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神子の恩返し  作者: 天天
『レナ』パート
17/63

エピローグ1

 気候も完全に夏を感じさせるようになった六月の終わり。衣替えもとっくに終わって、もうすぐ期末テストってこともあって、周りは勉強ムード。そして一部はテストそっちのけで夏休みモード。

 そして俺は、そのどっちでもない。

 なにもしないで、毎日ぼーっとしてるだけだ。魂が抜けたみたいに、生きてるのか死んでるのかわからないぐらいに。

 レナが消えた。あの日からずっと。

「葉介。今日日直よ? さっさと黒板掃除しないと」

 声に振り返ると、夏で露出のあがった制服の雫が見下ろしていた。ブラが透ける! とか言って男子どものテンションが上がってたっけな。

「……ん? もう放課後か?」

「……気づいてなかったの? どんだけぼーっとしてるのよ」

 いつのまにか放課後になってたらしい。そういや、教室にいる生徒の数も少なくなってるな。

「ほうっておくと夜までぼーとしてそうで怖いわよ」

「はっはっは」

 笑って誤魔化しておいた。まぁ確かに本気でそんな気はする。

 鞄を手に取り、席を立って黒板をぼーっと掃除する。その途中、教室の外から中を窺う小さい人影を発見。

「瑠璃ー? 何やってんだ? 入って来いよ」

 俺が呼ぶと、瑠璃はトテトテと走ってきた。最近、帰りになると俺の所まで来るんだ。委員会も何回か休んでいるらしい。俺が心配だ、とか言ってたけど……俺はガキかい。

「瑠璃ちゃん。今日委員会は?」

「今日は本当に休みだから……一緒に帰ろうと思って」

 本当に、か。委員会休んでることが俺にばれたとき、ちょっと罰が悪そうにしてたからな。別に瑠璃は悪くないのに。

「ああ」

 断る理由なんてないので、俺は了承する。どうせ帰る家は一緒だしな。

 一階へ下りて下駄箱へ行くと、帰宅部連中が揃って帰路についていた。「ゲーセン行こうぜ」「カラオケ行こうぜ」などと言う会話が聞こえる。全く暇人共め……そんな暇あったら勉強しろよ。期末テスト近いんだぞ。人のこと言えんが。

 歩きながら、瑠璃がチラチラと俺の顔を見てきた。何だ……俺の顔に何か付いてるのか?

「何だ? 瑠璃」

「え? いや……あの……」

 瑠璃は「あわあわ……」と無駄に慌てて口ごもった。何を慌ててるんだ?

「お、お兄ちゃん……今日は何が食べたい? 何でも作ってあげるよ?」

 何か話すり替えられたし。ていうか飛びすぎだろう、話が。俺の顔をチラチラ見てたことの回答になってないぞ。

「瑠璃が作った物なら何でも食うから適当でいいぞ。何なら激辛料理でもいい」

「そ、そう……」

 瑠璃はちょっとがっかりした顔をして、顔を伏せてしまった。

 もしかして俺を励まそうとしてたのか? 器用じゃないのに無理しやがって。

 そんな妹の気づかいに、笑顔で答えられない俺は……心が汚れた人間かもな。

 いや、もう俺に心なんてないのかもな。ぽけ~っとして生きてるだけだし。

「……葉介」

 雫に呼ばれて振り返る。何か怖い目で見てる……俺なんかした? 雫には何も言ってないし、何もしてないはずだぞ。

「あんた……レナのこといつまで引きずるつもりよ。辛いのはわかるけど……過ぎちゃったことはしょうがないでしょ? あんたがいつまでもそんなんじゃ……瑠璃ちゃんが可哀相よ」

