エピローグ2
「……ムニャ……」
目をうっすら開け、時計を確認。何と、いつもの起床時間より二十分も早い。これは二度寝と言う至福の時間を味わえそうだ。一度起きてから布団に包まるのがめちゃくちゃ気持ち良いんだ。
俺は寝相を変え、布団をぎゅっと体で挟んで目を閉じた。
だが……俺の至福の時間を妨げるドドドド! と言う足音が迫って来ていた。
「よ~うすけぇ!」
「ぐぶっ!?」
俺の上におもいっきりダイブしてきたのはレナだった。
ていうかこれは……瑠璃がいつも俺にやる『ダイブ目覚まし』か? 俺の寝起きが悪いから編み出した目覚まし法の一つだ。瑠璃め……レナに余計なこと教えやがって。いくら軽いとは言え、これだけの勢いだとさすがに痛い。
「レ、レナ……どいてくれ……」
「あれ? 今日はすぐに起きましたね? いつもはこのまま上でドンドン飛び跳ねてやっと起きるって瑠璃が言ってましたけど……」
「……やめてくれ」
朝から体力削られそうだから。
起こしに来られては仕方ない……観念して起きよう。このまま寝ると本当にこのまま飛び跳ねそうだし。
「早く来て下さいね! ご飯冷めちゃいますから~」
「ああ」
レナは俺の上から飛び降り、部屋を出て行……こうとして、止まった。
振り返って、俺をじっと見つめてきた。何だ? 何か言い忘れたことがあるのか? と思っていたら、レナはとんでもないことを言ってきた。
「おはようのチューでもします?」
「なんですと!?」
思わずベッドの上に立ち、壁際まで逃げていた。
朝から何を言ってるんだこの子は!? ていうかどこで覚えたそんなのっ!?
「あれ? 朝のチューって人間界の挨拶じゃないんですか? テレビドラマでやってましたけど」
「……レナ。テレビの知識を何でも実演するのはやめような? 間違った知識だってあるんだから」
説明しようにも、説明するのも恥ずかしい。とりあえず、普通はそんなことしないからな? と言って誤魔化した。
レナは「了解です! 流星のごとく心に刻んでおきます!」と……『星魔法少女パプリル』と言うアニメで主人公が使う『流星のごとく!』と言う言葉を言って……部屋から出て行った。
駄目だ……やっぱりテレビの影響を受けやすい。
これは少し指導が必要だな。羞恥心が無い所はしょうがないとしても、人の世のことをもう少し教えておこう。
レナはもう……人間なんだからな。
さてと、さっさと着替えて準備するか。なんか一気に目が覚めた。
制服に着替えて一階に下りる。寝癖のついた髪を適当に直して顔を洗ってからダイニングに行くと、朝食の良い匂いがしてきた。
「おはよう。お兄ちゃん」
「おはよ」
牛乳をコップに注ぎながら、瑠璃はテレビの天気予報をチェックしていた。そういや台風が来てるとか言ってたな。結構な規模だとか。
台風ってなんかワクワクするんだよな。運動会とか遠足とかの前日みたいな感じで。前にその話を瑠璃にしたら「え~……」て同意はされなかったけど。
「……ん?」
俺はテーブルに並ぶ朝食に違和感を感じた。
何と言うか……形がちょっとぎこちない? 卵焼きとかサラダとか、なんか不格好なんだ。瑠璃が珍しく失敗? まさか。瑠璃が失敗なんて有り得ない。ということは……。
「……瑠璃。これ、お前が作ったんじゃないだろ?」
「よ、よくわかったね……」
ギクリとわかりやすい瑠璃。
瑠璃が作ったんじゃない……つまり、次の答えは一択となる。
「……」
レナが期待の目線を俺に向けてきていた。やっぱり作ったのはレナか……どうりで不格好な訳だ。
失礼かもしれないけど……ぶっちゃけ不安。まだ人間界の常識があまり身に付いてないレナだ。まともな味付けをしているかどうか……。
レナはさらに期待の目線を向けながら近付いてきた。近い近い。食いづらいから。
不安だけど、俺は覚悟を決めることにした。
不格好な卵焼きを箸で掴み、ゴクリと唾を飲み込んでから……一気に口の中へ放り込む。
「……」
「……葉介?」
「……」
「……葉介。あの……」
レナが俺の反応を待っている。俺はゆっくりと……何度も噛みながら味わい、飲み込んだ。
「ば、馬鹿な……」
「……え?」
俺は信じられないと言う顔をして、箸をテーブルの上に落とした。
それを見て、レナが不安そうに「え……」と声を出す。俺は無駄に間をあけ、率直な感想を述べた。
「美味いだと……」
「……何か失礼じゃないですか? それ」
レナが顔をぷぅ~と膨らませた。
無駄だ! 怒っても元が可愛いと可愛いだけだ!
