story2「すれ違う心」
「あー……疲れた」
雫の奴コキ使いやがって……。相変わらず、俺を荷物台車みたいに思ってるだろ。修羅流道場(雫の実家でやってる道場)の備品買い出しとか、俺関係ないじゃん。なんで連れて行かれなきゃいけないんだよ。
おかげで貴重な学校帰りの放課後時間が潰れた。もう夕方じゃん。時間は金で買えないんだぞ。なによりも貴重な物なんだぞ。
「……あ」
玄関に入ると、瑠璃の靴があった。帰ってきてるな。
いや、だからどうしたって話なんだけど……いつもなら別に全く気にすることじゃないんだけど。今日の学校での出来事と、レナの話と、一緒に帰るのを拒否されたって話の後だと、なんか気まずい。
どうやって接するべきか。いや、とりあえず話しかけないで、さっさと自分の部屋に行くべきか? 時間が解決してくれるだろう。時間をかければ瑠璃の機嫌も良くなる。さっき、自分で時間は金で買えないとか言っててあれだけど。
「……いや、それは俺じゃない」
そんな気弱な行動は俺じゃない。ここは明るく瑠璃に接してあげるべきだろう。いつも通り……いつも通りでいいんだ。
軽くスキップしながら廊下を移動。キッチンから音がする。たぶん、夕飯の支度をしてるんだろう。俺は無駄に勢いよく扉を開けてリビングを通り抜け、キッチンに向かって声を張った。
「今帰ったぞ! 今日の夕飯はなにかな! 瑠璃の作る飯はなんでも美味――」
「お兄ちゃん。うるさい」
一瞬で一蹴された。
その場で固まった俺を無視して、瑠璃は冷蔵庫にある食材を確認。まるで俺という存在なんてそこにいないかのように、夕飯の準備を進めた。
「……」
駄目だ。まだ怒ってる。
その怒ってる理由が俺にはいまいちわからないから、余計に罰が悪い。俺はどうすればいいんだ? この空回りした想いはどこに向ければいいんだ? スキップなんかしてたのが馬鹿みたいだ。見られてないでよかった。
「……な、なにか手伝おうか?」
「いいから部屋行ってて」
つ、冷たい声。俺の心に突き刺さる。
でも俺は負けないぞ!
瑠璃の後ろからちらっと覗き込む。野菜を切ってるようだ。人参にジャガイモに玉ねぎ。横にカレーのルーがあるところを見ると。
「今日はカレーかぁ。やっぱり瑠璃の大好きな激辛カレーなんだろうなぁ」
「お兄ちゃんのは別に作るから安心して」
それは全く安心できないんだけど。嫁さんに「今日は外で勝手に食べて」って言われた夫みたいで惨めなんだけど。確かに、レナも辛いの大丈夫だから、俺だけなんだけどさ。辛いのが苦手なの。でも、俺が普通なんだよ? 一般的なんだよ? なのになんで俺だけ除け者扱いなんだ……。
「見られてると気が散るよ」
尚も、俺に対して冷たい態度の瑠璃。たまーに機嫌悪くなるときはあるけど、今日は重症だな。このままだとやばい。兄妹の溝がどんどん深くなっていったら洒落にならん。なんとかこの空気を変えなければ……。
「いや、瑠璃があまりにも可愛いから目が離せなくて」
「――!?」
瑠璃の体がビクンと震えた。それと同時に悲鳴。
「いたっ!?」
「お、おい! 大丈夫か?」
包丁で指を切ってしまったようだ。珍しいな。瑠璃がそんな失敗するなんて。わかりやすいぐらいに動揺してたけど。俺、そんな大したこと言ってないぞ。
救急箱から絆創膏を持ってきて、指に貼ってやる。その間も、瑠璃は俺のことを見ようとしない。顔を少し赤くして、目を逸らしてる。なんだ? 失敗したのがそんなに恥ずかしいのか。
「気をつけろよ? まぁそんなに深く切ってないから心配ないと思うけど」
「……いいから手、放して」
手を振りほどかれてしまった。
優しいお兄ちゃんモードでも駄目か。いや、別にご機嫌を取ろうとしてたんじゃなくて、普通に心配してただけだけど。
……今はへたに話しかけない方がいいか。焼け石に水って言葉もあるし。
「じゃあ俺は部屋に行ってるよ。うるさくして悪かったな」
もう時間が解決してくれるのを待つしかない。うるさいお兄ちゃんはさっさと部屋に退散しよう。
「お兄ちゃん」
と、思ったら……予想外に瑠璃に呼び止められた。そして、
「……ありがと」
俺のことをちょっと見て、お礼を言ってきた。
……俺は心配しすぎだったのかもしれないな。俺たちはいつも通りだ。いつも通り、仲の良い兄妹。
「なに言ってんだ。可愛い妹のためならこれぐらい……」
やっと俺のことを見てくれたことに、少し気分が良くなって浮かれてたのかもしれない。
だからいつも通り、自然と出てしまった言葉。
レナに、言わないほうがいいって言われてたのに……。
慌てて言葉を止めたけど、もう遅かった。
瑠璃は目を見開いて、俺のことを見ている。
ほんの数秒前に俺を見たときとは違う。悲しそうな。寂しそうな目で。
でもやっぱり、俺にはなんで瑠璃がそんな目をするのかがわからない。
