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アムルの決断

アムルが悶々としている間にも、魔界を襲う暗雲は刻一刻と濃くなってゆく。

そして遂に、恐れていた事態が発生した。


 アムルの元に人界軍の報告が齎されてより6日後。

 知らされていたよりも1日早く、人界軍が魔界への侵入を果たしたのだった。

 その数……3万。

 100人単位で異界門(トロン・ゲート)を潜り抜けてきた人界軍は、ある程度の人数が揃うと隊を組み、周辺地域の制圧へと乗り出していた。

 その間、アムルの指示は精彩を欠き、魔族軍を迎撃の為に動かしたのもつい先日である。

 これはひとえに、カレンたちにこのことを知られないよう内密に動いていた結果であり、完全に後手に回った事は否めなかった。


「……くそ」


 そしてアムルは、そんな自分の不甲斐ない指導に苛立ちを感じていた。

 差配はバトラキールとリィツアーノが行い不備はない。

 問題があるとすればそれは、アムルの決断の鈍さに依るところが大きいのだ。

 そんな彼の遅怠が、最も恐れていた事態を引き起こす事となったのだった。




 その急報は、人界軍が魔界へ侵攻したと告げられた翌日に齎される。


「そ……それで、被害はっ!? 村民はっ!?」


 1日早く到達した人界軍はそのままアムルの予測を上回る展開を見せ、周囲の村落に襲い掛かったのだった。

 その殆どは避難を完了していたとはいえ、流石に全ての村でと言う訳にはいかず。


「は……。未だ残っていた村民300、およびその村の警護に回っていた我が軍の兵士120は全て……殺されました」


「全滅……。皆殺しか」


 報告している兵士は意気消沈ながらも歯噛みし、その悔しさを滲ませている。

 そしてそれはそのまま、アムルの気持ちにも同義だ。

 いや、口惜しさでいうならば、彼の方が数倍も上だろう。

 その住民と兵士の死は、正しくアムルの決断が遅れたせいでもあるのだから。

 皮膚から血がにじむほど強く拳を握りこんだアムルだが、その怒りや悔恨を表情に出すような事はしない。


「……ご苦労だった。別命があるまで、所定の場所で待機せよ」


 そして、怒りを押し殺した声音でそう命じた。

 伝令の兵は深く一礼すると、そのまま魔王の間より退室していったのだった。


「……バトラキール、何か言いたいことがあるんじゃあないか?」


 兵士の姿が去って暫くし、漸く口を開いたアムルは腹心であるバトラキールにそう質問した。

 そこには、どこか自嘲気味な色さえ含まれて見える。

 それに対して、バトラキールは否定もせず、窘めもせずに返答した。


「いいえ、アムル様。何事にも、間違いのない決定などございません。今回はアムル様の判断が裏目に出た結果となっているかもしれませんが、もしも違った指示を行ったとて、それが最良であったとはいえますまい」