「いや、だってこの見た目から想像すると……気絶したフリをする準備してたからちょっと素で驚いた」
「も~……せっかく葉介の為に瑠璃に教えてもらったんですからね!」
ああ、瑠璃に教えてもらったのか。なら別に心配する必要は全くなかったな。
いやしかし……これは確かに俺が失礼だったかもな。反省。
「いや、悪かった。美味いよ、レナ」
「……はい!」
レナは嬉しそうにキッチンに走って行った。その背中を見送ってから、傍で心配そうに見ていた瑠璃に声をかける。
「瑠璃も大変だったな。一から教えたんだろ?」
「え、うん……でもレナさん、飲み込み早いから……そんなに大変じゃなかったよ」
「……へぇ」
何か意外だな。レナは料理の才能があるってことか。天然で、羞恥心が無くて、子供みたいで……外に出たら三分で迷子になるのに。
朝食を続けていると、電話が鳴った。
我が家の家電が鳴るなんて珍しい。携帯があるから滅多にかかってなんかこない。かかってきても、いらないセールスとかそんなのばっかりだ。
瑠璃が電話に出ると、やけに嬉しそうな顔にぱぁ~っと変わった。三分程喋り、電話を切った後……瑠璃はぴょんぴょん飛び跳ねながら俺の肩をバンバン叩いた。痛いって……。
「何だよ……誰だったんだ? 電話」
「お母さん! ちょっと頼んでたことがあって……それのOKが出たんだよ!」
こんなにテンションが高い瑠璃は久しぶりだ。激辛料理のフルコースを夕飯で食べてた時ぐらいのテンションの高さだ。
ていうか…母さんに頼みごと? 一体何だ。
そこへレナがキッチンから戻ってきた。手にはトースターで焼いたパン。焼き加減が丁度よく、食欲をそそる匂いだ。でも瑠璃はパンには目もくれず、レナの手をぎゅっと握り、ダンスのようにして動き回った。
「る、瑠璃……どうしたんですか?」
「レナさんが学校に通う許可が下りたの! お母さんが校長先生に頼んでくれて……夏休み明けからレナさんも私達と同じ学校に行けるんだよ!」
「え?」
レナは最初はよくわからなそうな顔をしていたが……やがて、瑠璃の言っていることがわかってきたのか、瑠璃と一緒になって踊り始めた。朝から元気だな。
ていうか、そんな話……俺は全く聞いてないんだけど。ちょっとぐらい相談してくれてもよくない? 俺は兄貴ですよ?
ちなみに、母さんは赤ヶ丘高校の校長先生の元教え子とかで、今でも交流があるらしい。だからだろうな。こんな無理が通ったの。普通はこんな急に編入なんて出来ない。
「……編入試験とかは?」
「免除だって。お母さんの頼みだからって、校長先生が」
いいのかそれで? 別にそんなにレベルの高い学校じゃないから、試験なんてあってないようなもんだけどさ。
「……レナと学校……か」
何か急に学校に行きたくなってきた。レナも言ってたもんな。俺たちと一緒に学校に行きたいって。前に学校の中に入ったとき、神界の神子育成学校と全然違うことに驚いてたし。レナが一緒なら学校も楽しくなるだろう。今でもそれなりに楽しいけどね。
夏休み明けからか……まぁそりゃそうだ。だって今日終業式で、明日から夏休みだし。
「……って、そんなこと考えてる場合じゃねぇ!」
早く起きたからと言って油断していた。時計がもう家を出る時間を指そうとしていたのだ。やべぇ!? 早く食べないと!
