story12「神子の生き方」
「……ちょっと、大丈夫なの?」
「なにが?」
「なにがって……レナのことよ!」
レナが瑠璃と一緒に部屋に戻ってから、耐え切れなくなった様子の雫が声を荒げる。それに対して、俺も少し強い声でしか返せない。
「……なにがどうなれば大丈夫なんだよ?」
あぁ……イライラしてるな。俺。
「それは……」
「……いや、悪い。別に雫を攻めた訳じゃない」
雫に当たっても仕方ないだろうが。冷静になれ。俺。
大丈夫……か。
本当、なにがどうなれば大丈夫なんだろうな。
レナはFランクの神子。
Fランクの神子は潜在神力が低くて、ゼウスから神力をもらっても、願いを叶えるとき自分の体にある神力を全部使わなければいけない。
神子の体は神力で存在してる。それを使い果たせば……消滅する。
そんな状況でも、レナは俺が願うことを望んでいる。
俺に恩返ししたいから。
でも、俺が願えばレナは……。
「……」
ソファーに座っていた俺の隣に、雫がポスンと腰を下ろした。
……なんか、くっ付きすぎじゃないか? 肩が触れ合ってるんだけど。
「暑苦しいんだけど?」
「……」
無言。
雫はそのまま俺の肩に顔をこつんと乗せてきた。ちょっとドキッとする。雫の顔がすぐ隣にある。おいおい……お前だって見た目は美少女の類に入るんだから、俺の男心をくすぐるんじゃない。
「……お前も女なんだから、そんな男をその気にさせるような行動するなよ。襲われても文句言えないぞ?」
「……襲ってみる?」
おい。そんな上目使いで言うな。悔しいけど可愛いから。マジで襲うぞ。雫がその気になったら百パー返り討ちにされるけど。
「あんたが願ったら、レナが消える。なによそれ……ゼウスって、なんでそんな形で神子を創ったのよ……」
「そうだな……ぶん殴ってやりたいよな」
「殴るだけじゃ済まさないわ。顔と胸とお腹に連撃を叩き込んで、最後に顔に思いっきり掌底をぶち込むわ」
ゼウス半殺しかよ。
「……まぁ、辛いのはあんただもんね」
「……別に。一番辛いのはレナだろ」
自分が使い捨て神子だって知ったとき……その時のレナの気持ちを思うと、やり切れない。本当は傍にいてやりたいけど、情けない話、かける言葉が見つからない。だから瑠璃に任せたんだ。
「なにかあったら言ってよね? なんでも力になる」
「……ああ」
「言っておくけど、レナのためだからね? 全面的に、全力で」
わかってるよ。そんなことは。わざわざ念入りに言わなくても。
「でも……ちょっとだけあんたのためでもあるから」
「……」
優しい声でそんなこと言われると、かなり照れくさい。いつも、俺にももっとご慈悲を~と思ってるけど、いざ優しくされると反応に困っちまうな。
「……似合わないぞ?」
「……」
「ごめんなさい。お心遣い、ありがとうございます」
一瞬だけ雫が修羅の顔になった。怖い。素で怖い。
「さてと……私、今日は帰るわね」
「ん? 飯食って行かないのか?」
時間は丁度昼近い。いつもなら誘わなくても食べて行くのに。
「今は……私みたいなうるさいのがいるとあれでしょ? レナもしばらくはそっとしておいてあげたいし」
「賑やかで楽しい、とも言えるぞ?」
「……なに? 気を使ってるの?」
「そ、そんなんじゃないやい」
照れ隠しでわざとふざける。もしかしたら顔が赤くなってたかもしれない。
でも実際、雫はうるさいかもしれないけど、ムードメーカーでもあると俺は思う。雫と一緒にいると、レナと瑠璃は楽しそうだからな。
「……ありがと。でもやっぱり帰る。私もちょっと……考えたいしね」
「……そっか」