 バトラキールの言い様は、一般論以上のものではなかった。

 それでもそれは、今のアムルの心を軽くするだけの力を持っていたのだった。

 自分の決断を後悔する者にしてみれば、その時の決定を認めるでも否定されるでもない、ただ間違っていないとだけ言って欲しいものなのだ。

 彼の一言で、アムルの気持ちが随分と楽になったのは事実であった。

 ただし、だからと言って事態が好転するわけでも、問題が解決するわけでもない。


「……1時間後に会議を行う。主だった者を会議室へ」


 アムルは、バトラキールにそれだけを告げた。

 問題のカレンたちについて一切の指示を与えなかったのだが、バトラキールはその事に触れず、恭しく一礼するとそのまま魔王の間を後にしたのだった。


 バトラキールが魔王の間を出るのと入れ替わりに入って来たのは、アムルの正室であるレギーナだった。

 彼女は一言も声を発することなく、ただ無言で歩を進め玉座に座るアムルの隣まで来るとその傍らにスッと佇んだ。


「……カレンたちは?」


 アムルは、レギーナが何故この魔王城へと来ているのかを問わなかった。

 もっとも、ここへと来るのにそれほど労力を要するわけではない。

 伝魔境を使えば、1分と掛からずレークスの仮王宮から来る事が出来るのだ。


「あの子達は、王宮でアミラ達の相手をしてくれております」


 レギーナは、アムルの質問に簡潔に答えた。

 カレンたちも、来ようと思えばすぐにここへと来れるだろう。

 しかし現在レギーナを含めて彼女たちは、魔王城へ来ることを控えるようアムルより言い渡されているのだ。

 ただし、理由は本当のものではなく。

 ただ単に、忙しいからとだけ告げられていたのだった。

 それ自体に嘘はない。事実、人界軍の対応でアムルは忙殺されていたのだから。


「……なぁ、レギーナ。あいつらは……」


「私を含め、彼女たちもあなたがその様に思い悩んでいる理由を存じません。……もっとも、薄々は気付いておりますでしょうが」


 アムルに質問を全て言わせることなく、レギーナが彼に切り返した。


「……だよなぁ」


 そんなレギーナにアムルは、どこか自嘲気味の笑みを浮かべ俯きそう答えるだけだった。

 アムルが如何に平静を装うとも、にじみ出る焦燥感などは隠しようがない。

 彼が苦悩を抱えている事は、レギーナだけでなくカレンやマーニャ、エレーナも察しているのだ。

 察していて、あえて何も問わなかったのだった。


「……なぁ、レギーナ。聞いてくれるか?」


「なんでもお話しください」


 今までアムルが、公私を問わず自身の悩みをレギーナに相談する事は殆どなかった。

 それは何も、彼がレギーナを信用していないという事ではない。

 どのような難題に直面しても、これまで彼はバトラキールやリィツアーノ、その他の部下たちと協力する事で乗り越えてきたからだ。

 だが今回はそんな部下たちに頼ることも出来ず、自身でもどうすれば良いか結論を出せずにいたのだ。

 アムルは静かに、そしてゆっくりとレギーナに事の顛末を話し出したのだった。




 一頻り話し終え、僅かな沈黙の後。


「カレンたちにお話になられるが宜しいと存じます」


 レギーナは、ただそれだけをピシャリと言い切った。

 その果断な物言いに、アムルは呆気に取られてすぐには次の言葉が出せない程であった。


「だ……だが、カレンたちの元居た陣営だぞ!? それに人界軍の中には、彼女達やブラハムの知己や部下がいるかもしれない。彼女達には酷な話じゃあないか?」


 そんなアムルのカレンたちを思いやった言葉を聞いても、レギーナの表情は小動(こゆるぎ)もしなかった。


「あなたが、彼女たちの気持ちを尊重する事には理解できます。ですがそれは、カレンやマーニャ、エレーナにブラハムの気持ちを軽んじる発言にも感じられますわ」


 彼女にそう返され、アムルは絶句を余儀なくされていた。

 深くカレンたちの立場を考えていたつもりが、それが彼女たちを軽視していると言われればそうもなろう。


「カレンたちが、どのような苦悩を乗り越えてこの魔界に根を下ろしたのか。単純に彼女たちが、人界に居場所がなくなったから……人界に戻れば殺されるかもしれないからと言う理由だけで、この魔界で永住する事を決める訳はないでしょう? ブラハムなどは、今でこそこちらで家族と暮らしていますが、当時その家族が人界に居たのですよ? それでも彼は、この地で暮らすと決めたのです。それが、どれほどの苦渋の決断の上に成り立っているのか、あなたにもお分かりになるでしょう?」


 レギーナの話は、アムルには良く分かることであった。

 そしてそれは、無事に人界から魔界へと家族を呼び寄せる事が出来たブラハムだけに当てはまる事ではない。

 カレンやマーニャ、エレーナもまた、大事な者や恩師などと今生の別れを済ませてきたのだ。

 その覚悟は決して軽いものではないと、アムルも分かっていたはずである。


「それに、お忘れですか? カレンもマーニャもエレーナも、もうあなたの妻のですよ? そしてブラハムを含めた4人とも、もうとっくに魔族ですわ」


 レギーナは、アムルがつい失念していたことを明確にしてゆく。

 これにはアムルも、目を覚まされる思いであった。


「そう……だったな。あいつらはもう、とっくに魔界の住人だったな。……ありがとう、レギーナ」


 不要な火種を起こさぬように、カレンたちの所在を暈す事は必要であったかもしれない。

 その為に、人界に対して魔界から過剰なアプローチを控えるという事も、間違いではなかっただろう。

 だが人界の暴挙に対して、必要以上にカレンたちの事を慮る必要はない……と、アムルはレギーナによって思い出させられたのだった。


「……レギーナ。カレンたちを、会議室へ呼んでくれないか? ……大人しく怒られるよ」


 先ほどまでとは違う笑顔で、アムルはレギーナにそう頼んだ。

 カレンたちが、アムルが今まで抱いていた考えを聞けば、間違いなく憤慨するだろう。アムルはそう観念していた。


「ふふふ。あの子達も、もう立派にこの魔界を支える王族です。きっとあなたの苦悩も理解してくれますよ」


 すでに歩き出していたレギーナは、背中越しにアムルへとそう告げると、そのまま魔王の間を後にしたのだった。

 大きくため息を吐いたアムルだが、もう先ほどまでの思いつめた表情を浮かべてはいない。


「バトラキール!」


 アムルもまた玉座を立ち、歩を進めながら信頼する侍従の名を呼んだのだった。



吹っ切れたアムルは、幾分晴れた表情となり魔王の間を後にした。

そして彼は、全てをカレンたちに話し理解を得るつもり……だったのだが。

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