「瑠璃! お前も早く食えって! 遅刻するぞ!」
「え? ああっ!?」
瑠璃も時計を見て慌てる。踊りを中断してパンにかぶりついた。
「これ使いますか? 悪魔モードならすぐに着きますよ~」
「……間に合っても俺らがボロボロだからやめておく」
ていうか、もう神子じゃないのに何で神力アイテム持ってるんだよ。スマートバンクも普通に持ってるし。町中でとっさに使おうとした時止めるのが大変なんだぞ。置いて行きなさい! て言うと泣きそうな顔するし。
「朝ご飯もゆっくり食べられないなんて……人間ってせっかちな生き物だよね」
「……お前、いたのかよ」
いつの間にかカールが俺の足元にいた。しかもちゃっかりと焼き鳥の缶詰食ってるし。朝はヨーグルトじゃなかったのかよ。大体、今この場で人間じゃないのはお前だけだってことを忘れるなよ。
あ、そう言えば。レナが学校に通うことについて、一つ心配なことがある。
「お前、レナが学校に通うとき……付いてくるつもりか?」
「……何で? 当たり前じゃない。僕はレナのお目付け役だよ? 一緒に行かないでどうするのさ」
全然当たり前じゃねーし。大体お前、こっち来てからお目付け役っぽい仕事したことないじゃねぇか。食っちゃ寝してるだけだろうが。もはやただの猫だろ。
それにしても……うーん、やっぱり付いてくるつもりか。翼をしまって喋らなければ良い訳じゃないからな。校舎に動物連れて行くなんてできないし。何か考えなきゃいけない。
「……って、猫の相手してる場合じゃねぇ! 時間がぁ!」
「僕を猫って言わないでよね!」
カールの抗議を無視し、パンを牛乳でかきこむ。
「うふふ……」
レナが笑いながらスケッチブックを開き、慌てて朝食を食べる俺達を絵に描き始めた。描かなくていいから。こんな間抜けな所。
けっきょくこの後……フォメーションB(瑠璃を背負って全力ダッシュ)で学校へダッシュすることになってしまった。ちなみにフォーメーションAは存在しない。
★☆★☆★☆
「葉介。レナも学校に通うんだって?」
息を切らせて教室に駆け込むと、雫がさっそく嬉しそうに声をかけてきた。
「……情報早いな。俺だって今朝知ったのに」
「さっきメールが来たからね」
携帯の画面を見せてくる雫。そこには瑠璃の絵文字全開のカラフルなメールが表示されていた。文は大して長くないのに、絵文字のせいでかなり範囲使ってるぞ。女のメールって何でこんななんだ。てか、まさかの俺におんぶされながらメールしてたのか?
「葉介。あのさ……」
「何だ?」
「レナ……人間の体になったんでしょ? 大丈夫なの? 不具合とか……」
雫が心配そうな顔をしている。
そもそもカールが人間界にいるのは、レナの体に異常がないのを調べる為でもあるらしい。さぼってるけどな。神子の法令を改訂してどうのこうのって……難しいから覚えてないけど、とにかく、レナはその改訂した法令の最初の例だから、いろいろ監視する部分があるんだと。
でも、正直言って無用な心配だと思う。
元々人間っぽかったレナだ。今は俺達より人間らしい。
「大丈夫だって。全然全くそんなことはない」
「そう……よかった」
雫は窓から空を見上げ、深呼吸した。
雫が深呼吸をするときは……機嫌がいいときだ。レナのことを本当に心配してたから安心したんだろうな。
「レナはこれでもう、自分の生き方は自分で決められるのよね?」
「……当たり前だろ。レナは……俺達と同じ『人』なんだ。もう何にも縛られる必要はないんだよ」
そうだ……レナはもう神子じゃない。
人の願いを叶える。もう、その仕事をすることもないんだ。
レナはそれはそれで寂しいみたいなことを言ってたけどな。そのためにだけ生きてきたから、無理もない。それでも何かスッキリした顔をしていた。
レナの人生はもう……レナの物だ。
「……さてと! 先生が来る前に黒板でも掃除しようかな!」
雫は無駄に気合を入れて、黒板に向かって行った。
けど、無駄に気合を入れたのが災いしたらしく、机の足に躓いた。そのまま派手に前のめりに体が倒れる。いつもの雫ならここから体制を整えられるんだけど、今は無駄に気合を入れていたからバランスが取れず、重力に逆らえなかったらしい。
「きゃあっ!?」
結構な勢いで転んだ雫。あーあ……と思って雫に手を貸す為に席を立ってから、俺は「あ……」と間抜けな声を出した。
派手に転んだ結果。雫のスカートがめくれ、パンツが丸見えになっていた。
「……」
キッ! と俺を睨みつける雫。
あ、やべぇ。これは久々にやられるフラグだ。俺の命が危険にさらされる感じが満々だ。
久々に見た雫の修羅の仮面は……やっぱり怖かった。町のヤンキーの方がまだ可愛い。
「死ねっ! 変態!」
「あぎゃっ!?」
素早く立ち上がった雫は、脱兎のごとくジャンプして、俺の額を蹴り抜いた。変態って……勝手に転んだのそっちじゃねぇかよっ!?