雫はレナの部屋を見上げてから、心配そうな表情のまま帰って行った。
……俺も少し、外に出てくるか。どうせ飯なんか喉を通らないし、風に当たれば落ち着くだろう。
★☆★☆★☆
瑠璃に「ちょっと散歩してくる」とメールしてから家を出る。あてもなく、ぶらぶらと……住宅街と商店街の間にある田舎道に出てから、思い出した。
「……この先に丘があるんだよな」
この前、レナと一緒に行った場所。俺とレナが初めて会った場所だと言っていた。ちょうどいい。自然に癒されたかったところだ。行ってみるか。
田舎道を通って、丘に出た。丘を上がって小川を見下ろした……ところで、
「お?」
見つけた。
小川の前で行儀よく体育座りしている、レナの先輩神子を。
やけに絵になってるな……小さいけど、見た目は完全に美少女だし。神子はみんな可愛いっていう雫理論が通っちまうぞ。
「512号」
「……513号だ。一度で覚えろ」
気配に気が付いてたのか、513号は別に驚きもせず、俺に振り返った。相変わらず、俺のことを信用していないような目で見てくる。
「呼びづらい。もっと呼びやすい名前にしろよ」
「名前ではない。ただの識別番号だ。生まれた順に番号がつく」
そういやそう言ってたな。神子は番号で識別されてるって。だからこそ、昔の俺はレナに名前をあげたわけだけど。
……識別番号。本当、胸糞悪い仕様だな。
「じゃあ……サン」
「……サン?」
「お前の呼び名だよ。太陽みたいに赤い髪と瞳だからサン。このほうが呼びやすい」
「……勝手にしろ」
うん。勝手にする。
サンの隣に座ってから、小川を眺める。サンも小川を見ていたように見えたけど、自然……ていうか川が好きなのか?
「川が好きなのか?」
「……別に。ただ、この川は天の川に似ている」
「天の川? それって空にある星の川のことじゃねぇの?」
「それは人間が勝手に言っているだけだ。本当の天の川は……神界にある神力の集まる川のことだ。神子の生まれた場所でもある」
ああ……だから落ち着くってことか。自分が生まれた場所に似てるから。俺にとってはただの小さい川だけど。七年前にレナがここにいたのも同じ理由かもな。
「サンってさ、レナの先輩なんだろ?」
「私が神子育成学校の百三十二期生。レナが百三十四期生。それだけだ。小さい頃から……私の後をチョロチョロと付いてきていたな」
「……ん?」
てことは……サンはレナより二つ歳上。レナは俺と同い年だって言ってたから(神子も人間と同じ年齢感覚らしい)。つまりは……俺より二つ歳上、十八歳ってことだよな?
マジかよ。この体型でガチ歳上かよ……ロリにもほどがあんだろ。
……合法ロリ?
「……なんだその目は?」
「いや別に」
邪気を悟られたらしい。雫に負けず劣らずの殺気がこもった目で睨まれる。雫とサンが一緒に睨んだら、どんな獣でも逃げ出しそうなんだけど。一瞬で戦意喪失だ。
あともう一つ、気になってることがある。
「その刀、神力アイテムなのか?」
さっき、俺にも向けてきた刀。見た目はただの日本刀っぽく見える。真剣だとしたら……神子が持ってるんだし、神力アイテムだろう。
「……Bランク以上の神子が授かる戦闘用の神力アイテムだ」
「戦闘?」
「お前が気にすることじゃない」
戦闘の必要あんのか? ただ人間界に願いを叶えに来てるだけなのに。人間の撃退用に神力アイテムを使うこともあるって言ってたけど、さすがに刀はやりすぎじゃないか? カールは基本的に人間に害を与えるようなアイテムはないって言ってた気がするけど。
専用の神力アイテムを持ってる。つまり、サンはBランク以上ってことだよな?
