story2「心の中に」
校長室のソファーに座って、入れてもらった紅茶をちびちびと飲む。
……なんだろう。この居心地の悪さは。
ちらっと、隣にいるレナと瑠璃を見る。
「……」
「……」
二人共、ティーカップを持ったまま固まってる。
うん。無理もない。だってさ……。
「……(ギラリ)」
雫がめっちゃ校長先生睨んでるんだもん。
当の校長先生は、椅子に座って何事もなかったかのように仕事してるし。よくあのギラギラした目で睨まれてもスルーできるもんだ。
なんなの? この状況。
そもそも俺たちがここに来た理由はなんだっけ……ああ、レナを俺たちのクラスに入れてもらうための直談判だ。これを遂行しなきゃ、来た意味がない。
でもこの空気でまたその話題を出せるかって言ったら、無理。この重い空気の中で、そんなこと言えるか。
「さすが校長先生は良い紅茶を飲んでますねぇ! 身分の良い人はそういう部分も良くないと気が済まないんでしょうねぇ!」
雫。もはやただの嫌味な奴になってる。まぁさすがに校長先生には暴力で解決ってわけにはいかないから、口でしか攻撃できないんだろうけど。
一触即発。今の雫にはそのオーラが纏われている。触ったらマジで爆発する。さっきから紅茶のカップがビキビキ音たててるけど、割らないでくれよ。
「……校長と言う立場は、別に良いものではないわ」
校長先生はそんな雫の嫌味にも特別反応するわけでもなく、冷静に対応してる。これが大人の余裕か……まぁそれが雫の怒りを増幅させてるんだけど。
「校長はただの苦労人。学校をどれだけ良いものにしていくか、それだけを考えなければいけないの。自分のことなんかどうでもいいのよ」
「う……」
雫が口ごもった。うぅん。口では勝てそうにないな。雫もそこそこ口は回るほうだと思ってたけど、上には上がいるもんだ。
「それからあなたたちが飲んでる紅茶は、スーパーの安売りで買った安物よ」
「ぶっ!?」
雫が吹き出した。確かに、別に高い紅茶だなんて言ってない。お茶にはうるさい雫も、紅茶には疎かったか。言わなければわかんなかったのに、これは恥ずかしいな。
「~~~~」
雫が悔しそうに顔を真っ赤にする。子供みたい。でもなにも言い返せない。これは完全に雫の負けだな。
「あの……」
控えめに、瑠璃が校長先生に質問するように手を挙げた。おぉ……勇気あるな瑠璃。この空気の中で割って入るとは。
「校長先生は……神子を知ってるんですか?」
おどおどしながら瑠璃が口にしたのは、確信めいた質問。確かに、この場にいる誰もが気になってることだ。
さっき、レナの神力アイテムを見て、神子と口にした。神子のことを知ってるのは明らかだ。でも、一般人は神子なんて知らないはずだ。神子は基本的に願い人以外とは関わりを持たない。知ってるとすれば……それは……。
「こうちょうせんせいは願い人だったんですかー?」
瑠璃に続いて、レナが元気に手を挙げた。これまた確信めいた質問を。でもレナがあまりにも軽く聞くから、あんまり重要に思えなくなる。
校長先生は仕事する手を一度止めて、眼鏡をくいっと上げた。眼鏡をかけてる真面目キャラ特有の仕草。真面目のテンプレみたいな人だな。質問に答えてくれる……のかと思いきや、
「静かにしてくれるかしら。仕事の邪魔するなら出て行ってもらいます」
怒られた。
こっわ。眼鏡がキラリと光った気がする。雫の表立った威嚇とはまた違う。内側から相手を黙らせるようなオーラ。
でも、ここはさすがに引き下がれないな。今度は俺の番だ。奥の手がある。
「職権乱用は良くないですよ。俺も元願い人。って言ったら、先生だって興味あるんじゃないですか?」
俺が願い人だった。それを言えば、さすがにスルーはできないだろう。
「……」
眼鏡の奥にある瞳が、俺を射抜く。怖い。顔は綺麗なのに、目はめっちゃ怖い。
数秒間。校長先生は沈黙。俺とレナを順番に見てから、ため息をついて答えた。
「……確かに、私は願い人になったことがあるわ」
仕方ない。そんな感情を満々に出している。まぁ目の前に神子(元)と願い人(元)がいれば、誤魔化せないしな。
「そして欲にまみれた願いを叶えてもらった。ただそれだけ」
「……」
言い方に棘があるな。この人の性格もちょっと理解してきたし、こういう言い方しかできない人だってのもわかるけど、これには俺もちょっとイラっとした。
「願い人みんなが欲にまみれた願いごとをしてるみたいに言わないでくれますかね?」
ちょっと強めに言い返す。願い人だった俺だからこそ、今の言い方は納得できない。
「……じゃああなたはなにを願ったの?」