「……」

 しょうがない、か。

 そんな一言で片づけられない。

 むしろ引きずるのも無理はない。とでも言いたい。

 レナは……俺を助ける為に消えたんだ。

「大体ね! レナが消えた時に願いごとをしたのは瑠璃ちゃんなんだからね! 辛さで言ったら……瑠璃ちゃんだって同じなんだから! なのにあんただけ――」

「雫さん! 私は平気だから……もう……いいから」

 瑠璃に宥められ、雫は言葉を止めて顔を逸らした。

 雫の言いたいことはわかる。でも……それと俺の気持ちは別問題だ。

 だから放っておいてほしい。

 何か居心地が悪くなり、俺は商店街の道を逸れて、丘に向かうことにした。帰りはいつも丘を通らないんだ。でも……今は丘を通りたい気分だ。

「あっ!? お兄ちゃん! どこ行くの!」

「丘。夕飯までには戻る」

 手をヒラヒラ振りながら、俺は商店街を早足で通りぬけて行った。



★☆★☆★☆



「……」

 意味もなく小川の前で転がる俺。

 寝転がる、か? いや……今の俺はまさに転がってるが合ってる。左右にゴロゴロゴロゴロ……あはは、馬鹿みてぇ。

「……自分を自分で馬鹿って思うのも虚しいな」

 俺は転がりをやめ、空をぼけ~っと見つめる。夕方だから、まだ星は見えない。見えるのは赤く染まって来ている雲だけ……星が見たいんだけどな。このまま夜までぼけ~っとしてるか……どうせ家に帰ってもぼけ~っとしてるんだし。ナマケモノか、俺は。

「……」

 今だに立ち直れない俺を……レナは笑ってるかな。「いつまで呆けてるんですか!」とか言ってるかな。あはは……情けないな、俺。

 転がり再開。周りから見たら絶対変な奴だよな。この暑さでおかしくなった可哀相な奴だよな。馬鹿め。ここはでかい木の下だから意外と涼しいんだぞ(そういう問題じゃない)。

「あぁぁぁぁぁ……」

 風呂上がり、扇風機に向かって「あー」と言った時みたいな声を出す。

 あーやべぇ……俺って駄目人間かも。

 何もやる気がおきない。

 この数ヶ月、ずっとレナのことを考えてる。考えても仕方ないのに……怖いんだ。俺自身がレナのことを忘れちまうかもしれないってことが。

 まるでレナは最初からいなかったみたいに。

「……忘れられるかよ」

 忘れてたまるか。

 幼稚園の先生の顔を忘れても、初めて自転車に乗れた時のことを忘れても、初めての抹茶ココアで感動した時のことを忘れても……全部ちっちぇえな、おい。

例え――親から生まれてきたことを忘れても、レナのことは忘れない。

親不孝者とか言って罵倒すればいい。どんなに罵倒されても……俺はレナのことを忘れたくない。忘れて……たまるか。

「……」

 転がり停止。さすがに疲れた。暑い。死ぬ。いっそ死ぬか? 干からびてミイラみたいになってカラスの餌にでもなるか。あー……俺って今まさに社会の底辺なんじゃ――。

「……何を社会の底辺みたいな顔をしてるのさ?」

「うおあっ!?」

 ぬぼっと目の前に出てきた黒い物体に驚き、俺は体をガバッと起こす。ここ最近で一番びびったかもしれない。

「……て、カールか」

 俺はほっとして息を吐く。何だ……ただの喋る黒猫か。いや、これはこれでかなりミステリーな生き物だけど。

 カールの後ろにはサンの姿もある。この二人に会うのもあれ以来だけど……なんかあんまり久しぶりって感じがしない。

「……干からびたミイラみたいな顔をしてるな。カラスの餌にでもなりたいのか?」

「……」

 俺がさっき考えてたことをそのまま言われ、何か負けた気分(何に?)。

 ていうか、何でこの一人と一匹がいるんだ? もう俺に用なんてないだろうに。

「お前ら何しに来たんだ? 仕事中は願い人以外の奴とはあんま関わっちゃいけないんじゃなかったか?」

「安心しろ。今日は仕事で来たんじゃない」

「……」

 いや、むしろ仕事じゃないなら、何しに来たのか逆に気になるけど。大体なんでカールもいるんだよ。Aランク神子のサンにお目付け役なんていらないだろうに。

「要件は二つあるんだ。一つは……君に言い忘れたことがあってね」

「なんだよそれ?」

「君がレナのことを全く覚えてないってことを、不思議に思ってたよね?」

 ああ。それは常に思ってた。

 いくら小さい頃の話だからって、俺はレナのことを全く覚えてなかったんだ。そんなことがありえるのかって。

「それは当たり前のことなんだ。神子見習いが人間界へ実習に出たとき、関わった人間は秘密保持のために記憶を消されるからね。君もそうなんだよ」

「……」

 覚えてないんじゃなくて、消されたってことか。レナとの記憶を。

 確かに神子見習いだから、秘密保持って意味では大事なのかもしれないけど、あんまり良い気分じゃないな。レナのことを覚えてれば、俺はあんなに悩まなかったかもしれないのに。

 まぁいまさら別にいいんだけど。

「それをわざわざ言いに来たのか?」

「言っただろう。要件はもう一つある」

 サンはスマートバンクから、何かのアンテナのような物を取り出した。これって『お願いアンテナ』? と思ったけど……少し形が違う。

「何だこれ?」

「『あなたに届けたい』だ。人間界で言う電話みたいな物だ。お前と……ゼウス様が話したいことがあるらしい」

「……はい?」

 ゼウス様? 神界で一番偉い王神様が俺に用?