「……サンはエリートなのか」
「その言い方はやめろ。私はただのAランク神子だ」
Aランクかよ。マジでエリートじゃん。
同じ神子なのに……レナはFランク。本当に、ゼウスはくだらねぇ仕様で神子を創ったもんだ。雫じゃないけど、マジで殴りたい。
「お前はそんなどうでもいい話をしに来たのか?」
「来たっていうか……たまたまここにお前がいただけだけど」
「……なら私が消える」
サンは立ち上がって、さっさと丘から立ち去ろうとした。
「ちょっと待てって」
俺は慌てて呼び止める。まだ肝心なことを聞いてない。
「なんだ?」
「……神子にとって、人間の願いを叶えることはそんなに大事なことなのか?」
神子がそのために生まれたってのはわかってる。
でも……命をかけてまでやることなのか? そこまでして、なんで人間の願いを叶えるんだよ。
「……当たり前だ。それが神子の生まれた理由で、神子の生き方だからな」
「……別の生き方はできないのか?」
「無理だな。私たちが……神子である以上は」
サンはそのまま丘を上がって行った。その背中は少し、寂しそうに見える。
サンも……そうやって生きるしかないってことなのか。
神子である以上……か。
「……はぁ」
手詰まりだ。考えれば考えるほど。
けっきょく俺は……どうしたいんだろうな。
★☆★☆★☆
二時間ぐらい町をふらふらして、俺は家に戻ってきた。
考えはけっきょくまとまらない。
まぁまとめようとしてたのかもわからないけど。ただ結論を出すのが怖かっただけかもしれない。ぽけーっと歩いてただけだし。
「……ん?」
リビングのソファーで瑠璃が寝ていた。いろいろあって疲れたんだろう。無理もない。
レナは……どうしたんだろうな?
「葉介」
「うおたぁ!?」
後ろから呼ばれて、俺はおもいっきり驚いた。俺の背後を取るとは……何者だ!?
「……って、レナか」
「え?」
「いや、なんでもない」
変な声出しちまったぜ……格好悪い。
レナはクスリと笑って、ソファーで寝てる瑠璃を視線で示した。
「大きな声を出すと瑠璃が起きちゃいますよ」
「そうだな……寝かしといてやるか」
瑠璃は一回寝るとなかなか起きないから大丈夫だと思うけどな。
瑠璃に毛布をかけてやってから、レナを……見れなかった。
まだなにも解決してないからな。どんな顔をすればいいかわからない。
「……葉介」
そんな俺に、レナの方から声をかけてきた。
「ん?」
「……ちょっと、町に行きませんか?」
町に?
……行ってきたばっかりなんだけどな。二時間ぐらい無駄に。
「デート、しませんか」
「デートだとぉ!?」
思わず大きな声が出る俺。レナがおもいっきり驚いてる。
「そんなに驚くことですか?」
「……」
驚くって。いきなりデートとか言われたら。
なんで急に? 前にユルユルランドに行ったときもデートって単語は出たけど、それは俺が出しただけであって、まさかレナからデートって単語がでるとは。
「嫌、ですか?」
「そんなわけない。むしろお願いします」
「ふふふ……なんですかそれ?」
笑われた。確かに俺、訳わかんない。
「……」
レナの嬉しそうな顔を見て、なんとなく、その奥にある感情が見えた気がした。それで俺は浮かれてた心を少し引き締めた。
レナとデート。
それだけで俺は浮かれてるけど。
そうだ。レナはもしかして――。
「……最後の思い出、とかじゃないよな?」
「……」
だったら悲しすぎるぞ。
「葉介とお出かけしたいだけです。駄目でしょうか?」
「……そんなわけないって」
