アンギロ潜入
見晴らしの良い原野でくつろぐチェーニとラズゥエル。
それが出来る理由が2人には……いや、チェーニにはあったのだ。
チェーニ=アウグステンが勇者として召し上げられたその最大の理由が、彼女の持つその能力であった。
体つきは華奢を通り越していっそ貧相に近く、剣技や体術は同じ「勇者の中の勇者」の中でも下位に近い。
それでも100人からなる勇者集団において中の上相当に位置づけられているのは、偏に彼女の使う能力の賜物だったのだ。
その能力とは「オンミツフィールド」。
その名の通り自らの気配を一切消すことの出来る、潜入作戦には打って付けと言って良い特殊技能である。
ただ単純に気配を消すだけならば、一流の盗賊や暗殺者、狩人などでも出来てしまう。
故に、チェーニの能力はただそれだけではない。
彼女の能力は自らの気を消すだけではなく、音や臭いと言った生物が発してしまう存在感を隠してしまうのだ。
しかもそれだけではない。
更に秀逸なのは、その効果範囲をある程度広げる事が出来るという点にある。
これによりチェーニがこの効果を持続させている間は、同行者もその恩恵を受ける事が出来るのだ。
彼女たちはこの魔界へと降り立ってすぐはそれを使わずに、魔界の魔物と遭遇し戦った。
もっともこれはこの世界の魔物の強さを測る為でもあり、ある意味で意図的だった。
そしてその強さを実感して後は、チェーニは常にこの能力を発動させながら移動していたのだ。
これにより、彼女の同行者であるラズゥエルも野に生息する魔物から感知される事も、襲われる様な事も無かったのだった。
この魔界で、見晴らしの良い平原で腰を下ろし野営が出来るのも彼女の能力があってこそだったと言えた。
「あれは……街ではありませんか?」
それから更に進むこと3日。
チェーニとラズゥエルは、漸く多くの人が住む街らしい影を捉えた。
道中に集落や村はあったのだが、そこには彼女たちの望む様な情報や道具は無かった。
そしてチェーニたちは、ある程度大きな街を目指して歩を進めていたのだ。
と言っても、闇雲に先を急ぐような事は出来ない。
如何にチェーニの「オンミツフィールド」が効果を発しているとはいえ、何時如何なる理由でその効力を破られるか知れたものではない。
それに普段は、その効果を「気配を消す」だけに留めている。
無闇に本気の「オンミツフィールド」を使用するものならば、チェーニの魔力がすぐに枯渇してしまうからだ。
その考えが彼女たちをして慎重に歩ませる結果となり、今眼前に見える街「魔界第4の街アンギロ」への到着にここまでの日数が掛かってしまった理由でもあった。
「……ああ。漸くここからが本番。で、あんたの能力を活かせる可能性があるってこったな」
隣にいる相棒、ラズゥエルに目をやりながら、チェーニは街へ向けて一歩踏み出したのだった。
周囲を石造りの壁に囲まれた堅固な街アンギロは、異界門に最も近い「伝魔境」のレプリカを保持した城塞都市である。
古くは人界への通路とも言える異界門に近い最前線拠点として栄え、今では交通の要所という事もありそれなりに賑わっている。
つい最近までは庶民の生活に異界門など必要がなく、もっぱら人界側に設けられている魔族軍拠点への差し入れであったり、人界側から情報を携えて戻って来た諜報員が立ち寄る街として利用されていた。
それなりに重要な役割を与えられている観点から歴代の魔族首脳陣も重要視し、設備の増設や保持、物資の流通はそれなり行われ、それもこの街の繁栄につながっていた。
それだけに城塞門は厳重に警護され、通行にはやや面倒な手続きが必要となるのだが。
「やっぱりでけぇ街だったんだなぁ! これなら、何か魔王に繋がる物があるかもしれねぇな!」
あっさりと街中への侵入を果たしたチェーニは、その街の賑わいを見てどこか嬉しそうの大声を上げていた。