 俺何かしたっけ? 神様のお怒りを受けるようなことをしたっけ? 天罰!? 天罰をくらっちゃうのか俺?

「心配しなくても、別に君が何かしたとかじゃないよ」

「……あっそ」

 心配して損した。心配したの一瞬だけだけど。

 じゃあ何の用だ? たかが人間界の一般市民の俺に。

 サンがボタンを押すと、トゥルルル……トゥルルル……と、電話お馴染み音がした。電話みたいな物って言ってたけど、まんま電話だなこりゃ。やがてカチャっと音がすると立体映像と共に声が――。


『コラァ!? 食後のデザートはプリンと言っただろうがぁ! 誰だ!? ヨーグルト買ってきたのは! 天罰だ! おしおきだぁ!?』


「……」

 あー……俺ってば呆けすぎて目と耳もおかしくなったのか。

 どう見ても……スプーン振り回して、食後のデザートに文句を言ってる脳内三歳児の兄ちゃんしか見えないんだけど。王神は? 王神様はどこへ行かれた? ていうかこれ、電話かける相手間違ってるんじゃないの?

「……ゼウス様。通信繋がってますよ」

『……む? うおぅ!? おま……513号! かけるならかけるって言えよな!』

「……コール音がしてたはずですが」

 ああ……やめて、王神のイメージぶち壊し。

 立体映像で映っているのは……銀の長髪の、人間で言えば二十代ぐらいに見える男。赤いマントを背中に付け、やけにベルトの多い高級そうな服。つまり……漫画とかで王族が来ているような服だ。腰には剣と銃、キラリと光る黄金の……王冠? よくわからんけど冠。これがゼウスらしい。

『む? そこにいる人間はなんだ?』

「こいつが天坂葉介です」

 サンが俺を前へと突き出す。痛い。力無駄に強い。

『おー。お前が622号の願い人か』

『ゼウス様! ヨーグルトで我慢してくださいよ! 朝から何個プリンを食べてるんですか! 人間界に買いに行くのも面倒なんですからね!』

『マイル。命令だ。買ってこい』

『嫌です』

『……泣くぞ?』

『勝手に泣いてください』

『……』

『……』

 なんだこれ? ゼウスと白猫が睨み合ってるんだけど。白猫ってか、カールをそのまんま白くした感じの猫。こいつも使い神なのか? ていうか俺完全に蚊帳の外なんだけど。

「ゼウス様! プリンなんか後でいいですから! こっちの話をさっさと済ましてください! ていうかヨーグルトのなにが不満なんですかぁ! 美味しいのに!」

 立体映像に向かってカールが叫ぶ。一部、自分の好み入ってるけど。耳を塞ぎながら、しぶしぶと言った感じで、ゼウスは俺に目を戻した。

『……仕方ない。プリンは後にするか』

 仕方ないとか、苦渋の選択っぽく言うな。

「……んで? 王神のゼウスが俺になんの用?」

「ゼウス様、だ。敬語で話せ馬鹿者が」

 サンに睨まれた。俺より小さいのに怖い。

「……王神のゼウス様が一般人の俺なんかになにか御用ですか?」

『抹茶ココアはなかなか美味いな。513号、お土産に何本か買ってきてくれ』

「聞けよ。おいコラ」

 そっちから話があるって言ったのに、なんだよこれ。遊んでるなら俺は帰るぞ。

『はっはっは。そうカッカするな』

「ならさっさと要件を言ってください」

『まぁ簡単に言うとな。お前の願い人としての権利はまだ消えていないんだ』

「……は?」

 どういうことだ?

「君はレナに願いを叶えてもらってないからね。君の願い人の権利は残ったままなんだよ。一度願い人に選ばれてるからね。ゼウス様はそういうところだけは律儀なんだ」

「……でも、瑠璃が願いを叶えてもらったぞ?」

「あれはレナの独断。つまりは勝手にやったことだから。願いごとにはカウントされてないんだよ」

 よくわからんけど。神子が勝手にやったことだから俺の願い人の権利とは関係ないってことか?