俺の体は教室の後ろまで吹っ飛び、そのまま壁に激突。
こいつ……容赦ねぇ……神子食いに吹っ飛ばされたときを思い出す……。
そのまま俺の意識はシャットダウンした。
★☆★☆★☆
「瑠璃……俺の首は曲がってないか? 大丈夫か?」
「うん、大丈夫。たぶん……」
たぶんはやめて。命に関わるから。
終業式とホームルームが終わって、昇降口を出た所でたまたま瑠璃と会った。にわか強引に雫が「レナも誘ってお昼食べに行きましょうよ!」と、瑠璃に抱きつきながら提案して今にいたる。
レナを呼ぶために家に電話しようとした時、何か校門の前が騒がしいのに気が付いた。なんだ? アイドルかなんかがドラマの撮影にでも来てるのか。
「って……えぇっ!?」
思わず驚愕。
校門の人だかりの中心に居たのは……レナだった。
いや、それだけならまだ驚かないんだけど。レナは赤ヶ丘の制服を着てるんだ。だから余計に人の目を集めるんだ。こんな美少女、この学校にいたか? って感じで。
「レ、レナ!」
「あ、葉介~」
キシャーと威嚇して周りの奴らを散らせる。雫の睨みもあって効果は二倍……いや、三倍だな。雫だけで二人分の威嚇効果がある。
「レナさん……その制服どうしたの?」
「さっき家に届いたんですよ~。たっきゅうびん……とか言うやつで。葉介と瑠璃に手紙も入ってましたよ」
俺達に手紙……つまり、宅急便の送り主は大体想像が付く。母さんだ。
「……知り合いの店に頼んですぐに作ってもらったらしいな」
手紙を読むと、編入はちょっと前にすでに決まっていて、制服はすぐに作ってもらったらしい。俺達に知らせたのが今日だったってだけか。それで制服を送るついでに手紙を送付してもらったのか。電話で言えよ。そのくらい。ていうか制服って採寸とか結構面倒なはずなんだけどな。何で採寸なしでこんなピッタリ出来上がるんだよ。なんか怖いぞ。
「レナ似合ってる~。なんかぎゅってしたくなっちゃう!」
雫がレナに抱き付いた。したくなるってかしてるっての。
いや、確かに反則なぐらい似合ってて可愛いけどさ! 俺もぎゅってしたくなっちゃうけどさ! したら雫に殺されるからしないけどさ!
「……」
また視線がチクチクと痛くなってきた。
雫が威嚇をやめた途端にこれか。男の悲しい性とでも言うのか、また遠巻きに円を作って集まりだしている。
また威嚇……しても無駄だろうな。ここは逃げるが勝ちだ!