どっちにしろ、断る理由なんてないんだ。
「でも……町って言っても商店街ぐらいしかないぞ?」
「そうですね。まずは商店街に行きましょうか」
とりあえず、出かけたいってことか。
瑠璃に書置きを残して(たぶん、俺たちが帰って来るまで起きないと思うけど)から、簡単に身支度をして、俺たちは商店街へと向かった。
★☆★☆★☆
「葉介。私、あそこに行ってみたいです!」
「ん?」
商店街に着くなり、レナがしきりに指差したのはゲームセンター。学生のたまり場にもなってる、そこそこ大きなゲーセンだ。
「レナ、ゲーセン行ったこと……あるわけないよな」
「はい! 賑やかで気にはなってたんですけど。げーせんって言うんですか?」
「まぁいろんなゲームがある所なんだけど。行ってみたほうが早いか」
説明するより見せたほうが早い。
俺も結構常連のゲーセンだ。ていうかこの町、ここしかでかいゲーセンないもん。まぁ俺は格ゲーとか音ゲーとかリズムゲーはやらないけど。俺の目的はほとんどUFOキャッチャーだ。ネットで新しいプライズが出るのをチェックして、ほしいのだけ狙って取る。後はたまに瑠璃にせがまれてぬいぐるみを取ったりとか。
「……」
目を輝かせていたレナは、周りをキョロキョロと見回す。それから……なぜか俺の後ろに隠れた。
「……なにやってんの?」
「い、いえ……なんとなく、怖い雰囲気が……」
ああ、無理もないかも。
入口からしばらく続くのは俺には縁のない、格ゲー、音ゲー、リズムゲーライン。遊びでやってる奴ならともかく、休日のこの時間は……本気でランキングを競ってるガチ野郎が多い。えっとつまり簡単に言うと……ちょっと上手すぎて引く奴。格ゲーはスティックとボタンをあり得ない速さで操作する奴、音ゲーはあり得ない速さで演奏する奴、リズムゲーはあり得ないステップで踊ったり太鼓を叩く奴。この迫力は確かに初見者には怖く感じるかもな。
「このラインは気にするな。素人が入って行ける世界じゃないから」
「……?」
よくわかってないみたいだけど、まぁわからなくてもいい。わかる必要もないし。
ガチ野郎ライン(俺命名)をさっさと抜けて、いつも俺が行くプライズラインへと向かう。その瞬間、レナの目がまた輝いた。
「なんですかここ! 可愛い物がいっぱいありますね~」
「まぁ……金さえあればどれでもお好きに取って下さいって感じだな」
本当に、金さえあれば。
まだ良心店ならいいけど、悪徳店だったらマジでプライズラインは店の貯金箱になる。簡単に諭吉が飛ぶからな? マジで。経験者は語る。多少の腕と知識はもちろん必要だけど、正直半分は運だし。
まぁでもここは割と良心店だ。百円ゲットも珍しくない。最近なら俺は、最大でも千円はかけないで一個は取れる。調子いい時は五百円かからない。
「よし。レナ、今日は俺がなんでも取ってやる。好きな物を言ってみろ」
「でも……お金かかるんですよね?」
「デートで金を渋る男はな、最低なんだよ」
レナがこれをデートだと思っているなら。
少しぐらいは俺もそれっぽくしたい。金なんていくら飛んでもいい。
……訂正。ある程度、なら……さすがに諭吉が飛んだら困る。
「じゃあこれがいいです!」
レナが指差したのは、UFOキャッチャーにある黒猫のぬいぐるみ。けっこうでかい。本物の猫ぐらいあるんじゃないか。
「……」
「葉介? どうしたんですか?」
「いや、なんかムカツク黒猫野郎を思い出しただけだ」
このぬいぐるみ。めちゃくちゃカールに似てやがる。
この野郎。絶対に五百円以内で取ってやる。覚悟しろ!
