迫りくる魔獣や設置された罠に対処していた。対処……と言っても、その殆どが力技の猪突猛進で粉砕していくスタイルなのだが。
それでもその無茶が功を奏し、アムルの温存に成功していた。
「……おい。……大丈夫かよ」
しかしその代償は、ブラハムの大きな消耗と言う形で表れていた。
「ぶはぁっ! ……ぶはぁっ! ……ぜぇ……ぜぇ」
走り、飛び、剣を振るい、時には力尽くで防ぎ支え……と、獅子奮迅の大活躍を見せたブラハムは、アムルの問い掛けに答える事も出来ない。
確かにアムルが魔法を使う機会は殆どなく彼を消耗させる事は無かったが、その代わりブラハムが異常な疲労を見せていたのだ。これにはアムルも、心配せずにはいられない。
「……でも、ありがとな。おかげであれから、殆ど魔法を使う事が無かった。それに、何とかここまで来る事が出来たからな」
そういってアムルは、目の前にある豪奢な扉に目をやった。
随分と古いものの様で、所々は薄汚れ苔むしている。それでも元々の作りが立派だからだろうか、威厳の様な佇まいを感じさせていた。
アムルは、その扉を1度見た事があった。
言うまでも無くそれは、前回この魔王城を攻略した時に……である。
「はぁ……はぁ……。そ……それじゃあここが……マロールの旦那の部屋って訳か……?」
アムルの記憶が確かならば、この扉はブラハムの言った通り「伝説の悪龍 マロール」の守護する部屋であった。
それが証拠に、扉には見たことのある大きなプレートが張り付けてあった。
ただし。
―――知の者よ、その意を示せ。その智謀持ちて、この扉を開き推し通ってみよ。考え無き者に、この扉は応えぬ。
「……こりゃあ、どういう意味だ?」
「……さぁ?」
ブラハムの質問に、アムルは怪訝な表情で首を傾げていた。
それもそのはずで、以前に訪れた際の文言はこの様なものでは無かったのだ。
アムルは暫し考えると、扉の周囲を探り出した。
「……おい、アムル? 何やってんだ?」
「おいおい。お前は以前カレンと世界を旅して廻ったんだろう? 彼女の話だと、様々な経験があれば俺の行動もすぐに理解出来そうなもんだけどな」
扉の横の壁を探っていたアムルは、ブラハムにそう返すと今度はその反対側を調べ始めた。その間、ブラハムが彼の手伝いをする素振りなど無い。それもそのはずで。
「いやぁ……。頭を使う事は、全部マーニャやエレーナに任せてたからなぁ」
乾いた笑いをこぼして、頭を掻きながらブラハムはアムルへそう答えたのだった。
見たことのあるようで微妙に違いを見せる「マロールの扉」。
果たして、この扉を開けるには?
そして……中には……?