冷たい目。でも、声には少しイライラと怒りがこもったように感じた。ちょっと冷静さを無くしてるのがわかる。
「葉介はねぇ。ここにいる神子だったレナとずっと一緒にいることを願ったのよ。校長先生がどんな欲まみれで汚い願いをしたのか知りませんけどねぇ、一緒にしないでくれますかねぇ!」
雫。代わりに答えてくれたのはいいけど。ちょっと黙ってろ。お前が入ってくるといちいちこっちが悪者に見えてくる。それから、汚いとは言ってない。
「神子と……一緒にいる?」
信じられない。という気持ちが顔全体に現れている。それと同時に、どこか嫌悪感も感じる。気のせいじゃない。あの目だ。あの目からは嫌悪感が感じられる。まるで俺の願いを否定しているかのように。
「偽善ね。神子は人間じゃないのよ。一緒にいたいだなんて、思えるわけないでしょ」
「本気で願わないと、願いは叶わないことぐらい知ってますよね?」
すかさず俺は言い返した。
どう思おうが勝手だけど、俺の願いで、レナが今ここにいるのは事実だ。それだけは譲れない。
「……」
校長先生の目が、今度はレナに向かった。
「あなたは本当に神子なの?」
「正確には……元、ですけどね」
「……どういうこと?」
まぁ理解はできないだろう。使い捨て神子が人間と暮らすようになったのはレナが初めての例だし。
隠す必要もない。俺は今までの経緯を包み隠さず説明した。
話を聞いているとき、だんだんと校長先生の顔が……悲しみに染まっていくのが見てわかった。
なにがあったんだ? 校長先生が、願い人として選ばれたときに。
「そう……天坂君、君は……」
どうしてこんな悲しそうな顔をするのか、俺にはわからなかった。
普通、願いを叶えてもらった嬉しいものだ。なのにどうして、こんな顔をするのか。
「本気で、誰かのために願ったのね……」
校長先生の目から嫌悪感が消えた。鋭い目が、どこか柔らかく、俺とレナを見つめる。
「使い捨て神子。レナさん。あなたもそうだったのね」
「あなたも……?」
どういうことだ? あなたもって。
「私のところにきた神子も、使い捨て神子だったの」
「え……」
レナが言葉を失っていた。
自分と同じ運命を持っていた神子。それを聞いて、他人事とは思えなかったんだろう。人の願いを叶えて、消えていく運命を持った神子。当たり前だけど、レナ以外にもいたんだ。それを改めて実感して、なんだか切ないな。
「私が願い人になったのは、五年ぐらい前。最初は信じられなかったわ。願いを叶えてくれるなんて」
だろうなぁ。俺も信じられなかったし。その話を聞いて、すぐに信じられるほど、人間は純粋じゃない。
「でも話を聞いてるうちに、これは本当なんだってわかって、私は考えたわ。自分の願いごとを」
まぁ、願い人になったら誰でもそんなもんか。そりゃ考えるよ。自分の願いごとが本当に叶うんだから。必死に考えるに決まってる。
「でも……その途中で、私のところに来た神子の悲しい運命を知った」
「……」
使い捨て神子だった、ってことか。
俺と同じだ。そのときの気持ちは痛いほどわかる。
レナが使い捨て神子だってわかったとき……俺はどうしていいかわからなくなった。俺が願うことで、レナは消える。その現実を前に、どうすればいいのか……頭が真っ白になった。
「私もいろいろ考えたわ。彼女が消えないで済む方法を。でも……当時の私は自分の進む道に迷ってたの。自分の人生を変えるきっかけが欲しかったの」
声が震えてる。思い出したくない過去なのか、目も潤んでるように見える。
……俺はこの話の先がどんな結末か、大体わかった。
だから、俺はその先を聞くことをやめた。
「校長先生。それ以上は言わなくていいですよ」
「……」
校長先生は苦しんだんだ。
使い捨て神子。その運命を知って、どうにかしてあげようと思ったんだ。
でも……自分の欲に負けた。
使い捨て神子は、神子としての使命を果たして消えた。
誰かのために願おうとしたけど、願えなかったんだ。
俺だってそうだ。
俺だって……そうならなかったとは言えない。
だからわかる。先生の悲しみが。
「先生が自分を責める必要はないです。充分苦しんで、悩んだんですから」
「……」
俺がなにを言っても、慰めの言葉にしかならない。それはわかってる。
これで校長先生の心の傷が癒えるわけじゃないけど。それでも俺は、校長先生が悪いわけではないと思う。
先生は願っただけ。自分の願いごとを。
そして使い捨て神子だった神子は消えた。神子の使命を全うして。
これ以上は、俺にはなにも言えなかった。
「こうちょうせんせい」
……レナ?