今も尚彼女の技能「オンミツフィールド」は作動中であるのだが、これほどの大声を上げれば本来ならば不審に思う者が出てきて然りだろう。
それでもそうならなかったのは、彼女たちのいる通りには多くの人々が行きかい、周囲は活気のある声で溢れていたからだった。
「……チェーニ。あまり大声を出さないでください。それに、通りの方へは立たない方が……」
そんなチェーニに向けてラズゥエルが注意を促していた。
今回はたまたまその声に耳を傾ける者も居なかったが、誰がいつ不審に思うか知れたものではない。
それを危惧した彼が、チェーニに向けて周囲を警戒する様に話そうとしたのだが。
「……いて! ……んん?」
彼が全ての台詞を言い切る前に、前方不注意だったチェーニが通りがかりの町人と接触したのだった。
ぶつかった魔族の男は、何もない処で何かに当たった事を不思議に思いながらも、恐らくは気のせいだったのかと考えたのか首を傾げながらそのまま立ち去っていった。
「……チェーニ」
「あっはははは。わぁりぃ、わりぃ。気を付けるよ」
呆れた声を出すラズゥエルに対して、バツが悪そうに乾いた笑いを上げたチェーニが謝罪する。
そんな彼女に向けて、ラズゥエルは小さく嘆息したのだった。
彼女の能力「オンミツフィールド」はその気配を立ち、使用する魔力量によっては存在すら希薄にしてしまう優れたものだ。
しかし言うまでも無く、その場所から完全に消え失せている訳では無い。
周囲の者がチェーニやその効果範囲内の者を感知出来なくとも、確かに彼女たちはそこにいるのだ。
当然、先ほどのようにぶつかれば接触するし、攻撃を受ければダメージも受け、切りつけられれば死にもする。
そうと知られていなければ隠密作戦や暗殺にこれほど打って付けの能力はなく、どれほどの剛の者であっても彼女の接近に気付かなければ背後から刺されて一巻の終わりであろう。
だがそれを知っていたり気付いているものならば、チェーニの能力について対処する事も可能なのだ。
それゆえ、チェーニは「勇者の中の勇者」として召し抱えられはしても、「神色の勇者」として「神色」を与えられる存在とはなれなかったのだった。
「気を付けて下さいよ。出来るだけあなたの能力は、誰にも知られない様にしたいのですから」
彼女の能力を確りと把握しているラズゥエルは、今一つ緊張感が足りないチェーニに苦言を呈し。
「だからぁ、わ―――かってるって言ってるだろ。……それより」
小言を煩わしく思ったチェーニは、ぞんざいな相槌で応えたのだった。
本当ならば、その事についてラズゥエルはもう少し注意喚起する気であったのかもしれない。
彼女の能力が知られその効力が発揮されない様な状況にでもなったのなら、それは即ちラズゥエル自身もその姿を晒す事となる。
魔法にはある程度自信のある彼ではあるが、それでも「神色」に選ばれる程ではない。
そんなラズゥエルが敵地で丸見えとなってしまっては、絶命するのも時間の問題なのだ。
そう……これは、彼女だけの問題では無かった。
それでもそれ以上文句をつけなかったのは、チェーニが語尾に付けた内容を彼も理解していたからに他ならない。
彼女たちの眼前には、周囲よりも一際大きく立派な建物が姿を現したのだ。
誰が見てもそれはこの街の象徴的建造物であり、中心的な役目を担っている事が伺えた。
そしてその様な建物を利用しているのは、間違いなくこの街の支配者や管理者と言ったところだろう。
そここそが、チェーニとラズゥエルが目的としている場所であった。
目くばせをして意思の疎通を確認した2人は、その建物の入り口らしき場所を目指して歩き出したのだった。
無事に「第4の都市 アンギロ」へと潜入を果たしたチェーニとラズゥエル。
順調に目的を熟す2人だが、そういつまでもトラブルが無い筈が無かったのだった。