ちなみに最近のUFOキャッチャーは持ち上げて取れるなんてほぼ思わないといいぞ。ちょっとずつ引っかけて穴に落とすのがセオリー。フィギュアなんかは最近、直線の穴に橋を架けるみたいに置かれてて、持ち上げて取れないのがほとんどだし。
さてと……まずはどうするか。
いやまて。俺は重大なことに気が付いた。
この黒猫、タグがでかい。ぬいぐるみに付いてるメーカーとかが書いてある部分な。輪っかになってるからアームを入れて引っかけて穴まで落とす方法があるんだ。これは一発でいけるかもしれん。
「……」
集中してアームを操作。ぬいぐるみのタグに見事に一発で入った。ずりずりとぬいぐるみは引きずられ、穴へとポロリ。
「おっしゃあ!」
「わぁ! すごいです!」
百円取りは本当に気持ちいい。得した感が半端ない。勝ち組って感じがする。
「ほい」
ぬいぐるみをレナに渡すと、ぎゅーっと抱きしめる。ああ、ぬいぐるみになりたい。
「この子、カールに似てますよね~。可愛いです!」
「……可愛い?」
まぁ百歩譲ってこのぬいぐるみは可愛いだろう。でもカールは可愛くない。
それからもレナがほしがるぬいぐるみを次々とゲット。ウキウキとぬいぐるみを両手いっぱいに抱しめるレナは、正直めちゃくちゃ可愛い。ぬいぐるみなんて霞んで見えるほど。
「満足か?」
「はい!」
だろうな。このゲーセンにあるぬいぐるみほとんど取ったし。
「じゃあそろそろ次行くか?」
「次……でも、どこに行きましょうか?」
「レナの行きたい所でいいぞ」
俺が決めてもいいけど、なるべくレナの行きたい所に連れて行ってやりたいし。
少し考えて、レナはどこか思い付いたのか、俺に向き直った。
「がっこうに行ってみたいです!」
「へ?」
がっこう? 学校のこと? なんで?
「なんで?」
「人間界のがっこうがどんな感じなのか……興味あるんですよ~」
ああ、そういえばレナも神子育成学校ってやつに通ってたんだっけ?
うーん……神界の学校に比べたらしょぼいと思うけど。
「まぁレナが行きたいならいいけど。その前にその大量の荷物をコインロッカーに預けて行くか。学校に行くとなると身軽なほうがいい」
「え? どうしてですか?」
「行けばわかる」
駅前のコインロッカーにぬいぐるみを全部預けてから、徒歩十分ぐらいで見飽きた我が母校、赤ヶ丘高等学校へ。正直、俺にとっては面白みが全くない。
「さてと……」
「あれ? ここが入口じゃないんですか?」
俺は正門を素通りして、裏門へと回った。
「正攻法じゃ入れない。今日は休みだからな。守衛の人に見つからないように侵入する必要がある」
正門は高いから無理だけど、裏門は低いから普通に上れるんだ。学校に忘れ物したときは大体裏門から入ってる。
「よっと」
俺が先に上って、レナに手を差し出した。
「大丈夫か? 上れる?」
「が、頑張ります……」
レナはちょっと恐々と門に手と足をかけて、まずは一回体を持ち上げた。そして俺の手を取る。そして一気に門の上へ――。
「きゃあっ!?」
「うわっ!?」
上った勢いでレナがバランスを崩して、校舎側に体がぐらりと傾いた。俺はとっさにレナの体を庇った。
「いでっ!?」
結果、俺も落下。
レナは俺の体の上に落ちたから無事だ。よかった……俺はおもいっきり背中打ったけど。
「よ、葉介! 大丈夫ですか?」
「……我が人生、一片の悔いなし」
今、レナに抱きつかれてる形になってるだけで、俺は満足だ。心置きなくあの世に逝ける。
「よ、葉介! 死なないで下さい! 葉介ぇ!」
「……冗談だって。痛いけど、別に怪我はしてないから」
まさか本気にされるとは思わなかった。そんな泣きそうな顔をしないでくれ。
レナはほっとした顔になって、それから俺の背中をさすってくれた。レナの柔らかい手でさすられれば、まさに痛いの痛いの飛んで行け~だ。
「……私だけ落ちればよかったんですよ。葉介は無理に私を庇ってくれなくても……」
「ん? それは無理だな。俺はレナが怪我するほうが百倍嫌だ」
「……」
レナは俺の顔をじっと見つめてから、笑みを見せた。
「やっぱり、葉介は葉介ですね」
「……なにそれ?」
前も言われた気がするけど、俺は俺? やっぱりよくわからん。
鍵が壊れてる教室の窓から中に侵入。行くあてもとくになかったから、俺のクラスにとりあえず向かう。その途中、レナがあちこちを珍しそうに見ていた。
「そんなに違うのか? 神子の学校と」
「全然違います……神界のがっこうは、白い空間があるだけですから。神子候補生は、番号でグループに分けられて、副王神様にいろいろ教わるんです」
白い空間? それが教室みたいな感じか? どんな学校だよ。
「……何年も学校で生活するんだよな? ずっとそこで授業受けるのか?」
「生活空間は別にあるんですけどね。そこも白い空間で……寝る場所と勉強机があるだけです。ご飯を食べる所とお風呂も似たような感じですね」
俺なら発狂するな。そんな生活。
そんな空間でずっと生活させられて……。
挙句の果てに人間の願いを叶えて消えるってのか?