「逃げるぞ、レナ!」
「え? は、はい!」
レナの手を掴んで校門を出る。
後ろから「あ~」「まだ見足りない!」「愛の逃避行だ!」とか色々聞こえるけど無視だ。
雫達は後で追い掛けてくるだろ。とりあえず今はこの場を離れるのが優先だ。
俺の足にレナが付いて来れるか心配になり、レナの方を振り返った。
レナは必至に足を動かしていた。そういえば、レナは走るのけっこう速かったな。俺が見ていることに気が付くと、ニコッと笑った。
★☆★☆★☆
「……勢い余って丘まで来ちまったな」
商店街で昼食を食べるはずだったのに……必死に走ってたらいつの間にか丘まで来てしまった。と言うか、何かレナと走っていることをやめたくなかったんだ。いっそこのまま……本当に遠くまで二人で逃げてしまおうか? などと馬鹿なことまで考えた。
多分、地獄の果てまで雫に追いかけられて殺されるけど……。
「レナ……大丈夫か?」
「は、はい……こんなに走ったの久しぶりです……」
レナは息を整えながら、汗を拭った。そして……レナの目はある一部へと向けられる。繋がれたままの俺とレナの手に。
「葉介……あの、これ……」
「……あっ!? ごめん! 今離すから――」
「あ、いえ! 離さなくていいんです! むしろ……このままで……」
「え?」
離そうとした手を慌てて掴み直す。
とっさに手を掴んでしまったことを嫌がっているのかと思ったけど、そうじゃないらしい。いまさらだけど、手汗とかを気にしてしまう。
やばい……さっきまでは逃げることしか考えてなかったから何も思わなかったけど、急に意識してしまった。手の平に感じるレナの暖かさを。
レナは手を繋いだまま小川を見ている。
そう言えば……七年前に初めて会った時もこの小川を見てたんだよな。サンが言うには、神子の生まれた場所の天の川って所と似ているらしいけど。
「……葉介」
「うえっ!? は、はい?」
俺の変な反応に、レナはクスッと笑った。自分でも格好悪いと思う声だった。恥ずかしい。
レナは俺の顔をじっと見つめている。何かすごく見つめられている。
何を言われるのか、何か変な方向へ期待しちゃう俺は駄目な奴だろうか? だってこんなに赤い顔で見つめられると、どうしてもそっちの方向に……。
「……ゼウス様が言っていたことなんですけど。本当にあると思いますか? これから先、人が神子の願いごとで、欲望のままに願いを叶えたら……世界は混乱して滅びる。それは本当に起きると思いますか?」
「え?」
期待外れの言葉にガッカリ……じゃなくて。
確かにゼウスがそんなことを言っていた。人を試す為に、神子は人の願いごとを叶えている、と。あくまでゼウスの考えらしいけど、信憑性はあると思う。
人が欲望のままに願いを叶え続けたら、こんな世界簡単に壊れそうだな。核兵器とか戦争とか……今でもくだらないこと言ってる国だってあるし。ちょっとしたことで混乱しそうだ。いちおう、願い人に選ぶ奴は厳選するらしいけど、そいつの本心なんてわからないだろう。
「……私は、そんなことは絶対に起きないと思いますよ」
レナは俺の手を握る力を強めた。俺もそっと握り返す。
「私は……人が好きですから。葉介達みたいな、こんなに素晴らしい人達がいるんですから。そんな過ちは……絶対に犯さないと思います。絶対に……」
レナは笑顔で言った。本当に……心からそう思っているんだ。
俺もつられて笑っていた。俺も何だかそう思えた。
人は欲まみれな生き物だけど……それだけじゃない。良い所だってたくさんあるし、人の為に何かを願う人達だっているんだ。そういう人が少しでもいるなら……そうだ、人も捨てたもんじゃない。
「……今はレナも人だけどな」
「……はい」
そうだ。レナも今はもう人なんだ。
人は神子みたいに生まれた意味とか宿命とかそんな物は存在しない。それは平凡でつまらない人生だとも言える。
でも、だからこそいいんだ。平凡だからこそやりたいことができる。自分の好きなように生きられる。それだけで幸せなんだ。
それに多分、これから先の俺達の人生は平凡だけど、つまらなくはない。
レナが一緒なんだから。つまらない訳がない。
「……また葉介に恩返ししなくちゃいけませんね」
「ん? 俺の願いならもう叶えてもらっただろ?」
そうだ。恩返しはもう終わっているはずだ。
レナがここにいること。それが俺にとっての最高の恩返しだから。
「いえ。私が今、こうして人としていられるのは……葉介が願ってくれたからですから。だったらやっぱり、また恩返ししないと駄目じゃないですか」
「……きりがないぞ? それじゃ」
いつまで経っても恩返しが終わらない。
そんなこと気にしないでもいいのに。レナは譲らないと言う顔をしている。まぁ別に本人がしたいって言うなら断る理由もないけどな。
「今度は何で恩返ししてくれるんだ?」
「……それはゆっくり考えます。時間はたくさんありますから!」
「……だな」
そうだ。ゆっくりと考えればいいんだ。
今度こそ、時間は本当にたくさんあるんだ。俺にも……レナにも。
レナが恩返ししてくれたら、また俺が恩返しをする。きりがないけど、でもそれでいいんだと思う。
助け合って生きればいいんだ。
「……葉介……あの……」
「ん?」
レナがまた俺を見てきていた。俺が目を合わせると……ぱっと顔を伏せてしまった。顔がやけに赤い。どうしたんだ? 繋いでるのと反対の手をやけにもじもじさせてるし。
「わ、私……自分が神子だから……葉介に言ってなかったことが……言いたくても言えなかったことがあるんです。でも……人になった今なら……」
「……何?」
神子の時は言えなくて、人になったら言えること? 何だそりゃ? そんなに顔を赤くする程恥ずかしいことなのか?