レナが校長先生の傍まで行って、手を取った。
「私も、葉介に願ってもらわなかったら……ただ消えてしまうだけでした。私は幸せだと思います。本気で一緒にいようと思ってくれる人たちがいて。でも……こうちょうせんせいの願いを叶えてあげた神子も、幸せだったと思いますよ」
「……え?」
神子だったレナだからこそ、言えることもある。人の願いを叶えて消えてしまう運命の重さを知っているからこそ、感じたことがある。ここはレナに任せることにした。
「だって、ただ消えてしまうだけだったのに、こうちょうせんせいの心の中に、今でも残っているんですから」
偽善。その言葉が頭に浮かんだ。口でなら何とでも言える。
でも、レナは違う。本気でそう思ってるんだ。
神子だからこそ……使い捨て神子だったからこそ……そう思えるんだ。
……そうだよな。
校長先生は今でも、その神子のことを想ってる。
ただ願いを叶えて、消えるだけの……使い捨て神子だったのに。
それだけで、その神子は幸せだと思う。
偽善だろうと、なんでもいい。俺もそう思うんだから。
「……」
どこか安堵の表情を浮かべる校長先生。潤んでいた目を擦って、
「ありがとう……」
レナにお礼を言った。
その直後……また表情に厳しさが戻った。言うならば、校長先生モードになった。かな? そのモードになると、途端に声かけづらくなるから、ならなくてよかったのに。
「それで、あなたたちの要件は……レナさんを二年C組に編入させるってことだったわね」
あ、そうだった。俺たちはその件でここに来てるんだった。
せっかく染み染みとしてたのに、また雫と校長先生の一触即発モードになるのは、ちょっと勘弁してもらいたい。今日のところはとりあえず帰ったほうが……。
「わかりました。特別に認めます」
……へっ?
あまりにもあっさりとそんなことを言うもんだから、俺たちは呆気にとられた。さっきまで、あんなに撤回できないの一点張りだったのに。
「ど、どういう風の吹き回しですか? なにか企んでませんかねぇ?」
さすがの雫も動揺してる。なにか裏がある。そう思って周りを警戒してる。別に伏兵とかいないと思うけど。
「今回は特別です。だって……」
校長先生は……。
「せっかく、本気で一緒にいたいと思ってくれる人がいるのに、一緒にいられないのは悲しいじゃないですか」
初めて笑った。
わ、笑うとさらに美人だな……これが歳上女性の魔力か。
「……あ、ありがとうございます」
これは雫も文句のつけようがないだろう。大人しく引き下がった。
「えっと……どうなったんですか?」
「レナさんがお兄ちゃんたちと同じ教室で授業を受けられるってことだよ」
レナは最初よくわかっていなくてきょとんとしていた。いや、てかわからないのになんでこの場にいたんだ? とツッコミはやめておこう。でもやがて意味がわかったのか、笑顔で瑠璃の手を取った。
「本当ですか!? やりました~」
「あう……」
そのまま瑠璃と踊りだす。嬉しさを体で表現しすぎだって。ここ、いちおう校長室だぞ。
「要件はそれだけですか? それなら今日はもう帰りなさい。明日から学校ですから、しっかりと準備しておいてくださいね」
「言われなくても帰りますよ~~」
雫。いい加減に校長先生に臨戦態勢やめろって。
「こうちょうせんせい」
校長室を出るとき、レナが校長先生に振り返った。
「なんですか?」
「たまに遊びに来ていいですか?」
レ、レナ……さすがにそれは……お堅い校長先生に遊びに来ていいですか? なんて言ったらなにを言われるかわかったもんじゃ……。
「……そうですね。仕事の邪魔をしなければ」
あれ? 意外と友好的だ。
「はい! またお話しましょうね~」
……まぁいっか。
校長先生に手を振っているレナを見て、思った。
レナの人柄には、校長先生みたいな人でも心を開くんだな、と。
それよりもだ……。
「お前、なんて顔してるんだよ」
「……」
楽しそうに手を振ってるレナを見て、雫がめっちゃ悔しそうな顔してるんだ。唇を噛み締めて、目を潤めて顔全体真っ赤。
……ヤキモチ?




