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邪竜マレフィクト

不意に伝えられたエレーナの懐妊。

軍議の場に似つかわしくないその報告に、一同は場合を忘れて喜ぶのだが。

 エレーナの告白と、それを聞いたカレンとのやり取りで、エレーナの身に何が起きているのかを知ったその場の一同は俄かに喜色ばんだ。


「お、おめでとうございますっ! エレーナ様っ!」


 真っ先に祝いの言葉を口にしたのはリィツアーノであった。

 バトラキールは、ニコニコと微笑み頷きを繰り返していた。

 アムルを含めたそれ以外の者達は、驚きの余り声も出せずに呆然としていたのだが。


「おめでとう! エレーナ!」


 僅かな間の後にマーニャがリィツアーノに続くとブラハム、レギーナも祝福を送っていた。

 それを受けるエレーナは、ただただ頬を赤らめて俯くばかりである。

 そして。


「……エレーナ、おめでとう。そして……ありがとう」


 アムルがゆっくりとエレーナへ近づき、彼女の両肩に手を置いてそう告げた。

 そうと分かる満面の笑みとなったエレーナは、頬を幸せ色に染めて頷き返していた。

 先ほどまでの重苦しい雰囲気はこの瞬間完全に消えうせ、会議室は幸福の空気で満たされていたのだが。


「……アムル様」


 頃合いと見たバトラキールが申し分ないタイミングでアムルの背後に近づくと、彼の耳元で先を促したのだった。

 確かにこの場は今起きている人界軍侵攻に対して論議する場であって、エレーナの懐妊を祝福する場合ではない。


「……それでは、改めて軍の編成について申し渡す」


 席に戻ったアムルが、この場の責任者然とした雰囲気で口を開いた。

 一同も、いつまでも先ほどまでの余韻を引きずることなく席に着き、真剣な眼差しで彼に視線を注ぐ。


「俺は全軍総司令官として前線に立つ。副官として、バトラキールは帯同せよ。魔族軍指揮官としてリィツアーノ。そして魔導部隊参謀として……エイミーとマリンに従軍する様に伝達してくれ」


 ここまでの配置に、先ほどとの大きな違いはない。

 強いて言うならば、魔導部隊に同行するのがエレーナではなく、マーニャと共に人界よりやって来た2人の魔女に代わった事だろうか。

 ただし、このことに異を唱える者はこの場にはいない。


「魔王城にて俺の代行はレギーナが執り行う。マーニャはその参謀として手を貸してやってくれ。カレンは魔王城防衛部隊の責任者として、ブラハムはカレンと共にこの城の警護を頼む。エレーナは新たに防御主任とする。その防御魔法で、もしもの時は防衛に力を貸してくれ。マリンダとミリンダには引き続き、アミラとケビンの教育係兼護衛をしてもらう。そして……」


 続けたアムルの指示にも、この場の誰もが異議を唱えなかった。

 先ほどカレンとブラハムも、魔王城に残ることを了承している。

 マーニャも生まれたばかりのアーニャを放ってはおけないし、エレーナは激しい行動が憚られる状態なのだ。反論など出ようはずもない。


 マーニャの連れてきた4人の魔女の内、マリンダとミリンダは魔界の風土や風習に興味があるようで、熱心に魔界の地を研究していた。

 また双子の魔女であるマリンダとミリンダもすでに魔族の中に溶け込んでおり、教育役としてアミラとケビンに付きっ切りであるが、それも楽しんでいる様子がうかがえる。

 本人たちは魔法に興味があるらしく、人界では得ることの出来ない魔力に関する文献を研究していた。

 彼女たちに共通する事は人界に然程執着していない……思い入れが無いようであり、この戦いにおいて人族と対立するという事実を前にしても、魔族に手を貸してくれる事に疑いはないという事だろう。

 それを知っているからなのか、その事に関しても何ら一同から異見は出なかったのだが。


 それでも、その後に続いたアムルの言葉には、誰もが異論と不安を抱えずにはいられなかった。


「そしてこの戦争には、魔王城より古龍である悪龍マロールと邪竜マレフィクト(・・・・・・・・)を連れてゆく。あいつらも退屈しているだろうから、ここで目いっぱい暴れさせようと思う」