別に神子だろうと人だろうとレナはレナだから気にすることなんてないのに。
レナは顔を上げ、俺の目を見てきた。そして顔をさらに赤くしながら……ゆっくりと口を開く。
「あの……私、昔会ったときから……葉介のことが――」
「あ~いたいた! 葉介! レナ!」
叫びながら走ってきたのは、雫と瑠璃だった。
そういや忘れてた。こいつらのこと。後で追い付いてくるだろうとか思ってたんだった。
それにしても、何てタイミングで来るんだよ。おかげでレナが何て言おうとしたのかわからなくなったじゃないか。
レナは俺の手をぱっと離すと、雫達の所へ走って行った。離された手をちょっと寂しく思いながら、俺も雫達の所へと走り出す。
「もう……さっさと行かないでよね! 大体商店街通りすぎてどうするのよ!」
「ああ……悪い。必死に走ってたらいつの間にか丘まで来てた」
プリプリする雫を宥めながら言い訳。まさかレナと走ることをやめたくなかった何て言えないし。また一発もらう。今度こそ首がご臨終する。
「私……お腹空いた……」
俺達を探し回って疲れたのか。瑠璃はお腹を押さえてその場に座り込んだ。確かに時計はもう午後一時を回っている。時間的にもお腹が限界を迎える頃だ。
「じゃあ葉介のおごりでさっそくファミレスでご飯ね!」
「……待てコラ。何で俺のおごりなんだよ?」
「私達を置いて行った罰」
雫が当たり前のように言って、俺を一睨みしてきた。逆らえない俺は人としてどうなんだろうか。
「ふぁみれす……って、ハンバーグがある所ですか?」
「そうそう。ハンバーグだけじゃなくて何でもあるわよ~。デザートにケーキも食べられるんだから」
「ケーキですか! わ~やりましたぁ!」
何かデザートまで付ける話が勝手に進められてるんだけど。大丈夫か? 俺の財布。
「激辛ポテトが新メニューでできた所があるの。そこに行こう?」
「あ、あの駅前に新しくできた所ね? そうね。そうしましょうか!」
瑠璃にくっつきながら商店街に向かって来た道を引き返す雫。その後ろを追い掛けようとしたレナを、俺は呼び止めた。
「レナ」
「はい?」
さっきの言葉の続きを聞いていない。何か妙に気になるんだ。雫達のせいであやふやになっちゃったし。レナの様子からして、結構重要なことだったんじゃないのか?
「さっき……何て言おうとしたんだ? 俺がどうとかって」
「……」
レナは一度俺から目を逸らして、それから……満面の笑みを浮かべた。
「忘れちゃいました!」
「……忘れたって」
この短時間でどうやって忘れるんだ? それとも……そこまで重要なことじゃなかったとか? 何か気にしてた自分が馬鹿みたいに思えてきたんだけど。
「ほらほら~早く行きましょうよ~。置いて行かれちゃいますよ!」
レナは俺の手を掴み、引っ張るようにして走り出した。バランスを崩しそうになり「うわっ!?」と声が出る。
何か誤魔化された感じがするな……レナの笑顔に。
二人で走り、雫達を追い掛ける。さっき走ったばっかりなのにまたか……まぁ、楽しいからいいんだけどさ。
「……大好きですよ。葉介」
「ん? 何か言ったか?」
レナがぼそっと何かを言った気がするけど、よく聞こえなかった。
「何でもないですよ~。ほら! 急ぎましょう!」
「うわっ!?」
スピードを上げるレナ。やっぱり走るの速い。ていうか、また誤魔化された感じがするんだけど。何かさっきからおかしいな、レナ。
「……まぁいっか」
別にそんなのどうでもいい。
レナは俺の隣でこうして笑ってくれてるんだから。
これからもずっと笑っていてほしい。
それが俺の考えた最高の願いごとだから。
これからもずっと――笑っていてほしい。