「……でも、結果的にレナは俺を助けるために力を使ったんだぞ」

「そのとおりだ。だが、神界法令の第三百二十五条。人間界へと趣いた神子が力を行使する際には――」

「あー、サン。そういうの難しくてわからないからいいや」

「……簡単に言えば、願い人自身が本気で願った願いを叶えてもらわない限り、その権利は失われないということだ」

 少し馬鹿にした顔で見られた。悔しい。

 確かに、俺は本気で願った願いを叶えてはもらってない。

 レナとずっと一緒にいたいって願いを。

 でも、正直な気持ちは、

「別に願いごととかいまさらいいけど」

 それだった。

 レナは俺に恩返しすることを目標に、神子見習いとして頑張ってきた。だから俺もそれに答えたかった。だから願いごとを叶えてもらおうとしてたんだ。それ以外の理由で、願いごとなんて叶えてもらおうとは思わない。

 大体……今の俺に、なにかを本気で願えるとは到底思えない。

『……欲のない奴だな。人間のくせに』

「悪かったですね」

「ゼウス様。この人はそういう人間なんですよ。欲を吐き出せばいいだけの願いごとをいつまでも決められなかったような人ですからね」

「黙れ。黒猫」

「ぎゃわんっ!?」

 生意気な口を聞く黒猫を叩き落とす。相変わらず人間は欲まみれみたいな言い方するな。

「……でも、だからこそ、お前はレナのために願おうとした」

 サンが俺を見つめる。

 いつもと違う。鋭く、威嚇するような目じゃなくて、どこか優しい目で。そんな目がくすぐったくて、俺は目を逸らした。

「自分だけではなく、自分とレナ。どちらにとっても最高の願いごとを考えた。そして……心から願った」

『いままで聞いたことがない。自分のためじゃなくて、神子のために願った人間なんてのはな』

 もしかして褒められてるの?

 でも、褒められようがどうしようが、俺にとってはそんなの関係ない。

 結果として……レナは消えちまったんだ。

 俺はレナに最高の願いごとを叶えさせてあげられなかった。それが事実で、ただの現実。

『……俺はな。先代のゼウスが、なぜ神子を生み出したのか。それをたまに考える』

 抹茶ココアを飲みながら、ゼウスは急に真面目な顔を作った。少しだけ、王神としての威厳を感じた。

 神子を生み出した理由か。それは俺も気になっていたことだ。神子を生んだのは、こいつじゃなくて先代のゼウスなのか。

『それで、俺なりの答えを最近見つけた』

 へぇ。それはかなり気になる。王神様の意見を聞かせてもらおうか。

『人間は欲まみれな生き物だ。だから、願うことも欲まみれだ。人間たちが欲のままに願いを叶え続けたら、人間界は混乱するだろう。それで人間が滅びるならそれでいい。だが……』

 ゼウスが子供のような笑みを浮かべた。

『そうならなかった場合。人間も捨てたもんじゃないってことだ。先代のゼウスは……人間を試すために神子を生み出した。俺はそう思う』

「……」

 人間を試す為に……か。

 なるほど……欲まみれの願いごとで自滅するか。願いごとで世界を良くしていくか……それを選ぶのは人間ってことか。

 つまりは選択肢。どの選択肢を選ぶのも人間の自由。

 まだ人間が滅んでないってことは、人間も捨てたもんじゃないってことかもな。

『まぁ実際、自分の欲をそのまま願ってる奴もいる。だが、そうじゃない奴もいる。他人の為……世の中の為の願いごと。それが神子の心の支えになっている。人の願いをこれからも叶えて行こうと思える。だからこそお前は622号に……レナに最高の願いごとをしようとしたんだろう?』