そんな自分が、このときだけは憎かった。
「る、瑠璃……えっと……」
なんて言っていいのかわからず、俺はただただ、言葉を詰まらせる。
瑠璃はなにも答えない。
しばらくの間、時計の指針が動く音だけが、キッチンに響いた。
なにか言わなきゃ。なにか言わなきゃ。
そうやって思考を巡らせても、やっぱりなにも声にならない。
やがて瑠璃は俺から目を逸らして、言葉を出す。
「……お兄ちゃんにとって」
震える声で。
「私は……ただの妹でしかないの?」
本当に、震える声で。
なんで……そんな声を出すんだよ。
なんで……そんなに悲しそうなんだよ。
「……それってどういう意味――」
やっと声が出た俺だったけど、瑠璃はそんな声を聞きたくないかのように耳を塞ぐ。そして、そのまま俺の横をすり抜けて出て行ってしまった。
「瑠璃!?」
とりあえず止めなきゃ! そう思って、俺も後を追った。廊下に出たとき、瑠璃の姿はすでに玄関にあった。そのまま外に出ていく。
「待てって! 瑠璃――」
俺も慌てて靴を履いて追いかけようと外に出たとき、
「きゃあ!?」
「あだっ!?」
入れ違いに中に入ってきた人影にぶつかって、お互いに尻餅をつく。
「レ、レナ……」
「よ、葉介? どうしたんですか? 瑠璃も今、すごい勢いで走って行きましたけど」
そ、そうだ。今はそれよりも瑠璃だ! 俺は立ち上がってすぐに外に出る。でも、すでに瑠璃の姿は見えなかった。
「……」
「葉介……?」
どうしたんだよ。瑠璃。
いや……。
俺はどうすればよかったんだよ。瑠璃。
あの悲しそうな目を見て……。
俺はなんて答えればよかったんだよ。
★☆★☆★☆
「はぁ……はぁ……」
家を飛び出した瑠璃は、当てもなく、町を走り続けた。
胸が潰れそうだ。
走り続けているせいではない。悲しさと寂しさで、ただただ、胸が苦しい。
わかっている。悪いのは葉介ではない。
現実を受け入れられない自分だ。
血が繋がっていないとはいえ、葉介と自分は兄妹。その現実を。
この想いを抑えきれない自分が悪いのだ。
でも……それでも……。
最近は寂しさを隠せない。
自分を妹としてしか見てくれないことに。
「はぁ……はぁ……」
やっと足を止めると、そこは町外れの丘だった。知らず知らずのうちに、こんな所まで来ていたらしい。ただでさえ人通りの少ない場所だ。この時間に人影は見えない。息を整えるために、丘を下って小川の傍まで行く。
きっと今、自分はひどい顔をしているのだろう。
葉介にもひどい態度を取ってしまったのだろう。
最低だ。
「……あ……」
堪えきれず、目から涙がこぼれる。
どうすればいいのだろう。
この想いを抱えたまま、ずっと兄妹でいるしかないのだろうか。それが一番いいのだろうか。
葉介にとっても自分にとっても……。
日が暮れ始める。暗闇と共に、急激な寂しさが込み上げてくる。
「お兄ちゃん……」
自然と出るその言葉。
あんなひどい態度を取って、都合の良すぎる話かもしれないが……迎えに来てくれることを望んでいる自分がいた。
「……」
やっぱり駄目だ。
今、自分はすでに葉介を求めている。
抑えきれる物ではない。この気持ちは。
どうすればいいのか……。
どうすれば、兄妹としてではなく、自分のことを見てくれるのか。
どうすれば……葉介と……。
「み~~~つけた♪」
背後からの声に、驚いて振り返る。
葉介……ではない。女性の声だ。
「……誰……?」
そこにいたのは、どこか妖艶な笑みを浮かべている一人の女性。
いつのまにいたのだろうか? さっきまで、確かに誰もこの丘にはいなかったはずだ。
ショートカットの青髪と、同じく青く、冷たく感じる瞳。年齢で言えば二十代前半ぐらいだろうか。子供っぽい自分とは違い、大人の女性という印象だ。だが、それよりも驚くべきところは、その服装だった。
レナやサン……神子の服装にそっくりなのだ。
それだけで充分だった。
瑠璃が、この女性を警戒する理由は。
「……」
「そんなに怖がらないでよぉ。私は……ただ、あなたの役に立ちたいだけだから」
女性は一歩、また一歩と近づいてくる。瑠璃は少し後すざり、警戒を解かない。
そんな瑠璃に、女性はある言葉をかけてくる。
「初めまして。私は神子。人の願いを叶える存在」
前にレナが葉介に言ったように、テキストを読んでいるかのような言葉。
それを聞いて、瑠璃の心は揺さぶられた。
「あなた、願いごとがあるんでしょう? 自分じゃ一生叶えられそうにない願いごとが……苦しいわよねぇ。悲しいわよねぇ。自分の望んでることが叶わないなんて」
心を見透かしているかのようだった。それほど、女性の声は確信がある声だった。
続けて、揺れていた瑠璃の心をさらに惑わす――。
「叶えてあげるわよ? あなたの願いごとを」
――その言葉を口にした。