 浮かべた笑みの中に意地の悪い成分を含めたアムルが、その案を一同に公表したのだ。

 さすがにこれには、様々な意味で誰もが絶句してしまっていた。


 古龍は、その姿を見るのも稀有な存在である。

 人界、魔界に複数確認されている龍族(ドラゴン)。しかしそのどれもが、知能の低い魔獣の域を出ない。

 勿論、他の魔獣と比べれば十分に賢いと言えるのだろうが、それでも意味のある言葉を話して他種族と意思を通わせる事など出来ないだろう。

 しかし、古龍種はその限りではない。

 悠久の刻を生きたドラゴンには高い知性が備わり、その知識は人のそれをはるかに凌駕する。

 古龍の特性として、長く生きれば生きるほどに強靭な肉体を手に入れる事を考えれば、間違いなくこの世界で最強クラスの生物だと言える。

 そんな古龍種においても、更に上位種が存在する。それが……伝説に謳われる「最古龍」であった。

 様々な伝承や神話に登場するその古龍たちは、中には創世神話にも記されている者も居た。

 そんな古龍の中でも狂暴で名高い「悪龍マロール」と、邪悪で知れ渡っている「邪竜マレフィクト」をこの戦に投入しようというのだ。

 誰もがみな言葉を失うのも、仕方のない事であった。


「あ……暴れさせようと思うって、アムル! マロールは分かるけど、マレフィクトは私がいないと(・・・・・・)言う事を(・・・・)聞かせられない(・・・・・・・)かもしれない(・・・・・・)のよ!? 下手をすれば、自軍にも被害が出るかもしれない。ちょっと、危険じゃない!?」


 その事に最も異を唱えたのは、誰あろうカレンだった。

 もっとも彼女が異議を口にしたのは、何も危険な存在だからだと言うだけでは無く。

 そこにはどこか必死さがうかがえる、忌避感さえ滲み出ていたのだった。


 邪竜マレフィクト。

 悪龍マロールと並んで、伝承やおとぎ話で登場する古龍が一種である。

 もっともその存在は、非常に悪辣卑劣で狡猾残忍、非道凶悪の象徴としてであるのだが。

 マロールもまた恐怖の象徴として描かれていたりもするが、その本質は「力」であろう。

 これ以上ない狂暴な力で、その目に映るもの全てを灰燼に帰す……それが、マロールが恐れられる一因である。

 対してマレフィクトもまたマロールに引けを取らない力の持ち主であるのだが、その本質は「知」に依るところが大きい。

 人を騙し、陥れ、操り……破滅に追いやる。

 マレフィクトを記した書物には、大体がその様な嫌らしい出来事や伝説が書き連ねられているのだ。


 そして、それは殆ど事実であった。


 その事をアムルたちは、数年前に知ることとなる。


「危険かもしれないが、カレンがいない今、あの戦力は非常に有効だぞ。マロールだけでも十分かも知れないが、念のためにマレフィクトも投入しておきたい」


「だ……だったら! セヘルマギアにお願いすればいいじゃないっ!」


 半ば必死さを漂わせるカレンの抗議にアムルはもっともな回答を行うものの、カレンはその懸命さからなのか、咄嗟の中にも実に合理的な意見を口にしたのだった。

 だが。


「セヘルマギアはダメだ。この城の魔王の間より下階を護る最後の砦だからな。強力な存在は、出来るだけあるに越した事は無い。何よりも、セヘルマギア自身がこの城を離れようとしないんだから、しょうがないだろう?」


 アムルに正面から正論で返され、さしものカレンも閉口を余儀なくされたのだった。


 魔竜セヘルマギアは、古龍種の中でも「原初の龍」と謳われる最古龍の一体である。

 その姿は創世神話にも記されており、魔界は勿論の事、人界にも広く言い伝えられている神の化身が如き存在であった。

 非常に知能が高く温厚で話の通じる存在であるのだが、その力は当然というべきか古龍種の中でも群を抜いて高い。

 何よりも、あの好戦的なマロールが一目置いている存在だと言えば、それがどの程度なのか分かるというものだろう。

 その様な古龍を人族の前に立たせれば、ただそれだけで勝敗は決するかもしれない。

 しかし、肝心のセヘルマギア自身がこの城を離れようとはしないのだから、こればかりはどうしようもなかったのだった。


 他に反論を思いつかないカレンは黙り込み、この口論は棚上げとなった。

 それは取りも直さず、アムルの案がそのまま決定事項として進んでゆくという事にほかならず。


「さて、それじゃあマロールとマレフィクトに事の次第を説明に行くか。マロールがごねたら俺が何とかするから、マレフィクトはカレン……よろしくな(・・・・・)


「エェ―――……」


 アムルのどこか意地の悪い言い様にカレンは心底嫌そうな表情を浮かべ、ただそれだけを口にしたのだった。


古龍種の参戦。

しかもその一方は、得体のしれない邪竜マレフィクトであった。

アムルたちは古龍たちの参戦を願い出るため、階下にいる彼らの元へと向かう。

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