「……ああ」

 俺は自分のことなんてどうでもよかった。

 ただレナが笑っててくれればよかった。

 ただそれだけを思って願ったんだ。

 でも……レナは……。

「……男が泣くな」

 サンに言われて初めて、俺は自分が泣いていることに気がついた。

 レナが消えて、涙が枯れるまで泣いたのに、まだ泣けるんだな。俺は。

 いくら泣いても……レナは帰ってこないのに。

「男の子がわんわん泣かないでよね。みっともない」

 うるせぇな。わんわん泣いてねぇし。わんわん鳴くのはお前だろうが。猫のくせに。

「ゼウス様。そろそろ本題を」

 サンが促すと、ゼウスはうなづいた。

 本題? ああ、俺の願い人としての権利がどうのこうのってやつか。

「俺は願いごととかもういいよ。放っておいてくれ」

『残念だが。お前の願いはすでに受理されている』

「……は?」

 なに言ってんの、この王神様は? 俺はなにも願ってないぞ。

「君、レナが消えたときに一つ願ったことがあったでしょ?」

「……なんのことだよ?」

「無意識だったのかもしれないが、その強い願いが、ゼウス様の元に直接届いたんだ。こんなことは今までにない。願い人の想いが、ゼウス様に届くなんてことはな」

 さっきからなにを言ってるのかわからない。

 ここ最近の俺は無気力に生きてただけだ。なにも願ってなんか――。

「……」


『願うならばもう一度会いたい……。今度は同じ人として、神子の仕事とかそんなことを考えずに……一緒に居たい。一緒に笑いたい』


 あった。

 レナが消えたとき、確かに俺はそう願った。

 サンの言うとおり、無意識に。

 本気で願っていた。

『俺は、人間にしては……お前が気に入った。だから少し無茶な願いだが、特別に叶えてやる。お前の優しい心を賞賛する意味も込めてな。と言っても、お前が心から願っていなければ無理だったが……それは無用の心配だったな』

 ゼウスの言葉の後、サンとカールが不意に丘の上を見た。俺もその視線の先を追う。

『だってほら。叶っちまった』

 そこには……。


「葉介」


「……」

 俺はその声を聞いて、体が震えた。

 驚きの為か、喜びの為か……いや、そんなのはどうでもいい。俺が今聞いた声は……今、世界で一番聞きたい声だったから。聞くと一番安心する声だったから。

「……葉介。あの……こんにち……わ」

「……何だその挨拶」

「あの……その……あうぅ……」

 もうこんにちわって時間じゃないっての。

 大体何だ? その他人行儀な挨拶は。もじもじしながら言うなって、可愛いから。

 ああいや……挨拶なんていらない。言葉なんていらない。

 お前はただそうやって――笑ってくれてればいいんだよ。

「レナ!」

 俺は走り出した。無我夢中で丘を駆け上がり、レナの元へと向かった。

「……葉介ぇ!」

 俺が丘に上がった所で、レナが俺に抱きついてきた。懐かしい感触が俺の胸へと飛び込んでくる。それを優しく抱き止めた。

「葉……介……」

 泣きながら俺の胸に顔を埋めるレナの頭を優しく撫でる。

 今は泣いてもいい。もう我慢しなくていい。一人で泣かなくてもいい。いくらでも俺が受け止めてやる。その涙を。

 いくらでも一緒にいてやる。

 レナはもう神子じゃない。

 ――人間なんだから。

「レナ……お帰り」

「……はい。ただいまです」

 レナが笑顔を俺に向けてきた。俺も笑顔で答える。

 笑い合えるだけでこんなに嬉しい。一緒に笑っていられると言うことが……こんなに幸せだ。

 今は何も考えなくていい。

 ただ笑っているだけでいいんだ。

 それが俺の考えた――最高の願いごとだから。



★☆★☆★☆



『初めてだな。俺が直接願いを叶えたのは』

「……いいんですか? ゼウス様。神子として使命を終えた者を、人間として世界に創るなんてことをして。他の神子に示しがつきません。神子の掟に反すると言っても過言じゃありませんよ」

『そのわりには、513号。お前も嬉しそうじゃないか』

「わ、私は別に……」

「人間の願いを叶えるために生まれた神子。使い捨て神子とはいえ、人間として生まれ変わったとはいえ、確かに波紋があるかもしれませんね。どうするつもりですか? ゼウス様」

『お前ら頭かったいなぁ……もう少し気楽に考えられないのか?』

「ゼウス様がお気楽すぎるだけです」

『まぁ確かに波紋はあるかもな。だが……問題ない。法令は少し改訂する』

「はぁ?」

『神子と本気で一緒にいたいと思ってくれる人間がいる場合は……神子の任務を解除する。俺がそう決めた。俺がゼウスだ。誰にも文句は言わせん』

「……まぁ、どうせ責任が行くのは全部ゼウス様にですから、僕は構いませんけどね」

『そんな憎まれ口を叩くカールに朗報だ。お前もレナと一緒に人間界に残れ。連絡役、兼、お世話係としてな』

「……はぁっ!? なんで僕が!」

『法令を改訂したんだ。これから先同じ例が出ることもあるだろう。レナは最初の任務解除者だからな。貴重な例だ。だからお前が見届けろ。以上』

「……わ、わかりましたよ! 月一で最高級猫缶を送ってくださいね!」

「嬉しそうだな。カール」

「別に嬉しくないよ!」

『513号。いや、サンも気になったら様子を見に行け。レナは神子じゃないからな。神子同士の接触を禁ずるの法令には値しない』

「……そうですね。気が向いたら、そうします」

『素直じゃないな』

 ゼウスは抱き合う葉介とレナを見て、確信した想いを口にした。

『人間も……捨てたもんじゃないな』


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