神子は……いいのかよ。それで。
「だから私は……ずっと絵ばかり描いてたんですよね。絵を描くことが、私の楽しみでした。なにか嫌なことがあっても……絵を描いていれば忘れられたんです」
だからあんなに絵が上手くなったのか。
嫌なこと、か。
レナは普段明るくふるまってるけど、いろいろあったんだろうな。
神子になる自信がなくなった。レナはそう言ってた。
それを俺が元気づけた。レナの心はそれで救われた。俺を恩人だって言ってる。
だからレナは俺に恩返しを……。
「ここが葉介と雫が勉強してる所ですね!」
俺のクラスに着いて、レナはさっそく教室の中を駆け回る。
レナにとっては机がこんなに並んでるのなんて見たことないだろう。机の間を縫うように走って黒板へ。
「これはなんですか?」
「先生が文字を書くところだな。簡単に言えば先生のノートだ」
「……?」
わからないか。まぁ別に覚えなくていいよ。
レナは一番前にある机に座って、まるで授業を受けているかのように、黒板を見上げている。そして、少し寂しそうに呟いた。
「私も……葉介と一緒にがっこうに行ってみたいですね……」
「……」
そのレナの様子を見て、我慢できなくなった。
「レナ」
俺は改めて、レナの気持ちを聞いてみることにした。
「レナは本当に……俺の願いを叶えて消えちまってもいいと思ってるのか?」
「……」
レナは答えない。黙って、俺の顔を見ている。
「なんで笑ってられるんだ? 自分が消えるってときに……どうして笑ってられるんだよ?」
自分が消えると聞いてから、レナは涙一つ流していない。
むしろ俺に気を使わせないために、さっきからずっと笑ってる。
だからこそ、たまに一瞬だけ見せる寂しそうな表情が……目に焼き付いて離れない。
もっと俺たちにその表情を見せてもいいのに。
なんで笑うんだ?
強すぎるだろ……強すぎて、見てる方が辛い。
ちょっとぐらいは弱音を吐いてもいいはずだ。
「レナが一言、消えたくないって言ってくれれば、俺は――」
「葉介。その先は言わないで下さい」
レナが俺の口を人差し指で押さえた。
「言ったじゃないですか。それは……神子にとって一番辛い言葉です。それだけは……言わないで下さい」
願いごとなんていらない。
神子にとって、願い人からそう言われることが一番辛い。レナはさっきもそう言っていた。
「葉介はなにも気にしなくていいんですよ。だってこれが神子の在り方で、神子の生き方なんです。葉介の願いを叶えることが、私の幸せなんです」
レナは笑った。
さっきと同じ。作り笑いじゃない。本当の笑顔。
それを見て、俺は悟った。
レナはもう受け入れている。自分が消えることを。
あとは俺が決意するだけだ。
考えなきゃいけない。
俺にとって……いや。
俺とレナにとっての、最高の願いごとを。




